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臨機応変の俺と猪突猛進の親友、医食同源の少女と世界を旅する ~四字熟語を背負う者たちの腹ぺこ放浪記~  作者: 凡夫 成


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35話 泣く子供

【前書き】

朱雀女王との戦いを終え、リンたちは次の四天王の情報を求めて東へ向かいます。

次なる相手は、疑心暗鬼。

命令ではなく、疑いで人の心を揺さぶる存在です。

今回は新章の入口。 久々にシンが分かりやすく暴れます。


 青い霧は、森の奥へ行くほど濃くなった。


 木々の輪郭がぼやける。


 足元の道も、少し先で曲がっているのか、途切れているのか分からない。


 風はない。


 鳥の声もない。


 ただ、霧の向こうから、時々誰かの囁きだけが聞こえる。


 信じるな。


 置いていかれるぞ。


 選ばれなかった者は、どうなる。


 リンは足を止めた。


「今、何か聞こえた?」


 シンが鉄棒を肩に担いだまま振り返る。


「聞こえた」


「何て?」


「飯を食うな、って」


「またそれ?」


 イオが呆れた顔をする。


「シン、それ本当に霧の声?」


「俺の中の恐怖かもしれねえ」


「食べられないことへの?」


「一番怖いだろ」


 リンは苦笑した。


 けれど、完全には笑えなかった。


 霧は確実に濃くなっている。


 昨日の大女。


 一昨日の髭の老人。


 二人とも助けてくれた。


 情報もくれた。


 けれど、どちらも最後に似た言葉を残した。


 本当に、そう思うのか。


 疑い始めればきりがない。


 だが、疑わなければ足元をすくわれる。


 リンは腰の朱雀の短剣に手を添えた。


 赤い命令の線は見えない。


 切るべきものが見えないまま、青い霧だけがまとわりついてくる。


「リン」


 イオが声をかけた。


「顔が難しい」


「難しい顔?」


「うん。いつもの三倍くらい」


「そんなに?」


「シンが考え事してる時の十倍」


 シンが反応する。


「俺だって考えるぞ」


「何を?」


「昼飯」


「でしょうね」


 イオはそう言いながら、薬草袋の中を確認していた。


 残っている薬草は多くない。


 朱雀の町でかなり使った。


 村でも使った。


 青い霧の中では、怪我人も多い。


 薬は無限ではない。


 料理も、食材がなければ作れない。


 イオは薬草袋の口をぎゅっと結んだ。


 リンはそれに気づいた。


「薬、少ない?」


「少ない」


 イオは正直に答えた。


「でも、足りないって言ってる場合じゃない」


「無理しないで」


「無理はする」


「イオ」


「分かってる」


 イオは少しだけ笑った。


「倒れるまではしない。昨日より分かってるから」


 シンが嬉しそうに頷く。


「便利だろ、それ」


「便利だけど、シンが発明したみたいな顔しないで」


「俺の言葉だ」


「いつから?」


「今から」


 そんなやり取りをしながら進んでいると、霧の向こうから小さな泣き声が聞こえた。


 細い。


 弱い。


 子供の声だった。


「……誰か、いる」


 イオが真っ先に反応した。


 泣き声は、森の脇道から聞こえる。


 リンは手を上げて二人を止めた。


「待って」


 イオが振り返る。


「子供だよ」


「分かってる。でも、ここは青い霧の中だ」


 シンも珍しくすぐには走らなかった。


「罠かもしれねえってことか」


「うん」


 泣き声は続く。


「お母さん……どこ……」


 イオの顔が苦しそうに歪んだ。


「罠でも、泣いてる子を放っておけない」


「助ける」


 リンは短く言った。


「でも、全員で行く。離れない」


「分かった」


 イオが頷く。


 シンは鉄棒を握り直した。


「鬼がいたら俺が殴る」


「子供の前だから控えめに」


「控えめに殴る」


「それは何?」


 三人は泣き声の方へ進んだ。


 木の根元に、小さな子供が座り込んでいた。


 年は七つか八つくらい。


 青い布の外套を羽織り、膝を抱えて泣いている。


 顔は涙でぐしゃぐしゃだった。


 足首には擦り傷。


 腕にも枝で引っかいたような跡がある。


 イオはすぐに膝をついた。


「大丈夫?」


 子供はびくっと肩を震わせる。


「誰……?」


「旅人。私はイオ。怪我を見せて」


「痛い……」


「うん。痛かったね」


 イオは声を柔らかくする。


 リンは周囲を見た。


 青い鬼の気配はない。


 だが、霧は濃い。


 子供の周りだけ、静かすぎる。


 シンも何か感じたのか、小声で言った。


「鬼、いねえな」


「いないのが逆に怖い」


「そういう考え方、疲れねえか」


「疲れる」


「だろうな」


 イオは子供の足を見た。


「傷は浅い。少ししみるけど、薬を塗るね」


 子供は涙目でイオを見る。


「薬?」


「うん。痛いのを早く治すため」


「毒じゃない?」


 イオの手が止まった。


 リンが子供を見る。


 子供は本気で怯えているように見えた。


「毒じゃないよ」


 イオは静かに答える。


「でも怖いなら、水で洗うだけでもいい」


「薬、少ないんでしょ?」


 子供が言った。


 イオの目がわずかに揺れた。


「え?」


「さっき言ってた」


 子供は涙を拭きながら、イオの薬草袋を見る。


「薬、少ないって」


「聞こえてたんだね」


「うん」


 子供は小さく首を傾げた。


「私に使ったら、他の人に使えない?」


 イオは息を呑んだ。


 青い霧が、ゆっくり足元に絡んでくる。


 子供は続けた。


「お姉ちゃんは、みんな助けるの?」


「……助けたい」


「じゃあ、助からなかった人は?」


 イオの指先が震えた。


「それは……」


「助ける人を、選ぶの?」


 森が静まり返った。


 シンが一歩前に出る。


「おい、子供相手に変なこと言うなって言えねえのが難しいな」


「シン」


 リンが制した。


 イオは子供から目を逸らせなかった。


 助ける人を選ぶ。


 その言葉は、イオの中に深く刺さった。


 朱雀の町で、薬は全員分なかった。


 先に塗る人を選んだ。


 弱肉強食の石門町でも、救助の順番を決めた。


 重い傷から。


 助かる可能性がある人から。


 まだ動ける人には待ってもらった。


 料理も、薬も、手も、時間も、すべて足りない。


 足りないものを使う時、人は順番を決める。


 順番を決めるということは。


 選んでいる。


「イオ」


 リンが声をかける。


 イオは返事をしない。


 子供が泣きながら言う。


「私は、選ばれるの?」


 その声が、別の声に重なった。


 助けて。


 どうして先にあの人なの。


 痛い。


 待ってって言われた。


 待ってたのに。


 霧の中に、人影が浮かんだ。


 怪我をした町人。


 倒れた兵。


 石門町の人々。


 朱雀の印に焼かれていた者たち。


 顔ははっきり見えない。


 だが、その声だけがイオに届く。


「イオ!」


 リンが叫ぶ。


 青い霧が形を取り始めた。


 鬼だ。


 一体ではない。


 子供の周りの霧から、青い鬼が三体、ぬるりと立ち上がる。


 だが、鬼たちの顔は普通の鬼ではなかった。


 泣いている人の顔。


 痛みに歪む人の顔。


 助けを待つ人の顔。


 イオの手が完全に止まった。


「私……」


 鬼が囁く。


「選んだ」


「選ばなかった」


「見捨てた」


 シンが鉄棒を構えた。


「ぶっ飛ばす!」


「待って!」


 イオが叫んだ。


「その顔で来るの、ずるい」


 リンは前に出る。


「シン、左を止めて! イオから離す!」


「頼まれた!」


 シンが動く。


 鬼の一体を鉄棒で受け止める。


 だが、鬼を殴ろうとした瞬間、その顔が子供に変わった。


「くっそ、やりづれえ!」


 シンの鉄棒が止まる。


 鬼の爪がシンの腕をかすめた。


「シン!」


「かすり傷!」


「本当!?」


「たぶん!」


「たぶんは見せて!」


 イオが叫ぶ。


 だが、その声にも迷いがあった。


 鬼たちはそれを見逃さない。


「ほら」


「また選ぶ」


「シンを助ける?」


「子供を助ける?」


「他の人は?」


 イオは薬草袋を握りしめた。


 薬は少ない。


 シンの傷。


 子供の傷。


 霧の中に見える幻の怪我人。


 どれが本物で、どれが鬼なのか。


 分からない。


 リンは朱雀の短剣を抜いた。


 赤い光が刃に走る。


 だが、やはり命令の線は見えない。


 青い霧は切れない。


 リンは歯を食いしばる。


「命令じゃない……」


 これは外から縛る力ではない。


 心の中にある不安を膨らませる力だ。


 切るだけでは足りない。


 イオ自身が、答えなければならない。


「イオ!」


 リンは叫んだ。


「全部は救えない!」


 イオの肩が震える。


 リンは続けた。


「でも、だからって、目の前の人を見捨てる理由にはならない!」


 イオはリンを見る。


 その瞳は揺れていた。


「それでも、選んでる」


「うん」


 リンは頷いた。


「選んでる」


 シンが鬼の腕を押し返しながら叫ぶ。


「俺は後でいいぞ!」


 イオが怒鳴る。


「そういう勝手なこと言わない!」


「怒れるなら大丈夫だな!」


「大丈夫じゃない!」


 イオは息を吸った。


 手の中の薬草袋を見る。


 薬は少ない。


 だから、考える。


 誰に何を使うか。


 何を使わずに済ませるか。


 誰に手伝ってもらうか。


 それは、見捨てることではない。


 救うために、選ぶことだ。


 イオは子供に向き直った。


「私は全員を救えるなんて言わない」


 子供が泣きながら見上げる。


「じゃあ……」


「でも、目の前の人を救うことまで疑わせないで」


 イオは薬草を少しだけ指に取った。


「あなたの傷は浅い。薬は少しで足りる。水で洗って、薄く塗る」


 次にシンを見る。


「シンの傷は、今すぐ血を止める。薬じゃなくて布で圧迫」


「おう!」


「リンは霧の芯を探して!」


「分かった!」


 イオの声に迷いは残っている。


 けれど、止まってはいない。


 鬼たちの顔が歪む。


 青い霧がざわめく。


「選んだ」


「また選んだ」


「選ばれなかった者は?」


 イオは立ち上がる。


「選ばれなかったんじゃない」


 薬草袋から乾いた葉を取り出し、火打ち石で小さな火をつける。


 苦い香りが広がる。


「順番を待ってもらってるの」


 霧が揺れる。


「待ってもらうなら、ちゃんと戻る」


 イオは霧の中の幻へ向かって言った。


「戻れなかった人のことも、忘れない」


 青い鬼が悲鳴のような声を上げた。


 リンはその瞬間を見逃さなかった。


 霧の奥に、小さな青い玉が浮かぶ。


 昨日の村で見たものと似ている。


 鬼を形にする芯。


「シン、右奥!」


「頼まれた!」


 シンが地面を蹴る。


 鬼が子供の顔に変わる。


 シンの鉄棒が止まりかける。


 その時、イオが叫んだ。


「それは鬼!」


「分かった!」


 シンは止まった。


 一歩退いた。


 鬼の爪を空振りさせる。


 そして、角度を変えて鉄棒を叩き込む。


「顔を借りてんじゃねえ!」


 鬼の体が崩れる。


 リンが朱雀の短剣を構え、青い玉へ向かって走った。


 命令の線ではない。


 だが、鬼を形にしている芯なら切れる。


「ここだ!」


 リンの刃が青い玉を裂いた。


 霧が弾ける。


 鬼たちの姿が一斉に崩れた。


 泣いている顔も、責める声も、薄い煙のように消えていく。


 森に風が戻った。


 イオはその場に膝をついた。


 子供はまだそこにいた。


 本物なのか。


 幻なのか。


 分からない。


 だが、足首の傷は確かにある。


 イオは震える手で水筒を取った。


「痛いけど、洗うよ」


 子供は小さく頷いた。


「……うん」


 イオは傷を洗い、薬を薄く塗り、布を巻いた。


 手つきは丁寧だった。


 迷いはある。


 それでも、手は止まらない。


「これで歩ける?」


 子供は足を動かしてみる。


「少し」


「無理しないで。近くの村まで一緒に行こう」


 子供はイオを見た。


 涙の跡が残る顔で、ぽつりと言う。


「お姉ちゃんは、私を選んだの?」


 イオは少し考えた。


 それから首を横に振る。


「あなたを見つけたから、助けた」


「それは選んだってことじゃないの?」


「そうかもしれない」


 イオは正直に答えた。


「でも、選んだからには、最後まで見る」


 子供はじっとイオを見つめた。


 その瞳が、一瞬だけ青く光った気がした。


「本当に、そう思ってるの?」


 老人の声。


 大女の声。


 同じ言葉。


 リンは息を呑んだ。


「君は――」


 問いかける前に、霧が濃くなった。


 子供の姿が揺れる。


 イオが手を伸ばす。


「待って!」


 子供は少しだけ笑った。


 泣いていたはずの顔で。


 どこか寂しそうに。


 そして、青い霧の中へ溶けるように消えた。


 足元には、巻いたばかりの布だけが落ちていた。


 イオはその布を見つめたまま、動かなかった。


 シンが近づく。


「イオ」


「……本物だったのかな」


 誰もすぐには答えられなかった。


 リンは周囲を見た。


 霧の中に、子供の足跡はない。


 だが、木の根元には確かに座っていた跡がある。


 泣き声も聞いた。


 傷も見た。


 薬も塗った。


 どこまでが本当で、どこからが鬼なのか。


 分からない。


「分からない」


 リンは正直に言った。


「でも、イオが手当てしたことは本当だ」


 イオは落ちた布を拾った。


 布には、薄く薬草の匂いが残っている。


「救えたのかな」


「少なくとも、止まらなかった」


 リンが言う。


「それは、すごいことだと思う」


 シンも頷く。


「俺の傷も止めたしな」


 イオが顔を上げる。


「見せて」


「今?」


「今」


「もう血止まってるぞ」


「確認する」


「はい」


 シンは素直に腕を出した。


 イオは布を巻き直す。


 少し乱暴に。


「痛い」


「生きてる証拠」


「そういう治療ある?」


「今作った」


 リンは小さく笑った。


 イオも、少しだけ笑った。


 だが、その笑いは長くは続かなかった。


 イオは森の奥を見る。


「私、怖い」


「うん」


 リンは頷いた。


「救えない人がいるのが怖い」


「うん」


「選んでるって言われると、何も言い返せない」


「うん」


「でも、手を止めたら、もっと怖い」


 イオは薬草袋を握った。


「だから、迷ってもやる」


 シンが笑った。


「それでいいだろ」


「シンは簡単に言う」


「簡単じゃねえぞ」


 シンは真面目な顔で言った。


「俺は怪我したらイオに見せる。イオは薬を使うか布で縛るか決める。俺は文句言わねえ」


「文句言うでしょ」


「痛かったら言う」


「それは言って」


「じゃあ言う」


 リンが続ける。


「僕も、判断に迷ったら言う。イオ一人に選ばせない」


 イオは二人を見る。


「本当に?」


 その問いは、霧の声ではなかった。


 イオ自身の声だった。


 リンは頷く。


「本当に」


 シンも胸を張る。


「昨日より分かってるからな!」


 イオは少し呆れた顔をした。


「それ、便利すぎる」


「いい言葉だろ」


「悔しいけど、今は少し助かった」


「だろ!」


 三人は再び歩き出した。


 青い霧の森は、まだ続いている。


 老人。


 大女。


 子供。


 姿は違う。


 声も違う。


 けれど、同じ言葉が残っている。


 本当に、そう思うのか。


 疑うことは悪いことではない。


 だが、疑いに足を止められたら、目の前の手は伸ばせない。


 イオは落ちていた布を薬草袋の外側に結んだ。


 忘れないために。


 迷っても、手を伸ばすために。


 森の奥で、水の音がした。


 川か。


 それとも霧の流れる音か。


 リンは耳を澄ませる。


 水音の向こうに、かすかに何かが見えた。


 青い屋根。


 曲がった塔。


 霧に包まれた城壁。


「見えた」


 リンが呟く。


 シンが前を見た。


「城か?」


「たぶん」


 イオも顔を上げる。


 青い霧の向こうに、ぼんやりと城の影が浮かんでいる。


 朱雀の鳥籠とは違う。


 まっすぐではない。


 曲がり、歪み、見るたびに形を変える。


 青龍の霧城。


 まだ遠い。


 けれど、確かにそこにある。


 その時、森のどこかで子供の声がした。


「お姉ちゃん」


 イオが振り返る。


 誰もいない。


「救う人を選ぶの?」


 声だけが霧に残る。


 イオは目を閉じた。


 そして、小さく息を吐いた。


「選ぶ」


 リンとシンがイオを見る。


 イオは前を向いた。


「でも、見捨てるためじゃない」


 青い霧が、少しだけ揺れた。


 三人は城へ向かって歩き出す。


 疑いの声は、まだ消えない。


 それでも、足は止まらなかった。

【後書き】

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

朱雀編を越え、今回から疑心暗鬼編に入りました。

命令に従わせる絶対服従とは違い、疑心暗鬼は「信じていいのか分からなくさせる」相手です。

そして今回は、久々にシンが真正面から大暴れする回でした。

髭の老人の言葉が、この先リンたちにどう響いていくのか。

次回も、腹ぺこ一行の旅にお付き合いください。

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