29話 朱雀の鳥籠
【前書き】
四字熟語が真名になる世界。
臨機応変のリン、猪突猛進のシン、医食同源のイオに加え、一騎当千のカズキも旅に参加。
新章は、命令で人を縛る四天王・絶対服従との戦いです。
バトルあり、料理あり、馬あり、たまに昼行灯あり。
よろしくお願いします。
夜明け道の奥には、小さな広場があった。
谷の岩壁が少しだけ開け、古い石灯籠が円を描くように並んでいる。
その中心で、イオは薬草油を配っていた。
赤い羽根の印を持つ朱羽軍の兵たちが、数人、岩にもたれて座っている。
彼らの顔色は悪い。
女王の命令に逆らったせいで、背中の印が熱を持っているのだ。
その中に、一進一退もいた。
大盾を失い、赤い重鎧を外し、背中の印に薬草布を当てている。
先ほどまで敵だった男は、今は苦しみに耐える一人の人間に見えた。
「熱は?」
イオが尋ねる。
一進一退は少し間を置いて答えた。
「……まだ焼ける」
「完全には消せない。でも、少しは抑えられる」
「なぜ、ここまでする」
「何度も言うけど、今は怪我人だから」
イオは淡々と言った。
「それに、あなたが自分で選ぶ時間を作りたい」
一進一退は黙った。
その背中の赤い羽根が、弱く光る。
遠く、朱雀の塔から鐘の音が届いた。
ごん。
広場にいた兵たちが一斉に震える。
イオがすぐに声を上げた。
「息を吐いて! 背中に力を入れないで!」
兵たちは必死に従う。
いや、従うというより、彼女の言葉を頼りに耐えている。
リンはその様子を見ながら、拳を握った。
命令に逆らうだけで、これほど苦しむ。
自分たちが彼らを助けたから。
自分たちが女王に逆らわせたから。
その痛みが、今ここにある。
朱雀女王の声が、遠くから流れてきた。
「迷い子たち」
柔らかい声。
優しい声。
しかし、その声を聞いた兵たちの背中は焼ける。
「選ぶから苦しむのです」
リンの胸が重くなった。
「従えば、痛みは終わります」
その言葉は甘い。
苦しむ人々を前にしていると、なおさら甘かった。
従えば、この人たちは苦しまないのか。
自分が選ばせたから、苦しませているのか。
だったら、選ばせない方が優しいのか。
「リン」
シンが隣で言った。
「顔、怖いぞ」
「……考えてた」
「またか」
「まただな」
シンは広場の兵たちを見た。
「苦しそうだな」
「ああ」
「でも、あいつら自分で退いたんだろ」
「うん」
「じゃあ、それをなかったことにすんなよ」
リンはシンを見た。
シンは難しい顔をしている。
考えながら喋っている顔だった。
「苦しいから間違いってわけじゃねえだろ」
「……そうだな」
「飯食いすぎて腹苦しい時もあるけど、食ったことが間違いとは限らねえ」
「たとえがシンらしいな」
「分かりやすいだろ」
リンは少し笑った。
「分かりやすい」
シンは一進一退の前にしゃがんだ。
「おい、赤い壁」
一進一退が顔を上げる。
「その呼び方はやめろ」
「名前長いだろ」
「一進一退だ」
「じゃあ一進」
「略すな」
シンは気にせず続けた。
「俺たちは、朱雀の城に行く」
一進一退の表情が変わる。
「無謀だ。城には唯命是従がいる」
「そいつを止めに行く」
「女王陛下の声を運ぶ者だ。あれがいる限り、命令はどこまでも届く」
「だから止めるんだろ」
一進一退は黙った。
シンは広場の兵たちを指差す。
「こいつら、見てられるか」
「……何?」
「お前、防衛隊長なんだろ」
一進一退は目を細めた。
「だったら、守れよ」
「命令があれば」
「命令じゃねえ」
シンは言った。
「頼んでる」
一進一退の顔が、わずかに揺れた。
「頼む……?」
「嫌なら断れ」
「断る、こともできるのか」
「できるだろ」
シンは当然のように言う。
「でも守りたいなら、守れ」
一進一退は広場の兵たちを見た。
かつて自分の隊だった者たち。
命令で動き、命令で進み、命令で退かなかった者たち。
今は、命令に逆らった痛みで震えている。
彼はゆっくり息を吐いた。
「……守る」
背の赤い羽根が軋む。
それでも、一進一退は言った。
「私が、そう決める」
イオが薬草油の小瓶を差し出した。
「これを使って。印の周りに少しずつ。熱が強くなったら布を冷やして当てて」
一進一退は小瓶を受け取る。
「扱いを誤れば?」
「毒になる」
「怖いな」
「だから、ちゃんと見て使って」
一進一退は頷いた。
「分かった」
カズキはハヤテの背で、谷の入口を見張っていた。
ハヤテの赤い羽根の印は砕け、もう命令には縛られていない。
黒馬は静かに立っている。
だが、その目は朱雀の塔の方を見ていた。
「追手はまだ来ない」
カズキが言う。
「人馬一体は下がったままだ。だが、長くは持たない」
「城へ行くなら今か」
リンが言った。
「ああ」
どんちゃんは行灯を手に、石灯籠の前に立っていた。
「足元の灯は、城の方へ続いてるねえ」
「分かるのか」
リンが聞く。
「何となく」
「その何となく、最近かなり頼ってる」
「昼行灯だからねえ」
リンは苦笑した。
行灯の一族。
有明行灯。
昼行灯。
どんちゃんの不思議さは、今はその説明で飲み込める。
完全に納得したわけではない。
それでも、今は追及する時ではなかった。
リンは仲間を見た。
「城へ行く。目的は三つ」
シンが指を折ろうとする。
「三つか」
「まず、唯命是従を止める。女王の声を運ぶ者を止めないと、町の人も兵たちも選べない」
「一つ」
シンが指を一本立てる。
「次に、城内の命令の仕組みを見る。赤い羽根の印を消す方法を探す」
「二つ」
「最後に、朱雀女王への道を探る」
「三つ」
シンは三本指を立てて満足そうに頷いた。
「覚えた」
「本当に?」
「唯命止める。仕組み見る。女王殴る」
「最後が少し違う」
「だいたい合ってる」
イオが言う。
「女王を殴る前に、町の人を助ける方法を探すんだからね」
「分かってる」
カズキが静かに言った。
「俺とハヤテは外周突破を担当する。必要なら城門を開く」
「頼む」
リンは頷く。
「でも無理に突っ込まないで」
「分かっている」
シンがにやりとする。
「ハヤテがいると素直だな」
「ハヤテの前で無茶はしない」
「俺の前でもしろよ」
「考えておく」
イオは薬草袋を背負った。
「煙も油も数は少ない。大事に使う」
「それも頼む」
リンは深く息を吸った。
また選んだ。
全員を連れていくわけではない。
全員を守れるわけでもない。
一進一退たちを夜明け道に残す。
それが正しいかは分からない。
だが、今ここで選ばなければ、何も進まない。
「行こう」
リンが言う。
一行は、夜明け道を抜けて朱雀の城へ向かった。
谷を出ると、空は赤かった。
朝なのに、夕焼けのような赤。
その中心に、朱雀の塔がそびえている。
近づくほど、その姿がはっきりしてきた。
塔だと思っていたものは、ただの塔ではなかった。
赤い城壁。
翼のように広がる屋根。
塔の周囲を囲む無数の格子。
細い柱が空へ伸び、また横へ渡り、城全体を包んでいる。
それはまるで、巨大な鳥籠だった。
「鳥の城なのに、鳥籠か」
シンが言った。
「悪趣味だな」
「飛ばせる気がないんだ」
リンは城を見上げた。
朱雀。
空を翔ぶ聖獣。
だが、絶対服従の城は、誰かの羽を閉じ込める形をしている。
朱雀の鳥籠。
この城は、そう呼ぶのがふさわしかった。
城の外周には朱羽軍の兵が並んでいる。
門は巨大な格子で閉ざされていた。
その格子にも赤い羽根の紋が刻まれている。
鐘が鳴る。
ごん。
城壁の上の兵たちが同時に動いた。
「侵入者」
「捕縛」
「女王陛下の御前へ」
全員が同じ言葉を口にする。
リンは足元を見る。
どんちゃんの行灯の光が、赤い命令の線を薄く浮かび上がらせた。
城門から兵へ。
兵から城壁へ。
城壁から塔へ。
すべてが赤い線でつながっている。
「真正面は無理だな」
リンが言う。
「俺なら門を壊せるぞ」
シンが言う。
「壊した瞬間、全軍が来る」
「じゃあどうする」
「格子は開ける。でも静かに」
「静かに格子を開けるって何だ」
カズキがハヤテの背で言った。
「外周の兵の陣形を乱す。少しの時間なら作れる」
「頼む」
カズキがハヤテの首筋に触れる。
「行くぞ」
ハヤテが地面を蹴った。
黒い風が城壁前を駆ける。
一騎当千の光が広がった。
カズキの槍が、兵の武器だけを弾く。
盾を飛ばし、槍を落とし、赤い陣形を裂く。
兵は倒れるが、斬られない。
ハヤテは格子の前を横切り、また戻る。
速い。
広い。
一騎で千に当たる力が、城門前の兵を一瞬で乱した。
「今!」
リンが叫ぶ。
シンが格子に両手をかけた。
「静かにだぞ」
「分かってる!」
シンは歯を食いしばり、格子を持ち上げる。
鉄が軋む。
静かではない。
だが、壊すよりはましだった。
「静かにって言ったろ!」
「これでも静かだ!」
イオが薬草煙を小さく焚く。
白い煙が門番の方へ流れる。
命令の声が乱れ、兵たちの動きが遅れる。
どんちゃんは行灯を掲げ、格子の下を覗いた。
「足元、空いたよ」
「入る!」
リンが先に滑り込む。
イオが続く。
どんちゃんがするりと入る。
シンは格子を支えたまま叫ぶ。
「俺は!?」
「最後!」
「重い!」
カズキとハヤテが戻り、格子の下を駆け抜ける。
最後にシンが飛び込む。
格子が落ちた。
鈍い音が城門に響く。
「静かじゃなかったねえ」
どんちゃんが言う。
「うるせえ!」
城の中は、外よりさらに赤かった。
長い廊下。
高い天井。
鳥の翼のような梁。
壁には赤い羽根の紋が無数に刻まれている。
そして、どこからともなく女王の声が聞こえる。
「迷う必要はありません」
リンの足が、わずかに重くなった。
声は廊下全体から響く。
壁から。
床から。
天井から。
まるで城そのものが命令している。
「選ばなければ、傷つきません」
イオがリンを見る。
「リン」
「大丈夫」
「本当に?」
「……少し、効いてる」
リンは正直に言った。
シンが鉄棒を握る。
「殴って起こすか」
「まだいい」
「まだってことは、後でいるか?」
「できれば最後までいらない」
カズキがハヤテの上から言う。
「この城、馬も嫌がっている」
ハヤテが耳を伏せている。
赤い羽根の印はもうないが、城の命令の空気は不快なのだろう。
リンは廊下の赤い線を見る。
どんちゃんの行灯があると、命令の濃い道と薄い道が分かる。
「こっちは濃い」
リンが右の廊下を見る。
「こっちは?」
どんちゃんが左へ行灯を向ける。
「少し薄いねえ」
「左へ行こう」
シンが首を傾げる。
「薄い方でいいのか」
「命令の線が薄い。見張りも少ないはず」
「昼行灯、役に立つな」
「たまにはねえ」
どんちゃんは眠そうに笑った。
左の廊下を進む。
途中、使用人らしき者たちとすれ違った。
全員、背中に赤い羽根の印がある。
表情はない。
手には掃除道具や皿を持っている。
鐘が鳴るたび、同じ動きをする。
立ち止まり。
頭を下げ。
また歩く。
誰も話さない。
誰も目を合わせない。
イオが小声で言う。
「薬を渡したい」
「今は全員には無理だ」
リンは言った。
「分かってる。でも、見てるだけはつらい」
「あとで戻る」
「うん」
リンはそう言いながら、自分の胸の奥に刺さる痛みを感じていた。
あとで。
その言葉は、便利だ。
今救えない人を後回しにするための言葉にもなる。
でも、今すべてを救おうとすれば、誰も救えない。
選ぶしかない。
苦しい。
だからこそ、朱雀女王の声が甘く響く。
「あなたは、誰かに決めてほしいのでしょう?」
リンの足が止まった。
声が、さっきより近い。
まるで耳元で囁かれたようだった。
「臨機応変」
リンの背の四文字が、わずかに揺れる。
「あなたは状況に合わせるのが得意。けれど、自分で目的を決めるのは苦手」
シンが振り返る。
「リン?」
女王の声は続く。
「私なら、あなたに道を与えられます」
リンの視界が赤く滲む。
「誰を救うか。誰を見捨てるか。どこへ進むか。いつ退くか。すべて、私が決めてあげましょう」
楽だ。
と、胸の奥の弱い声が言った。
誰かが決めてくれるなら。
間違えた責任を背負わなくていいなら。
救えない人を選ぶ苦しさから逃げられるなら。
「リン」
今度はイオの声だった。
「自分で選んで」
短い言葉。
だが、リンの足元に落ちた行灯の火のように、はっきりしていた。
リンは息を吸った。
女王の声は消えない。
甘いままだ。
怖いままだ。
でも、リンは一歩踏み出した。
「僕は」
声が震える。
「まだ迷ってる」
シンが鉄棒を構える。
カズキがハヤテを止める。
イオが見守る。
どんちゃんの行灯が、足元だけを照らしている。
リンは続けた。
「でも、あなたには決めさせない」
女王の声が一瞬、沈黙した。
廊下の赤い光が揺れる。
シンが笑った。
「よし」
「何が?」
「殴らなくて済んだ」
「本当に殴る気だったのか」
「軽くだ」
「軽くでも嫌だ」
イオが少しだけ笑う。
「進もう」
リンは頷いた。
「うん」
命令の薄い廊下を進むと、やがて広い階段に出た。
階段は塔の中へ続いている。
その上から、鈴の音が聞こえた。
ちりん。
リンたちは足を止めた。
階段の先に、大きな扉がある。
扉には赤い羽根と鐘の紋。
その向こうから、強い命令の気配が流れていた。
「ここか」
カズキが言う。
「たぶん」
リンは扉を見る。
「唯命是従がいる」
シンが鉄棒を担ぎ直す。
「よし、入るか」
「待て。中の状況を――」
その時、扉の向こうから声が聞こえた。
「お待ちしておりました」
女王の声ではない。
だが、女王の声に似ている。
柔らかく、整いすぎた声。
扉がゆっくり開いた。
中は、鐘の間だった。
巨大な赤い鐘が吊るされている。
床には円形の羽根紋。
壁には無数の小さな鈴。
それらが揺れるたび、命令の線が城中へ広がっていく。
その中央に、赤い法衣の男が立っていた。
手には鈴のついた杖。
背に浮かぶ四文字。
唯命是従。
彼は静かに頭を下げた。
「私は命令を運ぶ者」
鈴が鳴る。
ちりん。
リンたちの体が重くなった。
「女王陛下の声は、私の声」
ちりん。
シンの膝がわずかに沈む。
カズキが歯を食いしばる。
ハヤテが鼻を鳴らして耐える。
イオが薬草袋を握る手を震わせる。
どんちゃんの行灯の火が、小さく揺れた。
唯命是従は微笑んだ。
「私の声は、あなたがたの選択を終わらせる」
リンは短剣を握る。
だが、腕が重い。
唯命是従が杖を掲げた。
鈴が一斉に鳴る。
「まずは、耳を整えましょう」
女王の声が、その口から響いた。
「膝をつきなさい」
命令が、鐘の間を満たした。
リンの膝が、床へ落ちかける。
その寸前。
足元の行灯が、かすかに灯った。
【後書き】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
弱肉強食を越えた一行は、次なる四天王・絶対服従の領域へ。
命令に従えば楽になる。
けれど、本当に大切なのは、自分で選ぶこと。
リンたちの旅は、少しずつ世界の核心へ近づいていきます。
感想・評価・ブックマークなどいただけると、とても励みになります。
次回も、腹ぺこ一行の旅にお付き合いください。




