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 「ねぇ、聞いた? 赤い傘の噂……」

 「聞いたよ、怖いよね……あれでしょ? 行方不明になった子ももしかしてって」


 帰り支度をしていた女性は、同僚の話声が耳に入る少しだけ眉を潜め、乱暴に席を立った。


 「お疲れ様です」

 部屋の隅で話していた同僚に向かって挨拶をすると、背中越しに「お疲れ様」と声をかけられる。

 「ねぇ。今の子ってさ、行方不明になった達也君の彼女だったんでしょ?」

 「え!? そうだったの……知らなかった〜。茜ちゃんだっけ?」

 「そうそう。でさ……」

 話を辞めない二人にたいして茜の足が止まり、なにか言ってやろうと思ったが、歯を強く噛み締めてこらえる。

 肩越し睨みつけるように見たが、二人は気づいた様子もなくずっと話し続けていた。


 「ちっ」

 舌打ちを一つして扉を乱暴に開けると、古び廊下に茜は出た。

 チカチカと蛍光灯が明滅を繰り返し、壁を見れば黒い染みや、いつのものか分からない掲示板が適当に貼られていた。


 「ケチ臭い会社」

 二人への怒りの矛先が会社へと向けられる。

 「てか、この時代LEDにくらいして欲しいんだけど」

 蛍光灯を睨みつけ、今度は廊下の奥へ目をやると薄暗い闇が奥まで延々と続いていた。

 まるで廃墟のようにボロボロな廊下を一本歩くたびに、ハイヒールの音が響く。


 「達也……」

 茜の口が勝手に開くと廊下の一角で足が止まる。

 「ここでいつも話してた……でも、誰に? あいつ、なにを言っても、このことに関しては言うこと聞かなかったよね」

 窓の縁をそっと撫でると頭に彼の笑顔が蘇り、胸が締め付けられた。

 茜は悲しげに眉を潜め、少しだけ目が充血したように赤くなり、わずかに肩がしゃくり上がる。

 唇をきつく結び、溢れそうになる涙を堪えるが、一つだけ頬を流れて筋を作った。

 それを服の袖で拭い、強く瞼を閉じて次に目を開くと真っ直ぐに窓の外を見る。


 「絶対に見つける」

 その言葉には強い意志が込められていた。

 「そして、馬鹿って言ってやるんだ。本当に……なにが赤い傘よ……」

 茜はなにかを振り払うように廊下の奥に再び体を向けて、少しだけ早足で歩いて会社を出た。


  ――――


 「はぁ〜、なんか疲れた……」

 手提げバックをテーブルに置いて、そのまま座るとスマホを取り出して画面を見る。

 「やっぱり……ない」

 画面に映っているのは、少し童顔な男性と一緒に撮った写真。

 ホーム画面を見ても、通信アプリにはなにも通知がなく、すぐに電源ボタンを押すと画面が暗くなった。


 「ちょっと、やつれたかな? それもこれもあいつのせいよ」

 暗くなった画面に反射した自分の顔を見ると、頬を軽く撫でる。

 少しだけ肉がなくなり、指先に触れる骨の感触がいつもより多く感じられる。

 スマホを鏡替わりにいろんな方向から映すが、頬が少しコケた自分の姿は変わることはなかった。


 「汗かいたし……先に今日はお風呂にしよう」

 浴室へ向かうと、お湯をためるボタンを押した。

 「なんか、自分で言うのもあれだけど……酷い、顔。あれから一ヶ月は経ってるんだけどな……」

 お湯が溜まるまでの間、化粧を落とそうと思って鏡の前に立った茜は、自分の姿を見てそう呟いた。


 「化粧落とすのすらめんどくさ――痛っ!」

 目にゴミが入ったのか反射的に瞼を閉じる。

 

 「もう、最悪……え? なに? なんで」

 何度か瞬きを繰り返すと、ゴロゴロとした異物感が消え、鏡に映る自分の姿が鮮明に見えた。

 その瞬間、茜は思わず言葉が漏れる。

 それは、怯えたように震え、わずかに体がたじろぐように後に下がってしまう。


 「ねぇ? なんで目を閉じてるの? 私、今開いてるよ……」

 か細い声で茜が話すと、それに合わせて唇は一緒に動くが目だけは閉じたままだった。

 なんで? 今映ってるの……誰なの? 私しか……いないのに。


 頭の中を落ち着かせようとするが、それが余計に恐怖へと足を引きずり込んでいく。

 動けないまま鏡の自分を見つめ続けると、鏡の中のそいつがゆっくりと目を上けようとした。

 口に溜まった唾を飲み込むと、鼓膜がピキリと音を立てる。

 それと同時に、お湯をためる音と換気扇のファンが回る音が頭の中で大きくなった。


 「――いやっ!」

 鏡の中の自分が完全に瞳を開けようとした時、耐えきれず浴室から飛び出していた。


 「なんなのっ!」

 叫ぶように布団を頭までかけて、茜は叫んだ。

 「ねぇ! 達也なの!? あの時、声を無視したから恨んでるの!? ねぇ……答えてよ」

 茜が乱暴に叫んでいたが、最後の方は泣きそうなくらい震えていた。

 両手で肩を抱くようにして、顔を布団に押しつけるが止まることはない。


 ――ピピピピッ


 「――ひぃっ!」

 次の瞬間、浴室から機械音が聞こえてきた。

 その音に短い悲鳴が漏れてしまう。

 お湯をためる音が、アパートの部屋中に響く。

 それがすっと消えるが、茜は布団から出ることはなかった。


 ――――


 「……あ? 私……寝てたの?」

 外から鳥のさえずりが聞こえると、朝になっていたことに気づく。

 恐る恐る布団から顔を出して、周囲を見回してみるが、昨日返ってきた時からなにも変わっていない。


 「昨日のは……夢?」

 そう思って布団から出る。


 夢であって欲しい。

 むしろ、あんな非現実的なことは夢じゃないと困る。


 そう思うと、鏡のことが気になってしょうがない。

 茜はゆっくりと浴室の扉を開く。


 「……なにも……ない」

 開け放った扉の向こうにはいつもの見慣れた光景があるだけだった。


 「鏡……」

 一歩足を踏み入れると、心臓が肋骨の裏側を激しく打ち鳴らす。

 走った後のように呼吸が荒くなり、口から溢れそうになった唾を飲み込むと顔だけを鏡に映した


 「良かった……」

 特に変わった様子はない。

 茜は肺に溜まった空気を全て吐き出し鏡の前に立つが、向こう側の自分はちゃんと動きを真似ていた。


 「……やっぱり夢だったんだ」

 はぁっとため息を吐きながら、顔を伏せる。

 「仕事……準備しよ」

 そして、前を向くと、


 「あ……」

 いびつに歪んだ自分の顔が茜を見ていた。

 

 「――今度は笑ってるんだ」

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