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臨機応変の俺と猪突猛進の親友、医食同源の少女と世界を旅する ~四字熟語を背負う者たちの腹ぺこ放浪記~  作者: 凡夫 成


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第2話 腹が減っては猪は狩れぬ


四字熟語を背負って生きる者たちの世界で、

臨機応変のリンと、猪突猛進のシンが再会するところから物語は始まります。


旅、バトル、料理、そして少しずつ増えていく仲間たち。


気軽に楽しんでもらえたらうれしいです。


「明日の朝までに、大角猪の肉が必要なの」


 医食同源のイオは、森の奥を指さした。


 木々の向こうから聞こえる低い唸り声。


 地面を引っかく音。


 そして時折、枝がへし折れる鈍い音が響いている。


 猪突猛進のシンは、鉄棒を肩へ担いだまま目を輝かせた。


「大角猪って、食えるのか?」


「私の話を聞いていた?」


「肉が必要なんだろ」


「そうだけど」


「なら食える」


 シンの中では、それですべて解決したらしい。


 臨機応変のリンは、焚き火にかけられた鍋へ目を向けた。


 大きく切られた根菜。


 柔らかく煮込まれた肉。


 表面に浮かぶ脂。


 湯気に混ざった香草の匂いが、空腹の腹へ容赦なく染み込んでくる。


「先に一杯食べさせてくれないか」


「駄目」


 イオは即答した。


「どうして」


「働く前に報酬を渡したら、あなたたち逃げるでしょ」


「僕は逃げない」


「そっちの大きいのは?」


 リンはシンを見た。


 シンは鍋から目を離さずに答えた。


「食ったら眠くなるかもしれねえ」


「ほら」


「自分から言うなよ」


 リンは額を押さえた。


「せめて、パンの一切れくらいは」


「ないわ」


「芋は?」


「鍋の中」


「肉の端切れ」


「鍋の中」


「その薬草は」


「食べると舌が痺れる」


 イオは木べらで鍋をゆっくりとかき混ぜた。


「食事が欲しければ働く。嫌なら町まで歩く。好きな方を選んで」


「町までどれくらいだ」


 シンが尋ねた。


「歩いて二時間くらい」


「狩りは?」


「見つける時間を除けば、十分もかからないんじゃない?」


「決まりだ」


 シンは森の奥へ向かって歩き出した。


「肉を倒して肉を食う」


「大角猪を肉って呼ぶな」


「倒したら肉だろ」


「まだ生きてる」


「なら、これから肉だ」


 リンは背負い袋を拾った。


 イオは鍋へ蓋をし、焚き火の周りへ細い粉をまいた。


 淡い橙色の光が輪となって広がり、焚き火と鍋を包む。


「それは?」


「獣避け。私が戻るまで、この火は消えないわ」


 イオは立ち上がると、前掛けの上から小さな革袋を腰へ結び直した。


 中には乾燥させた薬草や木の実、小さな瓶がいくつも入っている。


「イオも来るのか?」


「当たり前でしょ。大角猪を傷だらけにされたら、使える肉が減るもの」


 シンは鉄棒を見た。


「これで殴ったら傷だらけになるぞ」


「だから頭だけを狙って」


「分かった」


「本当に分かった?」


「頭を殴る」


「……まあ、いいわ」


 イオは諦めたようにため息をついた。


 リンは二人を見比べた。


 出会ってから、まだ半刻も経っていない。


 だが、なぜか自分が二人の間を取り持たなければならない気がしていた。


「まず、大角猪について教えてくれ」


 リンは尋ねた。


「大きさ、習性、角の形。それから、どうして明日の朝までに必要なのか」


「食うためだろ」


「シンには聞いてない」


 イオは少しだけリンを見た。


 先ほどよりも、その目から警戒心が薄れている。


「大角猪は、この辺りの森では一番危険な獣よ。体長は大きいもので三間ほど。額から前へ伸びる角は二本。普通の猪よりも硬い皮膚を持っていて、正面から剣を通すのは難しい」


「弱点は?」


「首の下と、後ろ脚の付け根。それから目。でも、正面から突っ込んでくるから、普通の狩人には狙えない」


 リンは頷いた。


「縄張りは?」


「水場の近く。木の幹に角をこすりつける習性があるから、跡を追えば見つかる」


「単独?」


「普段はね。ただ、今は子育ての季節だから、近くにもう一頭いる可能性がある」


「二頭なら二倍食えるな」


 シンが笑う。


「二頭いたら、あなたを置いて逃げるわ」


「俺が二頭とも倒す」


「そういうところよ」


 三人は森へ入った。


 月明かりは木々に遮られ、足元は暗い。


 リンが先頭に立ち、折れた枝や獣の足跡を探す。


 その後ろをイオが歩き、シンは最後尾で鉄棒を肩へ担いでいた。


「リン」


「何だ」


「何でお前が先頭なんだ」


「足跡を探してる」


「俺が叫べば向こうから来るだろ」


「余計な獣まで来る」


「まとめて倒せばいい」


「食べられない獣もいる」


 イオが振り返った。


「毒角鹿とか、腐り狼とか」


「倒せば肉だろ」


「食べたら死ぬ肉よ」


「死ぬ前に食えばいい」


「食べた後に死ぬの」


 シンは少し考えた。


「じゃあ、駄目だな」


「今、気づいたの?」


 森の中を進むにつれ、地面が湿り始めた。


 リンはしゃがみ込み、泥に残った跡へ指を当てた。


 大きな蹄。


 人の手のひらよりも広い。


「新しい」


 泥の縁が崩れていない。


 近くにいる。


 さらに進むと、樹皮が大きく削られた木があった。


 地面からリンの肩ほどの高さまで、深い傷がいくつも刻まれている。


 傷の表面には、黒く硬い毛が付着していた。


 イオが毛を指でつまむ。


「大角猪ね」


 シンが声を上げようとした。


 リンはその口を手で塞いだ。


「んんっ!」


「静かにしろ」


「向こうから来させた方が早い」


「僕たちは狩りに来たんだ。戦争じゃない」


「同じだろ」


「違う」


 低い唸り声が近づいた。


 三人は同時に止まった。


 前方の茂みが揺れている。


 大きな影が、ゆっくりと木々の間から現れた。


 最初に見えたのは、白く湾曲した角だった。


 二本の角が、額から前へ突き出している。


 太さは男の腕ほどもあり、先端には乾いた血が付着していた。


 続いて現れた頭は、大きな樽ほどもある。


 黒褐色の毛。


 肩は盛り上がり、背中には古い傷が何本も走っている。


 体長は、イオが話したとおり三間近い。


 大角猪は鼻を動かした。


 三人の匂いに気づいたらしい。


 小さな目が、暗闇の中で赤く光った。


「でけえな」


 シンが嬉しそうに笑った。


「食いきれるか?」


「そこを心配してるのか」


 リンは周囲を見た。


 木々の間隔は狭い。


 大角猪は直線なら速いが、急な方向転換は苦手そうだ。


 左には太い倒木。


 右側は緩い斜面になっている。


 正面からシンが注意を引き、斜面へ誘導する。


 勢いが落ちたところで、リンが後ろ脚を狙う。


 転倒させた後、シンが頭部へ一撃。


 それが最も安全で、肉も傷つかない。


「シン」


「おう」


「正面に立て」


「任せろ」


「まだ最後まで聞け。正面から挑発して、右の斜面まで誘導する。絶対にその場で殴り合うな」


「分かった」


「繰り返してみろ」


「正面から殴る」


「分かってない!」


 シンはすでに鉄棒を構えていた。


 大角猪が前脚で地面をかく。


 低い声で唸り、頭を下げた。


 突進の構え。


「来い!」


 シンが叫んだ。


「今夜の飯になりやがれ!」


 大角猪が走り出した。


 地面が揺れる。


 木の根が蹄に踏み砕かれ、湿った土が後方へ跳ね上がる。


「シン、右へ!」


「正面から来るなら、正面からだ!」


「話を聞け!」


 シンの背中に、赤い文字が燃え上がった。


 猪突猛進。


 鉄棒を両手で握り、大角猪へ向かって駆け出す。


 獣と人。


 体格差は数倍。


 それでもシンは止まらない。


「うおおおおおっ!」


 鉄棒が振り下ろされた。


 大角猪は角を持ち上げる。


 激突。


 金属を打ち合わせたような音が、森全体へ響いた。


 衝撃で周囲の葉が舞い上がる。


 シンの足元の地面が沈んだ。


 大角猪もわずかに後退した。


 だが、倒れない。


「硬え!」


 シンは笑っていた。


「面白え!」


「面白がってる場合か!」


 大角猪が頭を振った。


 シンの鉄棒が弾かれる。


 太い角がシンの腹を狙った。


 シンは柄で受けたが、巨体の勢いまでは殺せない。


 そのまま宙へ跳ね飛ばされた。


「シン!」


 リンが走る。


 シンは木の幹へ背中から激突した。


 太い木が大きく揺れ、葉が落ちる。


「平気だ!」


 シンは立ち上がった。


 口元から血が流れている。


「今のは効いた!」


「平気な人間は血を吐かない!」


 イオが腰の袋から小さな木の実を取り出し、シンへ投げた。


「噛んで!」


 シンは木の実を口へ入れた。


 瞬間、顔をしかめる。


「苦い!」


「痛み止めよ!」


「肉にしろ!」


「今度は毒草を投げるわよ!」


 大角猪が再び突進の構えを取った。


 リンは短剣を抜く。


 予定は崩れた。


 ならば、その場で組み直す。


 臨機応変。


 淡い青の文字が、リンの背中へ浮かび上がった。


 大角猪の視線はシンへ向いている。


 一度戦った相手を敵と認識している。


 リンは斜面へ走り、地面から突き出した木の根を短剣で切り始めた。


「シン、あと一度だけ正面で受けろ!」


「何度でも受ける!」


「一度だけだ! 今度は左へ流せ!」


「右じゃなかったか?」


「状況が変わった!」


「分かった!」


 リンは切りかけた根へ足をかけた。


 大角猪がシンへ突進する。


 シンは鉄棒を横へ構え、角を受け止めた。


「左だな!」


「そうだ!」


 シンは真正面から押し返さず、鉄棒を斜めに傾けた。


 大角猪の角が柄を滑る。


 巨体の進行方向がわずかに左へずれた。


 その先には、リンが切った木の根がある。


 大角猪の前脚が引っかかった。


 巨体が傾く。


 だが、まだ転ばない。


「リン!」


「分かってる!」


 リンは倒木を蹴って跳び上がった。


 大角猪の背中へ着地する。


 硬い毛が足の裏へ刺さる。


 獣が激しく体を揺らした。


 リンは左手で毛をつかみ、短剣を逆手に持つ。


「後ろ脚の付け根!」


 イオの声。


 リンは狙いを定め、刃を突き立てた。


 硬い皮膚の隙間を刃が通る。


 大角猪が悲鳴を上げた。


 後ろ脚から力が抜ける。


 巨体が地面へ崩れた。


「今だ、シン!」


「待ってた!」


 シンが鉄棒を高く振り上げる。


 大角猪は立ち上がろうとするが、脚が動かない。


 鉄棒が頭部へ振り下ろされた。


 轟音。


 地面が砕けた。


 大角猪の頭が土へ沈む。


 だが、まだ息がある。


「シン、もう一度!」


「おう!」


「待って!」


 イオが叫んだ。


「それ以上殴ったら、頭蓋骨の破片が肉に入る!」


「じゃあどうする!」


 イオは腰から細い包丁を抜いた。


 大角猪へ近づく。


 リンが背中から飛び降りた。


「危ないぞ」


「動きを止めて」


 シンが大角猪の角を両手で押さえた。


「おとなしくしろ、肉!」


「最後くらい獣として呼んであげなさい!」


 イオは大角猪の首元へ手を当てた。


 脈を確認する。


 それから、首の下へ刃を入れた。


 一瞬。


 大角猪の体から力が抜けた。


 森に静けさが戻る。


 三人の荒い息だけが残った。


「終わったか?」


 シンが尋ねた。


「ええ」


 イオは大角猪の目を閉じた。


「命をいただきます」


 先ほどまでの冷たい口調とは違う、静かな声だった。


 リンも短剣を収め、大角猪へ頭を下げた。


 シンは少し遅れて二人をまねた。


「いただきます」


「まだ食べないわよ」


「分かってる」


 本当に分かっているのかは怪しかった。


「それより」


 イオがシンの腹部を見た。


 服が角で裂けている。


 皮膚には赤黒い痣が広がり、呼吸をするたびに顔がわずかに歪んでいた。


「肋骨、折れてるかもしれない」


「平気だ」


「痛いでしょ」


「痛くねえ」


 イオが指で脇腹を押した。


「ぐあっ!」


「痛いじゃない」


「今のは急に押したからだ!」


「何もしなくても痛い人が、急に押されると出す声よ」


 イオは革袋から乾燥した葉を取り出した。


 口の中で軽く噛み、水筒の水と一緒に掌で練る。


 青臭い匂いが広がった。


「服を上げて」


「何するんだ」


「湿布」


「食えるのか?」


「食べたら吐くわ」


「じゃあいらねえ」


「いいから上げなさい」


 イオはシンの腹へ薬草を塗りつけ、細い布を巻いた。


 その手つきは迷いがなく、素早い。


「これで痛みと腫れは少し引く。でも、骨は料理を食べないと治らない」


 シンの目が輝いた。


「料理で骨が治るのか?」


「普通の料理なら時間がかかる。私の料理なら、少し早い」


「今すぐ作れ」


「大角猪を運んでから」


 シンは大角猪の脚をつかんだ。


「どこまで運べばいい」


「焚き火まで」


 巨体を持ち上げようとする。


 だが、さすがのシンでも片手では動かない。


「リン、持て」


「僕も?」


「食うだろ」


「……食べる」


 二人は大角猪の前脚と後ろ脚をつかんだ。


「せーの」


 持ち上がらない。


「重いな」


「お前が倒したんだろ」


「倒すのと運ぶのは別だ」


「狩りは獲物を持ち帰るまでが狩りよ」


 イオが冷静に言った。


「先に言ってくれ」


「言ったら狩らなかった?」


「いや、狩った」


「なら同じでしょ」


 三人は近くの木を切り、太い枝へ大角猪の脚を縛った。


 リンとシンが前後で担ぎ、イオが道を案内する。


 行きよりも、帰りの方が何倍も時間がかかった。


「重い」


 リンが言った。


「肉だと思えば軽い」


 シンが答える。


「全然軽くならない」


「腹が減って力が出ねえ」


「黒パンを多く取ったのは誰だ」


「半分だ」


「お前の半分は大きかった」


「小さいことを気にするな」


「食べ物の恨みは小さくない」


 前を歩くイオが振り返った。


「二人とも、まだ歩ける?」


「歩ける」


 リンが答える。


「走れるぞ」


 シンが答える。


「じゃあ急いで。血の匂いで別の獣が寄ってくる」


 直後、遠くから狼の遠吠えが聞こえた。


 シンが振り返る。


「倒すか?」


「走るぞ」


 リンは即答した。


「肉を増やせる」


「運ぶ肉を増やすな!」


 三人は大角猪を担いだまま、森の中を走った。


 焚き火へ戻った頃には、リンもシンも地面へ倒れ込んでいた。


「もう動けない」


 リンは空を仰いだ。


「腹減った」


 シンはそれしか言わない。


 イオはすぐに大角猪の解体を始めた。


 腹を開き、内臓を取り出し、肉を部位ごとに切り分ける。


 リンは地面へ寝転んだまま、その手元を眺めた。


「手伝おうか」


「疲れてるなら休んでて」


「食べるだけなのも悪い」


「じゃあ水を汲んできて。あっちに小川があるから」


「僕、今、動けないって言ったよな」


「食べるんでしょ」


「……行ってくる」


 リンは立ち上がった。


 シンは寝たままだ。


「シンも薪を追加して」


「骨が折れてる」


「さっき平気って言ったわよね」


「今、折れた気がする」


「料理、いらない?」


 シンは勢いよく立ち上がった。


「薪だな」


 三人は、それぞれ動いた。


 リンが水を汲む。


 シンが倒木を折り、焚き火へ運ぶ。


 イオが大角猪の肉を薄く切り分ける。


 鍋の中に残っていた煮込み料理を別の器へ移し、新しい水を入れた。


 まず、大角猪の骨を火で炙る。


 表面が色づいたところで鍋へ入れ、強火で煮立たせた。


 灰色の泡が浮かぶ。


 イオは木べらではなく、小さな匙で丁寧にすくっていく。


「それ、何してるんだ?」


 シンが鍋を覗き込む。


「臭みを取ってるの」


「腹に入れば同じだろ」


「同じじゃない」


「肉は肉だ」


「あなたには、焦げた木の皮を煮て出しても気づかなそうね」


「肉が入ってればな」


「入れないわよ」


 骨から取った汁が白く濁り始める。


 イオはそこへ、薄く切った大角猪の腿肉を入れた。


 続いて、根菜。


 砕いた赤い木の実。


 刻んだ薬草。


 最後に、腰の袋から白い粉をひとつまみ落とす。


「塩か?」


 リンが尋ねた。


「岩塩と、乾燥させた癒し草の粉」


「薬草を入れすぎると苦くならないか」


「だから最後に少しだけ入れるの。煮すぎると香りも効き目も飛ぶから」


 イオが鍋をゆっくり混ぜる。


 橙色の四文字が、背中へ浮かび上がった。


 医食同源。


 食は薬となり、薬は食となる。


 食材に宿る力が引き出され、鍋の中へ溶けていく。


 白く濁っていた汁が、淡い金色へ変わった。


 湯気が立ち上り、三人を包む。


 大角猪の力強い肉の匂い。


 根菜の甘み。


 香草の爽やかさ。


 腹の奥が、匂いだけで熱くなる。


「もういいだろ」


 シンが器を持った。


「まだ」


「肉には火が通ってる」


「味が染みてない」


「腹の中で染みる」


「座って待ってなさい」


「どれくらいだ」


「十五分」


「死ぬ」


「さっき大角猪に飛ばされても死ななかったでしょ」


「今の方が危ない」


 シンは鍋の前に座り、じっと待った。


 五分ほどで、手が伸びる。


 イオが木べらで叩く。


「痛え!」


「まだ」


 さらに五分。


 また手が伸びる。


 今度はリンがその手をつかんだ。


「待て」


「仲間だろ」


「だから止めてる」


「裏切るのか」


「鍋を守ってる」


 十五分が過ぎた。


 イオが蓋を開ける。


「できたわ」


 シンが真っ先に器を差し出した。


「大盛り」


「怪我人は普通盛り」


「治すなら多い方がいいだろ」


「食べすぎると消化に力を使って、治りが遅くなるの」


「俺の腹は強い」


「頭よりは強そうね」


 イオは三つの器へ煮込みをよそった。


 シンの器には、肉を少し多く入れる。


「多いじゃねえか」


「怪我人だから」


「普通盛りって言っただろ」


「文句があるなら返して」


「ない」


 三人は焚き火を囲んだ。


 リンは木の匙で汁をすくう。


 湯気を吹き、口へ入れた。


 最初に感じたのは、骨から出た濃い旨みだった。


 大角猪の肉は力強いが、臭みはない。


 根菜は柔らかく、噛むと甘みが広がる。


 後から薬草の香りが鼻を抜け、体の内側がじんわりと温かくなった。


「うまい」


 思わず言葉が出た。


 イオは何も言わず、少しだけ笑った。


 シンは器へ口をつけ、中身を一気に流し込んだ。


「熱っ!」


「馬鹿なの?」


「うまい!」


「味わって食べて」


「もう一杯!」


「噛みなさい!」


 イオがシンの器へ二杯目をよそう。


 シンは今度こそ肉を噛んだ。


 何度か顎を動かし、目を見開く。


「柔らけえ」


「後ろ脚の肉は硬くなりやすいけど、薄く切って煮れば食べやすくなるの」


「骨も食えるか?」


「食べられない」


「砕けば食える」


「歯が折れるわよ」


「料理で治せ」


「折る前にやめなさい」


 リンは二人の会話を聞きながら、ゆっくりと食べた。


 腹へ温かいものが入る。


 それだけで、森の暗さも、夜の寒さも遠ざかっていく。


 肩や腕に残っていた疲れが、少しずつほどける。


「これも、医食同源の力か?」


「少しはね」


 イオは自分の器を両手で包んだ。


「料理は、食べれば何でも傷を治すわけじゃない。肉は血と力を作る。骨の汁は、骨や関節を助ける。根菜は弱った胃でも食べやすい。薬草は痛みや腫れを抑える」


「じゃあ、料理の力だけじゃないんだな」


「私の真名は、何もないところから奇跡を起こす力じゃないわ」


 イオは鍋を見た。


「食べ物が持っている力を、少しだけ早く、少しだけ強く届ける。それだけ」


「十分すごい」


 リンが言うと、イオはわずかに目をそらした。


「そうでもないわ」


「骨はどうだ、シン」


 シンは脇腹を押した。


「痛くねえ」


「さっきよりは?」


「もう戦える」


「戦うな」


 イオが即座に言った。


「骨は完全には治ってない。今夜は休むこと。明日も激しく動かない」


「明日は何を狩る?」


「人の話を聞いてた?」


「猪より強いやつ」


「寝てなさい」


 シンは三杯目を食べ始めた。


 リンは二杯目をもらいながら、イオへ尋ねた。


「どうして大角猪が必要だったんだ?」


 イオの手が少し止まった。


「自分で食べるためじゃないんだろ」


 鍋には、三人で食べきれない量の肉が残っている。


 イオは残った肉を部位ごとに分け、塩を塗って保存する準備を始めていた。


「この先に村があるの」


 イオは静かに答えた。


「そこで、病人が出てる」


「どんな病気だ」


「病気というより、飢えに近いわ。畑が荒らされて、冬を越す食料が足りなくなった。特に子どもと年寄りが弱ってる」


「その村へ肉を持っていくのか」


「大角猪の肉は栄養が強い。骨も薬になる。これだけあれば、何日かはもつ」


 シンが食べる手を止めた。


「俺たちが食ってよかったのか?」


「狩ったのはあなたたちだから。それに、空腹の人間へ狩りをさせて、何も食べさせないほど意地悪じゃないわ」


「最初は匂いだけ嗅いで帰れって言った」


「あれは、何もせず食べようとしたから」


「今は働いた」


「だから食べてるでしょ」


 シンは納得したように頷いた。


「イオ」


「何」


「明日、その村まで運ぶのか」


「ええ」


「遠いのか?」


「ここから半日くらい」


「なら俺が持つ」


 イオが目を瞬いた。


「肉を?」


「全部」


「怪我してるでしょ」


「寝れば治る」


「治らないって言ってるの」


「リンも持つ」


「僕まで勝手に入れるな」


「村まで行かねえのか?」


 シンがリンを見る。


 リンは答えに詰まった。


 彼には、決まった目的地がない。


 どこへ行くべきかも、何をするべきかも決めていない。


 ならば、明日一日くらい、村へ肉を運んでも問題はない。


「方向は?」


「西よ」


 イオが答えた。


 リンとシンは顔を見合わせた。


「俺たちも西へ行く」


 シンが言った。


「お前が勝手に決めただけだろ」


「嫌なのか?」


「嫌とは言ってない」


「じゃあ決まりだ」


「どうして毎回、お前が決めるんだ」


「お前は決めねえから」


 リンは言い返そうとして、やめた。


 昔から、シンにはこういうところがある。


 考えずに進む。


 迷っている者の手を、勝手につかんで引っ張っていく。


 迷惑で、乱暴で。


 けれど、少しだけありがたい。


「イオ」


 リンは少女へ目を向けた。


「明日、その村まで僕たちも行くよ」


「どうして?」


「肉を狩った責任がある」


「狩った責任って何よ」


「持ち帰るまでが狩りなんだろ」


 イオは少し驚いた顔をした。


 それから、小さく笑った。


「言ったわね、確かに」


「飯も食わせてもらった」


 シンが器を差し出す。


「もう一杯」


「それは関係ない」


 イオは言いながらも、鍋の残りをよそった。


 夜が深くなる。


 三人は焚き火を囲み、大角猪の肉を食べた。


 リンは今まで、一人で旅をするつもりだった。


 誰かと目的を合わせるのは面倒だ。


 相手に合わせれば、自分の進む道が分からなくなる。


 そう思っていた。


 だが、三年ぶりに再会したシンが隣にいる。


 向かいには、出会ったばかりのイオがいる。


 鍋からは湯気が立ち上り、火の粉が夜空へ昇っていく。


 悪くない。


 少なくとも、一人で硬い黒パンをかじるよりは。


「リン」


 シンが呼んだ。


「何だ」


「明日の朝飯は何だ?」


「僕に聞くな」


 二人はイオを見た。


「残った汁で雑炊にするわ」


「雑炊って何だ」


「穀物を入れて煮る料理」


「肉は?」


「少し残して入れる」


「多くしろ」


「村へ持っていく分が減るでしょ」


「俺がもう一頭狩ってくる」


「今から?」


「朝までに戻る」


「怪我人は寝なさい!」


 イオが木べらを投げた。


 シンの額へ当たる。


「痛え!」


「骨より頭を治した方がよさそうね」


「料理で治るか?」


「それは無理」


 リンは声を上げて笑った。


 シンが不満そうに睨む。


 イオも、少しだけ笑った。


 臨機応変。


 猪突猛進。


 医食同源。


 四文字を背負う三人は、まだ仲間ではない。


 目的も違う。


 行き先も、理由も、何一つ同じではない。


 それでも翌朝。


 三人は同じ鍋の残りを食べ、同じ肉を担ぎ、同じ道を西へ進むことになる。


 三人の旅が始まったのは、もう少し後のこと。


 けれど最初の食卓は、確かにこの夜だった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


第1話は、リンとシンの再会回でした。


久しぶりに会って、まず殴り合う。

そして二人そろって腹ぺこになる。


そんな二人の前に現れた、医食同源のイオ。


次回は、食事代の代わりに大角猪を狩ることになります。


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