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臨機応変の俺と猪突猛進の親友、医食同源の少女と世界を旅する ~四字熟語を背負う者たちの腹ぺこ放浪記~  作者: 凡夫 成


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21/47

21話 石門に残る花道

【前書き】


四字熟語が真名になる世界。


臨機応変、猪突猛進、医食同源の三人が、今日も腹を空かせて旅をします。


バトルあり、料理あり、ちょっとした言葉の物語あり。


よろしくお願いします。


 石門町の朝は、煙ではなく湯気から始まった。


 広場の真ん中に置かれた大鍋から、白い湯気が立っている。


 昨日までは、焦げた柱と崩れた家の匂いが町を覆っていた。


 だが今は、粥の匂いが混ざっていた。


 米。


 豆。


 干し餅。


 少しの塩。


 そして、イオが刻んだ薬草。


 豪華な食事ではない。


 それでも、町の人々は器を両手で持ち、ゆっくり食べていた。


「熱いから、少し冷まして」


 イオが子どもに声をかける。


「うん」


「一気に食べないでね。お腹がびっくりするから」


「お腹ってびっくりするの?」


「するよ」


 シンが横から言った。


「俺の腹はいつもびっくりしてる」


「あなたのは別」


 イオが即答する。


「何でだ」


「量が違う」


「そうか」


 シンは納得したように頷いた。


 リンはその様子を見ながら、壊れた家の前で木材を運んでいた。


 弱肉強食の城は消えた。


 白首山の中腹にあった白い城は、昨夜のうちに崩れ、山の岩肌へ戻った。


 だが、町の傷は残っている。


 門は壊れたまま。


 食料庫は空。


 家々は崩れ、井戸の周りも割れている。


 連れ去られた者たちは戻ったが、全員がすぐに動けるわけではない。


 真名を食われかけた者たちは、体も心も消耗していた。


 だから、町には手が必要だった。


「リン、これどこだ!」


 シンが大きな柱を担いで叫ぶ。


「それはこっち!」


「こっちってどっちだ!」


「僕が手を振ってる方!」


「見えねえ!」


「柱で視界を塞いでるからだ!」


 シンは柱を少しずらした。


「あ、いた」


「ゆっくり置けよ」


「分かってる」


 シンは柱を地面に置こうとして、一瞬止まった。


 リンは驚いた。


 以前なら、そのままどんと落としていただろう。


 だが今のシンは、下に人がいないか、他の木材を潰さないか確認している。


 そして、ゆっくり置いた。


「どうだ」


「いい」


「昨日より分かってる」


「その言葉、便利すぎるけど、今日は認める」


 シンは少し得意そうに笑った。


 その向こうでは、ムソウが一座の者たちと瓦礫を片付けていた。


 天下無双の男が、袖をまくり、木片を抱えて運んでいる。


 派手な羽織は脱いでいるが、それでも目立つ。


 なにしろ、作業中でも動きが芝居じみていた。


「その梁、こちらへ!」


「承知!」


 裏方が声を上げる。


 ムソウは大きな梁を抱え、くるりと回って置いた。


「なぜ回る」


 リンが呟く。


 近くにいた役者が答える。


「ムソウ様なので」


「説明になってるようで、なってない」


 ミツは子どもたちに粥を配っていた。


 まだ手首に布を巻いている。


 けれど、顔色は昨日よりずっといい。


「はい、次の人」


「ありがとう」


「ゆっくり食べてね」


 ミツの後ろでは、一座の楽師が笛を吹いていた。


 明るい曲ではない。


 静かな、朝の曲。


 泣いていた子どもが、その音に耳を傾けている。


 食べる人。


 運ぶ人。


 手当てする人。


 泣く人。


 笑おうとする人。


 壊れた町の真ん中で、それぞれが少しずつ動いていた。


 リンは思った。


 これが、弱肉強食への本当の勝利なのかもしれない。


 食われなかった者たちが、また食べている。


 捨てられたはずの命が、まだ立ち上がろうとしている。


 昼前。


 広場の端で、城から救出された者たちの確認が行われた。


 町の名簿と照らし合わせ、誰が戻り、誰がまだ見つからないのかを調べる。


 イオはその中で、怪我の重い者を順番に診ていた。


「次の方、来てください」


 やってきたのは、黒髪の若い男だった。


 歳はリンより少し上に見える。


 背は高いが、体は痩せている。


 長い槍を杖のように持ち、歩き方に少しふらつきがある。


 だが、目は鋭かった。


 背中には、薄くなった四文字が浮かんでいる。


 一騎当千。


 リンはその真名を見て、すぐに思い出した。


 弱肉強食の城の檻に閉じ込められていた者の一人。


 白虎の腹にも、その真名は浮かんでいた。


 イオが椅子を指す。


「座ってください」


「立ったままでいい」


「座ってください」


「俺は――」


「座ってください」


 イオの声が少し強くなる。


 男は一瞬黙り、素直に座った。


 シンが小声でリンに言う。


「イオ、強いな」


「ある意味、最強だな」


 イオは男の腕と脈を確認する。


「名前は?」


「カズキ」


「真名は一騎当千ですね」


「ああ」


「かなり消耗してます。しばらく激しい運動は控えて」


「無理だ」


「無理じゃありません」


「探すものがある」


 イオの手が止まる。


 リンも近づいた。


「探すもの?」


 カズキは顔を上げた。


「馬だ」


 シンが反応する。


「馬?」


「ああ」


 カズキは短く答える。


「俺の相棒だ」


 ムソウも作業を止め、こちらを見た。


「一騎当千の馬か」


 カズキの目がわずかに動いた。


「知っているのか」


「真名の理としてな」


 ムソウはゆっくり歩いてきた。


「一騎当千。一騎にして千に当たる。だが、そなたの場合は、一人で一騎ではないのだろう」


 カズキは少し黙った。


 それから答える。


「俺と馬で、一騎だ」


 その言葉には、誇りがあった。


 同時に、痛みもあった。


「愛馬の名は?」


 リンが尋ねる。


「ハヤテ」


「弱肉強食に?」


「襲われた時、俺は町の外にいた。ハヤテと一緒に、山道を巡回していた」


 カズキは槍を握る。


「白い虎が出た。勝てなかった。俺は落馬した。ハヤテは逃げた」


「逃がしたのか?」


 シンが聞いた。


 カズキはシンを見た。


「逃げろと言った」


「じゃあ生きてるかもしれねえな」


 シンは迷いなく言った。


 カズキの表情が少しだけ揺れる。


「分からない」


「でも逃げたんだろ」


「ああ」


「なら探せばいい」


 あまりに単純な言葉だった。


 けれど、カズキはすぐに返せなかった。


 イオが静かに包帯を巻き直す。


「ハヤテって、どんな馬ですか?」


 その問いに、カズキの顔が初めて少し変わった。


「黒馬だ。額に白い星がある。脚が速い。ただ速いだけじゃない。こちらの呼吸を読む。山道でも足を踏み外さない。俺が槍を振るう瞬間、半歩だけ速度を落とす。敵を抜く時は、左へ寄せる癖がある」


「急に喋るな」


 シンが言う。


 カズキは少し気まずそうに口を閉じた。


「……良い馬なんだな」


 リンが言う。


「良い馬だ」


 カズキは即答した。


「俺の一騎だ」


 その言葉で、リンは理解した。


 カズキは馬を失っただけではない。


 自分の真名の半分を失ったようなものなのだ。


 一騎当千。


 けれど、今の彼には一騎が足りない。


「ハヤテの行方に心当たりは?」


 リンが聞く。


「ない」


 カズキは悔しそうに答えた。


「城にはいなかった。町にも戻っていない。山に逃げたか、誰かに捕まったか」


「南へ向かった馬を見たって話なら」


 近くで聞いていた旅商人が口を挟んだ。


 リンたちが一斉に振り向く。


 その商人は、昨日、山に城ができたと教えてくれた男だった。


「何か知ってるのか?」


 カズキが立ち上がろうとする。


 イオが肩を押さえた。


「座って」


「だが」


「座って聞いて」


「……分かった」


 商人は少し怯えながら続ける。


「昨日、石門町へ来る途中で聞いたんだ。南の街道で、軍馬の列を見たって」


「軍馬?」


 リンが聞く。


「ああ。赤い羽根の印をつけた馬たちだ。乗っていた兵も、みんな同じ赤い印を背負っていたらしい」


 ムソウの顔が険しくなる。


「赤い羽根」


 リンもすぐに嫌な予感を覚えた。


 弱肉強食が白虎なら。


 次の四天王が、もし南にいるなら。


「朱雀か」


 ムソウが低く言った。


 カズキの目が鋭くなる。


「その軍馬の中に、黒馬は?」


「そこまでは知らない。ただ、聞いた話では、かなり見事な黒馬が一頭いたらしい。額に白い星があると」


 カズキが息を止めた。


 イオの手も止まる。


 シンが言った。


「ハヤテだな」


 カズキは立ち上がった。


 今度はイオが止めるより早かった。


「行く」


「待て」


 リンが言う。


「まだ体が戻ってない」


「ハヤテがいるかもしれない」


「分かってる。でも、一人で行くのは無茶だ」


「俺の馬だ」


 カズキの声が強くなる。


「俺が行く」


 シンが立ち上がった。


「じゃあ俺たちも行く」


 カズキはシンを見た。


「なぜだ」


「俺たちも南へ行くからな」


「決まってたのか?」


 シンはリンを見た。


「決まってるよな?」


 リンは少しだけため息をついた。


「たぶん、そうなるとは思ってた」


「ほら」


「ほらじゃない」


 イオも静かに言った。


「赤い羽根の印。もしそれが真名を縛るものなら、放っておけない」


 ムソウは腕を組んだ。


「絶対服従」


 その四文字を口にした瞬間、広場の空気が重くなった。


 町人の一人が震える声で言った。


「聞いたことがあります。南の朱雀女王……逆らう者の背中に、赤い羽根が焼きつくって」


「命令に逆らうと?」


 リンが問う。


「体が焼ける、と」


 イオの顔が険しくなる。


「ひどい」


 リンは考えた。


 弱肉強食は、強い者を食い、弱い者を捨てる敵だった。


 絶対服従は、おそらく違う。


 食わない。


 捨てない。


 従わせる。


 選ぶことを奪う。


 それは、リンにとって嫌な予感がする敵だった。


 臨機応変。


 状況に応じて動く力。


 だが、命令で動きを縛られたら。


 選ぶことそのものを奪われたら。


「南へ行くなら」


 カズキが言った。


「俺も行く」


 リンは彼を見る。


「一人で行かせるつもりはない。でも、同行するなら約束してほしい」


「何だ」


「無茶をしない。体が戻るまでは、勝手に飛び出さない。ハヤテらしき馬を見つけても、状況を見る」


 カズキはすぐには答えなかった。


 シンが横から言う。


「無茶するとイオが怖いぞ」


「あなたが言う?」


 イオが睨む。


「経験者だ」


「誇らないで」


 カズキは少しだけ視線を下げた。


「……分かった」


「本当に?」


 リンが聞く。


「分かった」


 シンが笑う。


「昨日より分かってる、って言えばいいぞ」


「言わない」


「便利だぞ」


「言わない」


 リンは少し笑った。


「じゃあ、決まりだ」


 その時、ムソウが大きく手を叩いた。


「ならば、旅立ちは明朝だな!」


「ムソウさんも来るんですか?」


 リンが聞くと、ムソウは静かに首を振った。


「いや」


 その場が少し静かになる。


「わしは、この町に残る」


 シンがすぐに反応した。


「何でだよ」


 ムソウは石門町を見回した。


 壊れた門。


 崩れた家。


 空になった食料庫。


 まだ寝込んでいる人々。


 器を握る子どもたち。


 瓦礫を運ぶ一座。


「この町には、まだ花道がない」


「花道?」


「倒れた者が立ち上がるには、道が要る。歩く場所が要る。見上げる何かが要る」


 ムソウは扇を広げた。


「わしは、しばしこの町に残る。崩れた町にも、花道は作れる」


 ミツが近くへ来た。


「一座も残るの?」


「少なくとも、しばらくはな」


 ムソウは一座の者たちを見る。


「芝居小屋はない。だが、広場がある。大道具は壊れても、声は残る。飯を食った者に、次は笑う力を戻さねばならぬ」


 イオは静かに微笑んだ。


「それも、治療ですね」


「医食同源にそう言われるなら、間違いあるまい」


 シンは少し不満そうだった。


「手合わせは?」


「また会った時だ」


「いつだよ」


「天下の道は広い。だが、花道はつながっておる」


「分からねえ」


「そのうち分かる」


 ムソウはシンへ向き直った。


「猪突猛進」


「何だ」


「次に会った時、わしを一歩動かしてみせよ」


 シンの目が燃えた。


「一歩でいいのか」


「では、半歩も動かぬよう修行しておこう」


「ずりいぞ」


「天下無双だからな!」


 シンは笑った。


「じゃあ、次は絶対動かす」


「楽しみにしておる」


 ムソウは次にリンを見た。


「臨機応変」


「はい」


「朱雀女王は、そなたにとって厄介な相手になる」


 リンは少し息を止める。


「分かりますか」


「分かる」


 ムソウは真面目な顔で言った。


「弱肉強食は食う敵だった。力で砕けばよかった。だが、絶対服従は違う。命令は、刃より深く人を縛る」


「選ばせない敵、ですね」


「そうだ」


 ムソウは扇を閉じる。


「そなたは、状況に応じて道を選ぶ男だ。だが、命令に従えば楽になる、と囁かれた時」


 彼はリンの目を見る。


「その楽さに、足を取られるな」


 リンは返事に少しだけ時間がかかった。


 ムソウの言葉は、思ったより深く刺さった。


 命令に従えば楽になる。


 選ばなくていい。


 間違えなくていい。


 それは、リンの中の弱さに触れていた。


「気をつけます」


「うむ」


 ムソウは今度はイオを見た。


「医食同源」


「はい」


「この町の命をつないだのは、そなただ」


「私だけじゃありません。一座も、町の人も、みんなで」


「それがよい」


 ムソウは笑った。


「その言葉を忘れるな。命を支える者は、己一人で全員を救おうとしてはならぬ」


 イオは少し驚いた。


「ムソウさんに言われると、重いですね」


「経験者だからな!」


「誇ることではないです」


「確かに!」


 最後に、ムソウはカズキを見た。


「一騎当千」


 カズキは姿勢を正した。


「はい」


「馬を探せ」


「探します」


「だが、馬だけを探すな」


 カズキの眉が動く。


「どういう意味ですか」


「そなた自身の足も、まだ残っておる」


 ムソウは言った。


「一騎が足りぬ時でも、歩くことはできる。歩いて探し、見つけた時、また駆ければよい」


 カズキは黙った。


 その言葉は、シンが先ほど言ったことにも似ていた。


 だが、ムソウが言うと、少し違う重みがあった。


「……覚えておきます」


「うむ」


 昼過ぎ。


 町では、小さな即席の舞台が作られた。


 復興作業の合間、一座が短い芝居を見せることになったのだ。


 壊れた荷車の板を並べただけの舞台。


 背景は破れた布。


 楽器も一部壊れている。


 それでも、町人たちは広場に集まった。


 子どもたちが前に座る。


 怪我人も寝台のまま運ばれてくる。


 イオは鍋の火を見ながら、時々舞台を見る。


 リン、シン、カズキも広場の隅に座った。


 どんちゃんは、いつの間にか鍋の近くにいた。


「どんちゃん」


 リンが声をかける。


「何かな」


「どこにいた」


「ここにいたよ」


「さっきまで見えなかった」


「昼行灯だからねえ」


「その説明、便利すぎる」


「リンも臨機応変を便利に使うでしょ」


「最近それ言うな」


 どんちゃんは眠そうに笑う。


 カズキがじっとどんちゃんを見ていた。


「何かな」


 どんちゃんが聞く。


「お前は気配が薄い」


「よく言われるねえ」


「馬でもないのに、気配を消しすぎだ」


「馬にはよく嫌われるねえ」


「なぜだ」


「何でだろうねえ」


 カズキは目を細めた。


 どうやら、どんちゃんを少し警戒しているらしい。


 シンが横から言う。


「どんちゃんは怪しいけど、飯は食うぞ」


「説明になっていない」


 カズキが言う。


「だいたい合ってる」


 リンが言う。


「合ってるのか」


 即席舞台の上で、ムソウが現れた。


 派手な衣装ではない。


 作業着に近い簡素な服。


 だが、扇だけはいつものものを持っている。


「石門町の皆々様!」


 声が響く。


「城は消えた! 虎は倒れた! だが、町はまだ途中!」


 町人たちは静かに聞いていた。


「途中とは、よいことだ!」


 ムソウは扇を広げる。


「終わっていないということだからな!」


 その言葉に、何人かが顔を上げた。


「壊れた門は直せる! 空の食料庫は満たせる! 泣いた子は、いつか笑える!」


 ムソウは大きく見得を切った。


「ならば、この石門町にも花道はある!」


 楽師が笛を吹く。


 ミツが舞台に出る。


 役者たちが続く。


 演じられたのは、町人が力を合わせて橋をかける短い芝居だった。


 特別な英雄は出てこない。


 派手な戦いもない。


 老人が知恵を出す。


 子どもが小石を運ぶ。


 若者が柱を担ぐ。


 料理人が飯を作る。


 役者たちがそれを少し大げさに、少し面白く演じる。


 シンが小声で言った。


「あの柱運ぶやつ、俺か?」


「たぶんな」


「もっと強そうにやればいいのに」


「あれ以上やると舞台が壊れる」


 イオが笑った。


 町人たちも、少しずつ笑い始めた。


 最初は小さく。


 やがて、広場全体へ。


 泣いていた子どもが笑った。


 老人が手を叩いた。


 母親が赤ん坊を抱えながら、少しだけ肩の力を抜いた。


 リンはその光景を見ていた。


 ムソウが残る意味が、よく分かった。


 この町には、まだ強い剣よりも、立ち上がるための笑いが必要なのだ。


 夕方。


 旅立ちの準備が始まった。


 出発は明朝だが、荷物は少しずつまとめておく。


 リンたちは南へ向かう。


 同行するのは、リン、シン、イオ、どんちゃん。


 そして新たに、カズキ。


 カズキは槍を磨いていた。


 その動きは丁寧だが、どこか落ち着かない。


 シンが近づく。


「なあ」


「何だ」


「馬いないと、どれくらい弱いんだ」


 カズキはシンを見た。


「失礼だな」


「気になった」


「弱くはない」


「じゃあ強いのか」


「本来より届かない」


「何に」


「千に」


 シンは少し考えた。


「百くらいか?」


「数の問題ではない」


「じゃあ十?」


「違う」


「一?」


「違う!」


 カズキは珍しく声を荒げた。


 リンが横から止める。


「シン、そういう聞き方はやめろ」


「でも一騎当千だろ。馬がいないなら、一騎じゃねえのか?」


 カズキは押し黙った。


 その沈黙で、シンも言いすぎたことに気づいたらしい。


「悪い」


 カズキは少し驚いた顔をした。


 シンは頭をかいた。


「俺、考えるの苦手だからよ」


「知っている」


「早いな」


「見れば分かる」


「お前もけっこう言うな」


 カズキは槍を見つめた。


「ハヤテがいれば、俺は迷わない」


「馬が決めてくれるのか?」


「違う。互いに分かる」


 カズキは静かに言った。


「どこで加速するか。どこで止まるか。どちらへ抜けるか。俺が考える前に、ハヤテは動く。ハヤテが迷う前に、俺は槍を出す」


「すげえな」


「ああ」


「じゃあ、見つければいい」


 シンはやはり単純に言った。


「走れねえなら、歩けばいいだろ。歩いて探して、見つけたらまた走れ」


 カズキは黙った。


 ムソウにも似たことを言われた。


 だが、シンの言葉はもっと雑で、もっと真っ直ぐだった。


「……お前は」


「何だ」


「馬みたいだな」


「褒めてるのか?」


「いや」


「違うのかよ」


「馬の方が賢い」


「何だと!」


 リンは思わず笑った。


 イオも少し離れた場所で笑っている。


 カズキは口元をわずかに緩めた。


 ほんの少しだけ。


 その夜。


 石門町の広場には、また灯りがともった。


 有明行灯の話を聞いた町人が、壊れた家から古い行灯をいくつも持ってきた。


 どれも煤けている。


 欠けているものもある。


 だが、火を入れれば光る。


 広場の端に並んだ行灯は、弱々しく町を照らしていた。


 どんちゃんは、その一つをじっと見ていた。


 リンは隣に立つ。


「有明行灯のこと、やっぱり知ってるんじゃないか」


「聞いたことがあるだけだよ」


「誰だった?」


「夜明け前に、道を照らす人」


「会ったことは?」


 どんちゃんは少し黙った。


 それから、眠そうに笑った。


「昔、どこかでね」


「どこか?」


「忘れちゃった」


「嘘が下手だな」


「昼行灯だからねえ」


「関係ない」


 どんちゃんは行灯の火を見つめた。


「食われなかった灯もあれば、食われた灯もある」


「うん」


「でも、消えた灯のことを覚えている人がいれば、真っ暗にはならないのかもねえ」


 リンは何も言えなかった。


 どんちゃんの言葉は、時々ひどく遠くから聞こえる。


 まるで、この世界を長い間見てきた者のように。


 その時、シンの声が響いた。


「飯まだか!」


 イオの声が返る。


「もうすぐ!」


 どんちゃんはふっといつもの顔に戻った。


「飯だねえ」


「話の余韻」


「飯も余韻だよ」


「意味が分からない」


 二人は広場の鍋の方へ戻った。


 翌朝。


 石門町の門の前に、旅立つ者たちが集まった。


 門はまだ壊れている。


 だが、横に新しい柱が立てられていた。


 仮の門。


 まだ完成していない門。


 それでも、町の人々が自分たちで立てた門だった。


 ムソウと一座は、その前で見送ってくれた。


 ミツがイオへ小さな包みを渡す。


「これ、干し餅」


「ありがとう」


「また来てね」


「うん。ミツちゃんも無理しないでね」


「うん!」


 シンはムソウの前に立った。


「次は勝つ」


「その意気やよし!」


「手加減するなよ」


「したことはない!」


「半歩動いた」


「あれは舞台の演出だ!」


「嘘だろ」


「天下無双は嘘も芝居にする!」


「ずるいな」


 二人は笑った。


 リンはムソウへ頭を下げる。


「石門町をお願いします」


「任せよ」


「無理はしないでください」


「それはそなたらにも言える」


「はい」


 ムソウは扇をリンの肩へ軽く当てた。


「リン」


「はい」


「命令されるな」


 その言葉は短かった。


 けれど、重かった。


「選べ」


 リンは静かに頷いた。


「選びます」


 ムソウは満足そうに笑った。


 カズキは町の方を一度振り返った。


 石門町の人々が彼を見ている。


「カズキ!」


 老人が声をかけた。


「ハヤテを連れて戻ってこい!」


 カズキは槍を握り、深く頷いた。


「必ず」


 シンが横から言う。


「戻る理由が増えたな」


「ああ」


「馬と一緒に戻れ」


「言われなくても」


 イオが荷物を背負う。


「みんな、水は持った?」


「持った」


 リンが答える。


「薬草袋は?」


「ある」


「シン、肉包みを勝手に全部食べてない?」


「半分残した」


「半分食べたの?」


「昨日」


「いつ?」


「夜」


「見張ってればよかった」


 カズキが不思議そうに言う。


「旅はいつもこうなのか」


 リンは少し考えた。


「だいたい」


「大変だな」


「慣れる」


「慣れたくない」


 どんちゃんがあくびをしながら歩き出す。


「じゃあ、行こうかねえ」


「何でお前が先頭なんだ」


 シンが言う。


「南はこっちかなあと思って」


「合ってるのか?」


 リンは地図を見る。


「……合ってる」


「何で分かるんだよ」


「昼行灯だからねえ」


「関係ねえ!」


 笑い声が起きた。


 石門町の門を出る。


 南へ続く道が伸びている。


 その先にいるのは、朱雀女王。


 絶対服従。


 赤い羽根の印で人を縛り、命令で心を焼く四天王。


 そして、カズキの愛馬ハヤテがいるかもしれない。


 リンは一度だけ振り返った。


 石門町の広場には、まだ朝の湯気が上がっている。


 ムソウが扇を広げ、一座と町人たちの前に立っていた。


 崩れた町にも、花道は作れる。


 その言葉通り、彼はそこに残る。


 リンたちは進む。


 役割を分ける。


 それぞれの場所で戦う。


 それが、弱肉強食の城で学んだことだった。


「リン」


 イオが声をかける。


「何?」


「行こう」


「うん」


 シンが鉄棒を肩に担ぐ。


「南だな!」


 カズキが槍を持ち直す。


「ハヤテを探す」


 どんちゃんが眠そうに言う。


「赤い鳥は、熱そうだねえ」


 リンは南の空を見た。


 遠く、雲の向こうが少し赤く染まっている。


 朝焼けか。


 それとも、朱雀の羽か。


 まだ分からない。


 だが、道はもう始まっていた。


 四文字の旅は、次の四天王へ向かって進み出す。

【後書き】


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


リンは考え、シンは突っ込み、イオは鍋を握る。


そんな三人の旅を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。


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