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臨機応変の俺と猪突猛進の親友、医食同源の少女と世界を旅する ~四字熟語を背負う者たちの腹ぺこ放浪記~  作者: 凡夫 成


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34話 頼れる大女

【前書き】

朱雀女王との戦いを終え、リンたちは次の四天王の情報を求めて東へ向かいます。

次なる相手は、疑心暗鬼。

命令ではなく、疑いで人の心を揺さぶる存在です。

今回は新章の入口。 久々にシンが分かりやすく暴れます。


 青い霧は、東へ進むほど濃くなっていった。


 木々の間を白ではなく、薄青い靄が流れている。


 朝なのに、森の中は夕方のように暗い。


 鳥の声も少ない。


 代わりに、どこからともなく、誰かの囁きのようなものが聞こえる。


 はっきりした言葉ではない。


 けれど、耳の奥に引っかかる。


 疑え。


 振り返れ。


 隣を見るな。


 そんな意味だけが、霧に混ざっているようだった。


「嫌な霧だな」


 シンが鉄棒を肩に担いだまま言った。


「何か、耳がむずむずする」


「声が聞こえる?」


 リンが聞く。


「聞こえるような、聞こえねえような」


「内容は?」


「飯を食うな、って言われた気がする」


「それは絶対に聞き間違い」


 イオが即答した。


「そんなこと言われたら、俺は疑心暗鬼を許さねえ」


「そこ?」


「食うなは命令よりひどい」


「朱雀女王より恨まれそう」


 リンは苦笑しながらも、周囲を警戒していた。


 昨日出会った髭の老人。


 青い鬼。


 仲間の声で囁く敵。


 疑心暗鬼の影は、確かにこの霧の中にある。


 朱雀の短剣を腰に差しているが、今は静かだった。


 命令の線は見えない。


 赤い線ではなく、青い霧。


 どこから来て、どこへつながっているのか分からない。


 だからこそ厄介だった。


「リン」


 イオが小声で言う。


「あの老人のこと、気になってる?」


「うん」


「疑ってる?」


 リンは少し迷ってから頷いた。


「疑ってる。でも、助けたことが間違いだったとは思ってない」


 シンが前を歩きながら言う。


「困ってるじいさんは助ける。変だったらあとで聞く」


「シンは単純だな」


「昨日より分かってる単純だ」


「それ、便利に使いすぎ」


 その時、森の先から騒ぎ声が聞こえた。


 男たちの声。


 女の声。


 そして、鬼の唸り。


「また鬼か!」


 シンの顔がぱっと明るくなる。


「喜ばないで!」


 イオが叫ぶ。


「分かりやすい敵は貴重だろ!」


 シンは返事を待たずに駆け出した。


 リンとイオも追う。


 森を抜けると、小さな村の入口に出た。


 村の門は半分壊れ、畑には踏み荒らされた跡がある。


 青い鬼が五体。


 村人たちは家の陰に隠れ、互いに疑うように距離を取っていた。


 その中心で、一人の大女が鬼を相手に立ち回っていた。


 背が高い。


 肩幅も広い。


 青みがかった黒髪を後ろで束ね、太い腕には布を巻いている。


 手には大きな鉈のような刃物。


 だが、それで斬るというより、叩き伏せている。


「邪魔だよ!」


 大女の一撃で、鬼が地面に叩きつけられた。


 青い霧が跳ねる。


「泣いてる子がいる前で、角なんか振り回してんじゃないよ!」


 もう一体の鬼が背後から迫る。


 シンが飛び込んだ。


「おらあ!」


 鉄棒が鬼を横から吹っ飛ばす。


 大女が振り返る。


「おっ」


 シンも大女を見る。


「おっ」


 二人は一瞬、互いの武器と腕を見た。


 そして、同時に笑った。


「いい振りだねえ!」


「そっちもな!」


 リンが追いついて叫ぶ。


「シン! 状況見て!」


「鬼がいる!」


「それは見れば分かる!」


 イオは倒れている村人の方へ駆け寄った。


「怪我人はこっちへ! 動ける人は家の壁から離れて!」


 村人たちは戸惑う。


 誰かが言った。


「その女を信じていいのか?」


「外の者だぞ」


「薬だと言って毒を飲ませるかもしれない」


 イオの手が止まりかけた。


 青い霧が、村人たちの足元にまとわりついている。


 リンはすぐに声を上げた。


「無理に信じなくていい! でも、怪我をしている人は血を止めないと危ない!」


 イオも息を吸う。


「薬が怖いなら、水と布だけでもいい。自分で選んで!」


 その言葉に、怪我をした男が震える手を上げた。


「……布を」


「うん」


 イオは駆け寄った。


 リンは村人の間に青い鬼が紛れていないか確認する。


 鬼は疑いを食う。


 疑いが濃い場所で増える。


 なら、この村自体がもう餌場になっている。


 シンと大女は、残った鬼三体を相手に並んでいた。


「お前、名前は?」


 シンが聞く。


「通りすがりの大女でいいよ!」


「そのままだな!」


「あんたは?」


「猪突猛進のシン!」


「いい名じゃないか!」


 大女が笑う。


「前に出るしかなさそうで!」


「褒めてんのかそれ!」


「褒めてるよ!」


 鬼が二人へ迫る。


 青黒い爪が霧を引く。


 そして、鬼が囁いた。


「前に出る者は、後ろの者に使われる」


 声はリンに似ていた。


 シンの眉が動く。


 別の鬼が続ける。


「シンなら受けられる」


 今度はイオの声。


「シンなら大丈夫」


 またリンの声。


「シンは頑丈だから」


 鉄棒を握るシンの手が、ほんの少し止まった。


 リンはそれに気づいた。


「シン!」


 シンは振り返らない。


 大女が鬼を一体蹴り飛ばしながら、低く笑った。


「青い鬼は嫌なことを言うねえ」


「そうだな」


「でも、間違いとも言い切れないんじゃないかい?」


 シンがちらりと大女を見る。


 大女は鬼を睨んだまま続けた。


「あんたみたいな前に出る奴は便利だ。仲間も助かるだろうよ。前に出しておけば、敵が勝手に止まる」


 リンの胸が冷えた。


 シンは何も言わない。


 大女は豪快に鬼を殴りながら笑う。


「悪い意味じゃないさ。強い奴は頼られる。頼られれば前に出る。それだけの話だ」


 シンは鉄棒を振った。


 鬼を一体吹き飛ばす。


 だが、いつもの勢いより少しだけ鈍い。


 鬼がその隙に霧へ戻り、すぐ別の形で立ち上がった。


「迷ったな」


 鬼が囁く。


「お前は囮だ」


 シンの顔が歪む。


「うるせえ」


「仲間はお前を前に出す」


「うるせえ」


「お前は考えないから、使いやすい」


「うるせえって言ってんだろ!」


 シンが突っ込む。


 鉄棒が鬼を砕く。


 しかし、砕けた霧はまた集まる。


 リンは息を呑んだ。


 力任せでは消えない。


 疑いが残る限り、鬼はまた形になる。


「シン、待って!」


「待たねえ!」


 シンが叫ぶ。


「俺は前に出る!」


「違う、今は――」


 リンの言葉が止まった。


 何と言えばいい。


 止まれ。


 退け。


 自分の指示がまた命令のように聞こえる。


 朱雀女王の言葉が、胸の奥で蘇る。


 あなたも命じているではありませんか。


 リンの迷いを、青い霧が舐めるように広がった。


 鬼がリンの声で笑う。


「ほら、また迷った」


 シンがそれを聞いた。


 鉄棒を握る手が強くなる。


「リン」


 低い声。


 リンは胸が詰まる。


「何?」


「俺、また囮か?」


 その問いは、鬼の声より痛かった。


 リンはすぐ答えようとして、言葉に詰まった。


 囮じゃない。


 でも、シンを前に出す作戦は何度も使った。


 シンなら耐えられると思ったこともある。


 シンが前に出てくれるから、他の道が開けたこともある。


 それを、囮ではないと言い切っていいのか。


「……シン」


 リンは息を吸った。


「囮みたいな役を頼ったことはある」


 シンの背中が止まる。


 イオも振り返った。


 大女が、ほんの少し笑ったように見えた。


 リンは続ける。


「君が強いから。君が前に出てくれるから。それに頼った」


 鬼たちが嬉しそうに揺れる。


 青い霧が濃くなる。


「でも、使い捨てだと思ったことはない」


 リンはまっすぐ言った。


「君が嫌だと言ったら変える。無理だと言ったら止める。僕は、君に頼んでる」


 シンは少しの間、黙っていた。


 大女が横から言う。


「頼む、か。便利な言葉だねえ」


 リンは大女を見た。


 大女は笑っている。


 味方のように。


 しかし、その言葉の端が、少し冷たい。


 シンはゆっくり振り返った。


「リン」


「うん」


「俺は、前に出るのが嫌じゃねえ」


「分かってる」


「囮っぽいのも、まあ、嫌な時はある」


「うん」


「でもな」


 シンは鉄棒を構えた。


「俺が前に出るって決めた時は、俺の前だ」


 青い鬼たちがざわめく。


「使われたんじゃねえ」


 シンの背に、猪突猛進の四文字が強く光る。


「俺が突っ込むって決めたんだ!」


 シンが地面を蹴った。


 速い。


 迷いを吹き飛ばすような突進。


 だが、ただの無茶ではない。


 昨日、一進一退との戦いで覚えた足運び。


 一歩止まり。


 一歩退き。


 力をためて。


 自分で選んで、前へ出る。


 鉄棒が唸った。


「おらああああ!」


 一体目の鬼を砕く。


 霧が戻ろうとする。


 シンはそこへ踏み込まず、あえて一歩下がった。


 青い霧が空振りする。


「お?」


 大女が目を細める。


「ただ突っ込むだけじゃないのかい」


「昨日より分かってるからな!」


 シンは再び前へ出る。


 二体目を叩き伏せる。


 さらに、三体目の爪を鉄棒で受け、横へ流す。


 朱雀編で覚えた止まる力。


 退く力。


 その全部が、猪突猛進の中に混ざっている。


 リンはすぐに叫んだ。


「シン、右の霧が濃い! そこに核がある!」


「右だな!」


「無理なら――」


「やる!」


 シンは笑った。


「頼まれたからな!」


 リンの胸が少し軽くなる。


 命令ではない。


 頼む。


 選ぶ。


 その違いを、シンが受け取ってくれている。


 シンは右の濃い霧へ鉄棒を叩き込んだ。


 青い音がした。


 鬼たちの体が同時に揺れる。


 霧の奥に、小さな青い石のようなものが浮かんでいた。


 疑いを形にする芯。


「イオ!」


 リンが叫ぶ。


「苦い煙、いける?」


「少しなら!」


 イオが薬草を火にくべる。


 苦い香りが広がった。


 青い霧が薄くなる。


「疑うなとは言わない!」


 イオが村人たちへ叫ぶ。


「怖いなら怖いって言って! 怪しいなら怪しいって言って! でも、怪我人をそのままにしないで!」


 村人たちは顔を見合わせる。


 まだ疑っている。


 けれど、一人が動いた。


「俺は……あんたの薬は怖い」


「うん」


 イオは頷いた。


「でも布なら持てる」


「お願い」


 男が布を持って走る。


 別の女が水桶を運ぶ。


 子どもが泣きながら、倒れた母の名を呼ぶ。


 声が混ざる。


 疑いは消えない。


 でも、黙って膨らむことは少しだけ止まった。


 青い鬼たちの形が崩れる。


「今!」


 リンが叫ぶ。


 シンと大女が同時に動いた。


「合わせるよ!」


「おう!」


 二つの大きな一撃が、青い霧の芯を挟み撃ちにした。


 鉄棒と大鉈。


 轟音。


 青い石が砕けた。


 鬼たちが叫び声を上げ、霧になって散っていく。


 森の入口に、ようやく風が通った。


 村人たちが息を吐く。


 イオはすぐに怪我人の手当てへ戻った。


 リンは短剣を下ろし、シンの方を見る。


「大丈夫?」


「大丈夫だ」


「本当に?」


「本当に」


 シンは肩で息をしながら笑った。


「俺、囮かって聞けたからな」


「うん」


「聞いたら、少し楽だった」


 リンは頷いた。


「これからも聞いて」


「おう。リンも言えよ」


「何を?」


「俺に前出てほしい時」


「言ってるつもりだけど」


「もっとはっきり言え。頼むって」


 リンは少し驚いた。


 それから、笑う。


「分かった」


 大女が二人のやり取りを見ていた。


 笑っている。


 豪快な笑み。


 だが、その目だけが、妙に細い。


「いい仲間じゃないか」


「だろ!」


 シンが即答する。


「だが、いい仲間ほど面倒だ」


 大女は大鉈を肩に担いだ。


「一人なら、誰にも使われない。誰にも迷惑をかけない。誰にも裏切られない」


 リンは眉をひそめる。


「あなたは一人で旅を?」


「ああ。気楽なもんさ」


 大女は村の出口へ歩き出す。


 イオが声をかけた。


「待って。怪我は?」


「かすり傷だよ」


「シンと同じこと言ってる」


「なら重傷じゃないか」


 リンが言うと、シンが抗議した。


「俺のかすり傷は本当にかすり傷だ!」


「この前、深いかすり傷って言ってた」


「かすり傷には種類がある」


「ない」


 大女は声を上げて笑った。


「面白い連中だねえ」


 そして、リンを見る。


「東へ行くなら気をつけな。青い霧は、仲間の声を借りる」


「知ってる」


「いや」


 大女は目を細めた。


「仲間の声だけじゃない。自分の声も借りる」


 リンは黙った。


「自分で自分を疑い始めたら、誰の言葉も信じられなくなる」


 大女は背を向けた。


「本当に、そう思うのかい?」


 その言葉に、リンの胸が少し冷えた。


 昨日の老人。


 本当に、そう思うのかのう。


 似ている。


 いや、気のせいかもしれない。


 疑い始めたら、何でもつながって見える。


「待って」


 リンが呼ぶ。


「名前は?」


 大女は振り返らずに手を振った。


「名乗るほどの者じゃないよ」


「また会える?」


「疑っていれば、また会えるかもねえ」


 大女は霧の中へ消えていった。


 その背中が見えなくなった後、シンが腕を組んだ。


「変な女だったな」


「うん」


 イオが頷く。


「助けてくれたけど、言葉が少し怖かった」


「疑ってる?」


 シンが聞く。


 イオは少し考えた。


「疑ってる」


「じゃあ本人に聞けばよかったな」


「もう行っちゃった」


「追うか?」


 リンは霧の奥を見る。


 青い影はもうない。


「今は村の人を助けよう」


「分かった」


 村では、少しずつ人が動き出していた。


 井戸の周りでは、二人の男が睨み合っていた。


「お前の家が水を隠したんだろう」


「違う。そっちこそ昨日、桶を余分に持っていった」


 青い霧が足元に絡む。


 リンは間に入った。


「証拠はある?」


 二人は黙る。


「ないなら、今は水を分けよう。疑う話はあとで聞く」


「あとで?」


「うん。逃げずに、あとで。今は怪我人が先」


 二人はまだ不満そうだった。


 だが、イオが怪我人の名前を呼び、シンが水桶を二つ持ち上げると、しぶしぶ動き始めた。


 疑いは消えない。


 でも、今やることはある。


 それだけで、人は少し動ける。


 日が傾く頃、村の怪我人は一通り手当てを終えた。


 鬼に壊された門は、シンが力任せに立て直した。


 少し斜めだった。


「直った!」


 シンが叫ぶ。


 リンは門を見上げる。


「直った……かな?」


「立ってるだろ」


「立ってるけど」


 イオが横から言う。


「明日ちゃんと直してもらおう」


「俺が直したのに!」


「応急処置としては助かった」


「ならよし」


 村人たちは、まだ互いに距離を取っている。


 けれど、全員が完全に背を向けているわけではなかった。


 水を渡す者。


 布を受け取る者。


 怪我人を支える者。


 ぎこちなくても、少しずつ手を伸ばしている。


 リンはそれを見て、息を吐いた。


「進もう」


 イオが荷物を背負う。


「大丈夫?」


「うん。次の村でも同じことが起きてるかもしれない」


 シンは鉄棒を肩に担いだ。


「鬼なら任せろ」


「声にも気をつけて」


「気になったら聞く」


 シンはそう言って、リンを見る。


「それでいいんだろ?」


「うん」


 リンは頷いた。


「それがいい」


 三人は村を後にした。


 青い霧は、また森の奥へ続いている。


 大女の姿はもうない。


 だが、彼女の言葉だけが残っていた。


 一人なら、誰にも使われない。


 一人なら、誰にも迷惑をかけない。


 一人なら、誰にも裏切られない。


 リンは首を横に振った。


 一人なら傷つかないかもしれない。


 でも、一人では水路も直せなかった。


 一人では百花の町も救えなかった。


 一人では弱肉強食も、絶対服従も越えられなかった。


 だから、疑うなら聞けばいい。


 疑われたなら答えればいい。


 それでも全部が解けるわけではないけれど。


 青い霧の中で、シンが突然言った。


「リン」


「何?」


「腹減った」


「それは疑いじゃなくて事実だね」


「イオ」


「何?」


「俺、飯を多めに食っていいか?」


「働いた分ならね」


「やった!」


 シンは嬉しそうに歩く。


 その背中は、いつも通り大きかった。


 けれど、リンには少しだけ違って見えた。


 ただ前に進むだけではない。


 止まることも、退くことも、聞くことも覚えた背中。


 猪突猛進は、昨日より少しだけ分かっていた。


 その背後で、青い霧がゆっくり揺れた。


 霧の中から、かすかな笑い声が聞こえる。


「本当に、そう思うのかい?」


 振り返っても、そこには誰もいなかった。

【後書き】

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

朱雀編を越え、今回から疑心暗鬼編に入りました。

命令に従わせる絶対服従とは違い、疑心暗鬼は「信じていいのか分からなくさせる」相手です。

そして今回は、久々にシンが真正面から大暴れする回でした。

髭の老人の言葉が、この先リンたちにどう響いていくのか。

次回も、腹ぺこ一行の旅にお付き合いください。

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