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臨機応変の俺と猪突猛進の親友、医食同源の少女と世界を旅する ~四字熟語を背負う者たちの腹ぺこ放浪記~  作者: 凡夫 成


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42話 起死回生

この世界では、人は誰もが「四文字の真名」を背負って生まれます。


その真名は、名前であり、力であり、生き方そのもの。


臨機応変、猪突猛進、医食同源。


三つの真名を持つ少年少女たちは、食べて、迷って、ぶつかって、時々壊して、時々救いながら旅を続けます。


けれど世界には、四文字では収まらない存在がいる。


四天王と呼ばれる強大な真名。


そして、その奥に立つ八文字の王。


これは、まだ何者でもない旅人たちが、自分の真名の意味を選び直していく物語です。


笑いあり、飯あり、戦いあり。


そして少しだけ、命と心に向き合う四文字たちの放浪記。


どうぞ、腹ぺこ一行の旅にお付き合いください。


 一撃必殺が消えた場所には、小さな黒い欠片だけが残っていた。


 それは刃だったものの欠片。


 もう白く光ってはいない。


 触れた命を止める力もない。


 ただの、冷たい黒い欠片だった。


 リンはそれを布で包み、そっと荷物の奥へしまった。


 捨てる気にはなれなかった。


 拾うべきものなのかも分からない。


 けれど、最後に一撃必殺が自分で選んだ一撃は、誰も殺さなかった。


 その証だけは、黒山の霧に飲ませたくなかった。


「シン、腕は?」


 イオが何度目か分からない確認をする。


 シンは左腕を布で吊ったまま、右手で鉄棒を担いでいた。


「動かねえ」


「だから鉄棒を担がない」


「右腕は動く」


「右腕が動くのと、安静にするのは別」


「難しいな」


「難しくない」


 イオは眉を吊り上げたまま、薬草布の結び目を確かめる。


 シンの左腕はまだ灰色が残っている。


 一撃必殺の刃が触れた場所から、命の働きが止まった。


 完全に死んだわけではない。


 でも、生きているとも言い切れない。


 イオは何度も薬を替え、温め、揉み、血の巡りを戻そうとしていた。


「痛みは?」


「ない」


「しびれは?」


「ない」


「熱は?」


「ない」


 イオの表情がさらに険しくなる。


 シンが少しだけ困った顔をした。


「痛いって言った方がいいか?」


「嘘はだめ」


「じゃあ、ない」


「……そう」


 イオは小さく息を吐いた。


「痛いのも嫌だけど、何も感じないのはもっと嫌」


「俺は痛くない方がいいけどな」


「痛いってことは、まだそこが生きてるってことでもあるの」


 シンは自分の左腕を見た。


 だらりと垂れた腕。


 自分のものなのに、少し遠くにあるような感じがする。


「じゃあ、痛くなったら喜べばいいのか」


「少しはね」


「分かった。痛くなったら喜ぶ」


「そこまで単純に言われると不安」


 リンは二人のやり取りを聞きながら、前方を見た。


 黒山の道はさらに狭くなっている。


 右は崖。


 左は枯れた林。


 林の奥には、黒い霧が溜まっている。


 その霧の中から、時折うめき声が聞こえた。


 不死の兵ではない。


 もっと弱い声。


 誰かが寝床で苦しんでいるような、細い声だった。


 カズキがハヤテの手綱を引いた。


「いる」


「不死兵?」


 リンが聞く。


「違う」


 カズキは短く答える。


「動きが遅い。だが、多い」


 ムソウが刀に手を置く。


「次の幕か」


 一座の者たちも、いつもより静かだった。


 一撃必殺との戦いで、一座の男も深手を負った。


 イオの薬で命はつないだが、まだ歩けない。


 今は担架に乗せられている。


 一座の二人が交代で担いでいた。


 ムソウはその担架をちらりと見た。


 目が細くなる。


「一座は後ろへ」


 一座の女が頷く。


「分かってる」


「無理はするな」


「そっちもね」


「わしは天下無双ゆえな」


「天下無双でも、首を落とされたら死ぬんだろ」


 一座の男が言うと、ムソウは苦笑した。


「聞いておったか」


「聞こえたよ」


「ならば、なおさら死ねぬな」


 拍子木が一度だけ鳴る。


 カン。


 霧の中へ、リンたちは進んだ。


 そこには、兵たちが倒れていた。


 黒い鎧ではない。


 普通の布服。


 旅人。


 村人。


 兵士。


 年老いた者。


 若い者。


 さまざまな人が、地面に横たわっていた。


 だが、死んではいない。


 胸がわずかに上下している。


 指が震えている。


 口からは、かすかなうめき声が漏れている。


「怪我人……?」


 イオが駆け寄ろうとする。


 リンが腕を伸ばして止めた。


「待って」


「でも」


「見てから」


 イオは歯を食いしばりながら、足を止めた。


 地面に横たわる者たちの体には、黒い文字が刻まれている。


 死ぬな。


 戻れ。


 立て。


 まだ終わるな。


 その文字は、不死の兵に刻まれていたものに似ていた。


 けれど、少し違う。


 不死の兵の文字は命令だった。


 これは、まるで薬の処方のように並んでいる。


 だが、薬ではない。


 黒い文字が傷口に入り込み、肉を無理やりふさいでいる。


 骨をつなぎ。


 血を止め。


 息を戻し。


 意識だけを引きずり戻している。


 イオの顔から血の気が引いた。


「なに、これ」


 その時、霧の奥から声がした。


「治療です」


 静かな声だった。


 優しげで、穏やかで、よく通る。


 霧の中から、一人の男が現れた。


 白い衣。


 医者のような格好。


 手には黒い杖。


 杖の先には、小さな薬瓶がいくつもぶら下がっている。


 男の顔は穏やかだった。


 まるで、村の診療所にでもいるような顔。


 だが、その背には黒い四文字が浮かんでいた。


 起死回生。


「起死回生……」


 イオが低く呟く。


 男は微笑む。


「はい。死に瀕した者を起こし、再び生へ戻す者です」


「生へ?」


 イオの声が硬くなる。


「これが?」


 起死回生は穏やかに頷く。


「命は尊いものです。失われてよい命などありません」


 その言葉だけなら、間違っていないように聞こえた。


 シンが眉をひそめる。


「言ってることはイオっぽいな」


「違う」


 イオは即座に言った。


「全然違う」


 起死回生はイオを見た。


「医食同源ですね」


「そう」


「あなたなら分かるでしょう。死にかけた者を戻す尊さが」


「戻す?」


 イオは地面に倒れている男を見る。


 その男の足は折れている。


 腹にも深い傷がある。


 なのに、黒い文字がその傷を無理やり塞いでいる。


 男の目は開いていた。


 ただ、焦点が合っていない。


 口だけが動いている。


「い……たい……」


 その声に、シンの表情が変わった。


「おい」


 起死回生は穏やかなままだ。


「痛みは、生の証です」


 イオの目が鋭くなる。


「痛みを取ってないの?」


「取れば、動きが鈍ります」


「は?」


「彼らはまだ使えます」


 その言葉で、空気が凍った。


 リンは短剣に手をかける。


 カズキの槍が低く構えられる。


 ムソウの笑みが消える。


 イオは、起死回生を真正面から睨んだ。


「今、何て言った?」


「まだ使えます」


 起死回生は同じ調子で言った。


「死にかけた者も、戻せば働ける。戦える。運べる。盾になれる。命は活用されてこそ意味がある」


 シンが鉄棒を握る右手に力を込める。


「それ、治療じゃねえだろ」


「治療です」


「違う」


 イオが言った。


 その声は静かだった。


 けれど、怒りで震えていた。


「治療っていうのは、相手が生きるためにすること」


「ええ。生かしています」


「違う。あなたは、使うために戻してる」


 起死回生は少し首を傾ける。


「何が違うのですか」


「全部」


 イオは薬草袋を握りしめた。


「全部違う」


 起死回生は地面の者たちへ杖を向けた。


 薬瓶が揺れる。


 黒い液が、ぽたりと落ちる。


 その瞬間、倒れていた者たちが一斉に体を震わせた。


「起きなさい」


 起死回生が言う。


「あなたたちは、まだ死んでいません」


 倒れていた者たちが、ぎこちなく起き上がる。


 骨が軋む音がした。


 誰かが悲鳴を上げる。


 けれど、体は立つ。


 立たされる。


 目に涙を浮かべながら、彼らは武器を握った。


 折れた腕で。


 震える手で。


 黒い文字に動かされながら。


「やめろ!」


 シンが叫んだ。


 起死回生は首を横に振る。


「命を無駄にしてはいけません」


「無駄にしてんのはお前だろ!」


 シンが飛び出そうとする。


 イオが叫んだ。


「シン、だめ!」


 シンは止まった。


 止まったが、歯を食いしばっている。


「何でだよ!」


「あの人たち、生きてる!」


 イオの声が響く。


「生きてる人を、まとめて殴らないで!」


 シンの鉄棒が震えた。


「……分かった」


 その声は苦しかった。


 リンは朱雀の短剣を抜いた。


 黒い線が見える。


 倒れていた者たちの体に刻まれた文字から、起死回生の杖へ細い黒い線が伸びている。


 さらに、その杖から黒山の奥へ太い線が伸びていた。


「線はある」


 リンが言う。


「でも、不死兵の時より細かい」


 イオが答える。


「全部切っちゃだめ。傷を無理やり塞いでる文字もある。そこを乱暴に切ったら、本当に死ぬ」


「じゃあどうする?」


「見極める」


 イオは言った。


「戻せる人は、私が戻す。もう動かしちゃいけない人は、リンが縛りを切る。まだ戦ってる人は、止める。でも殺さない」


 ムソウが刀を構えた。


「難しい舞台よな」


 カズキが槍を低くする。


「足を止める。深く刺さない」


「頼む」


 リンが頷く。


 シンは鉄棒を持ち直した。


「俺は?」


 イオが即答する。


「盾」


「盾?」


「怪我人を守って。殴るなら武器だけ」


「左腕使えねえぞ」


「だから右で守って」


 シンはにやりと笑った。


「分かった」


「あと、前に出すぎない」


「分かった」


「本当に?」


「昨日より分かってる」


 イオは一瞬だけ笑いそうになった。


 けれどすぐ、目の前の怪我人たちへ向き直る。


 起死回生が杖を掲げた。


「皆さん、起きなさい」


 黒い文字が光る。


「死は敗北です」


 倒れていた者たちが、武器を持って進み出る。


「生きている限り、役目があります」


 リンは胸の奥が冷たくなるのを感じた。


 生かす。


 その言葉を、こんなにも冷たく使えるのか。


「リン!」


 イオが叫ぶ。


「右の人、脚の線だけ!」


「了解!」


 リンが走る。


 右から迫る男の足には、黒い文字が巻きついている。


 立て。


 歩け。


 進め。


 だが、足の骨は折れている。


 そのまま歩けば砕ける。


 リンは朱雀の短剣で、足に絡む線だけを切った。


 男は崩れ落ちる。


 だが、息はある。


 イオがすぐ駆け寄り、添え木を当てる。


「動かないで。もう歩かなくていいから」


 男の目から涙がこぼれた。


「いい……のか……」


「いい」


 イオは強く言った。


「今は休んで」


 シンがその前に立つ。


 別の怪我人が剣を振ってくる。


 シンは鉄棒で剣だけを弾いた。


「悪いな!」


 剣が飛ぶ。


 その人自身は倒さない。


 シンは慣れない動きに顔をしかめる。


「やりづれえ!」


「でもできてる!」


 イオが叫ぶ。


「ならやる!」


 カズキとハヤテが横を駆ける。


 槍の柄で膝裏を軽く打ち、怪我人たちを座らせる。


 ムソウは刀の峰で武器だけを払う。


 一座は拍子木と太鼓で、倒れた者を安全な場所へ誘導する。


「こっちだ!」


「歩ける人はゆっくり!」


「無理なら座って!」


「水あるよ!」


 黒山の戦場に、奇妙な声が響いた。


 戦いながら、避難させる。


 止めながら、治す。


 倒しながら、休ませる。


 起死回生は、それを静かに見ていた。


「非効率ですね」


 イオが振り返る。


「何が」


「戦場では、動ける者は動かすべきです」


「戦場にしたのは誰」


「命は使われることで価値を持つ」


「違う」


「違いません」


 起死回生の声は乱れない。


「何もしなければ、彼らは死んでいました。私が戻した。私が役目を与えた。私が命を延ばした」


「違う!」


 イオの声が初めて荒くなった。


「命は、あなたが与えた役目のためにあるんじゃない!」


 起死回生は少しだけ目を細めた。


「では、何のために?」


 イオは一瞬、言葉に詰まった。


 命が何のためにあるのか。


 そんな大きな問いに、簡単に答えられるわけがない。


 でも、目の前に答えの一部はある。


 痛がる人。


 休みたい人。


 助かりたい人。


 まだ生きたい人。


 もう戦いたくない人。


 イオは歯を食いしばる。


「それは」


 声が震える。


「本人が決めること」


 起死回生の穏やかな表情が、ほんの少しだけ崩れた。


「本人?」


「そう」


「死にかけている者に、判断などできません」


「できない時は、できるようになるまで支える」


「時間がかかる」


「かける」


「効率が悪い」


「命に効率を持ち込まないで!」


 イオの声が黒山に響いた。


 その瞬間、数人の怪我人の黒い文字が揺れた。


 起死回生が杖を握り直す。


「余計なことを」


 杖の薬瓶が一斉に黒く光る。


「ならば、さらに戻しましょう」


 霧の奥から、重い音がした。


 今度は怪我人ではない。


 すでに倒れていた兵たち。


 死屍累々が残した古い死者たちの一部。


 一撃必殺に斬られた黒い兵の残骸。


 それらが、起死回生の黒い薬を浴びて震え始めた。


 リンが叫ぶ。


「まさか」


 イオの顔が青ざめる。


「だめ」


 起死回生は穏やかに告げる。


「死に近いものほど、戻しやすい」


 黒い死者たちが立ち上がる。


 完全な不死兵ではない。


 半ば崩れた体。


 傷口が黒い薬で塞がれ、無理やり立たされている。


 痛みすら声にならない者たち。


 起死回生が杖を向ける。


「さあ。起きなさい」


 黒い軍勢が再び動き出した。


 シンが顔をしかめる。


「こいつ、最悪だな」


 ムソウが刀を構える。


「同感よ」


 カズキがハヤテの首を撫でる。


「一度休ませた者まで戻す気か」


 リンは朱雀の短剣を握った。


 腕が痛む。


 短剣は重い。


 だが、ここで止めなければ、せっかく休ませた命までまた使われる。


「イオ」


 リンが言う。


「起死回生の本体を止めないと終わらない」


「分かってる」


「でも、周りの人たちも」


「分かってる!」


 イオは叫んだ。


 そして、すぐに唇を噛んだ。


「ごめん」


「大丈夫」


「大丈夫じゃない」


 イオは自分の薬草袋を見た。


 残りは少ない。


 救える人は限られる。


 止められる薬も限られる。


 選ばなければいけない。


 また。


 また、選ばなければいけない。


 シンが近づいた。


「イオ」


「何」


「俺、左腕使えねえ」


「知ってる」


「でも右腕は動く」


「知ってる」


「だから、言え」


 イオが顔を上げる。


 シンはまっすぐイオを見ていた。


「誰を守る。どこを空ける。誰を止める。分かんねえから、言え」


 イオの目が揺れる。


「私が決めていいの?」


「一人で決めんな」


 シンは右手で自分の胸を叩いた。


「言え。俺が聞く。リンも聞く。みんな聞く」


 リンも頷いた。


「うん。イオ一人の判断にしない」


 カズキが言う。


「見極めは任せる。だが、背負うのは全員だ」


 ムソウが笑う。


「重い荷なら、花道の者たちで担げばよい」


 一座の女も叫ぶ。


「うちらもいるよ!」


 イオは息を吸った。


 震えていた手が、少しだけ止まる。


「分かった」


 彼女は前を向いた。


「リン、黒い死者の線は切って。もう戻せない。休ませる」


「分かった」


「シンは生きてる怪我人の前。武器だけ止めて」


「おう!」


「カズキは右側の退路を作って。歩ける人をそっちへ」


「了解」


「ムソウさんは、起死回生への道を開いてください」


「承知!」


「一座は、倒れた人を運んで。無理なら声だけでもいい。『休んでいい』って言ってあげて」


 一座の者たちが頷く。


「任せな!」


 イオは最後にリンを見た。


「私は起死回生を止める」


「一人で?」


「違う」


 イオはシンを見る。


「シン、来て」


 シンは少し驚いた顔をした。


「俺?」


「盾」


「おう!」


「あと、前に出すぎない」


「分かってる!」


 イオは小さく笑った。


「じゃあ、行く」


 戦場が動いた。


 リンは朱雀の短剣で、黒い死者の線を切る。


 一人、また一人。


 白い光が昇る。


 だが、前より迷いは少ない。


 イオが見極めた。


 仲間が背負うと言った。


 だから切れる。


 シンは片腕で怪我人の前に立ち、迫る武器だけを弾く。


「悪い!」


 剣を飛ばす。


「座ってろ!」


 槍を叩き落とす。


「寝てろ!」


 盾を押し返す。


 イオが叫ぶ。


「言い方!」


「休んでください!」


「急に丁寧!」


 ムソウが大笑いしながら道を開く。


「よいぞ、猪突猛進! 丁寧な猪も悪くない!」


「猪って言うな!」


 カズキとハヤテは退路を作る。


 一座の太鼓が鳴る。


 拍子木が鳴る。


 その音に誘導され、怪我人たちが少しずつ安全な場所へ運ばれていく。


 起死回生は初めて、不快そうな顔をした。


「命を眠らせ、命を止め、命を戦場から下げる」


 杖を握る手に力が入る。


「理解できません」


 イオはシンの後ろから近づいていく。


「あなたには、命が人に見えてない」


「命は命です」


「違う」


「数が多く、役目があり、保つべきものです」


「違う」


「では何です」


「名前がある」


 イオは言った。


「痛みがある。怖さがある。帰りたい場所がある。食べたいものがある。言いたかったことがある」


 起死回生の眉がかすかに動く。


「無意味です」


「無意味じゃない」


「命を救うには、感情は邪魔です」


「感情がないなら、救う意味も分からないでしょ!」


 イオは薬草袋から、最後の強い薬を取り出した。


 苦い匂いが広がる。


 以前、朱雀領で命令の声を乱した薬草煙。


 今回はさらに濃い。


 体を動かす命令を鈍らせるための煙。


「シン!」


「おう!」


「三歩前!」


「一、二、三!」


「そこで止まって!」


「止まった!」


「しゃがんで!」


「しゃがんだ!」


 起死回生が杖を振る。


 黒い薬瓶が割れ、液が飛ぶ。


 シンが鉄棒で受ける。


 黒い液が鉄棒に触れ、じゅう、と音を立てた。


「うわ、気持ち悪!」


「触らないで!」


「触らねえ!」


 イオはシンの肩越しに薬草煙を投げた。


 煙が起死回生を包む。


 起死回生は口元を布で覆おうとする。


 だが遅い。


 薬草煙が、杖の薬瓶にも入り込む。


 黒い液が濁る。


 怪我人たちに伸びていた黒い線が揺らぐ。


 リンが叫ぶ。


「今、線が弱い!」


「切って!」


 イオが叫ぶ。


 リンは走った。


 朱雀の短剣が光る。


 起死回生の杖から伸びる黒い線。


 怪我人たちを無理やり立たせていた線を、次々に切る。


 倒れる者。


 座り込む者。


 泣き出す者。


 白い光になる者。


 まだ息をしている者。


 イオは見て、叫ぶ。


「その人は生きてる! 切らない!」


「こっちは?」


「切って!」


「了解!」


 リンは切る。


 切らない。


 また切る。


 朱雀の短剣は重い。


 だが、イオの声がある。


 仲間の音がある。


 起死回生が杖を振り上げた。


「戻れ!」


 黒い線が再び伸びる。


 しかし、シンが前に出た。


「戻すな!」


 片腕で鉄棒を振るい、杖を叩く。


 がん、と重い音。


 杖が大きく弾かれた。


 シンの左腕に痛みが走ったのか、彼の顔が歪む。


 イオが叫ぶ。


「シン!」


「痛い!」


 シンが目を見開いた。


「痛いぞ!」


 イオの目が一瞬で変わる。


「痛いの!?」


「痛い!」


「よかった!」


「痛いのによかった!?」


「生きてる!」


 シンは一瞬ぽかんとし、それから笑った。


「なら、よかった!」


「無理はだめ!」


「分かってる!」


 シンは右腕で鉄棒を構え直す。


「でも今だけは、もう一回!」


「一回だけ!」


「おう!」


 シンが踏み込む。


 鉄棒が起死回生の杖を弾き飛ばした。


 薬瓶が砕ける。


 黒い液が地面へ散る。


 起死回生の表情から、穏やかさが消えた。


「私の治療を」


 イオが前に出る。


「治療じゃない」


「私の回生を」


「回生じゃない」


「私の役目を」


「人を道具にする役目なら、終わらせる」


 起死回生の背から、黒山へ太い線が伸びている。


 リンには、それが見えた。


 死ぬな。


 戻せ。


 立たせろ。


 命を使え。


 起死回生自身も、生殺与奪に縛られている。


 だが、一撃必殺と違って、彼の目には迷いが少ない。


 自分のしていることを、正しいと信じている。


「リン」


 イオが言う。


「切れる?」


「切れると思う」


「でも、その前に」


 イオは起死回生を見た。


「聞きたい」


 起死回生は静かに立っている。


 杖は砕けた。


 薬瓶も割れた。


 それでも、彼の背の四文字はまだ黒く光っている。


「あなたは」


 イオは問う。


「誰かを助けたいと思ったことがあるの?」


 起死回生は黙った。


「使うためじゃなくて。戦わせるためじゃなくて。役に立たせるためじゃなくて」


 イオは続ける。


「ただ、助かってほしいって思ったことはあるの?」


 黒山の風が吹く。


 起死回生の表情が、わずかに揺れた。


「……ありました」


 初めて、過去形だった。


 イオは息を止める。


「誰?」


「名は」


 起死回生の声が、少しかすれる。


「忘れました」


「忘れた?」


「何度も戻しました」


 起死回生は、自分の手を見る。


「何度も。何度も。死にかけるたびに戻した。痛がりました。泣きました。やめてくれと言われました」


 イオの顔が痛みに歪む。


「でも、死なせたくなかった」


 起死回生の声は静かだった。


「だから戻した。戻し続けた。最後には、私の声にも反応しなくなった」


「……」


「それでも、息はしていた」


 起死回生の背の四文字が揺れる。


「息をしているなら、生きている。生きているなら、救えている」


 イオは首を横に振った。


「違う」


「違わない」


「違うよ」


 イオの声は、さっきよりも優しかった。


 けれど、はっきりしていた。


「あなたは、失うのが怖かったんだ」


 起死回生の目が揺れる。


「だから、相手が苦しんでいても、戻し続けた」


「……」


「それは、助けたい気持ちから始まったのかもしれない」


 イオは薬草袋を握る。


「でも、途中で相手を見なくなった」


 起死回生は何も言わない。


「息をしてるかどうかだけを見て、その人が何を望んでるか見なくなった」


 黒山の奥から、低い声が響いた。


「迷うな」


 生殺与奪。


「生かす者は、生かせばよい」


 起死回生の背の線が太くなる。


「命は管理されてこそ保たれる」


 イオが叫ぶ。


「違う!」


 その声は、黒山の声を打ち消すように響いた。


「命は、誰かの持ち物じゃない!」


 起死回生が震える。


 背の線が暴れる。


 リンは短剣を構えた。


「今だ」


 イオは起死回生を見る。


「あなたは、どうしたいの?」


 起死回生は顔を歪めた。


 初めて、苦しそうに。


「私は」


 黒い線が首に絡む。


「戻さなければ」


「違う」


「立たせなければ」


「違う」


「死なせては」


「違う!」


 イオは起死回生へ歩み寄った。


 シンが慌てる。


「イオ!」


「大丈夫」


「大丈夫じゃねえだろ!」


「止めないで」


 シンは歯を食いしばりながらも、鉄棒を構えて周囲を守った。


 イオは起死回生の前に立つ。


「助けたかったんでしょ」


 起死回生の目が揺れる。


「だったら、最後にちゃんと見て」


 イオは周囲を指した。


 倒れている人。


 座り込んで泣く人。


 白い光になって昇った人。


 まだ息をしている人。


「命は、数じゃない」


 イオは言った。


「役目でもない」


 起死回生の唇が震えた。


「では」


「一人ひとり」


 イオは答えた。


「一人ひとり違う命」


 起死回生の背の黒い線が、大きく震える。


 リンは踏み込んだ。


「切るよ」


 起死回生はリンを見た。


 その目に、初めて明確な願いが宿った。


「頼みます」


 リンは頷いた。


 朱雀の短剣を振るう。


 黒い線は太い。


 重い。


 だが、先ほどまでとは違う。


 抵抗が少し弱い。


 起死回生自身が、もう握りしめていない。


「起死回生」


 リンは言った。


「命を戻すことだけが、救いじゃない」


 刃が線に食い込む。


「生きることを、相手に返すんだ」


 黒い線が裂けた。


 起死回生の背の四文字がほどける。


 起。


 死。


 回。


 生。


 一文字ずつ、黒い光から白い光へ変わっていく。


 起死回生は膝をついた。


 だが、すぐには消えない。


 彼の周囲に、これまで無理やり戻されていた者たちの黒い文字が浮かび上がる。


 死ぬな。


 立て。


 戻れ。


 役に立て。


 それらが、白い光に変わってほどけていく。


 横たわっていた者たちが、静かに息を吐いた。


 白い光となって昇る者。


 深く眠る者。


 痛みに泣きながらも、生きている者。


 それぞれ違う終わり方。


 それぞれ違う続き方。


 イオは一人ひとりを見た。


 見逃さないように。


 数にしないように。


 起死回生は、その様子を見ていた。


「これが」


 彼は呟いた。


「見る、ということですか」


 イオは頷いた。


「うん」


「重いですね」


「重いよ」


「怖いですね」


「怖い」


「それでも」


 起死回生は目を閉じた。


「これが、治療ですか」


 イオは少しだけ黙った。


 そして言った。


「たぶんね」


 起死回生はかすかに笑った。


「たぶん、ですか」


「私だって、全部分かってるわけじゃない」


「医食同源でも」


「うん」


 イオは静かに言った。


「だから、見る。聞く。間違えたら謝る。足りなければ頼る」


 起死回生の体が白い光になっていく。


「それは」


 彼の声が薄れていく。


「私には、できなかった」


 イオは答える。


「今、少しできた」


 起死回生は目を開けた。


「そうでしょうか」


「そうだよ」


 イオは言った。


「最後に、ちゃんと見てた」


 起死回生の表情が、ほんの少しだけやわらいだ。


「ならば」


 白い光が風に溶ける。


「一人ひとりに、詫びねばなりません」


 その言葉を最後に、起死回生は消えた。


 黒山の霧が、少しだけ薄くなる。


 だが、まだ晴れない。


 倒れていた者たちの中には、生き残った者もいた。


 イオはすぐに動く。


「リン、水!」


「はい!」


「シン、動かない!」


「俺、まだ何もしてねえ!」


「しそうだった!」


「何で分かるんだ!」


「分かる!」


 ムソウが笑う。


「よい診立てよ」


 カズキがハヤテから降り、水袋を運ぶ。


 一座も担架を広げる。


 そこからしばらく、戦いではなく治療の時間になった。


 イオは忙しく動いた。


 リンも手伝う。


 シンも片腕で水を運ぼうとして怒られる。


 ムソウは一座と一緒に怪我人を運ぶ。


 カズキとハヤテは周囲を警戒する。


 助かった者は少ない。


 休んだ者も多い。


 けれど、誰も数として扱わなかった。


 一人ずつ。


 名前を聞ける者には、名前を聞いた。


 話せない者には、イオが布をかけた。


 白い光が昇るたび、一座の拍子木が静かに鳴った。


 カン。


 カン。


 カン。


 やがて、霧の奥から低い声が聞こえた。


「くだらぬ」


 生殺与奪の声。


「一人ひとりを見るなど、無駄なこと」


 イオは顔を上げた。


 疲れていた。


 顔色も悪い。


 薬草袋も軽い。


 それでも、その目は強かった。


「無駄じゃない」


「命は管理されてこそ保たれる」


「命は、あなたの持ち物じゃない」


 その言葉に、黒山の霧がざわめいた。


 リンはイオの隣に立つ。


 シンも片腕で鉄棒を担ぎ、反対側に立つ。


 ムソウ、カズキ、一座も続く。


 生殺与奪の声が低く笑う。


「ならば、次は見せてやろう」


 黒い霧の奥から、ゆっくりと影が近づいてくる。


 生きているのか。


 死んでいるのか。


 分からない者たち。


 目は開いている。


 息もしている。


 だが、感情がない。


 痛みもない。


 恐怖もない。


 半分だけ生きて、半分だけ死んでいるような者たち。


 その先頭に、灰色の衣をまとった女が立っていた。


 肌は青白く、瞳は空っぽ。


 背に、四文字が浮かぶ。


 半死半生。


 女は静かに言った。


「痛みなどなければ、苦しまない」


 イオの手が、薬草袋を強く握った。


 半死半生は続ける。


「恐れなどなければ、迷わない」


 シンが顔をしかめる。


「嫌なこと言うな」


 女の目が、ゆっくりシンの左腕へ向く。


「死んだ腕など、切り落とせば楽になる」


 イオの目が鋭くなった。


「黙って」


 黒山の霧が濃くなる。


 生殺与奪編は、さらに奥へ進む。


 命を戻す者は消えた。


 次に立ちはだかるのは、生きても死んでもいない者。


 半死半生。


 その灰色の瞳が、リンたちを映していた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


この物語は、「四文字の真名」を持つ者たちが、自分の名前に縛られながらも、その意味を少しずつ選び直していく旅です。


臨機応変は、流されるための力ではなく、自分で選んだ道を変え続ける力へ。


猪突猛進は、ただ突っ込むだけではなく、止まり、退き、それでも進む力へ。


医食同源は、すべてを救えるわけではないと知りながら、それでも目の前の命に手を伸ばす力へ。


旅の中で三人は、多くの真名と出会い、戦い、食卓を囲み、迷いながら進んでいきます。


笑える場面も、苦しい場面もありますが、最後には少しでも温かいものが残る物語にしていきたいと思っています。


引き続き、腹ぺこ一行の旅にお付き合いいただけたら嬉しいです。

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