第1話 臨機応変、猪突猛進に道を壊される
新作です。
四字熟語を背負って生きる者たちの世界で、
臨機応変のリンと、猪突猛進のシンが再会するところから物語は始まります。
旅、バトル、料理、そして少しずつ増えていく仲間たち。
気軽に楽しんでもらえたらうれしいです。
この世界では、人は四文字の言葉を背負って生まれる。
勇往邁進。
明鏡止水。
質実剛健。
因果応報。
四文字は名であり、力であり、生き方そのものだった。
その言葉に沿って生きる者は、力を得る。
言葉に背く者は、その力を失う。
だから人々は、四文字を真名と呼んだ。
少年の真名は、臨機応変。
その場に応じて、最善を選ぶ者。
人々は彼を、リンと呼んだ。
「腹が減ったな」
リンは街道の真ん中で立ち止まり、背負い袋を下ろした。
中を確認する。
着替えが一組。
短剣。
火打ち石。
空になりかけた水筒。
そして、硬くなった黒パンが半分。
「昨日もこれだったんだけどな」
黒パンを手に取り、指で軽く叩く。
石のような音がした。
焼けば少しは柔らかくなる。
水に浸して煮れば、食べられないこともない。
だが、鍋はない。
薪を拾い、火を起こし、湯を沸かす手間まで考えると、そのままかじったほうが早い。
リンはしばらく考えた末、パンを背負い袋へ戻した。
「町まで我慢するか」
地図によれば、次の宿場町までは半日。
そこで仕事を探せば、温かい食事にありつけるかもしれない。
問題は、リンの財布に銅貨が三枚しか残っていないことだった。
一食に使えば、宿には泊まれない。
宿に泊まれば、食事はできない。
野宿を選ぶなら食べられるが、今夜は雨が降りそうだった。
「食べるか、寝るか」
どちらも捨てがたい。
臨機応変の名を持つリンは、状況に応じて最善を選ぶことを得意としていた。
だが、どれを選んでも苦しい状況は、あまり好きではなかった。
そのとき。
風を切る音がした。
リンは顔を上げた。
「ん?」
前方から、巨大な岩が飛んできた。
「は?」
リンは反射的に身を低くした。
頭上を岩が通過する。
数歩後ろの地面へ落ち、鈍い音とともに街道をえぐった。
土煙が舞い上がる。
リンはゆっくりと振り返った。
岩は、人の頭ほどの大きさではない。
人間の上半身ほどもある。
そんなものが、勢いよく飛んできた。
「今の、当たってたら死んでたな」
リンは短剣へ手をかけた。
盗賊か。
獣か。
それとも、四文字を持つ何者か。
土煙の向こうから、笑い声が聞こえた。
「避けたか!」
低く、よく通る声。
次いで、街道脇の茂みから大柄な少年が姿を現した。
短く刈った黒髪。
日に焼けた肌。
肩には、自分の背丈ほどもある黒い鉄棒を担いでいる。
胸元の服は大きく開き、腕には無数の傷があった。
少年はリンの姿を見ると、白い歯を見せて笑った。
「やっぱりお前だったな、リン!」
リンは目を細めた。
見覚えのある顔だった。
忘れたくても忘れられない。
幼い頃、毎日のように一緒に遊び、毎日のように喧嘩をした男。
「……シン?」
「久しぶりだな!」
猪突猛進。
それが少年の真名だった。
人々は彼を、シンと呼んだ。
「久しぶりだな、じゃない」
リンは背後の大岩を指さした。
「挨拶で岩を投げるな」
「お前かどうか確かめた」
「顔を見れば分かるだろ」
「避け方を見たほうが早い」
「僕じゃなかったらどうするつもりだったんだ」
「そのときは謝る」
「死んでたら謝れないだろ」
シンは豪快に笑った。
数年前と、何も変わっていない。
いや、体はかなり大きくなっている。
昔から力は強かったが、今では大人でも正面から組み合いたくないほどの体格だった。
「本当にリンだな」
シンは鉄棒を地面へ立てた。
「相変わらず細けえ」
「相変わらずお前は考えが足りない」
「何年ぶりだ?」
「三年」
「そんなに経ったか」
「お前が急に村を出ていってからな」
「ああ」
シンは悪びれる様子もなく頷いた。
ある朝、突然姿を消した。
置き手紙には、強くなる、とだけ書かれていた。
どこへ行くのか。
いつ戻るのか。
何を目指しているのか。
何一つ書かれていなかった。
「どこにいたんだ」
「いろいろだ」
「何をしてた」
「強いやつと戦ってた」
「それだけ?」
「それ以外に何がいる」
リンは額を押さえた。
三年前と変わらない。
いや、三年前より悪化している。
「そういうリンは、何してんだ」
「見れば分かるだろ。旅だよ」
「一人で?」
「今のところは」
「目的は?」
「まだ決めてない」
シンは一瞬黙り、それから腹を抱えて笑い出した。
「お前も変わんねえな!」
「何がだ」
「何でもできるくせに、何をするかは決められねえ!」
その言葉に、リンの眉がわずかに動いた。
昔から、シンは遠慮がない。
村の者たちが口にしないことも、平然と言う。
「余計なお世話だ」
「そう怒るなよ」
「怒ってない」
「怒ってる顔だ」
「お前が腹立つ顔をしてるだけだ」
「なら殴ればいい」
「は?」
シンは地面へ立てていた鉄棒を持ち上げた。
太い腕に力が入る。
「久しぶりにやろうぜ」
「何を」
「決まってるだろ」
シンは鉄棒を肩へ担いだ。
「どっちが強くなったか、勝負だ」
「断る」
リンは即答した。
「腹が減ってる」
「俺も減ってる」
「なら先に飯だ」
「勝ったほうが食えばいい」
「誰の飯を?」
「お前、持ってるだろ」
「黒パン半分だけだ」
「ちょうどいい」
「全然よくない」
リンはため息をつき、シンの横を通り過ぎようとした。
「僕は町へ行く。喧嘩はまた今度だ」
その瞬間、鉄棒が振り下ろされた。
リンは横へ跳んだ。
直後、街道が爆発したように砕けた。
砂と石が跳ね上がる。
「シン!」
「避けたじゃねえか!」
「避けなかったら死んでる!」
「なら問題ねえ!」
「大問題だ!」
シンは鉄棒を振り回す。
リンは後方へ跳び、背中の袋を地面へ投げた。
戦うしかない。
一度こうなったシンは、勝つか、気絶するか、腹が減って動けなくなるまで止まらない。
リンは短剣を抜いた。
「後悔するなよ」
「それでこそリンだ!」
シンが地面を蹴った。
大柄な体からは想像できない速さで、一気に間合いを詰める。
横薙ぎの鉄棒。
まともに受ければ、短剣ごと体を折られる。
リンは鉄棒の軌道を見切り、直前で地面へ伏せた。
頭上を鉄棒が通る。
リンはそのまま足を払った。
だが、シンはびくともしない。
「軽い!」
シンが足を振る。
リンは腕で受けながら後方へ飛んだ。
衝撃で両腕が痺れた。
「相変わらず馬鹿みたいな力だな」
「馬鹿は余計だ!」
「そこだけ否定するのか」
シンが再び踏み込む。
一撃。
二撃。
三撃。
鉄棒が振られるたびに、街道が壊れていく。
リンは受けない。
かわす。
滑る。
身を低くする。
街道脇の木を盾にし、岩を足場にし、シンの死角へ回る。
純粋な力では勝てない。
ならば、力以外で勝つ。
それが臨機応変だった。
リンの背中に、淡い青の文字が浮かび上がる。
臨機応変。
世界を見る目が変わる。
地面の傾き。
風の向き。
シンの呼吸。
足の置き方。
鉄棒の重さ。
すべてが、次の一手を選ぶ材料になる。
シンは右足へ体重を乗せる癖がある。
昔から変わっていない。
大振りの後、わずかに左側が空く。
リンは正面から飛び込んだ。
「来たな!」
シンが鉄棒を振り下ろす。
リンは右へ避けると見せかけ、左へ滑った。
鉄棒が地面へめり込む。
その瞬間、リンはシンの懐へ入り、短剣の柄で脇腹を打った。
「ぐっ!」
シンの体がわずかに揺れる。
リンは続けて膝裏を蹴った。
今度はシンの姿勢が崩れた。
「もらった」
リンは短剣を首元へ突きつけた。
だが。
「甘い!」
シンが笑った。
鉄棒を地面へ突き刺したまま、片手でリンの腕をつかむ。
「しまっ――」
リンの体が宙を舞った。
そのまま地面へ投げられる。
背中に衝撃が走った。
息が詰まる。
シンは鉄棒を引き抜き、リンへ振り下ろした。
リンは転がって避けた。
鉄棒が地面を砕く。
「普通、首に刃を当てられたら負けだろ!」
「刺してねえなら負けじゃねえ!」
「戦い方が無茶苦茶だ!」
「止まれねえから猪突猛進なんだよ!」
シンの背中に、赤い文字が燃え上がる。
猪突猛進。
力が増す。
速さが増す。
そして、何より止まらなくなる。
前へ。
ただ前へ。
邪魔するものをすべて壊して、突き進む。
「うおおおおおっ!」
シンが突進した。
リンは逃げた。
正面から受ける必要はない。
街道脇へ飛び込み、木々の間を走る。
シンは迷わず追ってきた。
「待て、リン!」
「待つわけないだろ!」
リンは走りながら周囲を確認する。
木々。
岩。
斜面。
古い獣道。
一本の太い蔓。
リンは短剣で蔓を切り、木の間へ低く張った。
そのまま先へ進む。
背後からシンが迫る。
「そんなもん!」
シンは足元の蔓に気づいていた。
だが、止まらない。
いや、止まれない。
「ぶっちぎる!」
シンの足が蔓へ引っかかる。
蔓は切れなかった。
代わりに、根元へ絡んでいた枯れ木が倒れた。
その先には、斜面の上で不安定に止まっていた大岩がある。
枯れ木が岩を押す。
岩が転がる。
「お?」
シンが見上げた。
大岩が迫る。
「これくらい!」
シンは鉄棒を振り上げた。
正面から岩を粉砕する。
砕けた石が辺りへ飛び散った。
「見たか、リン!」
「見てるよ」
リンの声は、すぐ横から聞こえた。
シンが振り向く。
いつの間にか、リンは懐へ入り込んでいた。
短剣の刃が、シンの喉元に触れる。
同時に。
シンの拳も、リンの頬の直前で止まっていた。
二人は動かなかった。
森の中に、荒い呼吸だけが響く。
「僕の勝ちだ」
リンが言った。
「俺の拳が先だ」
「刃が触れてる」
「拳が当たってたら、お前の頭は飛んでる」
「当たってないだろ」
「お前だって刺してねえ」
「刺したら死ぬだろ」
「殴っても死ぬぞ」
二人はしばらく睨み合った。
やがて、同時に武器を下ろした。
「引き分けだな」
シンが言った。
「僕の勝ちだ」
「細けえな」
「お前が雑すぎるんだ」
リンは短剣を鞘へ戻した。
肩で息をしながら、街道へ戻る。
そこで足を止めた。
「……シン」
「何だ」
「これ、どうする」
街道は見る影もなく壊れていた。
岩は転がり、地面には穴が空き、道しるべは折れ、街道脇の小さな茶屋の屋根には石が突き刺さっている。
茶屋の前には、腕を組んだ老人が立っていた。
顔は笑っていない。
「お前たち」
低い声だった。
「少し、話をしようか」
その後。
リンは財布に残っていた銅貨三枚をすべて失った。
シンは鉄棒を使い、街道の穴を埋めさせられた。
倒した木を起こし、飛ばした岩を片づけ、壊した茶屋の屋根を直した。
すべてが終わった頃には、日は傾き始めていた。
リンとシンは街道脇に座り込んでいた。
二人とも泥まみれだった。
「腹減った」
シンが言った。
「誰のせいだと思ってる」
「茶屋の爺さん、厳しかったな」
「当然だ」
「黒パン、食おうぜ」
リンは背負い袋を開いた。
中を探る。
黒パンはあった。
ただし、戦いの途中で袋が潰れたらしく、粉々になっていた。
「これでも食える」
シンが手を伸ばす。
リンはその手を払った。
「半分だ」
「俺が街道を直した」
「僕も直した」
「俺のほうが働いた」
「壊した量もお前のほうが多い」
「じゃあ六割」
「半分」
「五割五分」
「細かいな」
「お前が言うな」
二人は粉々になった黒パンを手のひらへ分けた。
土が少し混じっている。
リンは小さな欠片を口に入れた。
硬い。
味がない。
シンも一口食べ、顔をしかめた。
「まずい」
「贅沢言うな」
「肉が食いたい」
「金がない」
「狩るか」
「今から?」
「その辺にいるだろ」
「日が暮れる」
「火を起こせばいい」
「鍋がない」
「焼けばいい」
「塩もない」
「肉なら何でもうまい」
「お前の舌は信用できない」
そこで、二人の腹が同時に鳴った。
大きな音だった。
リンとシンは顔を見合わせる。
「リン」
「何だ」
「村にいた頃、こんなに腹減ったことあったか?」
「お前はいつも腹を減らしてただろ」
「そうだったか?」
「僕の昼飯を毎回取ってた」
「半分だけだ」
「七割だ」
「細けえな」
リンは残ったパンの粉を口へ流し込んだ。
当然、腹は満たされない。
「町まで歩こう」
「どれくらいだ」
「二時間」
「遠いな」
「お前が街道を壊さなければ、もっと早く着いてた」
「まだ言うか」
「一生言う」
二人は立ち上がった。
夕暮れの街道を歩き始める。
空は赤く染まり、森の奥から鳥の声が聞こえていた。
しばらく歩いたところで、シンが急に立ち止まった。
「リン」
「今度は何だ」
「匂いがする」
「獣か?」
「違う」
シンは鼻を動かした。
「肉だ」
リンも立ち止まり、風の匂いを嗅いだ。
確かに、香ばしい匂いがする。
焼いた肉。
煮込んだ野菜。
何かの香草。
それらが混ざり合った、温かい匂い。
「森の中だな」
「行くぞ!」
シンが走り出した。
「待て!」
「肉が逃げる!」
「料理は逃げない!」
「誰かに食われる!」
「人の食事かもしれないだろ!」
シンは聞いていなかった。
木々を押しのけ、匂いのする方角へ一直線に進む。
リンも仕方なく後を追った。
やがて、森の中に小さな明かりが見えた。
焚き火。
その上には、大きな鍋がかけられている。
鍋の中では、肉と根菜が煮込まれていた。
表面に浮いた脂が火の光を反射し、湯気とともに香草の匂いが広がっている。
鍋の前には、一人の少女が座っていた。
淡い茶色の髪を後ろで束ね、旅装の上から白い前掛けを身につけている。
片手には木べら。
もう片方の手には、小さな薬草の束。
少女は薬草を指先で細かくちぎり、鍋へ落とした。
その瞬間、湯気が淡い緑色に輝いた。
「おお……」
シンの目が輝く。
「肉だ」
「そこしか見てないのか」
リンは少女の背中を見た。
一瞬だけ、橙色の四文字が浮かび上がった。
医食同源。
食は命の源。
料理によって体を癒やし、力を与える者。
少女が振り返った。
大きな瞳が、泥だらけの二人を映す。
次いで、二人の腹がまた同時に鳴った。
少女は鍋をかき混ぜながら言った。
「食べたいの?」
シンは即答した。
「食べたい!」
「一杯、十文」
リンとシンは黙った。
少女が二人を見る。
「どうしたの」
リンは空になった財布を見せた。
「金がない」
「一文も?」
「一文もない」
少女は少し考えたあと、鍋へ蓋をした。
「じゃあ、匂いだけ嗅いで帰って」
「そんな!」
シンの悲鳴が森に響いた。
少女は冷たい目でシンを見た。
「騒ぐと肉を減らすわよ」
「まだ食わせてもらってねえ!」
「だから減らしようがあるの」
リンは思わず笑った。
「笑うな、リン!」
「いや、久しぶりにお前より強そうな相手を見た」
「どこがだ!」
少女は木べらをシンへ向けた。
「鍋に近づいたら殴るから」
シンは足を止めた。
リンは確信した。
この少女は、強い。
少なくとも、腹を空かせた猪突猛進を止めるだけの力がある。
「名前は?」
リンが尋ねた。
少女は少しだけ顔を上げた。
「イオ」
そして、鍋の蓋を押さえながら続けた。
「真名は、医食同源」
シンが腹を押さえた。
「イオ」
「何」
「一杯だけ」
「十文」
「後で払う」
「後で払う人は、大体払わない」
「俺は払う」
「何で?」
「強いから」
「何の関係があるの」
リンはため息をついた。
久しぶりに再会した親友と殴り合い。
財布を失い。
夕飯にもありつけない。
旅を始めてから、予定どおりに進んだことなど一つもなかった。
それでも、不思議と悪い気はしなかった。
リンは鍋から立ち上る湯気を見つめた。
そして、静かに尋ねた。
「金の代わりに、何か手伝えることはある?」
イオの手が止まった。
シンがリンを見る。
リンは小さく笑った。
「食べるためなら、働くしかないだろ」
イオは二人を交互に見た。
それから、森の奥へ視線を向けた。
「あるわ」
少女の表情から、わずかに笑みが消える。
「ちょうど、二人くらい必要だったの」
森の奥。
木々の向こうから、低い唸り声が聞こえた。
シンは嬉しそうに鉄棒を担いだ。
「敵か?」
「食材よ」
イオは答えた。
「明日の朝までに、大角猪の肉が必要なの」
シンの目が輝く。
「肉!」
リンは額を押さえた。
三年ぶりの再会。
決闘。
空腹。
そして、夜の狩り。
二人の旅はまだ始まってすらいなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
第1話は、リンとシンの再会回でした。
久しぶりに会って、まず殴り合う。
そして二人そろって腹ぺこになる。
そんな二人の前に現れた、医食同源のイオ。
次回は、食事代の代わりに大角猪を狩ることになります。
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