神隠し
こうやって、悲しい事実を告げることは僕の役目だけど、いつも嫌な気分になる。
「茜ちゃん、最初に言わなきゃいけないことがあるんだ」
そう告げると、彼女の視線が下に下がる。
どこかで覚悟ができていたと思っていたんだろう。
僕の事務所に来た時は元気な素振りを見せていたが、今はそれは鳴りを潜め、膝の上で両手で拳を作って肩を震わせている。
「達也くんって子は――」
後、一言。
それを言えば僕の辛い役目は終わるが、彼女の心が壊れてしまうかもしれない。
僕は呪いで人を殺したこともある。
引きこもりの穀潰しに、この前は女子大生も。
人の死にはだいぶなれたつもりだったが、こう言う場面は何回味わっても嫌なもんだ。
「――助からない」
最後の言葉を言い終えると茜ちゃんの瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。
両手で顔を覆って、口から漏れた嗚咽は何度も部屋の中に溶けて消えていく。
それを僕はどうにか感情を殺して見るが、胸が締め付けられる思いはいつだって変わらないのだ。
――"怪異"
それは日常に潜む魔物。
気づいたらすぐ横にいる。
そして、気づいた時には水を与えられた魚のように嬉々として人間に襲いかかる。
要するに達也くんは不慮の事故にあったのだ。
交通事故と変わらない。
助かる人と助からない人がいる。ただ、それだけ。
ただ、最近はその件数が多いのだが、
その原因――"今回は"隙間と呼ばれる怪異が十数年ぶりに出現したためである。
「あ……うぅ……達也……どうして」
彼の名前を呼びながら茜ちゃんは泣き崩れ、横に一緒に座っていた奏ちゃんが優しく背中をさする。
少し視線をあげれば悲痛な表情で健二が茜を見て、僕の事務所には人の悲しみが充満していた。
とにかくこう言う時は感情の赴くままに。
机に置いてあったコーヒーを一口、誤魔化すように飲み込んだ。
しばらくして、茜ちゃんは落ち着きを取り戻したのか充血した目で僕の顔を見てきた。
その瞳からは強い意志を感じて、僕も彼女の瞳を見つめ返す。
「た、達也……彼に、最後に会うことはできますか?」
凛と澄んだ声色は焼かれたように爛れた声になっていた。
ただ、そこには彼女の決意が乗せられているように重たく震えがない。
「それはできるとは思うけど……会ってどうするの?」
その一言は余計だったかもしれない。
だけど、茜ちゃんは怒ることもなく、言葉を放った。
「彼に会って……今までありがとうって伝えたいんです」
彼女の言葉に僕は小さく頷きを返すと、分かったと一言返す。
「恐らくだけど……達也くんを襲ったのは"赤い傘"と呼ばれる怪異なんだ」
「赤い傘……ですか?」
「そう。例えるなら……提灯庵みたいなものかな。疑似餌を巻いて、それに捕まった人間を捕食するんだ」
今回の相手は今までとは違う。
その怪異が持つのは明確な『悪意』。
「怪異ってなんで人を襲うと思う?」
「えっと……憎いからとかですか?」
茜の言葉に僕はそっと首を横に振る。
「人間になりたいからだよ。彼らは僕達人間が羨ましいんだ」
「人に……ですか」
「そう。だから、自分達のルールで人を襲う。それを守ればいつか人間になれると思ってるからね。だけど、今回の怪異……赤い傘は違う」
僕の声のトーンが少しずつ低くなると、茜が唾を飲み込んで喉が鳴る。
「ヤツが持ってるのは……純粋な"悪意"。人を殺したいから――殺す」
――――
「と言うことで、健二くんの会社に来たわけだけど、達也くんが壁に向かって話してたのはここでいいかな?」
僕は健二くん達が働いている会社に来ていたのだが……そこかしこに魑魅魍魎の類が跋扈していて、入るのに躊躇するレベルである。
そんな幽霊達がひしめき合う中で調査を進めるのは、いつもより神経がすり減ってしまう。
「ここで……間違いないです」
少し躊躇いながら茜ちゃんは言葉を紡いだが、その表情は固い。
まるで、いろいろな感情が混ざり合って陰が差しているように見えた。
僕は茜ちゃんに「ありがとう」とお礼を述べると、そっと窓の縁を指で謎った。
特に残留思念のようなものはなく、薄っすらと埃が被っているだけ。
窓の外をそっと覗くと、信号機が見えるがそこに花が置かれているのが見えた。
「うーん……手がかりはないか。てか、健二くんこの会社やばいね」
「はぇ? やばいってなにがだ?」
急に話しを振られた健二くんが上ずった声で返事をする。
「いや……ね。なんだろう? 前に来た時よりも、その……めっちゃいる。ほら、今女の人が体すり抜けて行ったよ?」
健二くんが両肩を抱いてぶるりと震える。
「おいおい……頼むから辞めてくれ」
悲痛な面持ちで健二くんが訴えてくるが、それは事実だった。
なにかしらの影響で鬼門の持つ力が強くなったのだろうと思う。
「勇気……なんとかできねえのか?」
その問いかけに僕は「それは別料金ね」と返すと、ガクリと肩を落としていた。
「あ、茜ちゃん」
彼女の後に顔が半分潰れた人間が立っていた。
あまりに酷い有様で、男女の区別はつかないが恨めしそうに彼女の背中を見ている。
「え? きゃっ!」
彼女の手を引き寄せると、女性らしい小さい悲鳴が漏れる。
抱き締める形となってしまったが、あのまま入れば取り憑かれる可能性もあったから勘弁して欲しい。
指をジグザクに動かして空中に文字を書いて
「――私は死を拒絶する」
そう呟くと、その悪霊が四散するように消えた。
「えっと……その、ごめんね」
僕の腕の内側から見上げるようにこっちを見ている彼女と視線が合うと、頬が若干赤らんでいるのが見えた。
一言謝ってから彼女をそっと解放する。
「あ……由美ちゃん」
どうしてか、彼女の温もりが消えていく最中に由美ちゃんの影が重なって見えた。
今はいない彼女の笑顔に胸の中心にが締め付けられて、思わず留めておこうと思った言葉が出てしまったのだ。
「由美ちゃん?」
僕のかすかな呟きを聞き取った彼女は不思議そうな表情を見せた。
「ううん。なんでもないよ。急に手を引っ張ってごめんね」
誤魔化したが、一度意識してしまうと息苦しさがずっと続く。
僕の表情……"あいつ"に奪われてて良かった。
能面のように変わらない自分の顔に感謝するのは初めてだったかもしれない。
待っててね。絶対に……君を――
――――
「さてと……あの魔窟から出てきたのはいいけど、達也くんの手がかりが見つからないね。あー、ちょっと聞いてくる」
「おい! 魔窟ってなんだよ。セクハラ野郎め」
茜ちゃんに抱き着いたことをそんなに根に持ってるのだろうか。
ちょんと事情を話して納得してもらったはずなんだけどな。
「え〜っと。こんにちわ」
僕は花束が添えられている電柱の前に行くと、目を合わせるようにしゃがむ。
「少し聞いていいかな?」
ゆっくりとした口調で話しかけると、相手も口を開く。
「うん……うん。あー、あっちの方ね。そっか、ありがとう」
僕が手を合わせるとすっと上の方に浮かび上がり、手を振ってくれた。
僕もその子に向かって手を振り返すと、空気に溶けるように消えてしまう。
「話、聞いてきたよ」
「あ……おう……誰に?」
健二くんには見えていないようでだったが、茜ちゃんの様子がおかしかった。
「茜ちゃん?」
僕が声をかけると呼吸を忘れたように止まった肩が、上下を始める。
さっきまで血色の良い肌色だったが、少しだけ色が抜けたように白かった。
「今……え? 私、子供が見えて……でも、空にふっと消えて……」
自分が見えた物が理解できず、発した言葉は途切れ途切れだった。
その言葉を部分的に読み取ると、そっと頷きを返す。
「多分、波長があったんだと思うよ。ほら、会社の中じゃ見えなかったでしょ?」
「え? じゃぁ、さっきのは幽霊? でも、消えちゃった」
「ああ……うん。僕がちゃんと成仏させたよ。ずっと一人ぼっちなんて寂しいでしょ」
彼女は僕の言葉を聞いて、下唇を噛んでなにかを耐えている。
恐らく達也くんって子のことを思い出してるのだろうとは思うが、今の茜ちゃんには失言だったと少しばかり反省した。
「さてと……一応、赤い傘の居場所の目星はついたかな」
僕の言葉に茜ちゃんが食いつくように身を乗り出してくる。
「あの! どこにっ!?」
僕は横断歩道を越えた先を指さすと、二人が同時にそっちを向く。
――――
「と、言うわけで、慎也くん頼んだよ」
「店長、どういう訳か分からないっす」
うちの助手はまだ察することを覚えてないらしく、みっちりと今度教育しないとだなと思った。
「なんか、良からぬこと考えてません? 店長」
こう言うところばっかり察しが良くなって、嫌になっちゃうな。
彼を数秒眺めるように見つめると、ことの顛末を話始める。
「ちょっ、無視っすか?」
僕はそれに答えなかった。
「――あー、それは理解したんだけど、なんで俺が呼ばれたんです?」
「赤い傘は警戒心が強いんだ。僕の場合は近寄るだけで逃げるだろうし、健二くんと茜ちゃんは危ない。だから……ね?」
ちゃんと丁寧に説明したが、どうしては彼は理解してくれないようだった。
「いや……ね、じゃないっすよ。俺も危ないじゃないですか」
「君は大丈夫だよ。体中怪異にとって毒だし、それに奏ちゃんも健二くんも助けてるよ」
僕が正直に伝えるが納得きてくれない。
「奏さんは……分かるっすよ。でも、どうして健二さんが?」
説明が少しめんどくさくなって、健二くんに目配せする。
その意を受け取ったのか、腕を組みながら何度も頷いて口を開いた。
「君の髪の毛……お守りを勇気にもらったんだが、家内も俺も怪異から助けられたんだ」
「は? え? 髪の毛……あん時のって」
僕は少し意地悪そうに笑う。
「これが君の髪の毛が入ったお守りだ」
健二くんが懐からお守りを取り出して、慎也くんに見せると顔が引きつってから、そのまま固まってしまう。
「持ち歩いてるんっすか!? 捨ててくださいよ!」
慎也くんが慌ててそう言うと、健二くんは胸の中に巾着をしまいこむ。
「はぁ〜。やればいいんですね……分かりましたよ」
ガクリと肩が項垂れて悲しげな声が、夜の住宅地に吸い込まれていく。
「あの……慎也くん……その、ごめんなさい」
目を伏せながら茜ちゃんがそう言うと、慎也くん慌てて手を振りながら「大丈夫っす!」と弁明していた。
「それで、なにをしたらいいっすか?」
ぶっきらぼうに慎也くんが尋ねてきた。
「簡単だよ。この道をずっと歩いて、赤い傘が見つかったら、そのままずっと見つめてれば大丈夫。それと、後はこれを手に付けててね」
最後に渡したミサンガのような物は、怪異が好む匂いを込めたものだった。
罠を張って逆にこっちにおびき出してやろうと言うさんだんだ。
「慎也くん、どうしたの?」
慎也くんが腕に通すのを躊躇っていると、僕は急かすように彼の名前を呼ぶ。
すると、怪訝な表情を浮かべながらそれを手首に付けた。
「じゃぁ、行ってくるっす」
「気をつけてな。異変があったら、電話かけてスピーカーにしといて。タイミング見て、こっちから行くから」
彼が道の向こうに消える時に恨めしそうに何度も振り返るが、手を振って見送ることにした。
「あ……あの。本当に大丈夫なんですか?」
茜ちゃんが心配そうに声をかけてきた。
「うーん。多分、大丈夫だと思うよ。なんてったって、彼は地獄の小鬼すら吐き出すくらい不味いらしいから」
奏ちゃんが餓鬼に取り憑かれた時のことを思い出すと、盛大にぶち撒けた姿を鮮明に頭に浮かぶ。
「うん。絶対、大丈夫だね」
奏ちゃんには悪いけど、あんなに気持ち良く吐くんだから、彼は"一級"を越えて、"特級"レベルの対怪異用の兵器に違いない……はず。
――ピッピッピロン……ピッピッピィ〜
そんな気の抜けた音が僕のスマホから鳴った。
「なんだよ、その着信音は」
健二くんからのクレームを交わして、スマホに出る。
「あっ、店長っすか?」
「そうだけど、早くない? まだ、数分しか経ってないよ」
さっそく赤い傘に出会ったと言うのだろうか?
「いや……なんか道の真ん中に人が立ってるんですよ」
人? ただの通行人だろうか。
「それが、まったく動かないでこっちをじっと見つめてきて」
「ふーん、そうなんだ。なら近づいて話し聞いてみてよ」
僕が何かを言うたびに、彼は必ず文句を言ってくる。
今も「は? マジで? 馬鹿っすか?」と言われて、腹が立ったから、次から給料を減らそうと思う。
慎也くんはぶつくさと文句をいいながらも、歩いている足音をスマホのスピーカーが拾っていた。
「もう少しっす」
小声で彼が呟いた。
二人がゴクリと息を飲む。
「ねぇ、君」
「え? あ、俺っすか?」
「うん……そうだよ。こんな時間にどうしたの?」
向こうから話しかけてきたようだった。
その声色は男にしては少し高くて幼いような声色をしている。
ただ、子供と言うわけじゃなくて成人した大人のように地に足がついた声だった。
「あ、ちょっと友達に用があって……」
「そうなんだ……でも、こっちには行かない方がいいよ」
「……なんでっすか?」
今のところ慎也くんは冷静に話せているようで良かった。
「うーん。怖いお化けがいるからかな。今まではなんとか押さえてたけど、今日はちょっとやばいみたい」
「そうっすか?」
「信じられないよね? でも、信じた方がいいよ。――僕みたいになるからさ」
ああ、つまり慎也くんと話しているのは――
「――達也!」
茜ちゃんも気づいたらしく、叫んだ。
「あれ? 今の声……茜ちゃん?」
「そうだよ! 達也! 私! 茜だよ」
ぐいっとスマホに顔を寄せ、茜がスピーカーに向かって声を投げつける。
「そっか……茜ちゃん。あの時はごめんね。君を巻き込むところだった」
「いいの! 私こそごめんね……達也、会いたいよ……」
茜ちゃんの瞳から大粒の涙が溢れる。
鼻をすすり、嗚咽を我慢しているが、そうするたびに何度も肩がしゃくり上げる。
「そっか……茜ちゃんの知り合いなんだね。それならなおさら巻き込みたくないな……だから、今日は帰って」
彼は慎也くんを説得を試みる。
「そうしたいんっすけどね……うちの店長が……」
「君も……なんか大変なんだね。でも、本当に今日はだめなんだ。だから、引き返して――」
――カタン、カサ……カタ
「――あ、え……どうして? まだ、余裕だよね」
電話越しに聞こえる達也の声が焦っているように聞こえる。
「え? 後ろになにか――」
「――振り向いちゃだめだ」
「赤い……傘」
達也の声は間に合わなかったようだ。
察するに、お目当ての相手が登場したようである。
「慎也くん、そのまま赤い傘を見つめ続けて」
僕がそう指示を出すと、電話越しに怒った声が聞こえてきた。
「な……なにを考えてるんだ! そんなことしたら彼が! くそ!」
達也くんの怒声に、ことが上手く言ってることが分かる。
後は、本体が出てくればこっちの勝ちだ。
「赤い……」
慎也くんが一言呟く。
「赤い傘……可愛いでしょ……」
「――だめだ! しっかりしろ! 君、目を覚まして!」
「素敵な素敵な赤い傘……ああ、俺も欲しいな」
「行くな! 止まれ! あ、ああ……そんな」
「よし。二人とも行こうか」
おかしくなった慎也くんの声に、健二くんの顔が青ざめていた。
「おい……さすがに……まずいだろ」
「大丈夫だよ。赤い傘……これで君に出会うのは三回目。今回は逃さないよ――」
――――
なんで、こんなにこの傘が欲しいのだろうか。
どうしても手に取りたい、そしてそれを頭の上にさしたいんだ。
ああ……きれいだな。
「――……い! ……おい! しっかりして!」
「は? えっ? うわっ!」
達也の声にようやく意識が戻った慎也だったが、その視界は真っ赤に染められていた。
あと少し顔を突き出せば赤い傘の布地に鼻の先端がつくくらいの距離。
いつの間にそこに自分が移動してしまったか理解できず、一言叫んでからその場に尻もちをついてしまう。
「うへぇ〜。これ……気持ち悪……」
傘をよく見れば血管のように、薄い緑と紫色が混ざったような管が全体に張り巡らされていた。
それが、たまにポコリと脈を打ち傘自体が生きているようである。
「てか……この臭い……血?」
錆びついた水のような色をした傘から漂ってくる生臭いにおいが、風に吹かれて慎也の鼻に届くと、思わず顔を横に逸らす。
「君……ごめんね。そうなっちゃったら……手遅れなんだよ」
「手遅れ? ――はっぐぅっ!」
――ミッミミ……ミミィイイ……
傘の後から女の声がした。
――ウ、ウレシ……ィイイ……
爛れた女の金切り声が闇夜を震わせる。
「は……え……なに?」
慎也の声から一気に余裕が消えた。
すっと秋の風が、慎也と傘の間を通り抜けると傘が滑るように斜めに転がると、裏側がわずかに見える。
――ヒタッ……
濡れたなにかが貼り付くような音。
「あっ……ぐる……じ……なんだ……」
その瞬間、慎也が息苦しそうに喉を押さえた。
――カサ……コト……
傘がわずかに転がる。
「あ……手」
慎也の視線の先、傘の裏側から手が伸びる。
にゅるりと生えたその手は傘の頭部分を愛おしそうに何度も撫でる。
擦られるたびにボロ布のような皮膚がめくれると、ピンクの肉から血が滲む。
それが傘の布地に触れると吸い込まれるように飲み込まれる。
――ポキ……
関節が鳴るような音がする。
すると、もう一本の腕が生えてきて、それが地面に浸りと貼り付いた。
そこから這い出るように顔少しずつ姿を見せると、慎也は更に呼吸が苦しくなる。
「く……るな――」
慎也はどうにか言葉を口にした瞬間だった。
――アヒャ……ヒ……ヒヒヒ……イヒヒッ
そいつが完全に姿を見せると、一気に慎也に飛びついて首に手をかけた。
ギリギリと首を締める最中に、顔に粘性のある液体がポタリと落ちると強烈な悪臭が鼻の奥に漂ってくる。
ただ、そのおかげか体の自由が戻る。
長い髪でそいつの表情は見えなかったが、なんとなく笑っていることが分かった。
慎也は髪の毛を強く掴み、力の限り引っ張ると
「あ……ぎぃ……髪が」
ベリベリと言う音がすると、髪の毛と頭皮が一気に剥がれ落ちる。
「――うっ……」
そいつの顔を初めて見た。
中途半端にくっついた肉。
ただ、そのほとんどが骨となり、両目からは目の神経だけがぶらりと垂れている。
そいつは不恰好になりながら慎也の首を笑いながら締め付け、次第に意識が遠のいていく。
「店……長」
そう呟いたが、自分では言葉になっているか分からなかった。
最後は覆いかぶさるように赤い傘が被さると、ゆっくりと閉じていく。
「……ごめんね。本当に……ごめんね」
慎也が最後に耳にしたのは達也の悲痛な声だった。
そして――傘が完全に閉じられるとジリジリと皮膚を溶かすように熱くなる。
死ぬ……のか。
そう思った時だった。
――アァアアアッッッ! イダ……イダイッ
死ぬかと思った瞬間、慎也は固い地面を転がる。
「……げほっ! 傘野郎が……こっちは店長のお墨付きだぞ」
もがき苦しむ赤い傘の化け物に吐き捨てるようにそう言うと、傘がふわりと浮いた。
「――今度は逃さないよ。たかしくん」
勇気の声がそっと慎也の鼓膜を揺らすと、ようやく体から力が抜ける。
「勇気くん、任せて。今回は一飲みで行くよ」
その瞬間、黒い肌の子供の顎が裂けると、大人を丸呑みできるほど大きく口を開けた。
喉の奥の咽頭がぶるっと震えると、赤い傘を丸呑みにして何度か咀嚼してから飲み込んだ。
「店長……遅いっす」
「いや、すまなかったね。まさか、赤い傘がこんなに凶暴になってるとは思わなくてさ。腕のそれが効きすぎた」
珍しく勇気が素直に頭を下げる。
差し出した手を慎也が掴み、立ち上がる。
「達也……」
「茜……ちゃん」
ようやくこの二人が出会うことができた。
「会いたかったよ」
「うん。僕も……だよ。いろいろと迷惑をかけてごめんね。君の話をちゃんと聞いてれば良かったよ」
達也が申し訳なさそうに謝る。
「私こそ、あの時……達也の声を無視しなければ……うぅ……ごめん……なさい」
泣き出す茜を見て達也は首を横に振った。
「違うよ……あの時、僕怖くてさ……だから、あいつの言う通りにしようとしたんだ。だけど、そんなの嫌で頑張って押さえつけてたんだけど……彼が危険な目にあっちゃった」
達也も申し訳なさそうに顔を伏せる。
「達也……それは違うぞ」
「課長、その勝手にいなくなってすいません」
「謝りすぎだ。お前がやったことで犠牲になったかもしれない人が救われたんだぞ」
健二が毅然と話しているが、その声には湿り気が混ざっている。
「はい……」
「ちなみに俺は平気っすからね。店長のせいで、耐性できたんで」
慎也がニカリと笑いながら親指を立てる。
「その……みなさん本当にありがとうございます」
達也は深々と頭を下げる。
「茜ちゃん……その、これでお別れだけどさ。最後は――笑ってよ」
「バカ……でも、大好きだったよ」
茜が飛び切りの笑みを見せると、達也が優しく微笑んだ。
「僕も、茜ちゃん大好き……だったな」
その言葉を最後に、達也はゆっくり消えていく。
「また……ね」
消えかけの達也にそう言葉をかけると、彼の両目から止めどなく涙が溢れる。
それにつられるように、茜と健二の嗚咽が星空の下で響いていた。




