24話 赤い羽根の命令
【前書き】
四字熟語が真名になる世界。
臨機応変、猪突猛進、医食同源の三人が、今日も腹を空かせて旅をします。
バトルあり、料理あり、ちょっとした言葉の物語あり。
よろしくお願いします。
夜明け道は、地図に載っていなかった。
有明行灯の祠を守っていた老婆が教えてくれた、古い谷道。
朱雀の塔へ正面から近づかず、南の支配地へ入るための抜け道。
かつて、有明行灯が命令から逃げる者たちを導いたという道だった。
道は細い。
左右から赤茶けた岩が迫り、頭上には細い空しか見えない。
足元には古い石灯籠が点々と並んでいる。
どれも半分壊れているが、ところどころに小さな火が残っていた。
誰が灯したのか分からない。
風に消えそうで、消えない火。
リンはその火を見ながら歩いていた。
「本当にこっちで合ってるのか」
シンが前を見ながら言う。
「老婆さんの話では、この道で朱雀の塔の西側へ出られる」
「塔は見えねえぞ」
「谷の中だからな」
「じゃあ迷ったら終わりか」
「だから足元の灯を見ろってことだろ」
リンが答えると、どんちゃんが後ろから眠そうに言った。
「行灯は、遠くを照らさないからねえ」
「それ、不便じゃねえか」
シンが言う。
「遠くまで見えると、逆に怖くなることもあるよ」
「何が」
「先が長すぎるとか、道が多すぎるとか」
リンは少しだけその言葉に引っかかった。
道が多すぎる。
選択肢が多すぎる。
どれを選んでも間違えるかもしれない。
それなら、誰かが一本道を示してくれた方が楽だ。
従えばいい。
考えなくていい。
リンは首を振った。
まただ。
朱雀女王の声をまだ直接聞いてもいないのに、その思想が胸の奥に入り込んでいる。
命令に従えば迷わない。
その言葉は、リンの弱いところを正確につかんでくる。
「リン」
イオが隣へ来た。
「顔色悪いよ」
「大丈夫」
「大丈夫って言う人は、だいたい大丈夫じゃない」
「それ、誰のこと?」
「主にシン」
「俺は大丈夫だぞ」
前を歩くシンが振り返る。
イオは即答した。
「だから大丈夫じゃない」
「理不尽だ」
リンは少し笑った。
笑うと、胸の重さが少しだけ軽くなる。
「本当に平気。考え事してただけ」
「朱雀女王のこと?」
「うん」
イオは足元の灯を見る。
「命令って、怖いね」
「そうだな」
「でも、指示も命令も、言葉だけ見ると似てる」
リンは黙った。
昨日から考えていたことだった。
戦いの中で、リンは仲間へ指示を出す。
右へ。
止まれ。
避けろ。
押せ。
薬を投げて。
それは、朱雀女王の命令と何が違うのか。
相手の選択肢を奪っているのではないか。
リンはその違いを、まだうまく言葉にできなかった。
イオは続けた。
「でも、リンの指示は変えられる」
「変えられる?」
「うん。私たちが無理って言えば、リンは変えるでしょ」
リンは顔を上げた。
「それが違いなのかなって」
イオは薬草袋を抱え直す。
「朱雀女王の命令は、たぶん逆らうことを許さない。でもリンは、私たちが自分で動くことを止めない」
リンはしばらく何も言えなかった。
それは、昨日の戦いで自分が確かめようとしていたことだった。
命令ではなく、共有。
支配ではなく、選ぶための言葉。
「ありがとう」
リンが言う。
イオは少し笑った。
「まだ迷ってる顔だけどね」
「迷うよ」
「それでいいんじゃない?」
「いいのかな」
「迷わない人より、迷ってくれる人の方が、私は安心する」
その言葉が、リンの胸に残った。
迷わないことが強さではない。
迷っても選ぶこと。
それが必要なのかもしれない。
谷道を抜ける頃、空が広がった。
赤い雲。
赤い土。
そして、遠くに塔が見えた。
朱雀の塔。
天へ伸びる赤い塔。
上部には鳥の翼のような飾りがあり、朝日を受けて燃えているように見える。
塔の周囲には、町があった。
いや、町というより、整列した箱のようだった。
家々は同じ形。
道はまっすぐ。
人々は同じ間隔で歩いている。
市場らしき場所にも、声が少ない。
誰も走らない。
誰も立ち止まらない。
誰も笑わない。
シンが低く言った。
「気持ち悪い町だな」
「みんな同じ動きだ」
カズキが目を細める。
「軍馬の列みたいだ」
リンたちは町の外れに立っていた。
正面から入れば目立つ。
だが、夜明け道は町の西側の水路近くへつながっていた。
古い用水路があり、その脇に小さな祠がある。
そこにも行灯が一つだけ灯っていた。
「有明行灯の道だ」
リンが呟く。
どんちゃんが行灯の前にしゃがむ。
「まだ残ってるねえ」
「誰が火を?」
イオが聞く。
「さあ」
どんちゃんは火を見つめた。
「消したくない人がいるんじゃないかなあ」
カズキは町の方を見ていた。
視線は、人ではなく道に残る足跡へ向いている。
彼はしゃがみ込み、土を指でなぞった。
「馬が通っている」
「ハヤテか?」
シンが聞く。
カズキはすぐに答えなかった。
慎重に、いくつもの足跡を見る。
「軍馬の足跡が多すぎる。だが……」
「だが?」
「一つ、深さが違う。速度を抑えられているのに、前へ行きたがっている足跡だ」
カズキの声が少し震えた。
「右後ろ足に、癖がある」
リンたちは黙った。
カズキは顔を上げる。
「ハヤテだ」
その言葉には、確信があった。
シンが笑う。
「いたな」
「ああ」
「じゃあ探すぞ」
「ああ」
カズキは立ち上がる。
その瞬間、リンが肩を掴んだ。
「待て」
カズキの目が鋭くなる。
「近い」
「分かってる。でも、今飛び出したら捕まる」
「ハヤテは近くにいる」
「だからこそ慎重に行く」
カズキは唇を噛んだ。
手にした槍が震えている。
シンが横から言った。
「俺も飛び出したい時ある」
「いつもだろ」
リンが言う。
「でも、最近は止まれる」
シンはカズキを見る。
「止まってから突っ込んでも、遅くねえ時がある」
カズキはシンを見た。
「お前に言われるとはな」
「俺も成長してるからな」
「昨日より分かってる、か」
「そうだ」
カズキは小さく息を吐いた。
「……分かった。今は従う」
リンは一瞬、胸がざわついた。
従う。
その言葉が、ここでは重い。
カズキもすぐに気づいたのか、言い直した。
「違うな。今は、そう選ぶ」
リンは頷いた。
「ありがとう」
一行は町へ入った。
目立たないように、旅人のふりをする。
どんちゃんはいつも通り目立たない。
シンはどうしても目立つ。
大きい上に鉄棒を担いでいるからだ。
イオが小声で言う。
「シン、もう少し普通に歩いて」
「普通だ」
「威圧感がある」
「小さくなればいいのか」
「できるの?」
「無理だ」
「じゃあ静かに」
カズキは町の馬小屋の方を見ないようにしながら歩いていた。
見れば、走り出しそうになるからだろう。
リンは町の様子を観察した。
人々の背中には、赤い羽根の印がある者とない者がいた。
印のある者は、動きが揃っている。
荷物を運ぶ者。
掃除をする者。
店で物を売る者。
誰も無駄な動きをしない。
だが、顔には表情がない。
印のない者は、道の端を歩いている。
目を合わせない。
声を出さない。
まるで、自分は選ばれていない、命令される価値もないと理解させられているようだった。
イオが小声で言う。
「弱肉強食とは違うけど、同じくらい嫌」
「食われてはいない。でも、自分で動いていない」
リンは答えた。
市場に入ると、さらに異様だった。
店は並んでいる。
野菜も布も道具もある。
でも、値段交渉の声がない。
客は必要な物を決められた数だけ取り、店主は決められた言葉だけを言う。
「朱雀女王の恵みに感謝を」
「朱雀女王の命令に従います」
「朱雀女王の秩序に感謝を」
同じ言葉。
同じ声。
リンの胸が締めつけられる。
そこへ、広場の中央から鐘の音が鳴った。
ごん。
町の全員が止まった。
リンたち以外の全員が、同時に。
シンがぞっとした顔をする。
「何だよ」
塔の方から、女の声が響いた。
直接話しているわけではない。
塔に仕掛けられた何かが声を広げているのか。
美しい声だった。
澄んでいて、柔らかい。
怒鳴らない。
責めない。
ただ、静かに命じる。
「朝の配給を終えた者は、南門へ」
町人たちが一斉に動く。
「赤い印を持つ者は、巡回へ」
兵たちが動く。
「印なき者は、道を空けなさい」
印のない者たちが壁際へ下がる。
リンの足も、わずかに動きかけた。
道を空ける。
それだけなら従ってもいい。
邪魔にならないように下がるだけ。
命令というより、指示のように聞こえる。
従えば安全だ。
目立たない。
考えなくていい。
「リン」
イオの声。
小さいが、はっきりしていた。
「選んで」
リンは息を吸った。
足を止める。
下がらない。
ただし、無意味に前へ出もしない。
周囲を見て、自分たちの位置を選ぶ。
「こっち」
リンは仲間を市場の端、荷車の影へ誘導した。
「下がるんじゃない。見つかりにくい位置へ移る」
イオが頷く。
「うん」
シンは小声で言う。
「命令に従ったのと違うのか」
「違う」
リンは答えた。
「僕が選んだ」
言ってから、リン自身が少し驚いた。
言葉にすることで、足が少しだけ強くなる。
カズキが短く言った。
「それでいい」
どんちゃんは眠そうに笑った。
「足元は見えたみたいだねえ」
塔の声は続いた。
「本日、女王陛下は新たな軍馬をご覧になります」
カズキの体が硬直した。
「選ばれた黒馬は、朱雀の厩舎へ」
黒馬。
カズキの手が槍へ伸びる。
リンは止めようとした。
だが、今度はカズキが自分で止まった。
拳を握り、歯を食いしばる。
「今は、選ぶ」
カズキは低く言った。
「ここで飛び出さない」
シンが小声で言う。
「えらい」
「子ども扱いするな」
「俺は褒められると嬉しいぞ」
「そうか」
カズキは塔の方を見た。
「ハヤテは、朱雀の厩舎にいる」
「そこへ行く道を探す」
リンが言った。
「正面からは無理だ。まず町の人から話を聞こう」
「話せる人がいるか?」
イオが辺りを見る。
誰も目を合わせない。
印のある者は命令で動く。
印のない者は怯えている。
その時、どんちゃんがふらりと歩き出した。
「どんちゃん」
リンが呼ぶ。
「ちょっと行灯を見てくるよ」
「また勝手に」
「すぐそこ」
どんちゃんは市場の奥、小さな油屋へ入っていった。
そこには、行灯油が並んでいる。
店番をしているのは、背中に赤い羽根の印がない中年の女だった。
どんちゃんは行灯油を見ながら、のんびり言う。
「いい油だねえ」
女は驚いたように彼を見た。
「旅の方……?」
「うん。昼行灯だから、油は少し気になるんだ」
女の顔が変わった。
「昼行灯……?」
「そうだよ」
女は周囲を見回し、声を潜めた。
「有明様の縁者ですか」
リンたちは少し離れた場所でそれを聞いていた。
やはり。
行灯の名は、この地で何か意味を持っている。
どんちゃんは首を傾げる。
「縁者かどうかは分からないけどねえ」
「でも、行灯の名を持つ方なら」
女は店の奥をちらりと見た。
「夜明け道を通って来たのですか」
「うん」
「なら、あの道はまだ生きているのですね」
女の目に、わずかな希望が灯った。
リンは近づいた。
「すみません。僕たちは朱雀の厩舎を探しています」
女は怯えた。
「そんなことを聞いてはいけません」
「黒馬を探しています。額に白い星がある馬です」
カズキが言った。
女の目が揺れる。
「……見ました」
カズキが一歩出る。
「どこで」
「昨日の夕方、朱雀の兵に連れられていました。暴れていました。でも、赤い羽根の印を焼かれて……」
カズキの顔が強張る。
「ハヤテ……」
「厩舎は塔の東側です。ただ、正面には兵が多い。水路の裏に、古い油運びの通路があります」
「そこから入れる?」
リンが聞く。
「昔は。今は分かりません」
女はどんちゃんを見た。
「有明様は、その道で多くの人を逃がしました」
「今度は馬を逃がすんだねえ」
どんちゃんが言う。
「馬も、人も」
イオが静かに付け加えた。
女は小さく頷き、店の奥から古い油壺を持ってきた。
「これを持っていけば、油の配達人に見えるかもしれません」
シンが壺を持ち上げる。
「軽いな」
「空だからね」
「中身は?」
「入っていたら重くて動けない」
「俺は持てる」
「目立つから駄目」
リンが言う。
「シンは配達人に見えない」
「何に見える」
「壺を奪った人」
「ひどいな」
イオが壺を見ながら言った。
「油屋なら、薬草油もありますか?」
女は頷いた。
「火傷に使うものなら少し」
「赤い羽根の印に効くかもしれない」
イオの目が真剣になる。
「見せてもらえますか」
女は店の奥へ案内した。
そこには薬草を漬けた油がいくつか並んでいた。
イオは匂いを確かめる。
「冷ます草、皮膚を守る草、痛みを鈍らせる草……」
「分かるのですか」
「少し」
イオは薬草袋から自分の薬草を取り出し、油と比べる。
「これ、配合を変えたら赤い羽根の熱を少し抑えられるかもしれない」
「印を消せるのか?」
シンが聞く。
「消すのは無理。でも、命令に逆らった時の焼ける痛みを少しだけ弱められるかも」
「すごいじゃねえか」
「まだ試してない」
イオは真剣な顔で言った。
「それに、薬は使い方を間違えると危ない。痛みを消しすぎれば、逆に体が壊れても気づけない」
「難しいな」
「だから薬なの」
リンはイオを見る。
薬は毒にもなる。
昨日、イオは敵の喉を止めた。
今日は、支配された人の痛みを抑える薬を考えている。
同じ知識が、倒すためにも救うためにも使える。
イオはその境目を、自分で選ぼうとしていた。
「イオ」
「何?」
「頼りにしてる」
イオは少し驚き、それから頷いた。
「うん」
その時、外から再び鐘が鳴った。
ごん。
油屋の女が震える。
「巡回です」
赤い羽根の兵が市場を回ってくる。
リンはすぐに判断した。
「奥に隠れる」
シンが言う。
「戦わねえのか」
「今は情報が先。ここで騒げば厩舎へ近づけない」
「分かった」
カズキは不満そうだったが、頷いた。
「今は選ぶ」
リンたちは油屋の奥へ入った。
店先に、赤い羽根の兵が来る。
足音が揃っている。
「油の在庫を確認する」
兵の声。
油屋の女は震えながら答えた。
「はい。朱雀女王の秩序に感謝を」
「行灯油の供出量が少ない」
「申し訳ありません。夜道を照らすために必要で――」
「命令である」
兵の声が少し強くなる。
女の体が硬直した。
「すべての油は、朱雀女王のために使われる」
リンは奥で拳を握った。
動くべきか。
動かないべきか。
今戦えば、この女を助けられるかもしれない。
だが、厩舎への道を失うかもしれない。
兵を倒せば、町全体が警戒されるかもしれない。
また選択だ。
正解が分からない。
誰かが命じてくれたら。
その考えが浮かんで、リンは奥歯を噛んだ。
違う。
選ぶのは自分だ。
でも、一人で決める必要はない。
リンは小声で仲間に言った。
「今は動かない。油屋さんの命までは危ない状況じゃない。厩舎へ行く道を優先する」
シンが拳を握る。
「気に入らねえけど、分かった」
イオも頷く。
「あとで戻れるなら」
カズキは短く言う。
「ハヤテを先に助ける」
どんちゃんは何も言わない。
ただ、リンを見ていた。
兵は油壺をいくつか奪い、去っていった。
油屋の女はその場に座り込んだ。
リンたちは奥から出る。
「すみません」
リンが言うと、女は首を振った。
「いいのです。今出ていれば、あなたたちも捕まっていました」
「でも」
「選んだのでしょう」
その言葉に、リンは息を止めた。
女は小さく笑った。
「有明様も、いつもそうでした。全員を一度には救えない。だから、次の一歩を照らすのだと」
リンは深く頭を下げた。
「必ず戻ります」
「その時は、行灯油を取り返してください」
シンが笑う。
「任せろ」
「壊さずに」
リンが付け加える。
「できるだけな」
「そこは断言してくれ」
油屋の女は、古い通路の入口を教えてくれた。
店の裏。
水路の脇。
石の蓋で隠された細い道。
昔、油壺を朱雀の塔へ運ぶために使われていた通路らしい。
今はほとんど使われていない。
行けば、塔の東側、朱雀の厩舎近くへ出る。
カズキの表情が引き締まった。
「行く」
リンは頷く。
「行こう。ただし、見つけたらすぐ奪還じゃない。まず確認する」
「分かっている」
「本当に?」
「自分で選んでいる」
リンは少し笑った。
「なら大丈夫だ」
通路へ入る前に、イオが油屋から受け取った薬草油を小瓶に移した。
彼女の顔は真剣だった。
「これが効けば、赤い羽根の痛みを少し抑えられるかもしれない」
「馬にも使えるか?」
カズキが聞く。
「試したことはない。でも、皮膚の熱を冷ますだけなら可能性はある」
「ハヤテに使ってくれ」
「もちろん」
イオは頷いた。
どんちゃんが通路の入口を覗き込む。
「暗いねえ」
「行灯が必要か?」
シンが言う。
「僕がいるからねえ」
「役に立つのか?」
「たぶん」
カズキがどんちゃんを見た。
「昼行灯は、暗い道も照らせるのか」
「昼行灯だから、明るい場所では役に立たないかもねえ」
「ここは暗い」
「じゃあ、少しくらいは」
どんちゃんはそう言って、通路へ入った。
不思議なことに、彼の背中の昼行灯が、ほんの淡く光った気がした。
強い光ではない。
足元だけを照らすような、頼りない光。
リンはそれを見た。
行灯の一族。
そう思えば、どんちゃんの不思議さは説明できる。
今は、それでいい。
そう思うことにした。
細い通路を進む。
上では、朱雀の町が静かに命令で動いている。
下では、リンたちが自分で選んだ道を進んでいる。
やがて、通路の先から馬の匂いがした。
カズキの足が止まる。
その目が変わった。
「いる」
声が震えていた。
「ハヤテがいる」
通路の出口の向こう。
赤い光が揺れている。
朱雀の厩舎。
そこには、赤い羽根の印を刻まれた軍馬たちが並んでいた。
そして、その奥。
黒い馬が一頭。
額に白い星。
美しい体。
だが、その背には赤い羽根の焼き印が光っていた。
カズキが息を呑む。
「ハヤテ……」
黒馬が、ゆっくり顔を上げた。
その瞳が、カズキを捉えた。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、懐かしい光が戻った。
だが、次の瞬間。
塔の鐘が鳴った。
ごん。
赤い羽根の印が燃えるように光る。
ハヤテの目から、光が消えた。
厩舎の奥に、美しい女の声が響いた。
「その馬に近づいてはなりません」
リンたちは凍りついた。
声だけなのに、空気が支配される。
「それは、私のものです」
カズキの手が槍を握る。
震えていた。
怒りで。
恐怖で。
そして、悲しみで。
「違う」
カズキが低く言った。
「あいつは、誰のものでもない」
赤い光の向こうで、黒馬ハヤテが一歩踏み出した。
カズキへ向かって。
しかし、その動きは再会の歩みではなかった。
命令された軍馬の動きだった。
リンは息を吸った。
朱雀女王の声。
赤い羽根の命令。
選ぶことを奪われた相棒。
そして、自分で選ばなければならない次の一手。
「カズキ」
リンは言った。
「まだ飛び出すな」
カズキは歯を食いしばる。
「分かっている」
その声は、今にも壊れそうだった。
「でも、選ぶ」
ハヤテの蹄が、赤い床を打つ。
朱雀の厩舎で、再会は戦いとして始まろうとしていた。
【後書き】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
リンは考え、シンは突っ込み、イオは鍋を握る。
そんな三人の旅を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
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