4話 猪突猛進、水路を壊す
四字熟語を背負って生きる者たちの世界で、
臨機応変のリンと、猪突猛進のシンが再会するところから物語は始まります。
旅、バトル、料理、そして少しずつ増えていく仲間たち。
気軽に楽しんでもらえたらうれしいです。
北の畑へ向かう道は、村の中でもひどく荒れていた。
乾いた土。
崩れた石垣。
ところどころに残る、枯れた作物。
畑へ近づくほど、地面のひび割れは深くなっていく。
シンは大角猪の肉を背負ったまま、先頭を歩いていた。
「水路を直すだけだろ」
「簡単に言わないで」
後ろを歩くイオが答える。
「村の人が十人でも動かせなかった岩なのよ」
「十人で無理なら、俺がやればいい」
「どうしてそうなるの」
「俺は十人より強い」
「力だけの話じゃないと思う」
リンは周囲を見渡した。
畑の脇には、石を積んで作られた細い水路が続いている。
上流から流れてきた水を、段々畑へ分ける仕組みらしい。
だが今は、一滴の水も流れていない。
水路の底には乾いた泥がこびりつき、雑草が生えていた。
「三日前から止まってるって言ってたな」
「ああ」
後ろから声がした。
振り返ると、門番をしていた男が数人の村人を連れて歩いてきた。
村長の命令で、作業を見届けるらしい。
男たちの顔に期待はない。
どちらかといえば、よそ者が失敗するところを確認しに来たような表情だった。
「岩はこの先だ」
門番の男が言った。
「先に言っておくが、村の男十人で縄をかけても動かなかった」
「十人で引いたのか?」
リンが尋ねる。
「ああ」
「押した?」
「押しても無駄だった」
「周りの土は掘った?」
「少しはな」
「岩の下は?」
「そんな余裕はなかった」
リンは頷いた。
岩を動かせなかった理由は、力不足だけではないかもしれない。
地面へ深く埋まっている。
周囲の土が固まっている。
水圧がかかっている。
いくつか考えられる。
だが。
「見えたぞ」
シンが言った。
道の先。
山肌が大きく崩れている。
土砂と倒木が、水路を完全に覆っていた。
その中央には、巨大な岩がある。
高さはシンの背丈を超えている。
横幅は、大人三人が並んでも足りない。
半分ほどが土へ埋まり、その背後には濁った水が溜まっていた。
「でかいな」
シンは嬉しそうに笑った。
「壊しがいがある」
「動かすんだ」
リンが訂正する。
「同じだろ」
「全然違う」
「細かいな」
「水路を直す依頼で、水路ごと壊したら意味がない」
イオが岩の近くへ歩み寄った。
足元の土を触る。
湿っている。
「岩の向こうに、水がかなり溜まってる」
「見れば分かる」
シンが答える。
「だから危ないの。岩だけ急に壊したら、水と土砂が一気に流れる」
「流れた方がいいだろ」
「そのまま畑へ流れ込んだら、残ってる作物まで埋まる」
村人たちの顔が険しくなる。
「それだけは困る」
一人の男が言った。
「残った畑まで駄目になったら、今度こそ終わりだ」
「なら、どうする」
シンがリンを見る。
リンは岩の周りを歩いた。
右側は山肌。
左側には少し低い地面がある。
そこを掘れば、水を逃がす細い溝を作れそうだった。
「先に水を抜く」
「どうやって」
「岩の左側に溝を作る。少しずつ水を流して、水位を下げる」
「時間がかかる」
「安全にやるなら必要だ」
「日が沈むぞ」
「だから急ぐ」
リンは村人たちを見る。
「鍬や鋤はある?」
「村に戻れば」
「持ってきてほしい。それから、丈夫な板と縄も」
門番の男は眉をひそめた。
「俺たちも働けというのか」
「肉を受け取るのは村だろ」
「仕事をするのは、お前たちだと聞いた」
「見ているだけでもいい。でも、日が沈んだら肉は持ち帰る」
男たちは顔を見合わせた。
やがて一人が村へ走っていく。
リンは短剣を抜き、地面へ線を引いた。
「ここから掘る」
「どれくらいだ」
シンが尋ねる。
「幅は一人分。深さは膝くらい」
「分かった」
「待て」
「何だ」
「ゆっくり掘れ」
「掘るのに速いも遅いもあるか?」
「お前にはある」
シンは鉄棒を地面へ突き立てた。
「心配しすぎだ」
「昨日、お前と再会してから心配することしか起きてない」
「でも何とかなってる」
「僕が何とかしてるんだ」
シンは笑い、鉄棒を振り上げた。
「なら今日も頼む!」
「だから待てって!」
鉄棒が地面へ振り下ろされた。
轟音。
土が大きくえぐれ、周囲へ飛び散る。
村人たちが後ずさった。
「おお」
シンは穴を覗き込む。
「一発で結構掘れたぞ」
「だから加減しろと言っただろ!」
「水路には当たってねえ」
「今はな!」
リンは穴の縁を確認した。
地面には細い亀裂が走っている。
想定より深い。
「次は半分の力で」
「分かった」
「本当に?」
「昨日よりは分かってる」
イオが不安そうな顔をした。
「その言い方、やめた方がいいと思う」
村から道具が運ばれてきた。
鍬。
鋤。
木の板。
古い縄。
リンは村人へ作業を説明する。
「まず溝を掘る。水が流れ始めたら、板で土が崩れないように支える」
「俺たちもやるのか」
「嫌なら僕たちだけでやる。でも、その分時間がかかる」
村人たちは黙った。
一人の老いた男が鍬を持つ。
「畑の水だ。俺はやる」
それを見て、他の者も道具を取った。
作業が始まった。
リンが掘る場所を決める。
村人が鍬で土を崩す。
シンが大きな石や木の根を取り除く。
イオは荷物を置き、作業する者へ水を配った。
「一気に飲まないで」
「水は少ないんじゃないのか?」
「だから少しずつ。口を湿らせてから飲んで」
イオは乾燥させた果実を細かく刻み、水へ入れていた。
そこへ塩をほんの少し加える。
「甘いな」
老いた男が驚いた顔をする。
「汗をかくと、水だけじゃ体が戻らないの」
「薬か?」
「食べ物よ」
作業は少しずつ進んだ。
だが、シンは明らかに苛立っていた。
大きな力を持っているのに、細かな作業ばかりを任されている。
石を一つずつ運ぶ。
根を切る。
土を少しずつ掘る。
「遅え」
シンが呟いた。
「安全にやるなら仕方ない」
リンは溝の深さを測る。
「あと少しだ」
「岩を殴った方が早い」
「何度言わせる」
「軽くなら平気だ」
「駄目だ」
「表面を少し削るだけだ」
「駄目」
「頑固だな」
「お前にだけは言われたくない」
シンは不満そうに鉄棒を地面へ置いた。
その時。
山の上から、小石が転がり落ちてきた。
リンは顔を上げる。
崩れた斜面。
作業の振動で、土が少しずつ動いている。
「全員、少し離れろ」
「どうした」
「地面が緩んでる」
村人たちが手を止める。
リンは斜面へ近づき、土へ手を当てた。
湿っている。
岩の裏に溜まった水が、少しずつ周囲へ染み出している。
「まずいな」
「何がだ」
「水が増えてる」
「なら、早く岩をどかせばいい」
「それをやるために溝を掘ってる」
「このままだと、日が沈む」
シンは空を見た。
太陽は、すでに西へ傾き始めている。
「あとどれくらいだ」
村人の男が尋ねる。
「この速さなら、溝が開くまで一刻以上」
「それから岩を動かすのか」
「ああ」
「間に合わない」
村人たちがざわめき始めた。
「やっぱり無理だったんだ」
「村長の言った通りだ」
「肉は持ち帰られる」
「子どもたちに何て言えば……」
シンの眉が動いた。
村にいた痩せた少年。
肉を見つめていた目。
待ってろ。
すぐ直してくる。
自分でそう約束した。
「シン」
リンが呼ぶ。
だが、シンは返事をしなかった。
鉄棒を持ち上げる。
「何する気だ」
「岩を少し動かす」
「待て」
「全部壊すわけじゃねえ」
「やめろ」
「少し隙間を作れば、水が抜ける」
「水圧がどれだけかかってるか分からない」
「だから少しだ」
「シン!」
リンが腕をつかもうとした。
シンは振り払う。
「間に合わなきゃ、肉を持って帰るんだろ!」
「だからって急ぐな!」
「腹減ってるやつに、明日まで待てって言うのか!」
「今ここで失敗したら、もっと長く食えなくなる!」
「失敗しなきゃいい!」
シンの背中に、赤い四文字が浮かび上がった。
猪突猛進。
迷わない。
止まらない。
目の前の障害を、力で突破する。
それがシンの生き方だった。
「俺がやる」
シンは大岩の前へ立った。
「全員、下がれ!」
村人たちが慌てて離れる。
「シン、やめて!」
イオが叫んだ。
だが、シンは鉄棒を振り上げた。
「少しだけだ!」
鉄棒が大岩の端へ叩きつけられる。
轟音。
岩の表面に亀裂が入った。
同時に。
岩の下から、水が噴き出した。
「離れろ!」
リンが叫ぶ。
細かった水の筋が、一瞬で太くなる。
水圧に押され、岩の下の土が崩れた。
「まずい!」
大岩が傾く。
その隙間から、溜まっていた水と土砂が一気に噴き出した。
「シン!」
リンはシンの背中へ飛びついた。
二人の体が水に押される。
イオと村人たちは、斜面の上へ逃げた。
濁流が、掘りかけの溝へ流れ込む。
だが、溝はまだ完成していない。
水は横へ逃げきれず、水路の石壁へぶつかった。
石が外れる。
一つ。
二つ。
次々と積み石が崩れていく。
「水路が!」
村人の悲鳴。
シンは鉄棒を地面へ突き刺し、流される体を止めた。
「リン、つかまれ!」
「もうつかまってる!」
リンはシンの服を握りながら周囲を見る。
水は畑へ向かっている。
このままでは、土砂ごと流れ込む。
「板を持ってこい!」
リンが叫ぶ。
「何をする!」
「水を横へ流す!」
イオと村人が、用意していた木の板を運ぶ。
リンは水の中を進み、崩れた水路の横へ板を差し込んだ。
「シン、押さえろ!」
「おう!」
シンが板へ肩を当てる。
濁流が板を叩く。
「右へ向けろ!」
「右だな!」
「そっちは左だ!」
「俺から見てだ!」
「畑から見て右!」
「最初に言え!」
「普通分かる!」
二人で板の角度を変える。
水の流れが少しずつ横へ向く。
掘りかけの溝へ流れ始める。
だが、土砂が詰まり、すぐに水があふれた。
「鍬を!」
村人たちも動き出した。
水に足を取られながら、溝の続きを掘る。
イオは転んだ老人を支え、傷を確認する。
「無理しないで!」
「畑がなくなったら、休んでも意味がない!」
老人は立ち上がり、再び鍬を握った。
全員が泥まみれになった。
シンは板を押さえる。
リンは水の流れを見ながら指示を出す。
村人たちは溝を掘る。
イオは怪我人を診ながら、土砂を運ぶ。
どれほど経ったか分からない。
やがて。
水の勢いが少し弱まった。
岩の後ろに溜まっていた水の多くが、横の溝へ流れたらしい。
「止まった……」
村人の一人が呟く。
完全に止まったわけではない。
だが、畑へ流れ込む危険は避けられた。
リンは泥の中へ座り込んだ。
全身が重い。
腕が震えている。
「畑は?」
イオが尋ねる。
村人が下流を確認する。
「土砂は入ってない」
その言葉に、何人かが安堵の息を吐いた。
だが。
「水路は……」
別の男が崩れた石壁を見る。
元々、岩で塞がれていた。
今はさらに、水路そのものが大きく壊れている。
石は流され。
底はえぐれ。
水を畑へ導く形は残っていない。
「前よりひどい」
誰かが言った。
シンは鉄棒を握ったまま、立っていた。
いつもの笑顔はない。
「悪かった」
小さな声だった。
村人たちがシンを見る。
「悪かったで済むか!」
門番の男が怒鳴った。
「俺たちは言った! 力任せでは駄目だと!」
「だから悪かったって」
「畑まで潰すところだったんだぞ!」
「潰れてねえ」
「たまたまだ!」
男はシンへ詰め寄る。
「よそ者を頼ったのが間違いだった!」
シンの手に力が入る。
鉄棒の柄が軋む。
「シン」
リンが呼ぶ。
シンは何も答えない。
「殴るな」
「殴らねえ」
「なら手を緩めろ」
シンはゆっくりと鉄棒から力を抜いた。
村人の男は、なおも怒りをぶつける。
「村長の言った通りだ。人の力を借りれば、ろくなことにならない!」
イオが立ち上がった。
「待って」
「何だ」
「シンだけのせいじゃない」
「こいつが岩を殴った!」
「止められなかった私たちにも責任はある」
「お前たちは仲間だろう!」
その言葉に、イオが一瞬黙る。
仲間。
三人は、まだそう名乗ったことはない。
同じ鍋を囲み。
同じ村を目指し。
同じ作業をした。
だが、それだけだった。
「違う」
シンが言った。
「俺が壊した」
リンとイオが振り返る。
シンは村人を見ていた。
「俺のせいだ」
普段なら、言い訳をする。
壊れたなら直せばいい。
誰も怪我していない。
畑は無事だった。
そう言うはずだった。
だが、今回は言わなかった。
「約束したんだ」
シンは呟く。
「あのガキに、すぐ直すって」
村人の男は何も言わない。
「なのに、前より壊した」
シンは崩れた水路へ目を向けた。
「俺がやった」
空は赤く染まり始めていた。
日暮れは近い。
村長との約束は、日が沈むまでに畑へ水を流すこと。
今の状態では不可能だった。
「終わりだ」
村人の一人が言った。
「肉は持ち帰ってくれ」
「待って」
イオが止める。
「まだ日は沈んでない」
「水路は壊れた」
「直せる」
「何を言ってる。今からでは無理だ」
イオはリンを見る。
「直せる?」
リンは崩れた水路を見た。
残された時間。
使える道具。
疲れ切った村人。
岩は傾き、最初より不安定になっている。
水は横の溝へ逃がした。
水圧は下がっている。
水路は壊れた。
だが、石材は周囲に残っている。
直せない状況ではない。
ただし。
「今日中には無理だ」
リンは正直に答えた。
イオの表情が曇る。
村人たちは荷物を片づけ始めた。
「帰るぞ」
「村長へ報告する」
「やはり、よそ者など頼るべきではなかった」
シンは何も言わなかった。
鉄棒を持ち、崩れた水路の前に立っている。
リンはその隣へ歩いた。
「帰らないのか」
「先に行け」
「何するつもりだ」
「直す」
「今日は無理だ」
「なら明日までやる」
「村長は肉を受け取らない」
「分かってる」
「食事も寝る場所もない」
「ここで寝る」
「骨も治ってない」
「関係ねえ」
シンは水路へ落ちた石を拾い上げる。
一つずつ。
元の場所へ戻そうとしていた。
「一人でやるつもりか」
「俺が壊した」
「だから?」
「俺が直す」
「無理だ」
「やる」
リンは、昔のシンを思い出した。
子どもの頃。
村の柵を壊し。
井戸の桶を割り。
大人に叱られても、絶対に謝らなかった。
壊れたなら直せばいい。
俺が直す。
そう言って、最後はリンに手伝わせた。
何も変わっていないようで。
今回は、少し違った。
「シン」
「何だ」
「お前一人で直したら、また壊す」
シンの手が止まる。
「何だと」
「事実だ」
「今度は壊さねえ」
「それも昨日よりは分かってるのか?」
「うるせえ」
リンは水路へ降りた。
泥の中から石を拾う。
「壊したなら、直せばいい」
「だから直してる」
「今度は一人でやるな」
シンがリンを見る。
リンは石を抱えたまま、イオへ目を向けた。
イオは少し離れた場所に立っている。
その隣には、帰ろうとしていた村人たち。
「イオ」
「何?」
「シンの傷を見てくれ」
「骨が折れてるかもしれないって言ったでしょ」
「それでも動く」
「知ってる」
「止められる?」
「無理ね」
「じゃあ、動けるようにしてくれ」
イオはため息をついた。
「治療の使い方が間違ってると思う」
そう言いながら、シンへ近づく。
腰の革袋から薬草を取り出した。
村人たちは、三人を見ていた。
「お前たち」
門番の男が言う。
「まだやるのか」
「ああ」
リンが答えた。
「今日は水を流せない」
「なら約束は失敗だ」
「そうだ」
「肉も受け取れない」
「分かってる」
「何のために直す」
リンは崩れた水路を見る。
「壊したから」
それだけ答えた。
男は黙った。
日が沈み始める。
村長との勝負には、負けた。
肉は渡せない。
子どもたちとの約束も守れない。
それでも三人は、壊れた水路の前に残った。
シンが壊した。
リンが直し方を考える。
イオが二人を動けるように支える。
まだ仲間ではない。
だが。
三人は初めて、失敗を一緒に背負おうとしていた。
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