嘘から出た誠
「どうした? 裕太? なんか考えごとか?」
裕太が机に項垂れて座っていると、不意に後から声をかけられて頭を上げた。
そこには強面の課長が、見下ろすようにこっちを見ていた。
「あ……係長……じゃなくて、課長。なんでもありませんよ」
課長の顔を見るなり裕太は眉を潜め、すぐに違う方を向いてしまう。
「……そうか。なにかあったらいつでも話しを聞くから言ってくれよ」
そう言うと課長はその場を去って行ってしまう。
「なにが……話し聞くだ……たくよ」
同期で入社して、気づいたらあいつは課長。
それに比べて自分は平社員。
プロジェクトのリーダーすら今だに任されたことすらなく、毎日がなんとなく過ぎていく。
後輩には雑用を押し付けられて、愛想笑いばかり。
「あっ、裕太さん。手が空いてたらこれまとめといてください」
ドサリと書類の山を3つ下の緒方が置いていく。
分かったと口を開こうとすると、そいつはすでに背中を向けていた。
「……ぐっ」
せり上がる感情を押し殺すように、歯を強く噛み締める。
両手を机の上で強く握って体を震わせると、後ろの方からひそひそと声が聞こえた。
「ねぇ、あれ見てよ」
「うわ。本当だ。震えてる」
「なんか、課長と同期らしいよ」
「え? そうなの? 課長と全然違う」
女性社員の井戸端会議。
聞こえないところでやれよ。
「あの人さ……後輩にパワハラとセクハラして辞めさせたらしいよ」
「マジ? なんで首にならないの?」
「課長が上にかけ合ったんだってさ」
「課長、優しすぎるでしょ。別に仕事もできるわけじゃないし、偉そうなことしか言わないじゃん」
我慢の限界が来て、そいつらに一気に顔を向ける。
すると、ぱっと二人は逃げるように散って言った。
マジ、ムカつく。
パワハラ? あいつが軟弱なのが悪いんだわ。
セクハラ? あれは絶対に気があった。
だから、自分は悪くない。
お前らみたいな低能とは違うんだよ。
ただ、会社が見る目がなくて仕事を回してくれないからすごさが理解できてないだけ。
健二は上手く上に取り入って出世しただけで、実力なんてないだろ。
「俺が上ってこと思い……知らせてやる」
書類を整理しながら、ボールペンを軋むほど強く握る。
遠くで話す健二を睨みつけるように見て、どうしたらあいつに恥をかかせるか考える。
女性社員に囲まれてチヤホヤされるあいつが孤立する姿を妄想するだけで楽しくなった。
「課長って本当になんでもできますよね! すごい尊敬しちゃいます!」
「いやいや、そんなことないぞ。俺だって苦手なことはあるからな」
「え〜? そうなんですか? 例えばどんなことです?」
裕太がそっと健二達の会話に聞き耳を立てる。
「そうだなー。……幽霊は苦手……だな」
「えぇー! 意外です! なんか可愛い」
「可愛いって……たく。ほら、仕事するぞ」
その一声で、取り囲んでいた女の集団が散り散りとなる。
いいこと聞いた。
見てろよ。
その中心にいるのはお前じゃない。
――――
これで準備万端だ。
あれから数日間、あいつに恥をかかせるためにいろいろと準備した。
それを今日決行する。
「課長……ちょっと相談が……」
「裕太か。課長って……むず痒いな。普通に健二って呼んでくれ。それでなんだ?」
机に貼り付くように仕事をしていた健二が顔を上げると、目が合う。
その瞬間、内側からどす黒い感情が沸々と沸き上がり顔が思わずニヤけそうになるのを悟られないように、右腕で鼻を擦って誤魔化した。
「それが……自分の住むアパートなんですが……その、出るんです」
「それって、心霊関係の話しか?」
「……そうです。それで怖くてずっと家に帰れなくて……」
健二がいつになく真剣な表情で見つめてきて、思わず吹き出しそうになった。
下を向いて肩を揺らす姿になにを勘違いしたのか、ガッシリとして太い指先が肩を掴んでくる。
おいおい! マジで信じやがったよ!
馬鹿かっての! そんなのいるわけないだろ。
たくよ。何歳だこいつは。
「そうか……それは辛かったな。どうする? 今日家にでも来るか?」
「いえ、それはさすがに申し訳ないんで、一緒に家に来てもらえませんか?」
「おう。そんなことでいいなら任せろ! もう少しで終わるから、少し待っててくれ!」
バーカ、バーカ。
こんなのに騙されてるんじゃねーよ。
――――
「おっ、ここが裕太の家か。引っ越してから初めて来たな。昔はよく宅飲みしたっけか。懐かしい」
「ははは」
裕太が乾いた笑みを漏らすと、部屋に健二を案内する。
「ここが俺の部屋です」
玄関の鍵を開けて中を見せる。
「へぇー。きれいな部屋だな。で……本当に出るのか」
健二の顔からみるみる血の気が引いて、表情が曇る。
外はすっかり暗くなり、明かりの消えた一室はどんよりと重たい。
その空気が体を通り過ぎると、自分の家にも関わらず少しだけ喉が渇く。
てか、なんで自分もビビってんだよ。
健二に恥をかかせようと、いろいろ画策していた。
その時に、怖い話や都市伝説を読んだりして考えてたのだが、この静かな空気に当てられて、自分が現実世界から浮いている錯覚に、首が圧迫されるような感じがした。
「こ、怖いんで先に中の様子見てもらえませんかか?」
「……分かった」
健二がネクタイを緩めて大きく息を吸って吐いてを繰り返す。
あたから見ても、緊張しているのが伺えた。
「電気……付けていいか?」
裕太はそれに頷いて返事を返す。
「これ……か?」
黒い革靴を丁寧に並べて健二が部屋に上がると、廊下の壁に設置してあったスイッチを指で押す。
すると重たかった空気を跳ね除けるように、廊下中を光が照らす。
だが、それのせいで廊下の奥の部屋通じる扉。それの曇りガラスの黒さが際立ち不気味に見える。
健二はそこをじっと見つめると、右手を一度強く握っていた。
少し経ってからそれが解かれ、ようやく足が前に進む。
裕太はこっそりとスマホを取り出して、画面をタップする。
「なぁ、裕太……やっぱり俺の――」
――あは……はは……
それは部屋の中から聞こえた。
女の人が笑う声。
「――うわっ!」
健二が驚いたように声を上げると、裕太の口元が吊り上がる。
それに追い打ちをかけるように、声がする。
――こっちに……おいで。
まるでどこかに誘おうとする女の声に、健二の体が完全に固まった。
「課長……大丈夫ですか?」
わざとらしく声をかける。
ここで逃げ帰るもよし、中に入っても他に仕掛けがあるから情けないこいつの姿を見れる。
ちなみにだ。部屋にはカメラも仕込んであるし、逃げたら逃げたで明日みんなに言いふらせば、それでこっちの勝ち。
さぁ――どうする?
「あ、あぁ。さすがに……ビビったが……大丈夫、だ」
そう言って立ち上がろうとするが足元がおぼつかない。
完全に腰が抜けた健二だったが、壁に体を預けながら入口の前まで行くとドアノブに手を伸ばした。
――早く入ってこいぃぃいいっ!
扉の向こう側から聞こえた男の叫び、その圧に押されて健二は伸ばした手が引っ込んだ。
壊れた機械のようにギギギと首だけが、こっちに振り向く。
やべーわ。こんなに簡単に引っかかるとか、やばいでしょ。
てか、男の声なんて入ってたっけ?
「課長、やっぱり辞めましょう……」
こう言うタイプは諭されると反発するからよ。
「いや……あー、なんとかする。たく……あの時を思い出すわ……」
健二がなにか苦虫を噛み潰したように顔を歪めると、その横顔が見えてほくそ笑む。
ほらな。
健二が前に向き直ると、意を決して勢いよく扉を開く。
部屋の中は廊下の明かりが差し込んで、明るいにはあかるいが、オレンジ色に中途半端に染められて一段と空気が沈んでいる。
生ぬるい空気に混ざってドブのような濁った臭いが裕太のところに届く。
うわ。最悪……なんだよこの臭い。
これはマジ。多分、隣の家か外からだわ。
明日クレーム入れとこ。でも、ちょうどいいぜ。
「いや……これはさすがに……まずいよな。一旦……部屋から……」
扉の入口に突っ立ったまま健二は中に入ろうとしない。
ぶつぶつ何か呟いて俯いてしまう。
そして、一歩後に下がるとそっと扉を閉めた。
健二が息を大きく吸う。
すると、後を振り向くと唇が震えていた。
「裕太……一度外に出よう」
その瞬間、心の中でガッツポーズを決める。
勝った。
これで、課長の情けない話しを会社でばら撒けば、こいつの居場所はなくなる。
そう思いながら、二人で外に出た。
「か、課長……その、なにが?」
「……裕太。あれはさすがにやばいと思う。その、なんだ。一度そう言うのに詳しく友人に連絡するから、今日は俺の家に来い」
ひゃひゃ! 最初に怖がらせすぎちまったかな?
てか……ぶふぅっ! そう言うのに詳しい友人? やばい? 馬鹿じゃねーの?
この部屋はいわくもなんもねーし、昨日までその部屋でくつろいでたわ。
ビビリに嘘つきかよ。
心の中で眉を潜めた健二を馬鹿にする。
「そうですか……いえ、今日もいつも泊まってるホテルに行こうと思います。いろいろとありがとうございました」
顔のニヤつきが押さえられず、バレたかとヒヤヒヤしたが、健二は無言で顔をしかめるばかりで何も言わない。
健二は考えるように唇の左端を何度か噛んで、ようやく声を出す。
「わかった……。ただ、絶対にその部屋に戻るなよ? 絶対だぞ。いいな」
念を押すように言われて、その迫力に首を何度も立て振ってしまった。
この後におよんで、そんなに自分がビビったのを隠したいのか?
ま、もうどうでもいいや。
肩を落としながら帰ってく健二を見送り、その後ろ姿が見えなくなったところで裕太は勢いよく後を振り返った。
「やった! 上手く行ったぞ!」
駆け足で自分の部屋の前に戻ると、勢いよく玄関を開ける。
「これで、あいつを孤立させられる。見捨てたってな……おぇ! なんだこれ? さっきより臭いきつくね? 最悪」
部屋から流れ出た空気に鼻の奥が強烈にさされた。
親指と人指で鼻を摘み、逆の手で臭いを払うように手を振る。
「窓、開けねーど」
強烈な悪臭は目にも染みて、涙で視界がぼやける。
吐きそうになるのを堪えながら、なんとか部屋の扉の前に到着してドアノブを半分だけ回す。
「――え?」
曇りガラスの向こうで何かが通り過ぎるような影がが見える。
――あは……はは……
すると突然、自分が健二のためにネットで落とした適当な女の声が再生される。
ポケットの中でスマホの画面が反応したのかと、取り出して確認すると画面が勝手についていた。
「ビビらせんな――」
――あは……はは……
今度は触ってないのに再び再生される。
――あは……はは……
――あは……はは……
――あは……はは……
何度もその部分だけが繰り返される。
「止まれよ! なんで止まんねーんだよ!」
裕太が叫ぶが鳴り止むことはない。
「くそっ! 外に出て……は? なんで開かないんだよ! 開けよ!」
力のかぎりドアノブをガチャガチャと回すが、ビクリともしない。
「意味わかんね! おい! 誰か助けてくれ!」
大きな声で叫んで玄関を何度も叩いたが反応しない。
――ギィ……ギギギ……
背後で音がする。
首だけでそっちを見ると、閉まっていた扉がゆっくり開いていく。
――早く入ってこいぃぃいいっ!
再び男の怒声が鳴った。
「嘘だろ……」
裕太の声が震える。
後を振り向けば、部屋の向こうは闇。
健二と一緒に開けた時は、廊下の電気に照らされてオレンジ色に明るくなっていた。
今はそれすらも闇が喰らい尽くして、その先は一切見えない。
健二を陥れることに成功していた自分はすでに存在しない。
今はその闇から逃れようともがくように助けを求める。
何度も扉を叩くうちに、手が青くなり重たい痛みが神経を撫でる。
それでも必死に叩きつけると、その一部が裂けて生ぬるい液体が手首を伝う。
「た、助けて――」
――こっちに……おいで。
裕太の耳骨の溝を生ぬるい吐息が撫でると、その後にセットした女の声で呼ばれる。
背後に感じるなにかの気配。
かすかに背中を温めて、全身の産毛が逆立つように反応する。
目だけを動かして確認するがなにも姿が見えないが、廊下を照らしていた明かりは闇に落ちていた。
それを見て、体中の血管が一気に縮まるかのように脳に血液が送られず、意識がぼんやりとしてくると膝から崩れ落ちる。
コンクリートでできた玄関の床に膝の皿を強く打ち付けて、ピシリとした痛みが頭の天辺まで駆け抜けたが裕太は動かない。
糸が切れたかのように項垂れて、股の間からこぼれた液体が床を黒く染められる。
「あは……はは……は……」
笑い声がこぼれるが、裕太の顔は笑っておらずぽっかりと口が開いているだけだった。
ポタリポタリと何滴も唾液が落ちて膝を濡らして、小さい水たまりを形成する。
すると背後で扉が閉まる音がした。
「あ……は……あ……れ?」
その瞬間、あれだけ濃かった気配が消える。
「……夢? なわけないよな?」
濡れて冷たくなったズボンがそれを否定してきた。
「とりあえず外に出て……しゃくだけど、あいつに連絡……」
玄関のドアノブを捻ると、今度は簡単に扉が開く。
急いで裕太が外に一歩足を踏み出したが、いつも聞こえる車の音も、風もなにも感じない。
「は?」
その一言は戸惑っていた。
「俺、外に出たよな……なんで――部屋の中なの」
見知った風景がそこにはあった。
薄暗く、いつも自分が生活をしている空間。
――おかえりなさい。
どこからともなく声がした。
――体、交換しよ。
――ねぇねぇ。私にちょうだい。
――やだよ。それ、僕のだよ。
――わしがもらう。
――喧嘩だめ。それならバラバラにして分けよう。
――さんせー。
…………。
……ぶち。
――――
「なあ、裕太を見かけたか?」
「あ、課長。いえ、見てませんよ? てか、その人誰ですか?」




