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探偵は胸を揉む  作者: リチャード裕輝
探偵は胸を揉む:深淵の共犯者 ―― 完璧という名の砂漠と、塗り替えられた真実

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探偵は胸を揉む:深淵の共犯者 ―― 完璧という名の砂漠と、塗り替えられた真実 第一章

第一章:豪邸の監獄と知の怪物の招待

八ヶ岳のさらに奥深く。地図からも、そして人々の記憶からも忘れ去られたような原生林の只中に、ミステリー作家・久我奏太の山荘はある。

窓の外では、荒れ狂う雪嵐が木々をなぎ倒さんばかりに吠え、この世のすべてを白濁した絶望で塗りつぶしていた。

久我は暖炉の揺らめく火を凝視しながら、自らの右手を無意識に開閉させていた。

かつては「忌まわしい呪い」と呼び、忌避していた能力――女性の胸に触れることで、その者の魂が隠し持つ最奥の記憶を暴き出すサイコメトリー。都心の喧騒を逃れ、この静寂に身を隠したのは、その「力」の誘惑から逃れるためでもあった。

だが、一度知ってしまった背徳の味は、雪の下で眠る毒草のように久我の心に根を張っている。

街へ降り、事件の核心を暴くたびに指先を走る、あの痺れるような達成感。他人の聖域を汚し、剥き出しにする悦び。それを「プロデュース」と称して肯定し、久我を深淵へと導いたのが、あの男だった。

その時、厚い木製の扉が、暴力的なノックの音に悲鳴を上げた。


「こんばんは、久我さん。……こんな雪深い『檻』に閉じこもって、一体どんな傑作を執筆中ですか?」


鍵を開ける間もなく、寒気と共に踏み込んできたのは大学生のユウキだ。元医学部で人体の構造を熟知し、現在は心理学の深淵を覗き込む「知の怪物」。彼は凍てつく雪を無造作に床へ払い落とすと、不敵な笑みを浮かべて久我を射抜いた。


「ユウキくん……。この嵐の中、どうやってここまで」


「プロデューサーに不可能はありません。……それより久我さん。今日はあなたに、最高の『素材』を持ってきました」


ユウキが横にどくと、その背後から幽霊のように白い女――橘玲奈が姿を現した。久我はその姿に息を呑む。かつて彼女が奏でるショパンに魂を救われた一人のファンとして、目の前に立つ、瞳から光を失った「生ける屍」のような彼女の変貌は、あまりに凄惨だった。


「彼女の神経系は完治している。だが、脳が音楽という概念そのものを拒絶し、ピアノの記憶を封印してしまった。……久我さん、あなたの右手の出番だ。僕の知性とあなたのサイコメトリーが合わされば、彼女の空白の深淵に、再び新しい音を刻み込むことができる。これは、僕たちにしか完成させられない究極の芸術アートですよ」


「……お前は相変わらず、人を地獄へ引きずり出すのが上手いな」


「救済と言ってほしいですね。さあ、さらに山を登りますよ。僕の別荘を、彼女を再構築リブートするための『監獄』にする。久我さん、準備を。あなたのその右手が、今、何よりも飢えているのは分かっていますから」


ユウキの言葉には、拒絶を許さない絶対的な魔力があった。彼は玲奈を救いたいというファンとしての熱情と、一人の女性を完璧な傑作へと作り変えたいという冷徹な支配欲を、危ういバランスで同居させていた。

久我は溜息をつき、クローゼットから旅鞄を取り出した。右手の指先が微かに震える。それは恐怖ではない。これから暴かれるであろう、天才の壊れた魂に対する、抗いがたい期待の震えだった。


「準備はいいですか、玲奈さん。……世界を震撼させる、最高のショパンを甦らせに行きましょう」


嵐の夜、三人を乗せた車は、月光に濡れる山頂の豪邸へと向かって走り出した。そこには、ユウキが用意した「透明なピアノ」が、救済を待つ獲物を、静かに待ち受けているはずだった。


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