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幕間 神様が生まれた日

遠い昔、日本のどこかで

 空は、厚い雲に覆われていた。

 どこまでも続く、灰色の空。

 その下には、荒れ果てた大地が広がっていた。


 源氏が幕府を開いてから、百年と少しが過ぎた頃。

 遠く離れた地で火山が噴火し、その影響はこの地にまで及んでいた。

 夏だというのに、吹く風は冷たい。作物は育たず、飢饉が人々を襲っていた。


 ここは、とある小さな農村。

 かつて青々とした作物が実っていた畑は荒れ果て、乾いた土がむき出しになっている。

 道端には、動かなくなった人間が転がっていた。

 誰も、その亡骸を埋めようとはしない。


 いや、そんな余裕すら残されていなかった。

 人々はやせ細り、頬はこけ、目からは生気が失われていた。


 昼間だというのに、辺りは薄暗い。

 最後に太陽を見たのは、いつだっただろうか。


 人々は、これを神の怒りだと信じた。

 祈っても、祈っても、空は晴れない。どれだけ頭を下げても、作物は実らない。


 やがて、人々は一つの答えにたどり着いた。

 神の怒りを鎮めるには、ただ祈るだけでは足りない。


 もっと、尊いものを捧げなければならない。


 そんな中、ある村人が言い出した。


 神に、人を捧げよう、と。


 飢饉が続く村では、我が子を売る親が後を絶たなかった。

 人の命よりも、明日の食べ物が優先される。そんな時代だった。


 やがて、神に捧げる人間を選ぶことになった。

 神への捧げ物には、穢れを知らぬ、無垢な者がふさわしい。

 そう考えた村人たちは、幼い子供を選ぶことにした。


 選ばれたのは、まだ三歳になったばかりの女の子だった。


 村で最も幼い、たった三歳の少女。


 まだ、世界の広さも知らない。

 春の暖かさも、秋の実りも、冬の雪も。


 その美しさを知る前に、少女の運命は決められた。


 村の外れにある山に、小さな社が建てられた。

 村人たちが寄せ集めた木材で作った、みすぼらしい社だった。

 柱は歪み、屋根には隙間が空いている。

 神を祀る場所とは思えないほど、粗末な造りだった。


 古くから、この村には一つの言い伝えがあった。

 神への捧げ物は、生きたまま社に納めなければならない。

 捧げられた者がその命を終えたとき、魂は神のもとへ届くのだという。


 誰が言い始めたのかもわからない、古い言い伝え。

 それでも、追い詰められた人々には、すがるものが必要だった。


 何も知らない少女は、母親に手を引かれ、山の中にある小さな社へとたどり着いた。


「この中で待っててね。あとで美味しいものを持ってくるから」


「うん!」

 少女は、元気よく返事をした。


 そして、社の扉が閉められた。外から、何かを打ち付けるような音がした。


 少女は、母親の帰りを待った。

 きっと、美味しいものを持ってきてくれる。

 そう信じて、じっと待ち続けた。


 けれど、いくら待っても母親は帰ってこなかった。


 どれほど時間が経ったのだろう。少女は少しずつ不安になっていった。


「……おかあさん?」


 返事はない。


「おかあさん!」


 何度呼んでも、誰も答えてくれなかった。


 やがて、少女は泣き始めた。

 母を呼びながら、何度も、何度も。


 けれど、誰も来なかった。


 一日が過ぎた。


 二日が過ぎた。


 やがて、泣く力さえなくなった。


 腹が減った。


 喉が渇いた。


 雨が降ると、屋根の隙間から水が滴り落ちた。少女は、それを必死に舐めた。


 部屋の木をかじった。床を這う虫を捕まえて食べた。


 しまいには、自分の排泄物にさえ手を伸ばした。


 生きたかった。


 ただ、それだけだった。


 けれど、どれだけ足掻いても、限界は訪れる。


 閉じ込められてから、どれほどの日が過ぎただろう。


 少女は、冷たい床に横たわっていた。

 もう、指一本動かせない。


 腹が減っているはずなのに、不思議と何も感じなかった。


 寒さも、苦しさも、少しずつ遠ざかっていく。


 ──ああ。


 もう、いたくない。


 もう、苦しまなくていい。

︎ もう、誰かを呼ばなくてもいい。

 そう考えると、少しだけ安心した。


 少女は、静かに目を閉じた。


 その瞬間。


 社が、まばゆい光に包まれた。


 それが奇跡だったのか。

 あるいは、さらなる不幸の始まりだったのか。

 それを知る者は、誰もいない。


 ただ、一つだけ確かなことがある。


 その日。


 少女は、神になった。

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