23話 行灯の一族
【前書き】
四字熟語が真名になる世界。
臨機応変、猪突猛進、医食同源の三人が、今日も腹を空かせて旅をします。
バトルあり、料理あり、ちょっとした言葉の物語あり。
よろしくお願いします。
南へ向かう道は、進むほど赤くなっていった。
土の色が変わる。
草の背が低くなる。
遠くの雲は、朝でも夕方のように薄く赤い。
空気には、焦げた羽根のような匂いが混ざっていた。
リンは地図を見ながら歩いていた。
石門町から南へ二日。
弱肉強食の城を抜けた後の疲労は、まだ全員の体に残っている。
シンは怪我をしているのに、やはり先頭を歩きたがる。
イオはそれを見張りながら薬草袋を抱えている。
カズキは黙って歩き、時々道に残った蹄の跡を見ていた。
どんちゃんは、相変わらず最後尾あたりをふらふら歩いている。
遅い。
明らかに遅い。
なのに、なぜか置いていかれない。
カズキは、それが気になっていた。
「お前」
カズキがどんちゃんへ声をかける。
「何かな」
「歩くのが遅い」
「そうだねえ」
「なのに遅れない」
「不思議だねえ」
「自分のことだろう」
「そうなんだけどねえ」
カズキは眉をひそめる。
警戒ではない。
敵だと思っているわけでもない。
ただ、理解できない。
カズキにとって、進むとは駆けることだった。
ハヤテと共に風を切り、道を踏み、敵を抜くこと。
速さには意味がある。
歩幅には意味がある。
足跡にも、呼吸にも、重心にも意味がある。
だが、どんちゃんにはそれがない。
速くもない。
力強くもない。
目立たない。
それでいて、必要な時にはそこにいる。
「走らないのか」
カズキが聞く。
「疲れるからねえ」
「なのに、なぜ道に困らない」
「道が待ってくれるのかもねえ」
「意味が分からない」
「僕も、馬の気持ちは分からないからねえ」
「ハヤテは分かりやすい」
「君にはね」
どんちゃんは眠そうに笑った。
カズキはしばらくその顔を見ていた。
「俺は、ハヤテがいなければ一騎になれない」
「うん」
「お前は、誰とも組んでいないのに、なぜ孤立して見えない」
リンはその言葉に、思わず振り返った。
どんちゃんも少しだけ目を開ける。
いつもの眠そうな顔の奥で、何かが揺れた気がした。
「一人に見えるだけかもねえ」
「誰かいるのか」
「どうだろう」
「またそれか」
「昼行灯だからねえ」
カズキは納得していない顔をした。
だが、それ以上は聞かなかった。
シンが後ろから言う。
「カズキ、どんちゃんは考えても分かんねえぞ」
「なぜだ」
「俺も分かんねえから」
「それは理由にならない」
「でも本当だ」
リンは苦笑した。
「分からないものを分からないまま置いておくのも、旅では必要かもな」
シンが不思議そうに言う。
「リンらしくねえな」
「そうか?」
「お前、いつも考えるだろ」
「考えても分からないことはある」
リンはどんちゃんを見る。
昼行灯。
三文字の真名。
有明行灯を知っているような口ぶり。
弱肉強食に食われなかった男。
考えれば考えるほど、分からない。
ただ、今はもう一つ気になることがある。
行灯。
有明行灯。
昼行灯。
この世界で、四文字ではない名を持つ者は何なのか。
昼前。
一行は、小さな村に着いた。
村というより、街道沿いの休み場に近い。
家は十数軒。
中央には古い祠がある。
祠の前には、いくつもの行灯が並べられていた。
昼間なのに、火が入っている。
薄い光が、赤い風に揺れていた。
シンが首を傾げる。
「昼なのに行灯つけてるぞ」
どんちゃんがのんびり言う。
「僕の仲間かなあ」
「お前の仲間ってことは役に立たねえのか」
「ひどいねえ」
イオが祠の前にしゃがむ。
「でも、きれい」
行灯の紙には、細い字で何かが書かれていた。
リンはその一つを読む。
「有明行灯」
カズキが反応する。
「弱肉強食の腹にあった真名か」
「ああ」
リンは祠を見上げる。
「ここは、有明行灯を祀っているのかもしれない」
祠の奥から、老婆が出てきた。
背中には四文字。
温故知新。
古いものから新しい知恵を見出す真名。
老婆はリンたちを見ると、静かに頭を下げた。
「旅の方かね」
「はい。南へ向かっています」
リンは答えた。
「この祠は、有明行灯のものですか」
老婆の目が少し細くなる。
「知っておるのかね」
「弱肉強食に食われていた真名の中にありました」
その瞬間、老婆は深く息を吐いた。
「そうか。あの方も、食われておったか」
「あの方?」
「昔、この道を照らした旅人じゃ」
老婆は祠の行灯へ火を足した。
「有明行灯。夜明け前、もっとも道を見失いやすい時に、人を導く真名だった」
イオが静かに聞く。
「戦う人だったんですか」
「いや。強いとは言えぬ」
老婆は首を振る。
「剣も振るわず、獣も倒せぬ。だが、霧の夜も、雨の山道も、あの人の灯があれば迷わなかった」
リンはどんちゃんを見る。
どんちゃんは行灯の火を見ている。
表情は読めない。
「行灯の真名は、特別なんですか」
リンが尋ねた。
老婆は頷いた。
「特別というほど派手ではない。むしろ逆じゃ。行灯の名を持つ者は、弱い。目立たぬ。役に立たぬと言われることもある」
シンがどんちゃんを見る。
「当たってるな」
「ひどいねえ」
老婆は続ける。
「しかし、暗がりにおいては違う。行灯は、すべてを明るくするものではない。足元だけを照らす。迷う者に、次の一歩を見せる」
リンの胸に、その言葉が残った。
次の一歩。
すべてではなく、足元だけ。
「行灯の名を持つ者は、真名の光に敏いとも言われる」
「真名の光?」
「消えかけた真名、食われかけた真名、隠れた真名。そういうものに気づくことがある」
カズキがどんちゃんを見た。
「だから弱肉強食の腹にある行灯を知っていたのか」
どんちゃんは首を傾げる。
「そうかもねえ」
リンは眉をひそめる。
「昼行灯も、そういう力があるのか?」
「昼行灯はのう」
老婆は少し笑った。
「役に立たぬ灯、という意味にも聞こえる」
「やっぱり」
シンが言う。
どんちゃんは眠そうに頷いた。
「やっぱりだねえ」
「だが、別の見方もある」
老婆は行灯の火を見つめる。
「明るい昼にも消えずに残る灯。人が必要ないと思う時にも、そこにある灯。そう考える者もいる」
リンは黙った。
どんちゃんがただ者ではないのは、もしかしたら行灯の真名だからなのか。
有明行灯がそうだったように。
昼行灯も、弱いが特殊な真名なのか。
そう考えると、少しだけ納得できる。
納得できてしまう。
それが、リンには逆に引っかかった。
けれど、今はそれ以上の答えは出ない。
老婆は祠の前に座り、さらに話を続けた。
「有明行灯は、朱雀女王の領へ向かう者を何人も導いた。命令に縛られた者の背を照らし、逃げ道を示したこともある」
「絶対服従と戦っていたんですか」
イオが尋ねる。
「戦ったというより、逃がしたのじゃ」
老婆の声が少し沈む。
「朱雀女王は、逆らう者を許さぬ。命令を聞かぬ者は焼かれる。だが、有明行灯の灯は、命令の届かぬ夜明け前の道を知っていた」
「命令の届かない道……」
リンが呟く。
「今もあるんですか」
「あるかもしれぬ。だが、今は赤い羽根の見張りが多い」
老婆はリンを見る。
「南へ行くなら、気をつけなされ。朱雀女王の言葉は、刃より柔らかく、鎖より強い」
リンの胸がまたざわついた。
「柔らかい?」
「あの女王は、怒鳴らぬ。脅さぬ。美しく命じる」
老婆は低く言った。
「従いなさい。そうすれば迷わずに済む、と」
リンは言葉を失った。
それは、聞きたくない言葉だった。
シンが横から言う。
「迷ったら飯食って寝ればいいだろ」
「あなたはそれでいいかもしれないけど」
イオが言う。
「でも、命令に従うだけなら楽っていうのは……少し分かる気がする」
リンは思わずイオを見た。
イオは静かに続ける。
「怪我人がたくさんいる時、誰を先に診るか選ぶのは苦しい。誰かが決めてくれたら楽かもしれない。でも、それで見捨てられる人が出るなら、やっぱり自分で見なきゃいけない」
リンは頷いた。
自分で選ぶ。
それは、いつも正しいとは限らない。
間違えるかもしれない。
誰かを救えないかもしれない。
でも、選ばないことを選んだら。
命令に従うだけになったら。
自分は何者になるのか。
臨機応変。
状況に応じて変わる真名。
だが、それは誰かの命令に合わせるための力ではないはずだ。
そう思いたい。
しかし、胸の奥で別の声がする。
従えば楽だ。
選ばなくていい。
間違えなくていい。
リンは拳を握った。
「リン?」
イオが声をかける。
「大丈夫」
「本当に?」
「うん」
シンがリンの顔を覗き込む。
「腹減ったのか」
「違う」
「じゃあ水か」
「違う」
「じゃあ何だ」
「考え事」
「飯食え」
「結局そこか」
老婆が小さく笑った。
「よい仲間じゃな」
リンは苦笑する。
「はい。うるさいですけど」
「聞こえてるぞ」
シンが言う。
「言ったからな」
その時、村の外から鐘の音が響いた。
ごん。
低い音。
全員が振り返る。
老婆の顔色が変わった。
「赤い羽根じゃ」
村人たちが慌てて家の中へ隠れ始める。
祠の行灯の火が揺れる。
リンはすぐに立ち上がった。
「どのくらい来ますか」
「いつもは二、三人。だが、今日は……」
老婆の言葉の途中で、村の入口に赤い影が見えた。
朱雀兵。
背中に赤い羽根の焼き印を持つ兵たちが、六人。
その後ろに、小さな荷車がある。
荷車には、村から集めたらしい薬草や食料が積まれていた。
先頭の兵が声を上げる。
「朱雀女王の命令である」
村人たちが震える。
「この村の薬草、食料、行灯油を供出せよ」
老婆が杖をついて前へ出る。
「薬草は病人のために必要です」
「命令である」
「行灯油も、夜道のために――」
「命令である」
兵の声には感情がない。
背中の赤い羽根が光っている。
リンは前に出た。
「それを持っていかれたら、村の人が困ります」
兵はリンを見る。
「旅人には関係ない」
「関係あります」
「ならば命令する。退け」
赤い羽根が強く光った。
その瞬間、リンの足が止まった。
「え?」
体が、動かない。
印を押されていないはずなのに。
完全に縛られたわけではない。
だが、命令の声が耳から入り、体の芯を掴んだような感覚があった。
退け。
ただ、それだけ。
従えばいい。
退けば楽だ。
戦わなくていい。
村の事情に踏み込まなくていい。
自分が決めなくていい。
「リン!」
シンの声で、リンは息を吸った。
足が動く。
リンは一歩、前に出た。
「退きません」
兵の目がわずかに動く。
「命令に逆らうか」
「命令される理由がない」
リンは言った。
だが、声は少し震えていた。
自分でも分かった。
シンが前に出る。
「つまり戦うんだな」
「待て、殺さない」
「分かってる」
「本当に?」
「昨日より分かってる」
「信じるぞ」
カズキも槍を構える。
「赤い羽根を持つ兵は、命令で動く。武器を落とす」
「馬はいないぞ」
シンが言う。
「知っている」
「乗るか?」
「乗らない」
「早いな」
イオは薬草袋を握った。
昨日の斥候との戦いで、彼女も分かっていた。
これからは、治療だけでは足りない。
敵は、怪我人を作る。
命令で人を動かす。
動かされる人も、被害者かもしれない。
殺さず止める術が必要だった。
兵たちが一斉に武器を構える。
赤い羽根が光る。
「抵抗者を拘束せよ」
鐘の音が、もう一度響く。
ごん。
兵たちが動いた。
シンが正面で受ける。
カズキが横から槍で武器を払う。
リンは村人を下がらせながら、兵たちの動きを見る。
揃いすぎている。
命令で統一された動き。
迷いがない。
だから速い。
だが、迷いがない分、変化にも弱い。
「シン、右の兵を押しすぎるな! 後ろの荷車に当たる!」
「おう!」
「カズキ、左の槍を落として!」
「分かった!」
リンは指示を出す。
出しながら、胸の奥が重くなる。
指示。
命令。
何が違う。
自分が今やっていることは、兵たちを縛る朱雀の命令と何が違うのか。
仲間は、自分の指示に従って動いている。
リンは一瞬、声を詰まらせた。
その隙に、兵の一人が老婆へ向かう。
「リン!」
イオが叫ぶ。
リンは動こうとした。
だが、兵の命令の声が重なる。
「止まれ」
また、体が重くなる。
ほんの一瞬。
でも、戦場では十分すぎる。
老婆へ兵の手が伸びる。
イオが動いた。
「させない!」
彼女は薬草袋から粉を掴み、兵の足元へ投げた。
白い粉が舞う。
兵が咳き込んだ。
「ごほっ……!」
赤い羽根の光が少し乱れる。
兵の動きが止まった。
イオは老婆を引き寄せる。
「こっちへ!」
リンは目を見開いた。
「イオ、それは?」
「咳止めに使う薬草」
「咳止め?」
「濃く吸うと、逆に喉が刺激される」
イオの手は少し震えていた。
それでも、目は逸らさない。
「薬は、量を間違えれば毒になる」
兵が苦しそうに膝をつく。
イオはすぐに言った。
「死にはしない。でも、しばらく命令の声は出せない」
シンが笑う。
「すげえ!」
「喜ばないで。こんな使い方、本当は好きじゃない」
イオは薬草袋を握る。
「でも、誰かを傷つけさせないためなら、倒す薬も使う」
リンは頷いた。
イオも、自分の戦い方を選ぼうとしている。
治すだけではなく。
殺すためでもなく。
止めるために。
「イオ、その粉を少し借りてもいい?」
「どうするの」
「命令の声を止める」
リンは周囲を見た。
風は村の入口から祠の方へ流れている。
兵たちは入口側に固まっている。
なら、粉を風上から流せばいい。
「シン、兵を入口側へ寄せる!」
「どうやって!」
「押す! でも倒しすぎない!」
「難しいけど分かった!」
「カズキ、抜けようとする兵を止めて!」
「了解」
リンは一瞬だけ息を止めた。
これは命令か。
いや、違う。
リンは自分の中で答えを探す。
仲間を縛るためではない。
選択肢を奪うためではない。
今見えている状況を伝えて、同じ目的のために動いてもらう。
でも、その違いを忘れたら、自分も朱雀女王と同じになる。
リンは声を出した。
「無理なら言って! 僕が変える!」
シンが振り返らずに笑う。
「無理なら勝手に変える!」
カズキも短く言った。
「同じく」
イオが続ける。
「私も、自分で動く」
リンの胸が少し軽くなった。
そうだ。
彼らは命令されて動いているわけではない。
自分で選んで、ここにいる。
「頼む!」
リンが叫ぶ。
シンが鉄棒を大きく振り、兵たちの盾をまとめて押した。
兵たちは入口側へ下がる。
カズキが槍で足元を払い、抜けようとする兵の動きを止める。
リンはイオから受け取った薬草粉を、風上へ投げた。
粉が赤い風に乗る。
兵たちが一斉に咳き込んだ。
命令の声が途切れる。
赤い羽根の光が乱れる。
その隙に、シンとカズキが武器を弾き飛ばした。
リンは倒れた兵たちの手足を布で縛る。
「きつくしすぎないで!」
イオが言う。
「分かってる!」
「血が止まると危ない!」
「分かってる!」
「本当に?」
「昨日より分かってる!」
シンが横から言う。
「それ俺のだぞ」
「便利だから借りた!」
最後の兵が膝をついた。
赤い羽根はまだ光っているが、弱い。
イオはすぐに喉の薬草を薄めた水を飲ませた。
「ゆっくり。息して」
兵は苦しそうに咳をしながら、目を開けた。
「命令……が……」
「今は喋らないで」
「女王……に……従わねば……」
その声には恐怖があった。
忠誠ではない。
逆らえば焼けるという恐怖。
リンはその背中の赤い羽根を見た。
印は皮膚の奥で光っている。
ただの焼き印ではない。
真名に絡みつく命令の印。
「消せる?」
リンがイオに聞く。
イオは首を振った。
「今は無理。熱を弱めるくらいしかできない」
「それでも十分です」
老婆が頭を下げる。
「助かりました」
「薬草と油は隠した方がいい」
リンが言う。
「また来るかもしれない」
「分かっております」
老婆は倒れた兵たちを見た。
「この者らは?」
「命令で動かされている可能性が高い。しばらく動けないようにして、でも傷は悪化させないでください」
イオが薬草布を渡す。
「熱が上がったら、これを水で湿らせて背中の印の周りに。当てすぎると皮膚が傷むので、少しずつ」
「ありがとう」
老婆は薬草布を受け取った。
戦いが終わると、村人たちは少しずつ家から出てきた。
子どもが行灯の火を守るように手をかざしている。
シンはそれを見て、どんちゃんに言った。
「行灯って、思ったより大事なんだな」
「そうだねえ」
「お前も大事なのか?」
「どうかなあ」
「自分で言えよ」
「自分で言うと嘘っぽいからねえ」
カズキが静かに言う。
「有明行灯は道を照らした。昼行灯は何を照らす」
どんちゃんは少しだけ考えた。
「昼間は明るいからねえ」
「だから役に立たない?」
「そうかもねえ」
「だが、明るい時ほど見えないものもある」
カズキの言葉に、どんちゃんが彼を見る。
カズキは続けた。
「馬の足跡は、暗い方が見やすい時もある。強い光だと、影が消える」
どんちゃんは、ほんの少しだけ笑った。
「君は、馬の話だと急に詩人だねえ」
「馬の話ではない」
「そうかなあ」
リンは二人のやり取りを聞きながら、行灯の火を見ていた。
どんちゃんへの疑問は、少しだけ別の形になった。
昼行灯が特別なのか。
行灯の真名が特別なのか。
それとも、もっと別の何かなのか。
まだ分からない。
だが、今は朱雀女王の方が近い。
夕方。
老婆がリンたちに古い道を教えてくれた。
「朱雀の塔へ正面から行けば、赤い羽根の兵に見つかる。だが、有明行灯が昔使った夜明け道がある」
「夜明け道?」
リンが聞く。
「命令の鐘が届きにくい谷道じゃ。今も通れるかは分からぬが、行く価値はある」
「ありがとうございます」
老婆はリンを見た。
「若い臨機応変よ」
「はい」
「絶対服従の前では、選ぶことを恐れてはならぬ」
リンは息を止める。
「命令に従う者は、間違えずに済む。だが、間違えぬ者が正しいとは限らぬ」
老婆の言葉は、静かに胸へ刺さった。
リンは深く頭を下げた。
「覚えておきます」
村を出る頃、空は赤紫に染まっていた。
行灯の火が背後で揺れている。
有明行灯の祠。
昼行灯のどんちゃん。
朱雀女王の命令。
リンの中で、それぞれの言葉が絡み合っていた。
道を選ぶ。
指示を出す。
命令する。
従う。
似ているようで、違うもの。
その違いを見失えば、自分はきっと朱雀女王に負ける。
シンが横を歩きながら言った。
「リン」
「何?」
「さっき、ちょっと止まったな」
リンは驚いた。
「見てたのか」
「見てた」
「命令の声が、少し効いた」
「印がないのにか」
「たぶん、僕が迷ったからだ」
シンは少し考えた。
「じゃあ迷うな」
「簡単に言うな」
「難しいことは分かんねえけどよ」
シンは鉄棒を肩に担ぎ直した。
「命令されたら、俺が殴って起こす」
「それは助かるような、助からないような」
「痛いぞ」
「できれば声で頼む」
「じゃあ声で駄目なら殴る」
「妥協点が低い」
イオが後ろから言う。
「リンが迷ったら、私も言うよ」
「何を?」
「自分で選んで、って」
カズキも言った。
「俺は命令に従わない。ハヤテもそうだった」
「馬も?」
「あいつは俺の命令で走っていたわけじゃない。互いに選んで走っていた」
リンはその言葉を聞いて、少しだけ笑った。
「そっか」
どんちゃんが最後に言う。
「迷ったら、足元を見ればいいよ」
「行灯みたいに?」
「うん」
リンは前を向いた。
南の空に、遠く塔の影が見えた気がした。
赤い羽根の命令が届く場所。
朱雀女王の領域。
そこへ向かう道は、夜明け道と呼ばれている。
足元を照らす小さな灯を頼りに、リンたちは進んでいく。
命令されるためではない。
自分で選ぶために。
【後書き】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
リンは考え、シンは突っ込み、イオは鍋を握る。
そんな三人の旅を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
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