第五話 見る月、食べる月
夜。
俺は、なんだか家に帰る気分にもなれず、公園のベンチに座っていた。
「……」
『あの神様は、ずっとあの場所にいるの』
『……ずっと、見ていただけじゃったからのう』
水田さんの言葉と、神様がぼやいていた言葉が、頭の中で何度も反響する。
たしかに、神様が八百年も生きていることは、最初に聞いていた。
しかし、その長い年月、社の外に出ることすらできなかったなんて。
きっと寂しかったんだろうな。孤独だったんだろうな。
そんなことばかり、勝手に考え込んでしまう。
「……何勝手に想像してんだ、俺」
頭を掻き、考えを振り払う。
何であんな傲慢な神様のことばかり考えてしまうのか。
自分でも、よくわからなかった。
なんとなく、空を見上げる。
十月下旬の夜空は、ひどく澄んでいた。
そこには、大きな丸い月が浮かんでいた。
満月だ。
十五夜の時期はとうに過ぎてしまったが、秋の夜空に浮かぶ月は、なお美しく見える。
月明かりが、公園を淡く照らしていた。
「……そうだ」
俺はとっさにスマホを取り出し、月の写真を撮った。
「お月様といえば、あれだよな」
そう呟くと、自然と足取りが軽くなった。
次に持っていくものは、決まった。
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一週間後。
俺は、少しばかり荷物を抱え、またあの古本屋へと向かった。
「あら、昇くん。今日は何か持ってきたみたいね」
水田さんが、俺の荷物を見ながら話しかけてきた。
「えぇ。でも今日は料理するわけじゃないんです。飾り付けっていうか……」
「飾り付け?」
「はい。そこで、水田さんにちょっと相談があって……」
俺は水田さんに近づき、小声で計画を伝えた。
水田さんは驚いたような顔をしていたが、やがて「わかったわ」と頷き、俺をエレベーターへと促した。
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背後で扉が閉まる。
今日も、神様はそこにいた。
「来たか」
「どうも」
最初の頃とは打って変わって、神様の雰囲気も少し和らいでいた。
「今日は何を食わせてくれるのじゃ?」
「今日は、月を持ってきました」
神様がぽかんとする。
「……気でも触れたか?」
「正気です」
「……」
神様はしばらく俺を見つめていた。
「貴様、ついに頭までおかしくなったか」
「だから正気ですって」
「月を持ってきたなどと、世迷言を抜かす者が正気なわけなかろう」
「まぁまぁ。とりあえず、これを見てください」
俺は持ってきた荷物をほどいた。
中から取り出したのは、実家から持ってきた三方と、白く丸い団子。
それを一つずつ、三方の上に積み重ねていく。
「……団子ではないか」
「はい。月見団子です」
昨日の夜、せっせと作った団子だった。
「月はどこへ行った?」
「これからです」
続けて、荷物の中から三つのタッパーを取り出した。
中身は、あんこ、みたらし、きなこ。
「今日は、なんちゃってお月見バイキングです」
「……ばい、きんぐ……?」
「好きなものを、自分で取って食べるってことです。ほら、どうぞ」
俺は団子を神様の前に差し出した。
「……」
神様は怪訝な表情を浮かべたまま、白い団子を一つつまんだ。
そのまま口に放り込む。
「……まぁ、美味いな。もちもちしておる」
「そのまま食べるのもいいですけど、ほら。これを付けてみてください」
俺はあんこの入ったタッパーを差し出した。
「……なんだか、奇妙な物体よの」
「これが美味いんですよ。団子に付けて食べてみてください」
「……本当かの?」
疑い深い神様は、恐る恐る団子にあんこを付け、口に運んだ。
途端に、その目が見開かれた。
「あ、甘……!」
このあんこも、昨日作ったものだ。
小豆をじっくり煮て、砂糖をこれでもかと加えた。
我ながら、殺人的な甘さだと思う。
「ふふ。次はこれを試してみてください」
今度は、みたらしを差し出した。
「……見るからに甘そうじゃな。もう甘いのはいっぱいなんじゃが」
「そう言わずに」
神様は渋々団子をつまむと、みたらしのタレにくぐらせ、口へ運んだ。
「……これは!」
神様が目を丸くする。
「甘いが、しょっぱい……!」
醤油、砂糖、みりん、水、片栗粉を混ぜ、煮詰めて作ったみたらしのタレ。
甘さの中に醤油のしょっぱさが混じり、あんこよりも食べやすいはずだ。
満足そうな表情を浮かべる神様を横目に、最後のタッパーを差し出す。
「……なんじゃこれは。砂か?」
「きなこです。たくさん付けるとむせちゃうので、ほどほどに」
「……うむ」
神様は団子にきなこをまぶし、口に運んだ。
すると、またしても目を見開いた。
「う、美味い……!」
炒った大豆をミキサーで細かく砕き、砂糖を混ぜた簡易的なものだったが、その香ばしさと優しい甘さが、神様の口には合ったらしい。
その後も神様は、代わる代わる味を変えながら、団子を食べ進めていった。
「……そろそろかな」
団子が残り少なくなった頃合いを見て、俺はスマホから水田さんに合図を送った。
しばらくして、ふっ、と照明が落とされた。
辺りが暗闇に包まれる。
神様の頭上に浮かぶ光輪が、淡い光を放っていた。
普段は照明に紛れていたその光が、今は神様の姿をほのかに照らしている。
暗闇に浮かぶその姿は、どこか幻想的だった。
「……何事じゃ?」
「大丈夫です。水田さんにちょっとお願いしていたんです」
俺は先日撮った写真を開いた。
暗闇の中、小さな画面がぼんやりと光る。
「お月見なんですから、月がないとね。……まぁ、少し小さいですけど」
照れ笑いしながら、スマホを神様に見せた。
神様は何も言わなかった。
ただ、画面に映る満月をじっと見つめていた。
「……月、か」
しばらくして、小さな声が聞こえた。
「昔は、よく見ていたものじゃ」
「月を、ですか?」
「ああ。社の隙間からな。暑さが和らぎ始めると、空が澄んで……それは美しく見えたものじゃ」
「そうだったんですね」
「……あの頃は、何もかもが違っておった」
神様はそう呟くと、ふっと目を細めた。
「今となっては……」
そこまで言って、神様は口を閉じた。
「……神様?」
「何でもない。独り言じゃ」
俺もそれ以上は尋ねず、静かにその様子を眺めていた。
しばらくすると、神様は再び団子に手を伸ばした。
その視線は、時折スマホの月へと向けられていた。
やがて、残っていた団子もすべてなくなった。
照明を戻してもらい、後片付けをしていると、神様が話しかけてきた。
「……おい」
「なんです?」
「……その月、置いていけ」
神様はスマホを指さした。
「え、えぇ……?」
さすがにスマホなしでは生きていけない。
「あ、あとで水田さんに頼んで、写真を印刷してもらいますね」
「……い、んさつ? まぁ、何でもよいわ」
そう言いながらも、神様の視線はまだスマホに向けられていた。
やがて、面会終了を告げるブザーが鳴った。
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面会を終え、エレベーターで地上へ戻ると、水田さんが待っていた。
「あ、お疲れ様。どうだった?」
「えぇ、喜んでもらえたと思います。それで、ちょっとお願いがあるんですけど……」
俺は水田さんに事情を説明し、スマホに撮っておいた月の写真を印刷してもらった。
「はい、これでいい?」
「ありがとうございます。これ、神様に渡してもらえませんか?」
「ええ。確認してから渡しておくわ」
写真を受け取った水田さんは、ふっと笑った。
「それにしても、照明を消すなんて、あんまりやらないのよ? 神様の様子がわからなくなるから。今回だけ特別だからね?」
「あはは……すみません。ありがとうございました」
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古本屋の外へ出ると、夕暮れの風が頬を撫でた。
月を見つめていた神様の姿が脳裏に浮かぶ。
『昔は、よく見ていたものじゃ』
あの神様にも、懐かしく思う景色がある。
八百年という長い年月の中で、いったい何を見て、何を感じてきたのだろう。
いつか、そんな話も聞いてみたい。
そんなことを考えながら、俺は家路についた。




