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曲がり角

 「ここから、三回も曲がり角を曲がらないとなのかよ」

 夕暮れ時に閑静な住宅街を一人の男が歩いていると、十字路の手前で足を止めて深いため息を吐いた。

 後から歩いてきた人達は突然立ち止まった男に目を向けず、素通りして奥へと消えていく。


 「右に曲がりたい……」

 右側を歩いていた男だったが、その言葉とは反対に左側に歩き出す。

 右に曲がるためにわざと左側から回る行動は他の人からしたら、奇っ怪に映るだろうがそんなのこと気にした様子もなく、目的の方に歩みを進める。


 なにかに怯えるように体を竦めたまま早足で向う男の表情は、若干下を俯いて目が開ききったままで瞬き一つしていない。

 体内の規則正しいリズムが少し強く音を立てると、思わず目だけで前を見てしまう。


 「……はぁ〜」

 盛大に息を吐き出して固まった体が解けると、男は普通に戻っていた。

 「これ……後2回もあるとかしんど。あんなことするんじゃなかった……」

 なにか後悔するように赤みがかった空に視線を上げて、ぼんやりと自分がしてしまったことを思い出してしまう。


 ――――


 「きゃー! 怖い! 雪広君!」

 そう言って腕にしがみついてきたのは、金髪に髪を染めてけばけばしい化粧を施した女。

 化粧と香水が混ざったような臭いにえづきそうになりならがも、腕に当たる柔らかい感触に雪広の鼻の下が伸びてしまう。

 

 「夏葵(なつき)、そんなに怖がるなってば」

 雪広がなだめるように夏葵に声をかけると、腕に埋めた顔を上げて、そっと離れる。

 「雪広君ってこう言うの平気なんだね。かっこいいな!」

 物が散乱した廊下の端まで夏葵の声が響く。

 雪広はそう言われてさらに気分が良くなったのか、どんどんと前に進んで行く。

 懐中電灯で奥を照らすと、廊下のど真ん中には車椅子。

 その奥の方には布地がボロボロのタンカーに、注射器やら薬やらの残留物が置かれている。


 「なんかさー。この病院、昔やばいことやってたらしいよね」

 「えー! 辞めてよ! 怖いって!」

 まっ、幽霊なんて出ないでしょ。

 そう高を括って院内を散策していた。

 ここは、結構な広さがある。

 今見ただけでも、小児科や眼科、耳鼻科など複数の表示を目にした。

 誰も見ることがなくなった表示は、灰色に塗りつぶされ、それが隙間風に吹かれると空気中に舞う。

 まるで、時間の経過を可視化しているようで少しもの寂しさに喉の根元の真ん中が内側に押される感覚があった。


 割れたガラスを踏むとピシリと音が鳴り響く。

 受付と思しきカウンターには、茶色くなったメスシリンダーに注射器が散乱し、誰かが漁った形跡がそこかしこにある。


 「ここは薬をもらうところ、か?」

 ライトで周囲を照らしてみる。

 「きゃっ!」

 すると背後から小さい悲鳴がした。

 肩越しに背後にいた夏葵を見ると、両手で口元を押さえて震えている。

 瞳が大きく見開かれ、雪広はその視線の先にゆっくりとライトを向けた。


 『声をかけられても振り向くな』


 壁にスプレーで書かれた赤い文字。

 なにかを警告してるようだったが、誰かが悪戯で書いたものだろうと雪広は鼻で笑う。


 「こう言うところに落書きする奴っているよね」

 「そうだけどさ〜……こう言うの、マジ辞めて欲しいんだけど〜」

 「ははっ。本当にね。てか夏葵、ビビりすぎでしょ」

 雪広がそう言うと、夏葵が腕にわざとらしくしがみついてプルプルと震えるふりをする。

 「大丈夫だって。さ、先に行こう」

 声をかけたが、夏葵から反応がない。


 「聞こえた……聞こえた……本当に後ろから」

 ぶつぶつと呟いているが、雪広の耳に届かない。

 顔をそっと近づけようとすると、夏葵が離れ雪広は腕に残った彼女のぬくもりに、下心が頭に浮かんだ。


 「なぁ、早く行こうぜ」

 夏葵に声をかけるが、なにも反応がない。

 「おーい。大丈夫か?」

 もう一度声をかけると冷たい風が後から吹いてきて、全身を撫でていった。

 寒っ……。

 夏が終わったばかりで空気は少し冷たいが、それでも冬のような凍える寒さはない。

 なのに吐く息が白く染まり、指先もかじかんでいる。

 ――なぁ……おい。

 と声を出したつもりだったが、出たのは乾いた声だけで、思うように声帯も震えてくれなかった。

 

 急激な変化に頭の中がぐちゃぐちゃに絡まる。

 どうすれば……。

 そう思っても、ただその場から動かないでいるしかできなかった。


 「寒さが……」

 突然気温が元に戻ると、緊張で潰されかけた心臓が元に戻り始める。

 今のうちに……彼女を連れて逃げないと。

 背後に首を向けようとすると、ガシャっと夏葵の足音のような音が聞こえる。

 それと、同時に女の声がした。

 

 「――お薬はこちらです」

 背筋が勝手に伸ばされた。

 夏葵の声だが、その声色にはノイズが混ざったようにざらついている。

 両手肩に乗せられた手はまるで氷のように冷たく、全身の毛が逆立つ。

 ゆっくりと撫でるように右肩をなぞってから、首筋を何度も指の腹で何度も上下に擦られると、顔から血の気が引いていった。


 「じょ……冗談は辞めろよな」

 雪広の声にはやはり反応を見せない。


 「――お薬は……後ろのカウンターでお受け取りください」

 さっきよりも低く唸るような声だった。

 耳たぶにそっと吐息がかかるが、死人のように冷たくて痛くなる。

 

 「後ろを向けよ」


 次に聞こえた声は完全に男のものだった。

 肩を力のかぎり握り締められて、骨が軋むような音がする。

 やば……やばいやばいやばい。

 だれだれだれ……夏葵……どこ。

 逃げろ……逃げ……に、にににぃ。


 雪広は肩に乗った手を身をよじり無理やり振りほどく。

 そして、夏葵を置いて一目散さんに駆け出す。


 「あ、うわぁぁああ!」

 ただ叫ぶしかなかった。

 あれ……なんだよ。なんなんだよ……。

 早く、そ、外に……。


 "曲がり角"に差し掛かった時だった。


 「――ひっ」

 目の前から突然現れた巨大な顔に、尻もちをつく。

 それは人の形をしているが、体が小学生くらいで顔だけで大人の背丈ほどある。

 目や口、鼻だけはそのままで中心に寄せられたように集められ、口元からコポリと血の泡ができていた。

 雪広は腰を抜かして座り込んだ状態で、手の力だけで後に下がると、よたよたと振り子のように全身を揺らしながら近づいて来る。


 「お、おぐ……おぐずり、わずれ……」

 小さい手に大事そうに白い袋を持っている。


 「く、来るな!」

 雪広は落ちていた適当な物を投げつけた。

 体をすり抜けるかと思ったが、その巨大な顔にぶつかると、白い膿のような物が流れてから赤い血垂れる。

 その怪物がそのまま手に持っていた袋を落とし、拾おうとするが、しゃがんだ拍子に前に倒れた。

 頭は小判のように平べったい。


 今しか……足、動け……動け! 

 立ち上がろうとするが上手く行かない。

 親指の根元を強く噛んで、痛みで恐怖を誤魔化してようやく言うことを聞いてくれた。


 「あんな化け物いるなんて……早く早く」

 あ、曲がり角。


 「――わず……れで……」

 曲がり角に差し掛かる瞬間にそいつが現れて道を塞ぐ。

 鉢合わせする形となると、両手に持った白い袋を渡そうとしてきた。


 「いらねぇよ!」

 それを手で払いのけると、地面に落ちる。

 また、その看護師のような怪物が落ちた物を拾おうとしゃがんだ瞬間に、雪広は一目散さんに駆け出した。


 「やっと……出れた」

 急いで止めていた車に乗り込むとエンジンをかける。

 夏葵……わりぃ。

 一気に車をバックさせ、廃病院から脱出する。


 ――――

 「助かった……」

 車を走らせるとようやく人工の光が見える。

 こわばった表情が緩み、自宅に到着すると盛大に息を漏らした。

 もう二度と心霊スポットなんかに行かないわ。

 そう心に誓って、駐車場の反対側にある階段に向かって歩き出した。


 「てか、あの化け物なんだった――」


 「ごれ……わずれで……」

 嘘……だろ。

 なんでこいつここに……いるんだ?

 へ……意味が分からない。


 急いで車へ戻ろうと振り向くと。


 ――やっと振り向いた。


 その声が聞こえた瞬間、雪広の意識は限界を迎えて気を失った。


 ――――

 それが数日前。

 結局目を覚ましてもなにもなかったが、夏葵に連絡しても返事がないし……


 「って、しまった……」

 ぼんやりと考えごとをしながら歩いていると、二回目の曲がり角の目の前まできてしまった。


 「ごれ、おぐ……ずり……でずよ」

 いい加減にしやがれ。

 くそっ!


 このしつこさに、最近は恐怖よりも先にイライラが募っていく。

 そいつの手をさっと避けて、横を走り抜ける。


 「マジさ……うぜー」

 三回目の曲がり角は二回目のすぐ近く。

 はぁ……。

 そんなにするんだった、こっちから行ってやるよ。


 半ばヤケになった雪広は靴ひもを強く結んで、爪先で地面をトントンと何度も叩く。

 軽い準備運動の後、地面を強く踏むと、全力で駆け出した。


 今度からこっちから、行ってやるわ。

 曲がり角まで後数メートル。

 さらに強く地面を蹴ると、一気に加速して体を左に向いて一気に距離を詰めた。


 「これなら――」


 ――ププーッツツツ!


 けたたましいクラクションの音と、重い衝撃音。


 「ま、まじか……俺、人引いた……」

 トラックから一人の男が降りてくる。

 顔が青白く、体が震えていた。

 車両の前方を恐る恐る確認するが、今しがた引いた人間の姿はどこにもない。

 

 「誰も……いない? この袋? 薬?」

 男が拾った袋は病院で渡される処方箋に似ていたが、茶色く黄ばんでかなりの年月が経っているように見えた。

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