37話 天下無双、再び
【前書き】
朱雀女王との戦いを終え、リンたちは次の四天王の情報を求めて東へ向かいます。
次なる相手は、疑心暗鬼。
命令ではなく、疑いで人の心を揺さぶる存在です。
拍子木の音が、青い霧を裂いた。
カン。
カン。
カン。
そのたびに、鬼たちの囁きが一瞬だけ止まる。
霧の向こうから、派手な羽織が揺れた。
赤、金、紫。
青い霧の中で、そこだけがやけに明るい。
大きな足音。
笑うような声。
そして、あの真名。
「天下に二つと並ぶ者なし!」
鬼の大群の向こうで、男が大見得を切る。
「されど、花道は一人にて咲くにあらず!」
シンが目を輝かせた。
「ムソウ!」
リンも息を呑む。
「本当に……!」
イオが驚きの声を上げる。
「どうしてここに!」
天下無双は、肩に巨大な刀を担ぎ、にやりと笑った。
石門町で別れた時より、少し日に焼けている。
傷も増えている。
けれど、その立ち姿は変わらない。
いや。
以前より、ずっと大きく見えた。
ただ一人が強いからではない。
その背後に、誰かの気配があるからだ。
拍子木が鳴る。
太鼓が鳴る。
笛の音が霧に細く伸びる。
ムソウの後ろから、一座の者たちが姿を見せた。
花道宿の一座。
石門町に残り、復興を手伝っていた者たち。
戦うための武器ではなく、太鼓、拍子木、布、灯り、縄、担架を持っている。
シンが叫んだ。
「一座まで来たのか!」
一座の男が太鼓を叩きながら返す。
「鬼は斬れねえが、音くらいは鳴らせる!」
女が布を広げる。
「怪我人を運ぶ道も作れるよ!」
別の者が灯りを掲げた。
「霧の中でも、花道は見失わせねえ!」
ムソウが豪快に笑う。
「聞いたか、疑いの鬼ども!」
刀を抜く。
青い霧の中で、その刃がぎらりと光った。
「わし一人では、ただの天下無双!」
拍子木が鳴る。
「されど、皆が道を鳴らせば――」
ムソウの背に、天下無双の四文字が燃えるように輝いた。
「舞台は整う!」
鬼の大群が、ムソウへ殺到した。
老人の顔。
大女の顔。
子供の顔。
村人の顔。
見知った声が無数に重なっている。
「お前は一人の方が強い」
「仲間は足手まといだ」
「誰かを守れば弱くなる」
「無双に群れなど不要」
ムソウは刀を構えたまま、ふっと笑った。
「懐かしいことを言う」
鬼たちが爪を振り上げる。
「そうじゃ」
ムソウは一歩踏み込む。
「かつてのわしなら、そう思った」
刀が横一文字に走った。
十体の鬼が同時に吹き飛ぶ。
青い霧が散る。
しかし、霧はすぐにまた集まろうとする。
ムソウはそれを見て、笑みを深めた。
「一人で立つことこそ無双」
もう一歩。
縦に斬る。
鬼の群れが割れる。
「誰とも並ばぬから天下無双」
さらに一歩。
回転するように斬り払う。
鬼たちの足元が砕ける。
「そう信じておった」
鬼の囁きが強くなる。
「ならば戻れ」
「一人に戻れ」
「守るものなど捨てろ」
ムソウは刀を肩に担ぎ、声を張った。
「断る!」
その一言が、中庭に響いた。
拍子木が、それに合わせて鳴る。
カン。
「誰かを守れば、刃は揺れる」
ムソウは笑った。
「確かにその通り!」
太鼓が鳴る。
「だがな!」
ムソウは地面を蹴った。
「揺れる刃にも、守れる花道がある!」
刀が弧を描く。
青い鬼たちが、まるで舞台の幕のように左右へ割れた。
リンはその隙を見た。
中庭の奥。
青い霧が濃く渦巻いている場所。
そこに、疑心暗鬼の気配がある。
「リン!」
ムソウが叫ぶ。
「鬼の群れは、わしが預かる!」
「でも数が多すぎる!」
「多いからこそ、わし向きよ!」
シンがすぐ反応した。
「俺もやる!」
「よかろう!」
ムソウは大きく頷いた。
「半分くれてやる!」
「よっしゃ!」
リンが叫ぶ。
「勝手に分けないで!」
「じゃあ俺が三分の二!」
「増やさない!」
イオが薬草煙を広げながら言う。
「喋ってる暇があるなら動いて!」
「それはそうだ!」
シンは鉄棒を担ぎ直し、ムソウの横に並んだ。
天下無双と猪突猛進。
並ぶと、圧がすごい。
青い鬼たちが、少しだけ後ずさったように見えた。
シンがにやりと笑う。
「久々に並んだな」
「うむ。少しは腕を上げたか、猪突猛進」
「昨日より分かってる!」
「便利な言葉よな」
「だろ!」
ムソウは刀を構える。
「ならば見せよ。止まるも退くも覚えた猪突猛進を」
シンの目が燃える。
「おう!」
鬼たちが再び押し寄せた。
シンは真正面から突っ込んだ。
だが、以前のようにただ突き抜けるだけではない。
鬼の爪を見て、一瞬止まる。
足元の青い霧を見て、一歩退く。
鬼が空振りした瞬間、全身の力を鉄棒に乗せて前へ出る。
「おらああああ!」
一撃。
鬼が三体まとめて吹き飛ぶ。
ムソウが笑う。
「よい!」
今度はムソウが前へ出る。
大きく斬る。
派手に斬る。
けれど、その刃は一座の者たちへ届く前に止まり、村人の幻を借りた鬼だけを的確に払う。
昔のムソウなら、すべてを斬り伏せていたかもしれない。
今のムソウは、見ている。
守るものを。
任せる者を。
自分が開くべき道を。
「リン!」
ムソウが叫ぶ。
「おぬしらは、奥へ行け!」
リンは一瞬迷った。
「でも――」
鬼の大群はまだ多い。
ムソウとシンだけでは押し切られるかもしれない。
一座もいる。
イオも薬が少ない。
ここを任せていいのか。
その迷いを、青い鬼が見逃さなかった。
リンの耳元で声がした。
「任せるのか」
「見捨てるのか」
「自分だけ奥へ行くのか」
リンの足が止まる。
シンが振り返った。
「リン!」
「……っ」
リンは歯を食いしばる。
分かっている。
疑心暗鬼の声だ。
それでも、刺さる。
任せることと、見捨てることは似ている。
背中を預けることと、置いていくことは、少しだけ似ている。
その時、ムソウが笑った。
「リン!」
「何!」
「わしを疑え!」
リンは目を見開いた。
「え?」
「本当に任せてよいのか。わしが鬼に負けぬか。一座を守れるのか。疑うがよい!」
ムソウは鬼を斬り払いながら、声を張る。
「その上で決めろ!」
青い鬼たちの囁きが、一瞬乱れた。
疑え。
そう言っているはずの敵の霧が、ムソウの言葉に戸惑っている。
ムソウは続けた。
「信じるとは、何も疑わぬことではない!」
刀が振るわれる。
「疑ってなお、任せると決めることよ!」
リンの胸に、その言葉が落ちた。
疑わないことが信じることではない。
疑って。
見て。
聞いて。
それでも、選ぶ。
リンはムソウを見た。
鬼の大群を相手に、笑って立つ男。
一座の音を背に、花道を開く男。
そしてシン。
自分で前に出ると決めた仲間。
イオ。
迷っても手を伸ばす仲間。
リンは息を吸った。
「ムソウ!」
「うむ!」
「鬼の群れを、頼む!」
ムソウの口元が大きく吊り上がる。
「任された!」
「シン!」
「おう!」
「無理なら下がって!」
「頼まれなくても、やばかったら下がる!」
「イオ!」
「分かってる!」
イオは薬草袋を握った。
「私は一座と怪我人を見る。でも、奥へ行く時は呼んで!」
「うん!」
リンは頷いた。
「僕は奥へ行く。疑心暗鬼の本体を探す!」
青い鬼たちがざわめく。
「任せた」
「見捨てた」
「逃げた」
リンは短剣を構えた。
「違う」
朱雀の短剣が、腰でかすかに光る。
「任せたんだ」
ムソウが大笑いした。
「その通り!」
拍子木が鳴る。
太鼓が鳴る。
一座が声を合わせる。
「花道、開けえ!」
ムソウとシンが同時に前へ出た。
刀と鉄棒。
二つの大きな軌跡が、鬼の大群を左右へ割る。
青い霧が波のように裂け、中庭の奥へ続く道ができた。
リンは走った。
その背後で、鬼たちが道を塞ごうとする。
イオが苦い薬草煙を投げ込んだ。
「リン、右!」
リンは右へ避ける。
鬼の爪が空を切る。
一座の笛が高く鳴る。
霧の中の道が、音で示される。
リンはその音を頼りに進む。
疑心暗鬼の声が響いた。
「一人で来るか」
老人の声。
「仲間を置いて」
大女の声。
「助けてくれないの?」
子供の声。
リンは走りながら答えた。
「一人じゃない」
短剣を握る手に力を込める。
「背中を預けてる」
青い霧が前に立ちふさがる。
リンは朱雀の短剣を抜いた。
赤い光。
けれど、霧は切れない。
分かっている。
霧そのものは切れない。
だが、鬼を形にしている芯なら切れる。
疑いを利用して形を作る、その結び目なら。
リンは目を凝らした。
青い霧の奥に、小さな光がある。
ゆらゆら揺れる、青い玉。
「そこだ!」
リンは踏み込み、短剣を振るった。
青い玉が裂ける。
霧が弾けた。
道が開く。
その先に、城の奥へ続く階段が見えた。
だが、階段の前に、さらに鬼が湧く。
リンの姿をした鬼。
シンの姿をした鬼。
イオの姿をした鬼。
ムソウの姿をした鬼。
鬼たちは声を合わせた。
「本当に、そう思うのか」
リンは短剣を構え直す。
その時、横から鉄棒が飛び込んだ。
「おらあ!」
鬼が吹き飛ぶ。
「シン!?」
「半分やった!」
「早い!」
「嘘だ! たぶん三分の一!」
シンがリンの横に並ぶ。
息は上がっているが、目はまだ燃えている。
その後ろからイオも走ってきた。
「私も行く!」
「イオ、怪我人は?」
「一座に頼んだ。ムソウもいる。今は本体を止めないと終わらない」
リンは二人を見る。
「いいの?」
イオは頷いた。
「選んだ」
シンも頷く。
「聞く前に来た」
「それはどうなの」
「来たいって決めた」
リンは笑った。
「分かった」
三人は階段へ向かった。
背後では、ムソウの声が響いている。
「どうした鬼ども! その程度の数で天下を名乗る者を疑わせられると思うたか!」
鬼たちの声。
「お前は一人ならもっと強い」
「仲間がいるから鈍る」
「花道など捨てろ」
ムソウは笑った。
「捨てぬ!」
刀が振るわれる。
「わしは一人で咲く花だった!」
拍子木。
「だが今は、道を知っておる!」
太鼓。
「道とは、一人で踏むものではない!」
笛。
「誰かが歩き、誰かが支え、誰かが鳴らし、誰かが見送るもの!」
ムソウの刃が、鬼の群れを大きく薙ぎ払った。
「それを花道と呼ぶ!」
一座が声を上げる。
鬼の大群が押し返される。
リンたちは階段を駆け上がった。
青い霧が薄くなる。
いや、違う。
霧は薄くなっているのではない。
奥へ集まっている。
疑心暗鬼本体のもとへ。
階段の先には、広い廊下があった。
壁一面に水が流れている。
水の中に、無数の顔が映っていた。
これまで出会った者たち。
朱雀の町の人。
一進一退。
カズキ。
ハヤテ。
どんちゃん。
ムソウ。
そして、リンたち自身。
シンが顔をしかめる。
「また水面か」
「見るな、とは言わない」
リンは言った。
「見て、違うなら違うって言おう」
「おう」
イオも頷く。
「隠すと大きくなる」
三人は廊下を進む。
水面の中のリンが言った。
「シンは邪魔だ」
リンはすぐ言う。
「違う」
水面の中のシンが言った。
「イオは面倒だ」
シンは即答する。
「違う。怖いだけだ」
「誰が怖いの」
イオが睨む。
「治療の時」
「それは正しい」
水面の中のイオが言った。
「リンは全部自分で決めたい」
イオは少し黙った。
リンも黙った。
シンが二人を見る。
「これは?」
リンは息を吐く。
「少し、ある」
イオも頷いた。
「私も、そう思う時はある」
青い霧がわずかに濃くなる。
リンはすぐに言った。
「言ってくれていい」
「うん」
「僕も、聞く」
イオはリンを見る。
「じゃあ言う。リンは、迷ってる時ほど一人で抱えようとする」
リンは胸を押さえられたような気がした。
図星だった。
「……うん」
シンも言う。
「あと難しい顔が増える」
「それはさっきも言われた」
「三倍くらい」
「イオと同じ評価だ」
イオが少し笑った。
リンも笑った。
「分かった。もっと言う」
「おう」
「迷ったら、言う」
水面の顔が歪む。
青い霧が薄れる。
廊下の奥に、扉が現れた。
巨大な青い扉。
鱗のような模様があり、中央に龍の目が刻まれている。
その目が開いた。
老人の声が響く。
「よく喋るのう」
大女の声が重なる。
「疑いを口に出せば、消えると思うかい?」
子供の声が笑う。
「本当に?」
リンは扉の前に立った。
「消えない」
シンが横に並ぶ。
「でも、小さくなる」
イオも並ぶ。
「一人で抱えるより、ずっといい」
扉の龍の目が細くなる。
「ならば」
低い声。
老人でも、大女でも、子供でもない。
もっと深く、古く、冷たい声。
「その疑いごと、我が喰らおう」
扉が開いた。
冷たい青い風が吹き抜ける。
中には、巨大な影がうねっていた。
長い体。
鏡のような鱗。
霧をまとった角。
青龍。
その姿が、暗い広間の奥でゆっくりと動く。
三人は息を呑んだ。
背後では、まだムソウと一座の音が鳴っている。
鬼の大群を押さえる音。
花道を守る音。
リンは短剣を構えた。
「行くよ」
シンが鉄棒を担ぐ。
「おう」
イオが薬草を握る。
「うん」
青龍の目が開いた。
疑心暗鬼の本体が、三人を見下ろす。
「信じる者たちよ」
その声だけで、胸の奥の不安がざわめいた。
「最後に問おう」
青い霧が広間いっぱいに満ちる。
「おぬしらは、本当に互いを信じておるのか?」
三人は、同時に一歩踏み出した。
【後書き】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
朱雀編を越え、今回から疑心暗鬼編に入りました。
命令に従わせる絶対服従とは違い、疑心暗鬼は「信じていいのか分からなくさせる」相手です。
そして今回は、久々にシンが真正面から大暴れする回でした。
髭の老人の言葉が、この先リンたちにどう響いていくのか。
次回も、腹ぺこ一行の旅にお付き合いください。




