28話 一進一退
【前書き】
四字熟語が真名になる世界。
臨機応変のリン、猪突猛進のシン、医食同源のイオに加え、一騎当千のカズキも旅に参加。
新章は、命令で人を縛る四天王・絶対服従との戦いです。
バトルあり、料理あり、馬あり、たまに昼行灯あり。
よろしくお願いします。
一騎当千が戻った。
夜明け道の谷には、まだその余韻が残っていた。
黒馬ハヤテの蹄が地面を踏むたび、カズキの背に浮かぶ四文字が静かに光る。
赤い羽根の印は砕けた。
朱雀女王の命令は、もうハヤテを縛れない。
「いいなあ」
シンがカズキとハヤテを見ながら唸った。
「何が?」
リンが聞く。
「馬に乗ったら攻撃が広くなる」
「一騎当千だからね」
「俺も何かに乗れば広くなるか?」
「ならないと思う」
「どんちゃんに乗るか」
「潰れるよ」
どんちゃんが眠そうに言った。
「僕は荷物向きじゃないねえ」
「じゃあリン」
「絶対やめろ」
「イオは」
「薬を盛るよ」
イオが即答した。
シンは真顔で頷く。
「やめておく」
カズキがハヤテの背から静かに言う。
「お前は乗るより走る方だろう」
「俺もそう思う」
「なら走れ」
「でも走ると、あいつに戻される」
シンの声が低くなった。
一進一退。
朱羽軍の防衛隊長。
大盾を持つ赤い重鎧の兵。
シンが一歩進めば、一歩戻す。
突っ込めば、元の位置へ押し返す。
猪突猛進のシンにとって、最悪の相手だった。
リンは谷の入口を見た。
朱羽軍は一度下がった。
だが、完全に退いたわけではない。
人馬一体は崩した。
騎馬隊の陣形も裂いた。
しかし朱雀女王の軍はまだ残っている。
そして、町はまだ命令に縛られている。
「次に来るなら、一進一退が前に出ると思う」
リンが言った。
「騎馬隊を崩されたから、今度は歩兵で押してくる」
「来い」
シンが鉄棒を握った。
「今度こそぶん殴る」
「突っ込むだけだと戻される」
「分かってる」
「本当に?」
「昨日より分かってる」
リンは少し笑った。
「じゃあ、どうする?」
シンは黙った。
考えている。
珍しく、ちゃんと考えている。
「進むと戻される。退いても、たぶん変なことされる。止まると少し弱まった」
「そうだった」
「だから、止まって、退いて、進む」
「順番だけ聞くと普通だな」
「普通じゃねえ」
シンはにやりと笑った。
「俺がやるんだぞ」
その時。
谷の外から、盾を地面に打ちつける音が響いた。
どん。
どん。
どん。
規則正しい音。
蹄ではない。
歩兵だ。
朱羽軍の歩兵隊が、夜明け道の入口に姿を現した。
赤い鎧。
赤い羽根の印。
揃った盾。
揃った槍。
その前に、一進一退が立っていた。
重い赤鎧。
大盾。
地面を削るほどの歩み。
背に浮かぶ四文字。
一進一退。
彼は盾を地面に突き立てた。
赤い線が谷の床を走る。
シンの足元まで伸びる。
「来たな」
シンが前に出た。
リンは止めない。
ただ、声をかける。
「シン」
「分かってる」
「命令に合わせるな。自分で決めろ」
「おう」
一進一退の声が響く。
「猪突猛進」
「何だ、赤い壁」
「命令なき前進は蛮勇」
「またそれか」
「命令なき後退は敗走」
「聞き飽きた」
「進退は、上が決める」
シンは鉄棒を地面に立てた。
「俺の足は、俺が決める」
一進一退の目が細くなる。
「ならば、その足を正す」
朱羽軍の歩兵が前へ出る。
盾を構え、槍を並べる。
谷の入口を塞ぐ赤い壁。
その奥で、唯命是従の鈴が鳴った。
ちりん。
女王の声が、薄く谷へ流れ込む。
「迷い子たち」
リンの体がわずかに重くなる。
だが、夜明け道ではまだ弱い。
行灯の火が足元を照らしている。
「従えば、傷つかずに済みます」
美しい声。
柔らかい命令。
「退きなさい」
シンの足が、ほんの少し後ろへ引かれた。
リンが息を呑む。
シンは歯を食いしばった。
「今のは、俺が決めた退きじゃねえ」
足を前に戻す。
一進一退の赤い線が光る。
「進めば戻す」
シンが一歩踏み出す。
その瞬間、体が後ろへ弾かれた。
元の位置。
「ぐっ」
一進一退は盾の向こうで言った。
「猪突猛進。お前の真名は前しか知らぬ。ならば、お前は私を越えられない」
「まだ一歩だろ」
シンはもう一度踏み出す。
戻される。
さらに踏み出す。
また戻される。
朱羽軍の兵たちが、盾の向こうで揃って槍を構える。
シンが苛立つ。
「うぜえ!」
「シン、無駄に突っ込むな!」
リンが叫ぶ。
「無駄かどうかは、やってみねえと分かんねえ!」
「もう分かっただろ!」
「分かった!」
「じゃあやめろ!」
「やめる!」
シンは足を止めた。
鉄棒を握ったまま、前を睨む。
一進一退の赤い線が、ほんの少し揺れた。
カズキがハヤテの上から言う。
「止まると、やはり弱まる」
「だな」
リンは足元の赤い線を見る。
どんちゃんの行灯の火が揺れるたび、線の濃淡が見える。
赤い線は、シンが進もうとする力に絡みつき、同じ分だけ戻す。
つまり、前進の力を利用している。
突っ込めば突っ込むほど、戻される。
「シン」
リンが言う。
「相手は君の前に進む力を使ってる」
「俺の力を?」
「うん。だから、力いっぱい進むほど戻される」
「じゃあ力抜けばいいのか」
「たぶん」
「力抜いたら進めねえぞ」
「進むために、まず抜く」
シンは難しい顔をした。
「分からねえ」
イオが言う。
「鍋でいうと、強火すぎて焦げてる」
「分かった」
シンが即答した。
リンが目を丸くする。
「それで分かるのか」
「鍋なら分かる」
「何でだよ」
「飯だから」
イオは少し得意そうに頷いた。
「つまり、弱火にして中まで火を通すの」
「よし」
シンは鉄棒を構え直した。
「弱火で殴る」
「殴る時点で強火だけどね」
一進一退が盾を掲げる。
「前進せよ」
朱羽軍の歩兵が一歩進む。
盾の壁が迫る。
今度はシンが押される番だった。
彼が進めなければ、朱羽軍が進む。
リンたちのいる谷の奥へ、じわじわと迫ってくる。
「シン、まず止める!」
「おう!」
シンは鉄棒を横に構え、盾の壁を受けた。
押すのではない。
受ける。
足を広げ、腰を落とし、その場に根を張るように立つ。
盾の壁がシンを押す。
赤い線が足元で光る。
一進一退が言う。
「退け」
朱雀女王の声が重なる。
「退きなさい」
シンの足が後ろへ滑りかける。
だが、彼は叫んだ。
「退く時は俺が決める!」
足を止める。
腕が震える。
額に汗が浮かぶ。
それでも、止まる。
「今だ、カズキ!」
リンが叫ぶ。
カズキとハヤテが走った。
黒い風が谷の横を抜ける。
一騎当千の広い一撃が、朱羽軍の槍だけを弾き飛ばす。
兵たちの陣形が乱れる。
しかし、一進一退が盾を打った。
どん。
赤い線が広がる。
「退けば整う。進めば戻る」
乱れた兵たちが、一歩退き、一歩進む。
隊列が元に戻っていく。
カズキが舌打ちする。
「面倒だな」
「一進一退がいる限り、陣形を立て直される」
リンは言う。
「だから、シンが突破する必要がある」
シンが笑った。
「やっぱ俺じゃねえか」
「でも、ただ突っ込むんじゃない」
「分かってる」
シンは一進一退を見た。
相手の盾。
足元の赤い線。
前進すれば戻される。
後退を命じられれば足を取られる。
なら。
「リン」
「何?」
「退くぞ」
リンは一瞬驚いた。
シンからその言葉が出るとは思わなかった。
「自分で?」
「当たり前だ」
「何のために?」
「進むために」
リンは頷いた。
「やって」
シンは大きく息を吸った。
そして、一歩下がった。
一進一退の赤い線が反応する。
だが、シンは戻されない。
女王の命令で退いたのではない。
敗走でもない。
自分で選んだ後退。
一進一退の眉が動く。
「逃げるか」
「違う」
シンはもう一歩下がった。
朱羽軍の盾が前へ出る。
谷の奥へ誘い込まれる形になる。
リンは気づいた。
「そうか」
シンは下がっている。
ただ逃げているのではない。
一進一退の赤い線を、谷の奥へ引き伸ばしている。
足元の線は伸びるほど細くなる。
どんちゃんの行灯の火で、その薄さが見えた。
「シン、そのまま!」
「おう!」
一進一退が盾を打つ。
「前進」
朱羽軍が進む。
シンは下がる。
また進む。
また下がる。
一進一退。
だが今度は、相手の形をシンが利用していた。
進むと退く。
退くと進む。
その繰り返しで、赤い線が谷の奥まで伸びていく。
リンは叫んだ。
「イオ、煙!」
「分かった!」
イオが薬草煙を作る。
どんちゃんが行灯を掲げ、風の流れを作るように歩く。
白い煙が谷の奥から入口へ向かって流れた。
朱羽軍の兵たちが咳き込む。
命令の声が乱れる。
一進一退が盾を打つ。
「乱れるな」
しかし、赤い線は伸び切っている。
命令の力が薄い。
「カズキ!」
リンが叫ぶ。
「線を裂いて!」
「了解」
カズキとハヤテが駆けた。
一騎当千の光が谷を走る。
カズキの槍が地面すれすれを薙ぐ。
赤い線が裂けた。
一進一退の力が一瞬、戻る場所を失う。
シンがその瞬間を待っていた。
「今度は」
彼は鉄棒を握り直す。
「俺が進む」
一進一退が盾を構える。
「戻す」
「戻してみろ!」
シンが踏み出した。
一歩。
戻されない。
二歩。
赤い線が絡もうとするが、裂けている。
三歩。
朱羽軍の盾が迫る。
シンは鉄棒を振りかぶった。
だが、殴りつける直前で、止まった。
一進一退の目がわずかに開く。
「何を――」
シンは一歩下がった。
自分で。
攻撃の力を一度抜く。
赤い線が空振りする。
戻すべき前進がない。
次の瞬間。
シンは地面を蹴った。
「これが!」
鉄棒が唸る。
「俺の!」
赤い盾へ叩き込まれる。
「猪突猛進だ!」
轟音。
一進一退の大盾が大きくへこんだ。
だが、砕けない。
シンの体がわずかに戻されかける。
一進一退が低く言う。
「足りぬ」
「ああ」
シンは笑った。
「一発じゃ足りねえ」
彼はまた一歩下がった。
自分で。
そして、もう一度踏み込む。
二撃目。
盾が軋む。
さらに一歩下がる。
三撃目。
赤い羽根の印が揺れる。
一進一退が初めて後ずさった。
「なぜだ」
「進むだけじゃねえからだ」
シンは肩で息をしながら言った。
「止まる。退く。進む」
鉄棒を構える。
「全部、俺が決める」
リンはその背中を見ていた。
シンが、自分で選んでいる。
前へ出るだけだった猪突猛進が、退くことも、止まることも、自分の力に変えている。
それは、リンにも刺さる光景だった。
誰かに命令されるのではない。
自分で選ぶ。
一進一退が叫んだ。
「進退は、上が決める!」
「俺の上に誰がいるんだよ!」
シンが吠える。
「飯作るイオか!?」
「私を巻き込まないで!」
「リンの指示は聞くぞ!」
「それはありがたいけど今言う!?」
「でも最後に動くのは俺だ!」
シンは鉄棒を振り上げる。
「俺の足は、俺のもんだ!」
最後の一撃。
ただの突進ではなかった。
一歩止まり。
一歩退き。
全身の力をためて。
選んで、進む。
鉄棒が一進一退の盾を叩き割った。
赤い盾が砕け散る。
一進一退の体が後方へ飛ばされ、地面に膝をついた。
朱羽軍の歩兵たちの赤い羽根が揺れる。
命令の線が途切れ、兵たちはその場で動きを止めた。
シンは鉄棒を肩に担ぎ、大きく息を吐いた。
「どうだ」
リンが駆け寄る。
「すごいよ、シン」
「だろ」
「でも怪我は?」
「ちょっとしたかすり傷だ」
イオがすぐに来た。
「見せて」
「かすり傷だって」
「見せて」
「はい」
シンは素直に腕を出した。
カズキがハヤテの上から言う。
「素直だな」
「イオは怖い」
「分かる」
イオが睨む。
「聞こえてる」
二人は黙った。
一進一退は、割れた盾を見つめていた。
信じられない、という顔だった。
「命令なき進退など……兵を滅ぼすだけだ」
リンは彼の前に立った。
「命令だけの進退も、人を壊す」
一進一退はリンを見る。
「迷いは、戦場で死を招く」
「そうかもしれない」
リンは否定しなかった。
「でも、迷わないことが正しいとは限らない」
一進一退の赤い羽根が弱く光る。
まだ朱雀女王の支配は残っている。
だが、盾は壊れた。
彼の力は揺らいでいる。
シンが横から言う。
「お前も自分で退けよ」
一進一退の目が動く。
「何?」
「負けたから退くんじゃねえ。死にたくねえなら退け。次に進むために」
その言葉は、シンらしく雑だった。
だが、まっすぐだった。
一進一退は何も言わなかった。
しかし、彼はゆっくり立ち上がり、一歩下がった。
朱雀女王の命令ではない。
自分で。
その瞬間、彼の背の赤い羽根がかすかに軋んだ。
唯命是従の鈴が遠くで鳴る。
ちりん。
「退却は許されません」
朱雀女王の声が響く。
一進一退の背の印が燃えた。
彼は苦しそうに膝をつく。
イオが走った。
「動かないで!」
薬草油を取り出し、赤い羽根の周囲へ塗る。
一進一退は驚いたように彼女を見る。
「敵を……治すのか」
「今は怪我人」
イオは短く言った。
「命令に逆らう痛みを、少しだけ抑える。完全には無理だけど」
一進一退は唇を噛んだ。
「なぜ」
イオは答えた。
「あなたに、次を選ばせるため」
リンは朱羽軍の兵たちを見る。
盾を失い、命令の線も切れた歩兵たちは、まだ混乱していた。
赤い羽根が光るたびに動こうとする。
でも、命令が乱れている。
「今なら町へ戻れる」
リンが言う。
「でも戻れば、また女王の命令を受ける」
カズキが言った。
「夜明け道へ連れてくるか」
「全員は無理だ」
リンは考える。
ここで朱羽軍を全員抱え込むことはできない。
でも、彼らを置いていけば、また命令に戻される。
正解が分からない。
また選択だ。
リンは息を吸った。
「イオ、薬はどれくらいある?」
「少しだけ。全員分はない」
「カズキ、追手は?」
「騎馬隊はまだ立て直していない。今なら少し時間がある」
「シン、動ける?」
「腹減ったけど動ける」
「どんちゃん、夜明け道の奥に隠れられる場所は?」
どんちゃんは行灯を揺らした。
「たぶんあるよ。足元の灯が多い方」
リンは頷いた。
「じゃあ、印の熱が強い人を優先して連れていく。全員は無理でも、今倒れそうな人を助ける」
シンが頷く。
「分かった」
カズキもハヤテを進める。
「運ぶなら手伝う」
イオは一進一退に薬を塗りながら言う。
「この人も連れていく」
一進一退が顔を上げる。
「私は……朱羽軍の隊長だ」
シンが言った。
「じゃあ自分で決めろ」
一進一退は、何も言えなかった。
その背の赤い羽根は、まだ燃えている。
だが、彼は小さく頷いた。
「……退く」
シンが笑う。
「いいじゃねえか」
「敗走ではない」
「分かってる」
シンは鉄棒を肩に担ぐ。
「次に進むためだろ」
一進一退は、初めてシンから目を逸らした。
「……ああ」
リンたちは動き出した。
命令の熱に苦しむ兵を数人、夜明け道の奥へ運ぶ。
ハヤテが荷を支え、カズキが誘導する。
イオが薬草油を少しずつ塗る。
シンが最後尾で朱羽軍の動きを見張る。
どんちゃんの行灯が、足元を照らす。
遠く、朱雀の塔から鐘が鳴った。
ごん。
女王の声が、冷たく響く。
「一進一退」
倒れた隊長の体が震える。
「命令なく退くことは、許されません」
イオの薬でも、痛みは完全には消せない。
一進一退は膝をつきかける。
シンがその腕を掴んだ。
「立て」
「命令が……」
「命令じゃねえ」
シンは言った。
「俺が言ってるだけだ」
「同じではないのか」
「違う」
シンは少し考えた。
「嫌なら座ってろ。でも立ちたいなら、立て」
一進一退は苦しみながら、ゆっくり立った。
自分で。
リンはその姿を見ていた。
シンの言葉は雑だ。
けれど、そこには選ぶ余地がある。
朱雀女王の命令には、それがない。
違いは、そこにある。
夜明け道の奥へ入ると、鐘の音は弱まった。
一進一退の赤い羽根も少し落ち着く。
イオが息を吐いた。
「ここなら、しばらく大丈夫」
シンはその場に座り込んだ。
「疲れた」
「怪我見る」
「飯は?」
「先に怪我」
「飯は?」
「怪我」
「はい」
カズキがハヤテの背で笑いをこらえている。
シンが睨む。
「何だよ」
「いや。お前も命令には弱いなと思って」
「イオのは命令じゃねえ」
「では何だ」
「……圧?」
「同じでは?」
「違う!」
イオがにっこり笑った。
「怪我、見せて」
「はい」
リンは少し離れ、谷の入口を見た。
一進一退は倒した。
いや、殺してはいない。
打ち破り、自分で退くことを選ばせた。
それは、朱雀女王の支配に小さな穴を開けたということだ。
カズキとハヤテは一騎を取り戻した。
シンは進むだけでなく、止まり、退くことを覚えた。
イオの薬は、命令に逆らう痛みを和らげ始めた。
少しずつ、朱雀女王の命令に抗う手段が増えている。
だが、女王本人はまだ塔の上だ。
そして、唯命是従が残っている。
女王の声を運ぶ者。
命令を複製する者。
あれを止めなければ、町の人々は自由に選べない。
どんちゃんが隣に来た。
「進んだねえ」
「下がったけどね」
「下がって進んだんだよ」
リンは少し笑った。
「シンみたいなこと言うな」
「シンが少し賢くなったのかもねえ」
「本人に言ったら喜ぶよ」
「じゃあ言わないでおこうか」
リンは谷の小さな行灯を見る。
足元だけを照らす灯。
遠くはまだ見えない。
だが、次にやるべきことは見えている。
「次は、唯命是従だ」
リンは静かに言った。
「女王の声を止める」
遠くでまた鐘が鳴る。
ごん。
赤い塔の方角から、柔らかな声が流れてくる。
「迷い子たち」
リンは顔を上げた。
「あなたたちの選択は、多くの者を苦しめます」
胸が重くなる。
救った兵たちの背の印が焼ける。
一進一退も苦しんでいる。
自分たちが逆らわせたから、彼らは痛む。
リンの選択が、誰かを苦しめている。
その事実が、胸に刺さる。
女王の声は優しく続いた。
「だから、選ばなくてよいのです」
リンは拳を握った。
その言葉は、やはり甘い。
でも。
シンが隣で、治療されながら叫んだ。
「リン!」
「何?」
「腹減った!」
「今それ?」
「飯を食うって、俺が決めた!」
イオが呆れる。
「まだ治療中」
「じゃあ治療の後に食う!」
リンは思わず笑った。
胸の重さが少しだけ軽くなる。
「うん」
リンは朱雀の塔の方を見て言った。
「僕も決めた」
次は、声を止める。
命令ではなく、選ぶために。
夜明け道の小さな灯が、また一つ揺れた。
【後書き】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
弱肉強食を越えた一行は、次なる四天王・絶対服従の領域へ。
命令に従えば楽になる。
けれど、本当に大切なのは、自分で選ぶこと。
リンたちの旅は、少しずつ世界の核心へ近づいていきます。
次回も、腹ぺこ一行の旅にお付き合いください。




