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第二話 秋刀魚は、秋を告げる魚

「……うーん」


 俺は朝の魚市場に来ていた。自宅から約7キロ、電車に20分ほど揺られてやってきた。

 目的はもちろん、秋刀魚だ。

 昨日、唐突に「捧げもの」として選ばれ、神様に殺されかけた。おまけに、秋刀魚を持ってこいと命令までされた。

 今でも現実味がない。

 確かに、仕事を引き受けたのは俺だ。でも、神様に殺されかけるなんて聞いてないぞ。

 なかったことにしたい。このまま逃げ出したい。

 そうだ、逃げよう。やっぱり「やめたい」って言って逃げよう。


 ……だったら、なんでわざわざ市場まで来たんだ、俺。


 そのとき、スマホが鳴った。

 画面を見ると、施設からのメールが届いていた。


『本日12時より、神様との面会を予定しております。お忘れのないようお願いいたします。』


「…………」

 何が「無理に来なくていい」だ。こんなメールが来たら、余計に逃げづらいじゃないか。

 授業を言い訳にしたいところだが、幸か不幸か、後期はほとんど授業を取っていなかった。


「……はぁ」

 ……まあ、約束しちゃったしな。


 市場に並ぶ魚に目を向ける。

 今は10月。秋刀魚が美味しい季節だ。脂の乗った秋刀魚を求めてか、市場は朝から多くの客で賑わっていた。人の間を縫うように歩きながら、並べられた秋刀魚を眺める。

 銀色に輝く魚体。張りのある腹。どれも美味そうだが、せっかく市場まで来たんだ。どうせなら、一番いいやつを選びたい。


「……これかな」

 ひときわ立派な秋刀魚を二尾選び、会計を済ませた。


「あとは、あれか」

 帰り際、スーパーに寄り、大根と醤油、塩にレモン、それから黒炭と着火剤を買った。

 結構お金がかかったが、施設からの報酬金を使ってもお釣りがくるレベルだった。



「これでよし」

 一度帰宅し、必要な道具をまとめる。

 包丁とまな板、おろし金。それから、ほこりを払った七輪と団扇(うちわ)。

 この七輪は、大学に入学したときに奮発して買ったものだ。料理が好きで勢いのまま買ったものの、日の目を見ることはなくなった。

 まさかこんな形で使うことになるとは。

 ----------------------------------------------


「はぁ……はぁ……」


 道具一式を抱え、あの本屋へと向かう。なかなかの重労働だ。


 しばらく歩いて本屋にたどり着くと、入口の前に昨日の女性が待ち構えていた。

 相変わらずのしかめっ面だ。

「……本当に来たのね」


「こんちわ、来ましたよ。今日は黒服の人いないんですね」


「あいつらはリクルート専門みたいなもんだから、普段はここにいないのよ」


 施設にもそういう事情があるのか。


「それにしても、ずいぶん荷物持ってきたのね」

 女性が俺の抱える荷物に目を向けた。


「ああ、これですか。秋刀魚を焼くための道具ですよ。七輪とか、炭とか」


「……炭? まさか、あそこで火を使うつもり?」

 女性が眉をひそめる。


「えっ、はい。ダメですか?」


「ダメっていうか……神社は地下にあるのよ? 換気のこととか考えてる?」


「あっ……」

 そうだった。あの神社は地下にあるんだった。秋刀魚を焼くことばかり考えていて、換気のことなんてすっかり忘れていた。


「まったく……」

 女性は呆れたようにため息をついた。


「神社には専用の排気設備があるから、こっちで準備しておくわ。勝手に火を起こさないでよ」


「す、すいません! ありがとうございます!」


「ほら、さっさと来な。なんだか神様、今日は朝から機嫌が悪いのよ」


「っ……」


 昨日の黒い触手が頭をよぎり、背筋に寒いものが走る。

 また、あの神と対峙する。殺されるかもしれない。


 でも、ここまで来て引き返すわけにはいかない。

 女性に促されるまま、本屋の奥にあるエレベーターに乗り込み、地下へと向かう。


「なんで、神様の機嫌が悪いんですか」

 ふと、気になって聞いてみた。


「なんでって……あたしに言われても分からないわよ。ただの研究者だもの。強いて言うなら、あんたのことを殺したくてうずうずしてるんじゃない」


 言葉を失う。そりゃそうか。「殺す」って言ってたし。


「……だから無理に来るなって言ったのに」

 女性がそう言うと、エレベーターの扉が開いた。


「そうだ、名前。今生の別れになるかもしれないから、聞いといてあげる」


「……樋口。樋口昇です」


「そ。あたしは水田 恵(みずた めぐみ)。じゃ、がんばってね。昇クン」


 エレベーターを降り、一人で扉をくぐる。


 足を進めるたび、何とも言えない威圧感が強まっていく。

 まるで、飢えた獣が待ち構えているかのようだった。


 最後の扉をくぐる。背後で扉が閉まる。


 また、あの神社にたどり着いた。


 そこに、いた。神が。


「……遅い」

 明らかに機嫌が悪い。金色の瞳が鋭く睨みつけてくる。今にも襲い掛かってきそうだった。


「す、すいません」

 時間通りに来たんだけどな。


「それで、持ってきたか。サンマとやらを」


「え、あ。はい、これです」


 発泡スチロールの箱から、秋刀魚を取り出した。

 今朝水揚げされたばかりの秋刀魚だ。鮮度もよく、銀色の魚体が鈍く輝いている。


「ほう。確かに刀のように輝いておる。して、それをどうするのじゃ」


「焼きます」


「焼く?」

 神の目が細まる。


「その輝きを焼いて壊すというのか。あきれた。やはり殺そう」

 黒い触手が、神の背後からうねり出る。


「ま、待ってください! 秋刀魚は生で食べるより、焼いたほうが美味いんですよ! ってか生で食ってる人あんまり見たことないです!!」

 全力で叫ぶ。勢いに任せて七輪を取り出す。


「これで、炭使って焼くんで! めちゃくちゃ美味いんでマジで!」

 必死だった。


「……ふん」

 触手が収まる。


「その下らぬ戯言に付き合ってやろう。はようやれ」


「は、はい!待っててください!」

 手際よく準備を始める。

 七輪に炭と着火剤を入れ、火をつける。


「……ずいぶんと手間をかけるのじゃな」

 少し離れたところから、神が七輪を眺めていた。


「ええ、炭に火が回るまで少し時間がかかるんですよ。でも、その分美味しく焼けるんです」


「……ふん。期待はせぬぞ」

 そう言うと、神は口を閉ざした。


 ふと、換気設備のことを思い出した。耳を澄ますと、どこからか低い機械音が聞こえる。どうやら水田さんが準備してくれたようだ。


 炭に火が十分に回るのを待つ間、秋刀魚にバツ印の切り込みを入れ、化粧塩をする。

 本当ならもう少し時間をかけてやりたいけど、つべこべ言ってられない。


 十分ほどして、炭に火が回った。

「……よし」


 秋刀魚を七輪の網に乗せ、焼き始める。


 脂が炭に垂れ落ち、じゅう、と音を立てる。炎が上がらないよう気を配りながら、じっくり焼いていく。


 神社に、香ばしい匂いが立ち込める。


「……ほう」

 声のした方を見ると、いつの間にか神が七輪のすぐそばまで近づいていた。

 身を乗り出し、焼けていく秋刀魚を興味深そうに見つめている。


 やがて、秋刀魚にいい焼き色がついてきた。


「そろそろだな」


 とどめの醤油をかけた。


 じゅう、という音が鳴る。団扇であおぐと、炭火と醤油が織りなす香ばしさが、神社の空気を一瞬で支配した。


「…………」

 神の腹が鳴った気がした。


「よし、完成!」

 皿に移し、醤油を垂らした大根おろしと一切れのレモンを添える。


「お待たせしました。食べてみてください」

 神に皿と箸を差し出すと、ぱっと受け取った。


「……これは。どうやって食べるのじゃ」


 え、知らないの?


「え、えっと。腹のあたりを箸でつまんで、大根おろしと一緒に食べてみてください。あ、骨には気を付けてくださいね」


「…………」

 不慣れな手つきで、秋刀魚の身をほぐす。一口分の身を、大根おろしと一緒に箸でつまんだ。脂が乗っていて、身がつやつやと輝いている。


「……んぁ」

 ぱくん。


「――っ!!」

 神の目が大きく見開かれた。


 炭火で焼いた秋刀魚は、脂が乗っていて、身はふっくらとしている。そこに大根おろしのさっぱりとした味わいと、醤油の香ばしさが加わる。


 ……うん、美味いに決まっている。


 神は何も言わず、二口目を食べた。続けて三口目。どんどん食べ進めていく。


「……あ、神様」


 神がこちらを横目で見る。


「なんじゃ」

 食べているのに邪魔するな、とでも言いたげな表情だ。


「えっと、その。レモンを絞りかけても美味しいですよ。その黄色い果実です」


「……これか?」

 神はレモンをぎゅっと絞り、秋刀魚の身に垂らした。


 すかさず一口。


「――っ!!」

 またしても目を見開いた。


 レモンの酸味が秋刀魚の脂を引き締め、後味をさっぱりさせてくれる。大根おろしとはまた違った美味しさだ。

 ……どうやら、こっちも気に入ったらしい。


 神の箸は、ますます勢いを増していった。


 最初こそ手元がおぼつかなかったものの、すぐに慣れたようで、気が付けば皿には骨だけが残っていた。


「…………」


 神が、空になった皿を寂しそうに眺めている。

 もしかして、まだ食べたいのか?


「……あの、もう一尾あるんですけど。食べますか……?」


「はよう出せ」

 即答。


「は、はい」

 俺は再び秋刀魚を焼き始めた。

 背後から、神の視線が突き刺さる。

 ……そんなに急かさなくても、ちゃんと焼きますって。


「で、できました」


「うむ」

 盛りつけた皿を奪うように受け取ると、神はまた食べ始めた。

 時折、口元が緩んでいる。


 なんとなく、微笑ましく思えた。


「美味いでしょ、秋刀魚」


 神がびくりと身を震わせる。


「……まぁまぁ、じゃな」

 こちらを見ずに答えた。


「秋刀魚って、秋を告げる魚とも言われてるんです。店先に並び始めると、ああ、秋が来たんだなって思うんですよ」


「……秋が、来る」

 神がぽつりと呟く。


「そうです。秋だけじゃない。春夏秋冬、四季それぞれに美味しいものがあるんです。景色だけじゃなくて、食べ物からも季節を感じられるんですよ」


「……そうか」

 神が少しだけ、寂しそうに呟いた。


「……あ、すいません。話しすぎました」


 しばらく、神の咀嚼音だけが響く静かな時間が流れた。


「……ふう」

 神が食べ終え、空になった皿をそばに置いた。


「ま、満足してもらえましたか?」


「……さぁな」


 その瞬間、空気が変わった。


「さて、貴様を殺すという話だったな」


 神の白目が黒く染まる。

 息が詰まるような威圧感が、全身にのしかかった。


「――っ!!」


 やっぱり、こうなるのか。

 俺は思わず身構えた。


「……保留にする」


「……え?」

 ぴたりと、先ほどまでの威圧感が消えた。


 神は、空になった皿をちらりと見た。


「代わりに、毎週飯を持ってこい。さっき言っていた、四季に合ったものをな」


 頭が真っ白になる。


「え、ま、毎週飯を作りに来いってことですか……?」


「何度も言わせるな」

 再び、あの威圧感が押し寄せる。


「は、はい!」

 了承するしかなかった。


 その後、料理の後片付けを終えたあたりで、対話終了を告げるブザーが鳴った。


「終わり、みたいですね。来週、また来ます」


「おう」


 それだけ言うと、神はまたそっぽを向いた。

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 扉をくぐり、エレベーターの前まで戻ると、恵がいた。


「……あんた、何者なの。本気で死ぬと思ってたのに。神に秋刀魚を食わせて帰ってくるなんて」

 どうやら、モニターでずっと見ていたらしい。


「何者って、ただの大学生ですよ……」


 ふと、気になった。


「……神様って、何年生きてきたんですか。研究者なら知っているでしょう?」


「……大体800年よ。大飢饉があった時代から現代まで生きている」


 800年。鎌倉時代から生きているということだ。


「……マジすか?」


「嘘をつく理由はないわ」


 想像もつかない年月だ。


「あたし達は何代にもわたって、あの神を保護・観察し、研究してきた。だからこそ、今回のことは異例すぎて、みんな驚いているの」


「み、みんなって。ほかにも研究者がいるんですか?」


「そ。監視室から神のバイタルや空間の異常反応をずっと見てるの。もちろん、今日の秋刀魚の匂いもね」


 なんか申し訳なくなった。


「とにかく、あんたが生きているのは奇跡なの。来週も飯を作れって言われたんでしょ? 満足いくものを作れなかったら、今度こそ殺されるわよ」


 背筋が凍った。


「……善処します」

 そう言い残し、エレベーターに向かう。


 そのとき、背後から小さな声が聞こえた。


「……よりにもよって、飯とはね」


 恵が何か言っていた気がしたが、気にせず乗り込んだ。

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 本屋の外に出る。

 不思議な感覚だ。さっきまであんな異様な空間にいたのに、今はいつもの町並みが広がっている。


「……次、何作ろう」


 そう呟き、調理道具を抱えて家路についた。


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