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鏡の悪魔

 ――ねぇ、なんで見てくれないの。


 毎日だ。私の頭の中にこの声がずっと聞こえてくる。


 ――なんで。僕を見てよ。


 それは子供のように黄色い声だった。

 だけど、そいつは私が怯えて苦しむ様を見て、ほくそ笑むように、声の中に邪悪が含まれている。

 私はどうにか耐えてきたがそろそろそれも限界に近い。


 「あ……あ……て」

 誰か助けて、と言ったつもりだったが、押しつぶされたように酷いもの。

 布団にくるまって、ずっと姿を隠しているがまともに寝ることもできない。

 食事も水分も何日も取っておらず、口を動かせば乾いた唇から鋭い痛みが走る。


 部屋の中で遭難したかのように飢えて死ぬか、"鏡"の中の奴に殺されるしかないと思った。


 ――後、一回……楽になれるよ。ねぇ……


 その言葉に誘惑されそうになるが、まだ思考に理性が残ってるのが救いだった。

 両手で耳を塞いで、強く目を閉じる。


 私が……悪いんだ。達也の声を無視したから。

 だから、今罰を受けている。

 罪悪感が壊れそうになる精神を支え、崩壊してヤケになることを許さない。


 布団の中に籠もった自分の悪臭が鼻の奥の皮膚を撫でて目が滲むように熱くなる。

 自分の体から出た汗と脂が染み込んだ布地が首筋に当たって、体が震えた。


 『茜ちゃんもこっちに来よう』


 達也が呼んでいるような気がして、強く握っている布団の端が緩む。


 ――ピンポーン


 久しぶりに聞いた人工の音に懐かしさと安心感を覚えるが、不意に響いた音に体が跳ねる。


 「――茜! いるか!」

 男性の野太い声が私を呼んでいる。

 誰だっけ……この声。


 「健二だ! いるなら開けてくれ!」

 この声もきっと鏡の中のあいつが私をおびき出す罠なのかもしれない。

 緩んだ手がまた強く握り返して、体がここから出るのを拒む。

 早く過ぎ去って欲しい。

 カタカタと体の震えが止まらなかった。


 「健二くん。ちょっと貸して」

 「お、おう。なにする気だ?」

 「まあ、見ててよ」

 誰かとなにか話をしているのこか、別の男の声がした。

 底から響く声とは違い、落ち着いた声色。

 なにを言ってるかまでは聞き取れないが、静かになったと思ったら玄関からカチャカチャと音がした。

 最後に強くカチャリと音がすると、部屋の空気が揺れる。


 そのへんに放置していたビニールの袋が床に擦れて、ジジジと音を立てる。

 重く濁った空気が軽くなると、少しだけ自分の悪臭が薄まったような気がした。


 「あ……れ……」

 誰かが部屋に入ってこようとする。

 ついに自分を迎えに来たのかもしれないと、覚悟を決める。


 「さっ、慎也くん。先に入ってね」

 「え? 俺っすか? 店長がいったら……はい……分かりましたよ」

 玄関からカサカサと音がして、その後に床が鳴った。


 来ないで……。

 達也……謝るから……許して。

 そう懇願すると、ベッドの横に誰かが立っている気配がする。

 ただ、顔を上げることもできず、私は目を強く瞑って布団の中で縮まるように丸まった。


 「店長! 健二さん! いました!」

 突き抜けるような声が私の鼓膜を撫でると、廊下の方からドタドタと乱暴な足音が聞こえる。


 「茜! 大丈夫か!」

 重厚な声が少しだけ焦りが混ざり高くなっていた。


 「あ、健二くん。布団を開けないでね。慎也くんは鏡とか、体が映るのは全部隠して。あっ、テーブルに置いてあるのはそのままで」

 「え? 全部っすか? テーブル……この手鏡はそのままっすね」

 「そう。早くお願いね」

 ガサガサと部屋の中を荒らされてるような音がしたが、私は確認することもできず、布団の中に隠れていることしかできなかった。


 「健二くんは……なにか食べ物と水分取れるようなの買ってきて」

 「あ、あぁ!」

 誰かが走り去ると布団が風圧で布団が少し押された。


 「初めまして」

 すると低くて落ち着いた声が鼓膜に届いた。

 「なにも言わなくていいから聞いててね」

 ベッドの端が沈むとギイっと音がする。


 「僕たちは君を助けに来たんだ。だから、まず安心して欲しい」

 そこでようやく部屋に入ってきた気配が、私を狙う怪物じゃないと理解できた。

 「茜ちゃんで……あってるかな? 君の上司……健二くんに助けて欲しいって頼まれたんだ。だから、僕達が来た」

 私の中で氷のように固まった心が溶け出して、吸おうとする息が何度も途切れる。

 そのたびに布団がわずかに持ち上がり、鼻水と涙で顔が酷く汚れてしまった。


 「僕がこれから言うことを聞いて欲しいんだ。今、助手が君が映るものを全部塞いでるから、もう少しそのままでいてね」

 男の言葉に何度も強く頷くと、それを感じ取ってくれたのか「ありがとう」と一言返ってきた。


 「はぁはぁ……勇気、買ってきたぞ」

 「うん。じゃぁ、そこに置いといて」

 テーブルの方からビニール袋の音がした。


 「店長、こっちも……終わりましたっす」

 「慎也くんもありがとう。最後に電気を消そうか」

 布団の外側で忙しなく動いていた気配が消えると、部屋の中に静寂が戻った。


 「茜ちゃん、怖いかもしれないけど、布団から出てきてもらって大丈夫だよ。僕を信じて」

 正直、ここから出るのは嫌だった。

 今も頭の中ではあの子供の声が聞こえているのだ。

 早く、早く。すぐ、傍にいるから。

 そう、何度も何度も。耳が裂けそうなくらい、ずっと問いかけてくる。


 だけど、この男の声はそれを振り払うくらい強い意志が込められているように聞こえた。

 こわばった体からふっと力が抜けると、最後の力を振り絞って最初は手から、その後に頭。

 半分くらいまで出ると、上半身を持ち上げる。


 私の体、こんなに重たいんだ。

 衰弱した体を起こすだけで、かなりの体力を奪われる。


 どうにか座るような形で起き上がることができたが、久しぶりに目が暗闇以外を映して、焦点が合わない。


 「――茜!」

 野太い男の声が私を呼んだ。

 「か……かちょ……」

 私の乾ききった喉に声帯が貼り付いて、喉が上手く震えてくれない。


 「慎也くん。買ってきた飲み物、飲ませてあげて」

 青年が男の指示で袋の中から飲み物を取り出した。

 「茜ちゃんは念のため、目を閉じててね」

 その言葉に従って目を閉じると、口元に冷たいものが触れる。


 「あの……ゆっくりでいいんで飲んでください」

 口の中に甘酸っぱい味が広がった。

 久しぶりに喉の奥に異物が触れると、それを押し返そうとしてしまう。

 咳き込みそうになりながら無理やり喉を通すと、ようやく体が必要なものだと理解してくれた。


 「げほっ……げほっ……」

 「お姉さん、大丈夫っすか?」 

 その青年が優しく問いかけてくる。

 小さく頷きを返すと、彼から安堵の息が漏れた。


 「慎也くん、ありがとう」

 「はいっす」

 慎也と呼ばれた子がすっと立ち上がると、ベッドから重さが消えて、へこんだ部分が元に戻る。


 「さてと。茜ちゃんの体力も限界だし、さっさと始めちゃおうか」

 「勇気……どうするつもりなんだ?」

 勇気と呼ばれた男に課長が問いかける。


 「簡単だよ。鏡の悪魔を捕まえるだけ。そのためには茜ちゃんの協力が必要なんだ」

 私の協力?

 「怖いかもしれないけど――鏡を見て欲しい」

 その一言に心臓がトクンと高鳴った。


 「大丈夫だよ。茜ちゃんは絶対に助けるからさ。その頭の中の声もちゃんと消えるよ」

 あ……この人も……聞こえてるの?

 「僕はこの道のプロだからね。君がどう言う状況かすぐに分かるんだ。だから、信用していいよ」

 勇気さんは私が不思議そうな表情をしているのを見て、真っ直ぐに見つめ返してくる。

 視線を一切逸らさずに、その瞳に吸い込まれるとコクリと一度頷いた。


 「うん。ありがとう。じゃぁ、この手鏡借りるね」

 勇気さんがそれを手に取った。

 「鏡の悪魔。三回見たら死ぬ呪い。こいつさ、すばしっこくて捕まえるの大変なんだよね」

 勇気がそう言うと、ゆっくりと私にそれを向けてきた。


 「でもね……宿主が入れば簡単。居場所が塞がれて、今はこの手鏡にしか奴の逃げ場はないんだ。後は――表に出るのを待つだけ」

 真っ暗な部屋の中で、私の影だけが鏡に映る。


 「慎也くん。電気付けて」

 勇気さんが慎也くんに指示をすると、部屋がぱっと明るくなる。


 ――やっと……見た。


 そこに映った私の顔は酷かった。

 目の下に浮かんだ大きな痣のような隈。

 頬はやつれ、目は血走っている。

 唇はひび割れだらけで、目を背けたくなるが、貼り付けられたように動くことができない。


 すると、顔の中の私の口元が現実の自分と違った動きを見せる。

 パキパキと唇が割れると、鏡の私の唇から血が滲む。


 「……ひっ……ぅ……あっ」

 私が悲鳴を上げるとガラスを引っ掻いたような笑い声が部屋中に響いた。

 これは課長と慎也くんにも聞こえたのか、両手で耳を塞ぎ顔が青くなっていた。


 「うん。上手くいったね」

 だけど、勇気さんだけは違った。

 その声を聞いてほくそ笑むように呟くと、鏡からゆっくりと私に向かって手が伸びてくる。


 逃げたいが体が思うように動かない。

 助けを懇願するように勇気さんを見ると、再びその口が動いた。


 「――たかしくん」

 静かに誰かの名前を呼ぶと、私の視界が黒いに覆われる。


 「君はいつも怪異使いが荒いよね」

 ひょうきんな声で私の前の黒い物体から声がした。


 「まぁ、そう言わないで。友達でしょ?」

 「うん。まぁ、そうだね。僕と勇気くんは親友だからさ」

 そう言った瞬間、わざと伸びてきた手に捕まると一瞬で中に引きずり込まれていく。


 「いま……なに?」

 鏡の中に映った私の表情が焦っている。

 「蓋するね」

 勇気は鏡の表面になにか文字を刻む。


 「これでよし」

 パタリとテーブルに鏡を伏せると、縫い付けられたような体が自由になる。


 ――ぎぃ、ぃいいいっ


 断末魔のような叫びが耳を突き抜けた。

 次の瞬間、爆発したかのように鏡が弾け飛び宙を舞う。


 「ごちそうさま」

 そこから出てきた黒い子供が呟くと、空気に溶けるように消えていく。

 頭の中にあった声も消え静寂が戻ると、体から一気に力が抜けた。


 「勇気……終わったのか?」

 課長がそう問いかけると、勇気がひとつ頷いた。


 「さ、みんな後片付けだよ。慎也くんは彼女さん呼んであげて」

 「え? 奏さんをですか?」

 不思議そうに勇気さんに向かって言うと、


 「それなら、君が茜ちゃんをお風呂に入れる?」

 その言葉を聞いて、一気に私の顔が熱くなった。

 ずっとお風呂にも入ってないし、トイレだって……。

 その瞬間、みんなの顔が見れず顔を伏せる。


 「あ……! す、すぐに連絡します」

 慎也くんが慌ててそう言うと、外に駆け出していった。


 「一件落着だけどさ……どうしてうちの社員ばっかりこんな目にあうんだ?」

 「それは、健二くんの日頃の行い……じゃなくて、あの土地は"鬼門"なんだよ。こう言う時は影響を受けやすいんだ」

 課長と勇気さんがなにやら話をしている。

 それに聞き耳を立てていると、


 「"隙間"、今そいつが現れたから怪異が増えてるんだよ」

 隙間……それはなんなんだろうか。


 そうこうしていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


 「慎也くん! ぎゅっ! 会いたかったよ〜」

 「おい。奏……だめだぞ」

 課長が玄関の方に向うと、そんなことを言っていた。

 「分かってますよ〜。成人した……ですよね。ね? 慎也くん」

 「えっと……。はい……っす」

 そうして入ってきたのは、私の後半の奏だった。


 「茜先輩……無事で良かったです」

 ふくよかな胸に顔が埋まる。

 「か、奏……苦しいから。それに、私汚いし……」

 私がそう言うが、奏は離れてくれない。

 「茜、心配するな。奏の方がもっと汚――」

 「――課長」

 奏からドス聞いた声がすると、課長は押し黙った。


 「健二くんはデリカシーないよね」

 勇気さんがそう呟く。

 部屋の中が急に騒がしくなり、助かった実感をようやく感じると、涙が一粒頬に筋を作った。

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