17話 弱肉の城
【前書き】
四字熟語が真名になる世界。
臨機応変、猪突猛進、医食同源の三人が、今日も腹を空かせて旅をします。
バトルあり、料理あり、ちょっとした言葉の物語あり。
よろしくお願いします。
弱肉強食の城は、門をくぐった瞬間から生き物の腹の中のようだった。
白い城壁。
牙のように尖った塔。
遠くから見れば石でできているように見えた。
だが、近くで見ると違う。
壁には薄く血管のような筋が走り、床は冷たいのに、どこか柔らかい。
足を踏み出すたびに、ぎしり、と小さな音が鳴る。
石が軋む音ではない。
骨が鳴る音に似ていた。
「気持ち悪い城だな」
シンが鉄棒を担ぎ直した。
「城というより、獣の体の中みたいだ」
リンは周囲を見回す。
広い入口の間。
天井は高く、白い柱が何本も並んでいる。
だが、その柱も真っ直ぐではない。
肋骨のように曲がっていた。
壁には、ところどころに文字の欠片が浮かんでいる。
勇。
猛。
果。
断。
忍。
不。
どれも完全な四文字ではない。
砕けた真名の破片のようだった。
ムソウが扇を閉じたまま、低く言う。
「食った真名の残り香か」
「たぶん」
リンは壁に触れようとして、すぐに手を引っ込めた。
指先に、ぞわりと嫌な感覚が走った。
食われる。
そう思った。
「触らない方がいい」
「分かった」
シンがすでに柱へ手を伸ばしていたので、リンは慌てて止めた。
「お前、今触ろうとしてただろ」
「硬さを見ようとした」
「食われるぞ」
「手がか?」
「真名が」
シンは少しだけ真顔になった。
「それは困る」
「珍しく素直だな」
「猪突猛進がなくなったら、俺は何になる」
「少しは落ち着くかもな」
「それは俺じゃねえ」
「分かってる」
ムソウは大太刀の鞘を軽く叩く。
「この城は、真名を餌としておる」
「城自体が弱肉強食の一部、ということですか」
リンが問う。
「おそらくな。踏み入れた者の弱さを探し、隙を見せれば食らう」
「なら、長居は危険ですね」
「同感だ」
シンは奥へ続く通路を睨んだ。
「じゃあ、さっさと行くぞ」
「待て」
「またか」
「当然だろ。ここは敵の腹の中みたいな場所だ。適当に走ったら、本当に腹の中へ落ちる」
「もう腹の中じゃねえのか?」
「たとえだ」
「ややこしいな」
リンは入口の間を観察した。
奥へ続く通路は三つ。
左は低く、暗い。
中央は広く、まっすぐ上へ続いている。
右は壁に多くの文字の欠片が浮かんでいる。
どれも怪しい。
「どれだ」
シンが聞く。
「普通なら中央が誘いだな」
「じゃあ中央以外か」
「そう思わせる罠もある」
「面倒くせえ!」
ムソウが笑う。
「ならば、天下無双が決めよう」
「勘ですか?」
リンが聞く。
「真名だ」
ムソウは目を閉じた。
背中に天下無双の四文字が浮かぶ。
白い光が、城の白い壁とは違う色で輝いた。
しばらくして、ムソウは右の通路を見た。
「そこだ」
「理由は?」
「腹が鳴っている」
「シンみたいな理由ですね」
「違う」
ムソウは真面目な顔で言った。
「城が、あそこを隠したがっている」
リンは右の通路を見る。
壁に浮いた文字の欠片。
確かに、そこだけ文字が多い。
食われた真名の残滓が集まっているのかもしれない。
「分かりました。右へ」
「よし!」
シンが先頭に立とうとする。
リンが止めた。
「僕が先」
「何でだ」
「罠を見るため」
「俺なら踏んでも平気だ」
「踏まないために見るんだ」
「なるほど」
「本当に分かってるか?」
「昨日より分かってる」
「便利に使うな」
三人は右の通路へ入った。
通路は狭く、壁の文字が近い。
勇猛。
果敢。
堅忍。
不抜。
百戦。
錬磨。
どれも途中で途切れている。
まるで、誰かが必死に自分の名を残そうとして、途中で噛み砕かれたようだった。
リンは歩きながら、胸の奥が重くなるのを感じた。
「こいつら、城に連れて来られた人たちか」
シンが言う。
「町人の話にあった真名と重なる」
「まだ生きてるのか?」
「分からない」
リンは正直に答えた。
その時、通路の奥から低い唸り声が聞こえた。
シンが鉄棒を構える。
ムソウも扇を広げる。
リンは足元を見る。
白い床に、黒い影が広がっている。
影はゆっくり形を変えた。
人の形。
いや、人だったものの形。
鎧をまとった男。
背中には、かすれた四文字。
勇猛果敢。
だが、その文字は半分食いちぎられている。
男の目に光はない。
ただ、黒い獣の影に操られるように立っていた。
「……勇猛果敢」
リンが呟く。
シンの顔が険しくなる。
「町から連れてかれたやつか」
影の男が剣を構えた。
口が開く。
「強き……者……のみ……進め……」
声は掠れていた。
「弱き……者……退け……」
ムソウが一歩前へ出る。
「食われてもなお、真名を歪められておるか」
勇猛果敢の残滓が地面を蹴った。
速い。
一直線に突っ込んでくる。
シンが反応する。
「俺がやる!」
鉄棒と剣がぶつかる。
重い音が通路に響いた。
勇猛果敢の残滓は怯まない。
痛みを感じていない。
剣を弾かれても、そのまま体ごと突っ込んでくる。
「こいつ、止まらねえ!」
「勇猛果敢だからな!」
ムソウが言う。
「勇気を持って猛進する真名だ。恐れを知らぬ」
「じゃあ俺と似てるな!」
「少し違う!」
リンは通路の壁を見る。
勇猛果敢の文字が、残滓の動きに合わせて光っている。
この城が、食った真名を操っている。
「シン、押し返すな! 横へずらせ!」
「横?」
「正面から受けると、相手の真名に乗せられる!」
「なるほど!」
シンは次の突撃を正面から受けず、鉄棒を斜めに当てた。
勇猛果敢の残滓の体が壁へ流れる。
壁にぶつかる直前、ムソウの扇が動いた。
ぱん、と乾いた音。
残滓の剣が弾かれる。
ムソウの鞘が、その胸に軽く触れた。
「眠れ」
白い光が走る。
勇猛果敢の残滓が崩れた。
黒い影が剥がれ、床へ溶ける。
残ったのは、小さな木札のような欠片だった。
そこには、かすかに勇猛果敢の文字が残っている。
リンは拾い上げた。
「これは……」
欠片は温かかった。
完全に死んだものではない。
だが、生きているとも言い切れない。
「持っていけ」
ムソウが言う。
「なぜですか」
「この城に残すよりはよい」
リンは頷き、欠片を布で包んだ。
シンは奥を睨む。
「こんなのがまだいるのか」
「たぶん」
リンは答えた。
「弱肉強食は、食った真名を使える。でも完全に消化しきれていないものは、こうして残滓として動かしているのかもしれない」
「胸糞悪いな」
「同感だ」
三人はさらに進んだ。
次に現れたのは、堅忍不抜の残滓だった。
全身を黒い鎧のような影で覆い、何をしても倒れない。
シンの一撃を受けても動かない。
ムソウの鞘打ちにも膝をつかない。
「硬い!」
シンが叫ぶ。
「堅忍不抜だからな!」
ムソウが返す。
「何でも真名で説明するな!」
リンは残滓の足元を見る。
動かない。
倒れない。
だが、逆に言えば、動きは遅い。
「倒す必要はない!」
リンが叫ぶ。
「通路を塞いでるだけだ!」
「じゃあどうする!」
「動かす!」
「それが難しいんだろ!」
リンは周囲を見た。
壁に浮かぶ文字。
床の溝。
天井から垂れる骨のような飾り。
「シン、右から押すふり。ムソウさん、左の壁に扇を」
「心得た!」
「おう!」
シンが右から鉄棒を押し当てる。
堅忍不抜の残滓は動かない。
だが、押された方向へ耐えようとして力を入れた。
その瞬間、ムソウが左の壁へ扇を打ち込む。
壁の文字が揺れる。
床の溝に黒い影が流れた。
リンはその溝へ持っていた木片を突き込む。
影の流れが止まった。
残滓の足元がわずかに緩む。
「今!」
シンが力を込める。
「どけえ!」
堅忍不抜の残滓が横へずれた。
ほんの少し。
だが、人一人通れる隙間ができた。
「走れ!」
リンが叫ぶ。
三人は隙間を抜けた。
背後で、残滓がゆっくり振り返る。
だが追ってこない。
その場に留まり続ける。
それが、歪められた堅忍不抜の役割なのだろう。
「倒さなくていいのか」
シンが振り返る。
「今は進む」
リンは息を整えながら言った。
「助けられるなら助ける。でも全部を相手にしていたら、こっちが食われる」
ムソウが頷く。
「臨機応変だな」
「そうするしかないです」
通路の先に、大きな広間があった。
そこは、城の食堂のようだった。
いや、食堂というより、獲物置き場だった。
白い床の上に、黒い檻がいくつも並んでいる。
檻の中には、人がいた。
町から連れて来られた者たちだ。
若い男。
武人らしき女。
傷だらけの兵士。
意識のない者もいる。
背中には、それぞれ四文字が浮かんでいる。
一騎当千。
百戦錬磨。
勇往邁進。
質実剛健。
だが、その文字は薄くなっていた。
「生きてる!」
リンが走る。
檻に近づこうとした瞬間、床から黒い牙が突き出した。
「リン!」
シンが鉄棒で牙を叩き折る。
白い床が血のような黒い液を流した。
「檻に近づくと食う仕掛けか」
ムソウが低く言う。
檻の中の女が顔を上げた。
「逃げ……ろ……」
「あなたたちを助けに来た」
リンが言う。
「無理だ……ここは、食われる……」
「弱肉強食はどこだ」
シンが聞く。
女は震える指で天井を指した。
「上……城の奥……玉座……」
「玉座か」
ムソウが扇を閉じる。
「虎のくせに王気取りとは」
リンは檻の仕組みを見る。
黒い鉄のように見えるが、金属ではない。
影が固まったものだ。
鍵穴はない。
真名の力を吸って檻を保っている。
「壊せるか?」
シンが聞く。
「力ずくで壊したら、中の人の真名まで引き剥がされるかもしれない」
「じゃあどうする」
「城の中心を叩く」
リンは上を見た。
「弱肉強食を倒せば、檻も弱まるはずだ」
檻の中の男が掠れた声で言った。
「行け……」
「でも」
「俺たちは……まだ食われきってない……だが、長くはもたない……」
一騎当千の男が、歯を食いしばって顔を上げた。
「虎を……倒せ……」
シンの拳が震える。
「待ってろ」
短い言葉だった。
だが、その声は強かった。
「絶対、吐かせる」
檻の中の者たちの目に、わずかな光が戻る。
ムソウは檻の前で深く頭を下げた。
「天下無双の名にかけて、必ず」
リンは広間の奥にある階段を見た。
白い階段。
だが、その縁は牙のように鋭い。
上へ。
城の中心へ。
三人は階段へ向かう。
その時、広間の奥から拍手の音が聞こえた。
ぱち。
ぱち。
ぱち。
ゆっくりとした音。
リンたちは振り返る。
そこに立っていたのは、痩せた男だった。
黒い衣をまとい、頬がこけている。
背中には四文字。
暴飲暴食。
だが、その文字も黒く歪んでいた。
男はにやりと笑う。
「助ける。吐かせる。倒す」
暴飲暴食は舌なめずりをした。
「いいねえ。威勢がいい。食欲が湧く」
シンが鉄棒を構える。
「お前も食われたやつか」
「違うなあ」
男は腹をさすった。
「俺は自分から食われた」
「何?」
「弱肉強食様の腹の中はいい。いくらでも食える。食って、食って、食って、最後は自分も食われる。最高じゃないか」
イオがいなくてよかった。
リンは一瞬そう思った。
この男の言葉は、医食同源とは真逆だ。
食べることを命につなげるのではなく、ただ奪い、ただ満たし、最後には自分すら餌にする。
「どけ」
シンが低く言う。
「やだね」
暴飲暴食の口が裂けるように広がった。
「お前ら、うまそうだ」
床から黒い腕が伸びる。
壁の文字が震える。
檻の中の者たちが苦しそうに呻いた。
暴飲暴食の能力が、周囲の力を吸っている。
リンはすぐに叫んだ。
「長引かせるな! 檻の人たちが削られる!」
「なら一撃だ!」
シンが突っ込む。
暴飲暴食は大きく口を開けた。
鉄棒を食おうとする。
「馬鹿か!」
シンは鉄棒を引き、代わりに床の白い骨片を蹴り上げた。
骨片が男の口に入る。
「まずっ!」
暴飲暴食が顔を歪めた。
「今だ!」
リンが走る。
男の足元にある影の流れを読む。
暴飲暴食は周囲から力を吸う。
なら、吸う流れを断つ。
「ムソウさん、左の檻の影を!」
「心得た!」
ムソウの扇が白く光る。
一閃。
左側の影が切れる。
リンは右の床の溝へ木札を突き込む。
影の流れが乱れた。
暴飲暴食がよろめく。
「食い足りねえ!」
「もう食うな」
シンの鉄棒が、男の腹へめり込んだ。
殴るというより、押し潰す一撃。
暴飲暴食の体が後ろへ吹き飛び、壁へ叩きつけられる。
黒い文字が砕ける。
「もっと……食い……」
男の体が影になって崩れた。
床へ吸い込まれる直前、暴飲暴食の四文字だけがふっと浮かび上がり、どこか上の方へ引きずられていった。
「弱肉強食のところへ戻った」
リンが言う。
「食った真名を回収してるのか」
ムソウの顔が険しい。
「ますます急がねばならぬな」
檻の中の者たちは、少しだけ呼吸が楽になったようだった。
一騎当千の男が掠れた声で言う。
「行け……」
リンは頷いた。
「必ず戻ります」
三人は階段を上った。
上へ行くほど、城の白さは濃くなった。
壁は白い毛皮のようになり、床には爪痕が増える。
遠くから、低い唸り声が響く。
それは城全体を震わせるようだった。
階段の途中で、シンが急に立ち止まった。
「どうした」
リンが聞く。
「腹が減った」
「今?」
「いや、違う」
シンは眉をひそめた。
「腹が減ってる感じが、俺のじゃねえ」
ムソウも足を止める。
「城の飢えか」
空気が重くなる。
腹の底を空っぽにされるような感覚。
何かが欲しい。
食いたい。
奪いたい。
満たされない。
その飢えが、城全体から流れ込んでくる。
リンは歯を食いしばった。
弱肉強食の領域。
ここにいるだけで、心の中にある弱さや飢えを刺激される。
シンは鉄棒を強く握った。
「俺の腹は俺のもんだ」
「そこ?」
リンが思わず言う。
「勝手に減らされるのは気に入らねえ」
「でも、分かりやすくていい」
ムソウが笑った。
「わしの花道も、虎ごときに食わせる気はない」
リンは息を整える。
「進もう」
階段の先に、大きな扉があった。
白い毛皮に覆われた扉。
中央には、黒い四文字が刻まれている。
弱肉強食。
その文字は、脈打っていた。
扉の向こうから、声が聞こえる。
「来たか」
低く、重い声。
「食われ残りの町から、三匹」
シンが扉の前に立つ。
「食う側のつもりか」
声が笑う。
「当然だ」
ムソウが扇を広げる。
「ならば、食い過ぎた腹を斬り開いてやろう」
「天下無双か」
扉の向こうの声が、少しだけ楽しそうになる。
「よい真名だ。食えば、さぞ強くなれよう」
ムソウの目が鋭くなる。
「わしを食うか」
「強きものは食う。弱きものは捨てる。それが理」
リンは扉を見つめた。
ついに来た。
四天王。
弱肉強食。
その本体が、この先にいる。
イオはここにはいない。
町で、人々を生かしている。
だからこそ、ここで止まるわけにはいかない。
「開けるぞ」
リンが言う。
シンが鉄棒を構える。
ムソウが大太刀の鞘に手を添える。
三人が同時に頷いた。
シンが扉を蹴り開ける。
白い扉が、獣の口のように大きく開いた。
その奥。
広大な玉座の間。
骨の柱。
毛皮の床。
食われた真名の文字が浮かぶ壁。
そして、玉座の上に。
巨大な白い虎がいた。
山ほど大きな体。
黒い縞。
金色の目。
腹には、無数の四文字熟語が浮かんでいる。
優勝劣敗。
暴飲暴食。
勇猛果敢。
百戦錬磨。
自暴自棄。
そして、まだ読み取れない文字の群れ。
白虎は口を開いた。
牙の奥から、低い声が響く。
「我が名は、弱肉強食」
城が震える。
「強きものよ、我が腹に入れ」
シンが鉄棒を構えた。
「断る」
ムソウが扇を広げる。
「野暮な誘いよ」
リンは一歩前へ出る。
「吐き出してもらう」
白虎の金の目が、細くなった。
玉座の間に、飢えた笑い声が響いた。
【後書き】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
リンは考え、シンは突っ込み、イオは鍋を握る。
そんな三人の旅を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
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