第三話 甘い実には、トゲがある
「寒っ」
ひゅう、と冷たい風が頬を撫でた。風に吹かれた落ち葉が、乾いた音を立てて歩道を転がっていく。
あの神と初めて対峙してから、もう一週間が経った。
わずか一週間。それでも、季節は着実に移ろっている。
遠くに見える山々は、以前より赤や黄色が濃くなり、秋の深まりを感じさせた。そんな景色を眺めながら、俺はあてもなく街を歩いていた。
さて、次は何を作ろうか。
「……どうすっかなぁ」
ぽつりと呟き、歩き続ける。
ふと、歩道脇に転がっているものが目に留まった。
茶色く乾いた、イガ栗だった。
「もう、そんな時期か」
そういえば、子供の頃はよく祖父の山で栗拾いをしたものだ。友達を連れて行ったこともあったっけ。
夢中になって栗を集めては、イガを手に刺して大騒ぎ。そのたびに祖父から呆れられたものだ。
そんな懐かしい記憶が、ふと蘇る。
そうして必死に集めた栗を使って、祖母がいつも作ってくれた料理があった。
「……そうだ」
俺は思わず、踵を返した。
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「……で、何よ。その荷物は」
いつもの本屋の前には、今日もしかめっ面の水田さんがいた。
「何って、炊飯器ですけど」
「それは見ればわかるわよ。なんでそんなものを持ってきたのかって聞いてるの」
「そりゃ、今日の料理に使うからですよ」
「……あんた、ここを調理場か何かと勘違いしてない? 先週の七輪ですら驚いたのに」
水田さんは、呆れたように頭を抱えた。
「まあ、いいわ。調理器具の確認も済んでるし。ほら、行くわよ」
促されるまま本屋へ入り、地下深くにある神社へと向かった。
いつものように、一人で扉をくぐる。
鳥居の先。社殿の前には、あの神様がいた。
「来たか」
「来ましたよ」
神様がゆっくりと近づいてくる。
頭の後ろに浮かぶ金色の光輪が、今日はひときわ輝いて見えた。
「それで、今日は何を持ってきたのじゃ?」
どこか期待を含んだ声で尋ねてくる。
「はい。今日はこれです」
持参した袋にトングを差し込み、中からイガ栗を取り出した。
「…………なんじゃ、これは」
神様が目を細める。
「ふざけておるのか?」
「いやいや、ふざけてなんかいませんよ。これもれっきとした秋の食材です」
「こんなトゲだらけのものが食えるわけなかろう。我を愚弄する気か?」
途端に、周囲の空気が重くなった。
金色だった光輪が、じわじわと黒く濁り始める。
「ま、待ってください! 本当に食べられるんですって!」
慌ててもう一本トングを取り出し、イガをこじ開ける。
中から、つやつやとした茶色い実が顔を覗かせた。
「ほら! 食べるのはこっちです!」
取り出した栗を神様に差し出す。
神様はそれを受け取ると、興味深そうに眺め始めた。
「……ほう。じゃが、ずいぶんと硬いぞ、こやつ」
こんこん、と指先で叩いている。
「その硬い皮も剥くんですよ。食べるのは、さらにその中です」
「……お主の持ってくる食い物は、手間のかかるものばかりじゃな」
神様が呆れたようにこちらを見る。
「はは……まあ、そこが料理の面白いところでもあるんですけどね」
苦笑いを浮かべながら、持参したコンロと鍋を取り出した。水田さんに用意してもらった水を鍋に張り、火にかける。
「ちょっと時間がかかりますけど、待っていてくださいね」
「ふん。我を待たせるとは、いい度胸じゃ」
そう言って、神様はそっぽを向いた。
しばらくして、鍋の湯が沸き始めた。
持ってきた栗を鍋に入れ、数分ほど茹でる。これは、硬い鬼皮を少しでも剥きやすくするためだ。
湯から取り出した栗を少し冷まし、包丁で切り込みを入れる。そこから鬼皮を剥がし、さらに内側の渋皮を丁寧に削ぎ落としていく。なかなか骨の折れる作業だ。
それでも、昔、祖母から教わった手順を思い出しながら、一つずつ剥いていく。
やがて、淡い黄色の実が姿を現した。
「……ほう」
声がして顔を上げると、いつの間にか神様が隣に来ていた。
「あのようなトゲだらけのものの中に、こんな実が入っておったとはな」
「そうでしょう? これが栗なんです」
「ふむ……」
神様が興味深そうに見守る中、残りの栗も一つずつ剥いていった。
それからしばらくして、皿いっぱいの栗が用意できた。
さて、いよいよ本番だ。
炊飯器を開き、あらかじめ研いで水に浸しておいた米を入れる。酒、みりん、塩を加え、目盛りに合わせて水加減を調整する。軽く混ぜたところに、水気を切った栗をのせていく。あとは蓋を閉めて、スイッチを押すだけ。
「これでよし、と」
「……もう食えるのか?」
「いや、ここから炊くんですよ」
「まだ待たせるのか!?」
「まあまあ。その間に、ちょっと味見でもしましょう」
余った栗を、別の鍋で柔らかくなるまで茹でることにした。十分に火が通ったところで湯を切り、皿に移す。
「お待たせしました。茹で栗です」
神様の前に皿を差し出した。
「……ほう。先ほどよりも、随分とうまそうになったではないか」
湯気をまとった栗は、淡い黄金色をしていた。
「熱いので、気をつけてくださいね」
「ふん。我を誰だと思っておる」
そう言いながら、神様は栗を一つ摘まみ、口へ運んだ。
もぐ、もぐ。
「…………おぉ」
神様の目が、わずかに見開かれた。
「甘い……!」
神様の口元が、わずかに緩んだ。
茹でただけの栗だ。和菓子のような強い甘さはないが、噛むほどに素朴で優しい甘みが広がっていく。ほくほくとした食感の中に、わずかなねっとり感もある。
神様もそれが気に入ったらしい。
ぱくり。
また一つ。
ぱくり。
……随分とお気に召したようだ。
そんな様子を眺めていると、
ピーッ。
炊飯器から、炊き上がりを知らせる音が鳴った。
「お、できた」
蓋を開けると、ふわりと白い湯気が立ち上った。炊きたての米と栗の香りが、辺りに広がっていく。
「……なんじゃ、その匂いは」
神様がこちらを振り向いた。
「栗ご飯ですよ」
しゃもじで栗を崩さないよう、底からふんわりと混ぜ合わせる。白い米の中に、黄金色の栗がごろごろと顔を覗かせていた。
うん。なかなかいい出来だ。
「はい、どうぞ」
茶碗によそい、神様に差し出す。
「……うむ」
神様は茶碗を受け取ると、しげしげと中身を眺めた。
「どれ……」
ぱくり。
もぐ、もぐ。
「…………!」
神様の目が、まん丸になった。
「これは……!」
どうやら、驚いているらしい。
塩を少し加えたことで、米にはほんのりと塩気がついている。その塩気が、栗本来の甘さを引き立てるはずだ。噛むほどに米の旨みと栗の甘さが広がる。祖母が作ってくれた、懐かしい味。
うん。美味いに決まっている。
……いかん。見ていたら俺まで腹が減ってきた。
神様は、夢中になって栗ご飯を食べ進めていた。随分と勢いがいい。
それでいて、食べ方にはどこか品がある。なんだか不思議な光景だった。
ふと、神様の手が止まった。
「……ところで、お主」
「はい?」
「その手の傷は、もしや、この栗とやらを採ったときについたのか?」
「……え?」
思わず、自分の手に目を落とした。指先には、細かな傷がいくつも残っている。
どうやら、茶碗を渡したときに見られていたらしい。
「ああ、これですか。いやあ、どうにも上手く採れなくて」
苦笑いしながら、頭をかく。
あのイガ栗を見つけた後、久しぶりに祖父の山へ足を運んだ。祖父が亡くなってからは、すっかり足が遠のいていた場所だった。昔と変わらず栗の木はそこにあって、地面にはいくつものイガが転がっていた。
最初は道具を使って、慎重に栗を取り出していた。けれど、懐かしさに夢中になっているうちに、つい素手で触ってしまったのだ。
案の定、イガが刺さって痛い目を見た。
……小学生の頃から、まるで成長していない。
そうして集めた栗の中から、いくつかはイガを付けたまま持ってきた。せっかくだから、あの神様にも見せてやろうと思ったのだ。
「……くだらぬな」
神様が鼻で笑った。
「たかが飯のために、わざわざ傷を負うとは。人間とはつくづく愚かなものじゃ」
「ははは……まあ、そうかもしれませんね」
でも、不思議と嫌な気分ではなかった。久しぶりに祖父の山へ行けたし、懐かしい思い出にも浸れた。
何より、こうして美味しそうに食べてもらえている。
「でも、苦労して採ったものって、なんだか余計に美味しく感じるんですよ」
「……ふん。理解できぬな」
「それに、栗って面白いですよね」
「何がじゃ?」
「あんなにトゲだらけなのに、中身はこんなに甘いんですから」
神様は、手元の栗ご飯に目を落とした。
「……ふん。中身が甘かろうと、トゲが刺されば痛いことに変わりはなかろう」
「まあ、そうですけど……」
神様はそれ以上何も言わず、再び栗ご飯を口へ運んだ。
それからしばらくして、神様は栗ご飯を完食した。
一合分、まるごと平らげてしまった。
「……ふう」
神様が満足そうに息を吐き、空になった茶碗を置いた。
……あれだけ食べたのに、まだ名残惜しそうに茶碗を眺めている。
「美味しかったですか?」
「……まあ、悪くはなかったぞ」
そっぽを向きながら、ぶっきらぼうに答える。
よし。
心の中で、小さくガッツポーズをした。
「また、飯を作りに来い」
「はい。もちろん」
そう答えたところで、面会終了を告げるブザーが鳴り響いた。
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いつも通り、施設を後にする。
帰り際、水田さんに「栗ご飯、余ってないの?」と聞かれた。
神様が全部食べてしまったと伝えると、目に見えて肩を落としていた。
……そんなに食べたかったのか。
少し面白かった。
本屋の外へ出ると、空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。茜色の空の下、冷たい風が落ち葉を揺らしている。どこか懐かしい景色だった。
ふと、祖父のことを思い出す。
「……じいちゃん、あっちでも元気にしてっかなぁ」
あの頃、夢中になって栗を拾っていた自分が、今では誰かに栗ご飯を作っている。
そう考えると、なんだか妙な気分だ。祖父が見たら、きっと笑うだろう。
そんなことを考えていると、ふと、別の疑問が頭をよぎった。
……そういえば、あの神様にも家族はいるのだろうか。
会うのはまだ三度目だが、俺は神様のことを何一つ知らない。
どんな人生を送ってきたのか。
どうして、あんな場所にいるのか。
そもそも、何の神様なのか。
考えてみれば、知らないことだらけだ。
……案外、あの神様も。外側はトゲだらけでも、中身は優しかったりするのだろうか。
栗みたいに。
「……いや、さすがにないか」
初めて会ったとき、殺されかけたことを思い出す。思わず苦笑いして、頭をぶんぶんと振った。
また、うまいもん作ろう。
そんなことを考えながら、俺は家路についた。




