38話 疑心暗鬼
【前書き】
朱雀女王との戦いを終え、リンたちは次の四天王の情報を求めて東へ向かいます。
次なる相手は、疑心暗鬼。
命令ではなく、疑いで人の心を揺さぶる存在です。
今回は新章の入口。 久々にシンが分かりやすく暴れます。
青龍の目が、三人を見下ろしていた。
広間は広い。
いや、広く見えているだけかもしれない。
青い霧が床を這い、壁を流れ、天井へ昇っている。
水音がする。
どこからともなく、ぽた、ぽた、と落ちる音。
だが、床に水滴はない。
壁一面には鏡のような鱗が並んでいた。
その一枚一枚に、リン、シン、イオの姿が映っている。
怒る顔。
泣く顔。
疑う顔。
背を向ける顔。
どれも本物のようで、どれも少し違う。
広間の奥で、青龍がうねった。
長い体。
霧をまとった角。
水面のように揺れる鱗。
その背には、青い四文字が浮かんでいる。
疑心暗鬼。
「最後に問おう」
青龍の声は、老人の声でもあり、大女の声でもあり、子供の声でもあった。
「おぬしらは、本当に互いを信じておるのか?」
リンは短剣を構えた。
右手にはいつもの短剣。
腰には朱雀の短剣。
シンは鉄棒を握る。
イオは薬草袋に手を添える。
三人は並んでいた。
だが、青い霧はその間に細く入り込もうとしていた。
「信じてる」
シンが即答した。
青龍が笑う。
「早いのう」
「俺は考える前に答えるからな!」
「それは誇ることかい?」
大女の声で青龍が言う。
「考えぬ信頼は、ただの油断じゃ」
霧がシンの足元へ絡む。
水面に、リンの姿が映った。
水面のリンが言う。
「シンは単純だから助かる」
次にイオの姿。
「前に出しておけば、敵が止まる」
シンの眉が動いた。
分かっている。
霧の声だ。
でも、知っている言葉ほど刺さる。
自分が前に出ることで、仲間が助かってきたことは事実だ。
それを頼られてきたことも事実だ。
「シン」
リンが呼ぶ。
シンは答えない。
青龍の声が重なる。
「信じているのではない。考えていないだけじゃ」
シンの手に力が入る。
「考えてる」
「ほう?」
「俺だって、考えてる」
シンは低く言った。
「前に出たら痛えとか。腹減るとか。イオに怒られるとか」
「それは考えていると言うのかのう」
「言う」
シンは鉄棒を構えた。
「それでも前に出るって決めてる」
リンが頷く。
「僕は、シンを便利に使ったことがある」
シンが少し振り向く。
リンは正直に続けた。
「強いから頼った。前に出てくれるから、作戦を組めた。でも、使い捨てにしたいと思ったことはない」
「知ってる」
「嫌な時は言って」
「言う」
「無理な時も」
「言う」
「じゃあ、今は?」
シンはにやりと笑った。
「前に出たい!」
「分かった」
リンは短く言った。
「頼む。前を開けて」
「任された!」
シンの背に、猪突猛進の四文字が光った。
霧がざわめく。
青龍の目が細くなる。
「言葉にすれば、疑いが消えると?」
「消えねえ!」
シンが地面を蹴った。
「でも、小さくはなる!」
鉄棒が青龍の爪を受け止めた。
重い。
広間全体が震える。
シンの足が床にめり込む。
青龍の長い体が横へ流れ、尾がリンへ迫った。
「リン!」
イオが叫ぶ。
リンは朱雀の短剣を抜き、尾を受け流す。
赤い光が一瞬走った。
だが、尾は切れない。
霧をまとった青龍の体は、水のように刃を滑らせた。
「やっぱり、霧そのものは切れない」
リンは後退する。
青龍が笑う。
「朱雀の刃で我を切るか。命令を切る刃で、疑いを切るか」
老人の声が柔らかく響く。
「無理じゃよ」
リンの胸にその言葉が落ちる。
無理。
切れない。
選べない。
その瞬間、鱗に映るリンの姿が増えた。
水面のリンたちが、一斉に口を開く。
「また間違える」
「また誰かを苦しめる」
「命令しないふりをして、結局自分で決める」
「シンを前に出し、イオに選ばせ、ムソウを置いてきた」
リンの足が止まる。
置いてきた。
任せた。
その違いは、どこにある。
背後では、遠くから拍子木と太鼓が聞こえている。
ムソウと一座が、鬼の大群を押さえている音。
しかし、その音さえも、霧の中で歪んだ。
「助けてくれ!」
ムソウの声に聞こえた。
リンは振り返りかける。
シンが叫んだ。
「リン!」
リンの動きが止まる。
「今の、本物か?」
シンが聞いた。
リンは息を吸う。
もう一度、音を聞く。
拍子木。
太鼓。
笛。
そして、ムソウの笑い声。
「違う」
リンは言った。
「本物なら、ムソウはもっと派手に叫ぶ」
シンが頷く。
「あいつなら『助けてくれ』じゃなくて『もっと来い』だな」
「うん」
リンは前を向いた。
「今のは霧だ」
青龍の鱗が一枚、ひび割れた。
「ほう」
青龍がうねる。
「少しは学んだか」
その瞬間、青龍の口から青い霧が吐き出された。
霧は広間いっぱいに広がり、無数の人影を作る。
石門町の人々。
朱雀の町の人々。
森の村人。
一進一退。
カズキ。
ハヤテ。
どんちゃん。
ムソウ。
その中に、泣いている子供がいた。
青い外套の子供。
イオの手が止まる。
「お姉ちゃん」
子供が言う。
「また選ぶの?」
イオの顔が強張る。
青龍はゆっくりと笑った。
「医食同源」
声が広間に広がる。
「薬は足りぬ。食材も足りぬ。手も足りぬ。時間も足りぬ」
幻の人影たちが一斉に手を伸ばす。
「助けて」
「先に」
「私を」
「どうしてあの人なの」
「どうして私は後なの」
イオの薬草袋を握る手が震える。
リンは声をかけようとした。
だが、イオは自分で口を開いた。
「怖い」
その声は小さかった。
でも、はっきりしていた。
「私は、怖い」
幻たちがざわめく。
青龍の目が細くなる。
イオは続けた。
「全員を救えないのが怖い。順番を決めるのが怖い。助からなかった人を思い出すのが怖い」
子供が見上げる。
「じゃあ、やめる?」
「やめない」
イオは顔を上げた。
「怖くても、やめない」
薬草袋から乾いた葉を取り出す。
残り少ない薬草。
イオはそれを半分だけ取った。
「私は全員を救えるなんて言わない」
火打ち石を鳴らす。
小さな火がつく。
「でも、救えないかもしれないって疑いながらでも、手は伸ばす」
苦い煙が広がった。
幻の人影が揺れる。
「迷ったら、聞く。足りなかったら頼む。間違えたら謝る」
イオは子供を見る。
「それでも、今できることをする」
子供の姿がぼやける。
「本当に?」
「本当に」
イオは言った。
「あなたを忘れない」
青い外套の子供が、少しだけ笑った。
それが本物の笑みなのか、霧が作ったものなのかは分からない。
だが、子供の姿は青い煙となって消えた。
同時に、広間の鱗が数枚ひび割れる。
青龍が低く唸った。
「人は皆、疑いを抱える」
「うん」
リンが言う。
「抱える」
「ならば、その疑いは我のものじゃ」
青龍の体が大きく膨らんだ。
霧が集まる。
広間の壁から、外の中庭から、鬼の大群から、青い霧が吸い寄せられていく。
遠くで、ムソウの声が響いた。
「リン! 急げ!」
今度は本物だった。
リンはそう思った。
理由はある。
声が派手だった。
背中を押す声だった。
そして、疑わせるためではなく、任せるための声だった。
「本物だ」
リンが言う。
「おう」
シンも頷く。
「ムソウっぽい!」
青龍は巨大な爪を振り下ろした。
シンが受ける。
「ぐっ……!」
今度は重い。
疑いを吸い込んだ青龍の爪は、さっきよりも強くなっている。
シンの膝が沈む。
「シン!」
「まだいける!」
シンは叫んだ。
「いや、ちょっときつい!」
「どっち!」
「きついけど、いける!」
イオがすぐに煙を投げる。
「無理なら下がって!」
「下がる!」
シンは一歩退いた。
青龍の爪が床を砕く。
以前なら、シンは受け続けていたかもしれない。
だが今は違う。
止まる。
退く。
そして、進む。
「リン!」
シンが叫ぶ。
「頼め!」
リンは頷く。
「次、青龍の右爪を止めて!」
「任された!」
「無理なら横へ逃がして!」
「分かった!」
青龍が迫る。
シンは真正面から受けず、鉄棒で爪を横へ流す。
重い音。
青龍の体がわずかに傾いた。
リンはその瞬間を狙って走る。
だが、目の前に自分の幻が立った。
幻のリンが言う。
「その道は本当に正しいの?」
リンは足を止めない。
「分からない」
幻が笑う。
「分からないのに進むの?」
「進む」
「間違えたら?」
「直す」
「直せなかったら?」
リンの足が、ほんの少しだけ鈍る。
直せなかったら。
救えなかったら。
選び直せなかったら。
その問いは消えない。
消えないからこそ、怖い。
リンは叫んだ。
「イオ!」
「何!」
「僕が間違えたら、言って!」
イオがすぐ答える。
「言う!」
「シン!」
「おう!」
「僕が一人で抱えたら、止めて!」
「殴ってでも止める!」
「殴る前に言って!」
「分かった!」
リンは幻へ向き直った。
「一人なら怖い」
幻のリンが揺れる。
「でも、一人じゃないなら、間違いも言い合える」
リンは朱雀の短剣を抜いた。
赤い刃。
白い灯の筋。
命令を切った刃。
疑いそのものは切れない。
でも、疑いを鬼に変え、霧に閉じ込め、仲間を分けるための芯はある。
リンは青龍の体を見た。
鱗の奥。
霧の流れ。
疑いの声が集まる場所。
そこに、小さな青い光が脈打っている。
胸ではない。
喉だ。
言葉を作る場所。
疑いを声に変える場所。
「あそこだ」
リンが呟く。
「喉の奥に芯がある!」
青龍の目が見開かれた。
「ほう。見えたか」
老人の声が笑う。
「だが、届くかのう?」
青龍が口を開く。
青い霧が渦を巻く。
無数の声が、一斉に吐き出された。
「信じるな!」
「裏切られるぞ!」
「仲間はお前を見ていない!」
「置いていけ!」
「疑え!」
声の圧で、リンの足が止まる。
シンが前に出ようとするが、青龍の尾がそれを阻む。
イオの煙も押し返される。
その時。
広間の外から、拍子木の音が響いた。
カン。
カン。
カン。
その音に続いて、ムソウの声。
「腹ぺこ一行!」
鬼の大群と戦いながらの声だ。
「疑うな、とは言わぬ!」
刀の音。
鬼が散る音。
「疑うなら、声に出せ!」
太鼓が鳴る。
「黙った疑いは鬼となる!」
笛が鳴る。
「語った疑いは、道となる!」
リンの目が開く。
そうだ。
疑いを消すのではない。
黙らせるのでもない。
声に出す。
確かめる。
それでも進む。
リンは霧の圧の中で叫んだ。
「僕は怖い!」
青龍の声が一瞬乱れた。
リンは続ける。
「僕の判断で、誰かが傷つくのが怖い!」
シンが叫ぶ。
「俺は、便利に使われるのは嫌な時もある!」
イオも叫ぶ。
「私は、救えなかった人のことを忘れるのが怖い!」
三人の声が広間に響く。
青い霧がざわめく。
青龍が唸る。
「それを認めてなお、進むというのか」
「進む!」
シンが吠えた。
「俺は前に出るって決めた!」
「私は手を伸ばす!」
イオが煙を投げる。
「怖くても、選ぶ!」
リンが朱雀の短剣を構える。
「僕は、疑っても信じる!」
三人の真名が光った。
臨機応変。
猪突猛進。
医食同源。
赤い刃に、白い灯が走る。
イオの薬草煙が青い霧を薄める。
シンが青龍の尾を鉄棒で受け止めた。
「リン!」
「うん!」
「行け!」
「頼んでる?」
「頼んでる!」
シンが笑う。
「だから行け!」
リンは走った。
青龍の喉へ。
青龍は首を振り、牙をむく。
リンの前に、老人が現れる。
「助けた老人を疑うのか」
リンは答える。
「疑う」
次に、大女。
「頼れる者を疑うのかい」
「疑う」
次に、子供。
「泣いてる子供を疑うの?」
リンの胸が痛む。
それでも言う。
「疑う」
子供の顔が歪む。
リンは続けた。
「でも、疑うことと、見捨てることは違う!」
幻が裂ける。
「疑っても、助ける!」
さらに一歩。
「疑っても、聞く!」
さらに一歩。
「疑っても、選ぶ!」
青龍の喉の青い芯が見えた。
そこに無数の声が絡みついている。
本当に、そう思うのか。
その言葉が、何重にも巻きついている。
リンは朱雀の短剣を振り上げた。
「僕は――」
一瞬、刃が止まる。
本当に切っていいのか。
この疑いは、必要なものではないのか。
疑うことまで消してしまうのではないか。
その迷いを、リンは口に出した。
「疑いを消したいわけじゃない!」
青龍の目が揺れる。
「僕たちを、疑いだけに閉じ込めるものを切る!」
刃が振り下ろされた。
朱雀の短剣が、青い芯を裂いた。
音はなかった。
ただ、広間の水音が止まった。
青龍の体が大きく震える。
鱗が一枚ずつ割れていく。
そこに映っていた疑いの顔が、霧となってほどけていく。
「見事」
老人の声がした。
だが、笑っていた。
「見事じゃ、臨機応変」
青龍の体が霧へ戻っていく。
長い龍の影が、広間をゆっくり巡った。
「疑いを否定せず、疑いに呑まれず、疑いを抱えてなお進むか」
シンが鉄棒を肩に担いだ。
「そうだ!」
「おぬしは、本当に分かりやすい」
「昨日より分かってるからな!」
「その言葉、便利じゃのう」
イオが薬草袋を握ったまま言う。
「あなたが作った子供の姿は、忘れない」
「ほう」
「本物じゃなくても、あの言葉は本物みたいに痛かった」
疑心暗鬼の霧が少し揺れる。
イオは続けた。
「だから、忘れない。でも、止まらない」
「よい」
青龍の目が細くなる。
「医食同源。おぬしの手は、迷いながらも温かい」
イオは何も言わなかった。
リンは短剣を構える。
まだ終わっていないのか。
青龍はそれを見て、ゆっくり首を振った。
「もうよい」
青い四文字が、背から剥がれ始める。
疑心暗鬼。
一文字ずつ、霧へほどけていく。
「わしの役目は、疑わせること」
老人の姿が霧の中に浮かんだ。
「おぬしらは疑った」
大女の姿が浮かぶ。
「互いを疑い」
子供の姿が浮かぶ。
「自分を疑い」
最後に、青龍の姿が薄れていく。
「その上で、互いへ手を伸ばした」
リンは静かに聞いていた。
疑心暗鬼は笑った。
「よい旅じゃ」
「褒めてるの?」
リンが聞く。
「さあのう」
「最後までそれか」
「疑うがよい」
青龍の声は少し楽しそうだった。
シンが一歩前に出る。
「なあ」
「何じゃ、猪突猛進」
「お前、鬼を出しすぎだ」
「すまんのう」
「外でムソウが大変だろ」
「それは、少し見ものじゃった」
「見ものじゃねえ!」
シンが鉄棒を構えかける。
リンが止めた。
「もう消えるところだから」
「一発くらい」
「だめ」
「ちぇ」
青龍は低く笑った。
「天下無双も、よき役者となったものよ」
その言葉とともに、青龍の影は崩れた。
広間の霧が晴れていく。
水音が消え、壁の鱗がただの石へ変わる。
青い四文字は、最後に一度だけ輝いた。
疑心暗鬼。
そして、霧となって空へ溶けた。
静寂。
リンは息を吐いた。
膝が少し震えている。
シンも肩で息をしている。
イオはその場に座り込みそうになり、どうにか踏みとどまった。
「終わった……?」
シンが聞く。
リンは周囲を見る。
霧は薄い。
声も聞こえない。
「たぶん」
「たぶんかよ」
「確認しよう」
「おう」
イオが二人を見た。
「怪我は?」
シンとリンは同時に目を逸らした。
イオの目が細くなる。
「あるね」
「かすり傷」
二人が同時に言った。
「二人とも見せて」
「今?」
「今」
「疑心暗鬼より怖いな」
シンが小声で言う。
「聞こえてる」
「はい」
二人は素直に腕を出した。
イオは手当てをしながら、ふと笑った。
「怖いって言ってくれてよかった」
リンが見る。
「イオも」
「うん」
イオは小さく頷いた。
「言ったら、少しだけ軽くなった」
シンが胸を張る。
「俺も囮が嫌な時あるって言ったぞ」
「うん」
「でも前に出るぞ」
「知ってる」
「頼めよ」
「頼む」
「任された」
三人は顔を見合わせ、少し笑った。
広間の扉が開く。
外から、太鼓と拍子木の音が聞こえてきた。
今度は明るい音だった。
中庭へ戻ると、鬼の大群は消えていた。
青い霧も晴れ、空が見える。
中庭の真ん中で、ムソウが刀を肩に担いで立っていた。
周囲には一座の者たちが座り込み、息を切らしている。
シンが叫ぶ。
「ムソウ!」
ムソウが振り返る。
「おお、腹ぺこ一行!」
「鬼は?」
「散った!」
ムソウは胸を張る。
「わしの大立ち回りに恐れをなしてな!」
一座の男が横から言う。
「半分以上は、あんたが転びそうになった時にこっちが太鼓で誘導したんだろ」
「それも舞台の一部よ!」
「都合がいいな」
イオが一座へ駆け寄る。
「怪我人は?」
「打ち身くらいだよ」
「見ます」
一座の女が笑う。
「助かるねえ」
シンはムソウの前に立った。
「すげえ暴れてたな」
「おぬしもな」
「俺、昨日より分かってるからな」
「見れば分かる」
ムソウは笑った。
「ただ突っ込むだけではなくなった」
「だろ!」
「だが、まだ腹で考えておる」
「それは変わらねえ!」
リンはムソウに頭を下げた。
「助かった」
「礼などいらぬ」
ムソウは派手に羽織を払った。
「わしは花道を開いただけ。通ったのはおぬしらよ」
「それでも、ありがとう」
ムソウは少しだけ照れたように鼻を鳴らした。
「ふん。素直に言われると調子が狂う」
リンは笑った。
青龍の霧城は、少しずつ崩れ始めていた。
朱雀の鳥籠のように形を残すのではなく、霧そのものが朝日に溶けるように薄れていく。
曲がった塔。
水の流れる城壁。
見れば見るほどずれていた門。
それらが、風に流されるように消えていく。
イオが空を見上げた。
「晴れてきた」
青かった空気が薄まり、普通の空が戻ってくる。
その向こうに、遠く北の山が見えた。
重く、黒く、動かない山。
リンはその山を見た。
胸の奥に、静かな冷たさが広がる。
疑心暗鬼は倒した。
四天王は、残り一つ。
生殺与奪。
命を握る者。
イオがリンの視線を追う。
「あっち?」
「たぶん」
シンが腹を押さえた。
「その前に飯だろ」
「また?」
「疑心暗鬼と戦ったんだぞ。腹も疑ってる」
「何を?」
「本当に満腹かどうか」
イオは呆れた。
「それは空腹」
ムソウが豪快に笑う。
「ならば、まずは食卓よ!」
一座の太鼓が軽く鳴る。
カン、と拍子木。
リンは北の山から目を戻した。
まだ進む。
疑いを抱えたまま。
怖さを口に出しながら。
仲間と確かめながら。
そして、選びながら。
青龍の霧城が完全に消えるその時、風の中に老人の声が混じった気がした。
「本当に、そう思うのかのう?」
リンは小さく笑った。
「思うよ」
霧はもう、答えなかった。
【後書き】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
朱雀編を越え、今回から疑心暗鬼編に入りました。
命令に従わせる絶対服従とは違い、疑心暗鬼は「信じていいのか分からなくさせる」相手です。
そして今回は、久々にシンが真正面から大暴れする回でした。
髭の老人の言葉が、この先リンたちにどう響いていくのか。
次回も、腹ぺこ一行の旅にお付き合いください。




