影人
「健二くんのおかげで"隙間"に早く出会えそうだよ……ありがとう」
感慨深く勇気がお礼を述べると、深々と頭を下げる。
「おう、それは良かった……だけどよ、これは……どういうことだ?」
そう言った勇気の目の前には、椅子に縛られた女性が二人いた。
きつく足と手を縛られて身動きが取れなくなっているものの、縛られた女性は抵抗を見せずただ、ぼーっとしてるだけ。
「店長、できたっす」
慎也の手にはガムテープが握られている。
「慎也くんも。ありがとう」
勇気が慎也をちらりと見てお礼を述べると、全員を一瞥する。
今日は健二、茜、奏、慎也の全員がこの場に勢揃いしていた。
「あの……勇気さん。佳奈さんと由奈さんは……助かるんですか?」
茜が伺うように勇気に尋ねると、小さく頷きを返す。
「うん。もちろんだよ。隙間が塞がってなければ……彼女達は助けられる。その後のアフターケアは君達に任せるね」
茜はその言葉にしがみつく。
「慎也く〜ん。私怖いよ〜」
奏はわざとらしく慎也の腕に絡みつくと、少し照れくさそうに彼女の腰に手を回していた。
「おい、奏……」
ドスの聞いた声でジトリと健二は奏を見ると、不満そうに頬を膨らませていた。
「慎也くん……」
「はい。なんっすか店長? まだ、他にも準備あるんっすか?」
勇気が彼の名前を呼ぶと軽い感じで、聞き返してきた。
「――爆発してくれないかな?」
「は? へぇっ?」
予想外の言葉に素っ頓狂な声が漏れると、どっと全員から笑いが溢れる。
「はぁ……慎也くんのせいで緊張感なくなったな〜」
「なに、言ってるんっすか。店長は緊張なんて……」
最後まで言い切る前に、慎也は勇気の異変に気づいた。
彼は笑うことも泣くことも、怒ることもない。
いや、口では冗談だったり辛そうな声を上げるが、表情が一切変わらない。
その原因を聞いてもいつもはぐらかされて終わり。
だけど、今日はなぜか勇気の顔が酷く歪んで見えた気がしたのだ。
だらりと下がった手の指先が小さく震えるのに気づいた慎也はそこからなにも言わなくなった。
そうすると、完全に密閉された部屋の空気が重苦しく沈む。
誰もが口を開かないまま勇気を見ていると、拳を強く握って、唯一の出入り口の襖へと歩みを進めた。
「さ……始めようか」
すっと襖に向くように正座すると、勇気は黒い着物の袖の中から数珠を取り出す。
呼吸をひとつ大きくすると、その唇がゆっくりと開いた。
――現世と常世を繋げる闇の扉よ。
――現れたまへ、導きたまへ。
――この右眼と"影人"を代償に現世に溶けた常世の口を、世界に顕現せよ。
――常世の隙間。
勇気が祝詞を捧げると辺りがしんと静まり返る。
――ぶちゅっ……
次の瞬間、勇気が自分の右眼目に指を立てると、そのままゆっくり押し込んで摘むように眼球を取り出した。
「――勇気!」
その行動に健二が声を荒げたが、勇気はなにも反応をせず、残った左目で襖を真っ直ぐに見やる。
そして、手の平に転がるように乗っかった眼球を握り潰すと透明な液体がにゅるりと隙間から垂れた。
それが床に一滴落ちた瞬間――
――ガタ
隙間が一瞬揺れた。
「――まずはこの影人を送ります」
そっとその場から立ち上がると、健二にお願いして佳奈と由奈を運ぶ。
「どうするつもりだ?」
「うん。二人の魂を返してもらうんだよ」
勇気は自分の目を失ったにも関わらず、いつもと変わらない口調で健二に声をかける。
「隙間を呼び寄せるには、僕の体の一部だけじゃ足りなかった。だから、その分身……まぁ、子供みたいなもん。それを使って、奴をおびき寄せたんだよね」
勇気の顔を見た健二は痛々しそうに表情を歪めた。
涙が流れるように瞼の隙間から血が流れ出て、誰が見ても今すぐ治療をしないとまずいことは見て取れた。
その視線に気づいた勇気が残った目で健二を見ると、微笑むように笑う。
「大丈夫。僕は平気。それよりも、この二人を早く元に戻さないと」
痛がる素振りを見せない勇気に、健二は思わず顔を勢いよく逸らす。
「僕の目で隙間に振り向いてもらう。そこに、自分の子供がいればこっちに来るだろうってね。だから、これは必要なこと……それに、隙間には僕も用事があったからさ」
佳奈と由奈を襖の前に置くと、勇気が全員に向かって口を開く。
「これでよし。みんか、これから僕が言うことをちゃんと守って欲しい。そうしないと、君達も影人に乗っ取られるからね」
いつもの軽い口調で話す勇気だったが、その内容は声色に似つかわしくない。
「手の平をじっと見つめて。僕がいいって言っても、絶対にこっちを見ないこと」
勇気が説明し終えると、佳奈と由奈の間に立ってそっと手を伸ばした。
――由美ちゃん、やっと会えるね。
すっと手を伸ばすと取っ手に指先が触れる。
それを少しだけずらすと、襖の間に隙間が生まれた。
「ああ……やっとだ」
わずかに開いた向こう側には深淵が広がっていた。
生き物のように蠢く闇が這い出ようと、伸びてくるが空気に触れると四散する。
出れないと分かりながらも繰り返すその行動に執着心のようなものと、哀れさが入り混じっているようだった。
勇気が佳奈の縄を解くがまったく動く気配がない。
肩に手を回し佳奈を隙間の前に座らせると、闇がそっとその頬に触れる。
次の瞬間――
「あ……イィイイイイッッッ!」
けたたましい叫びが部屋中に響き渡ると、全員の肩がびくりと跳ねる。
「慎也くん! こっちを見るな!」
勇気が慎也の顔が向こうとするのに気づき、珍しく声を荒げた。
「そうだよ……これは君の体。戻っておいで」
闇に語りかけると佳奈の体に黒い影が纏わりつく。
それが口から、鼻から体内に吸い込まれるように消えていくと、黒い人影が体から分離した。
じゃらっと勇気は数珠を鳴らす。
「――常世に帰りたまへ」
指を二本真っ直ぐに立てると、勇気が一言言葉を発する。
すると、人影がふらふらと歩いて隙間の中へ吸い込まれて行った。
「もう一人も……」
勇気は同じようにそれを繰り返す。
そして、人影を隙間の向こう側に戻すと、息を吐き出した。
「うん、良かった。上手くいったね」
畳の上に横になる佳奈と由美を見てそう呟くと、勇気が隙間の奥をじっと眺める。
「――たかしくん」
そう呟くと、床から生えるように黒い子供が現れる。
「勇気くん、頑張ったんだね」
片目を失った勇気を見て、たかしは笑みを浮かべる。
「ここからは僕に任せて――」
そう言うと、たかしは隙間の中ににゅるりと入っていく。
――アァアアア
たかしくんが入るとすぐに、襖のから声のような唸り声が聞こえる。
「あぁ、怒らないでくれ。大切な人を返して欲しいんだ」
勇気は今も外に出ようとする闇にそっと触れると、どこか悲しそうに目を細める。
「常世の隙間……君は世界その物だからね。僕では到底叶わない。だけどさ……たかしくんなら」
これまでの騒動の元凶になった隙間の怪異は、どんな怪物よりも羨んでいるように思えた。
救ってあげたいけど、力が及ばない。
そんな歯がゆさに、勇気は自分の不快なさと叶わない願いを追い求める隙間を哀れに思う。
「――勇気くん!」
隙間の向こう側から声が聞こえた。
その瞬間、躊躇なく勇気は深淵に手を突っ込む。
指先に小さい人の手の感触を感じると、強く握って手を引き抜いた。
「……由美ちゃん」
そこから現れたのは、おさげをした小学生くらいの女の子。
赤いランドセルを背負ったまま、虚ろな瞳でへたり込み動こうとしない。
「由美ちゃん……僕だよ。勇気だよ」
そう言葉をかけると由美が瞬きをする。
「……あ、ここ……勇気くん?」
焦点の合わない瞳に光が戻り勇気を見つめると、彼の胸に飛び込んできた。
昔は僕の方が小さかったのに……今は僕の方が。
あの時、助けるために隙間に飲み込まれたままの彼女の姿に、勇気の胸が締め付けられる。
誤ってもあの頃には戻れない――
「遅くなって……ごめんね」
申し訳なさそうに勇気が呟くと、大粒の涙が頬を垂れる。
抱きついた彼女をぎゅっと抱きしめ返すと、冷たい肌の感触が伝わってきた。
それは、勇気に現実を突きつけ、胸が張り裂けそうなくらい苦しくなる。
膝の力が抜けると、そのまま床にへたり込み、これまで耐えていた嗚咽が漏れて、勇気はわんわんと泣いた。
「勇気くん……泣かないで」
由美が勇気からそっと離れると、泣き崩れる彼の頭をそっと撫でる。
「僕……のせいで……ごめん。君を助け……」
「ううん。いいんだよ。私ね、絶対に来てくれるって信じてたの」
由美が語りかける。
「それでね、その。本当に来てくれて嬉しかった。ずっと真っ暗で怖かったんだけどさ、信じてたもん。だから、大丈夫」
そう強気に話す由美の言葉に、勇気は天を仰ぐように上を向く。
涙を堪えるように歯を強く噛み締めるが、喉が何度も鳴ってしまう。
「もう、昔から泣き虫で臆病なんだから」
由美が呆れたように声をかけると、勇気はどうにか彼女を真っ直ぐに見据えた。
「だって、由美ちゃんは……もう――」
「――いいの。分かってるから。でもさ……私ね……その……」
由美がもじもじと身を捩らせて話そうとしない。
「――大好きな勇気くんが無事で良かった」
満面の笑みでそう言うと、由美の頬を涙が伝う。
ポタポタと止めどなく溢れ、それが床に触れると溶けるように消えていった。
「だめ……だね。私の方がお姉さんなのに……」
「由美ちゃん……」
「あ、もう時間切れみたい……」
由美がそう言うと、彼女は薄くなっていく指先を勇気に見せる。
「やだよ……行かないで……」
「だーめ。それに、勇気くんがめそめそしてると、私、成仏できなくなっちゃう」
「それでも……ずっと傍にいてよ」
勇気がわがままを言うと、由美が困ったように笑うとなにかを思い出したように目が見開いた。
「あっ、これ! 危ない忘れてた!」
由美が一歩足を前に踏み出すと、彼女の小さい手が勇気の頬に触れる。
吸い付くような子供の手。
あの時から時間が止まった彼女の手は、冷たかったが勇気の顔が少しずつ熱くなる。
「これ、勇気くんの大切なもの。これだけは奪われないように必死に守ったんだよ。褒めてね」
由美がそう話すと、今まで凍りついたように固くなった表情が緩んだような気がした。
それに、くり抜いた右目が異様に熱い。
へこんだ瞼が盛り上がり、勇気は自分の異変に驚くように手で右目を押さえる。
「これ……」
「えへへっ! 出てくる時に奪ってきちゃった」
意地悪そうに由美が笑うと、勇気もつられてはにかんだ。
それは、これまでのように貼り付けた顔じゃなく、目が細まり、頬が勇気の動きに合わせて緩む。
「うん。その顔が見たかったの。本当は、まだたくさん話したいけど、さすがにもうだめみたい」
悲しそうに由美は眉をひそめたが、すぐにぱっと解かれて再び勇気の頭を撫でた。
「由美ちゃん……くすぐったいよ」
勇気は由美の顔をじっと見つめると、彼女も見つめ返してくる。
「もう、大丈夫だね。それじゃ、勇気くん――またね」
それは学校で別れるような軽い感じだった。
「うん――またね」
――――
――
隙間はどこにでも存在する。
だから、いつの日かまた――
常世の隙間、完結致しました。
お手に取っていただけで、本当に嬉しい限りです。
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ありがとうございました!




