第一話 はじめましては、秋晴れの空
現代の、とある場所で。
「なんで、こんなことに……!」
眼前に迫る、触手のような黒い何か。
それを見て、頭が真っ白になる。
逃げようにも、足が動かない。
死が急速に迫ってくるとは、こういうことなんだろう。
ここは、とある施設の中にある神社。
神社ってんだから、神様もいる。
そして俺は今、その神様に殺されかけている。
……あぁ。
ここで終わりか。
----------------------------------------------
すっかり暑さも和らぎ、道端には色づいた落ち葉が散っていた。
ふと、空を見上げる。
青い、青い空。どこまでも続いている。
点数をつけるなら、120点ぐらいの秋晴れ。
ひんやりとした空気が、なんだかおいしい。
俺の名前は樋口 昇。どこにでもいる、ごく普通の大学二年生だ。
そんな俺が、朝から大通りを歩いているのには理由がある。
『当選おめでとうございます!』
今朝、玄関先に置かれていた一枚のチラシ。
事の発端は、そこに書かれていた、やけに景気のいい一文だった。
何でも、米を無料で進呈してくれるらしい。
……怪しい。あまりにも怪しい。
そもそも、何かに応募した覚えすらない。
「……捨てるか」
ごみ箱に向かおうとして、ふと台所に目が入った。
使い込まれたフライパンに、きれいに研がれた包丁。
そして、空っぽの米びつ。
冷蔵庫を開けてみる。
卵が一個。あとは、いつ買ったかも覚えていないタマネギだけだった。
「……はぁ」
今月は出費が重なったせいで、財布の中身も怪しい。
もう一度、チラシに目を落とす。
……怪しい。
どう考えても怪しい。
でも、米かぁ……。
「……ええい、ままよ!」
結局、俺は藁にもすがる思いで、チラシを握りしめて家を出た。
「……ここか?」
チラシに書かれた住所を頼りにたどり着いたのは、一件の古びた本屋だった。
色褪せた看板に、ガラス越しに見える本棚。
どこからどう見ても、普通の本屋だ。
「……こんなところで、米なんて貰えるのか?」
店先を見渡すが、米の袋はおろか、キャンペーンのポスターすら見当たらない。
やっぱり、騙されたか?
そう思い、踵を返しかけた、そのときだった。
「お待ちしておりました」
「うわっ?!」
突然、背後から声をかけられた。
振り返ると、黒いスーツを着た男が立っていた。
表情一つ変えず、こちらを見つめている。
……なんだこの人。映画に出てくるエージェントみたいだ。
「あ、えっと……米がもらえるって聞いて来たんですけど……」
俺は例のチラシを差し出した。
男はそれを一瞥すると、静かに頷いた。
「ええ。お話は中で」
「……え、中?」
「こちらでございます」
男は店の扉を開け、俺を中へと促した。
……まぁ、店の中なら大丈夫か。
少し迷った末、俺は店内へと足を踏み入れた。
中は普通の本屋だった。
少し古びた本棚に、所狭しと並ぶ書籍。
しかし、客の姿はない。
男は迷うことなくレジの裏へと進み、その奥にある扉を開けた。
「こちらへ」
「……あの、米を貰うだけですよね?」
「ええ。まずは簡単なご説明を」
……説明?
なんだか、ますます怪しくなってきた。
とはいえ、ここまで来て何も聞かずに帰るのも惜しい。
俺は男の後を追った。
案内されたのは、小さな部屋だった。中央には机が一つ。向かい合うように置かれた椅子が二脚。
窓はなく、天井の蛍光灯が白々と室内を照らしている。
……いや、待て。
米を貰いに来ただけなのに、なんで面接みたいなことになってるんだ?
「どうぞ、お掛けください」
「……はい」
俺は、警戒しながら椅子に腰を下ろした。
男も向かい側に座る。
しばしの沈黙。
「え、えっと……」
俺が口を開きかけた、そのとき。
「単刀直入に申し上げます」
男は淡々と告げた。
「あなたは、第二百五十四代目の『捧げもの』として選出されました。今後、週に一度ほど、こちらの指定する施設へお越しいただき、『神』のお世話をしていただきます」
「…………は?」
何を言っているんだ、この人は。
神?お世話がなんだって?捧げもの?
なんで話し相手が捧げものなんだ?
……いや、そんなことより。
「い、いやいや、俺は米を貰いに来ただけで……」
「もちろん、お米は差し上げます。それだけではなく、謝礼もご用意しております。」
男は一枚の書類を差し出した。そこには、仕事内容と報酬が記されている。
……えっ。
思わず、金額を二度見した。
普通のアルバイトでは、到底もらえないような金額だった。
「……ま、マジすか」
いや、待て。
絶対怪しい。
世話係なんて言って、闇バイトでもさせる魂胆だろう。
「……あの、やっぱりやめておきます」
「左様でございますか。承知いたしました」
……え?
男はあっさりと書類をひっこめた。
「それでは、お米だけお持ち帰りください」
「い、いいんですか?」
「ええ。もちろんです」
拍子抜けした。
てっきり、何が何でも引き留められるものだと思っていたのに。
「……ちなみに、仕事内容って、具体的には?」
気づけば、そんなことを聞いていた。
「具体的には、対話をしていただくだけです。少々気難しい方ですが、お話し相手になっていただければ結構です」
「それだけで、この金額?」
「はい」
即答。
……怪しい。
やっぱり、怪しい。
でも、もし本当なら。
空っぽの米びつが、脳裏をよぎった。
「……危険な仕事じゃないですよね?」
「施設内では、安全確保のための設備と職員を配置しております」
……安全だとは言ってないな、この人。
「一度、施設を見学してから決めることはできますか?」
「申し訳ございません。機密保持の都合上、それはできかねます」
……だよなぁ。
男は静かに書類を机の上へ戻した。
「もちろん、無理にとは申しません」
しばらく、書類とにらめっこする。
……話すだけ。
それで、この金額。
「……分かりました。やります」
男が、にこりと笑った。
「ご快諾、ありがとうございます。それでは早速、準備をしていただきます。」
「じゅ、準備って……?」
「まずは、簡単な身体検査を」
「え、検査?ただの話し相手ですよね?」
「規則ですので」
……なんだか、嫌な予感がする。
結局、俺は別室で身体検査を受けることになった。
その後、男に案内され、さらに建物の奥へと進む。
たどり着いたのは、一基のエレベーターだった。
……本屋に、エレベーター?
男がカードをかざすと、電子音が鳴り、扉が開いた。
「どうぞ」
促されるまま、中へと乗り込む。
男が操作盤に手を伸ばす。
しかし、そこには階数を示すボタンが一つもなかった。
「……あの、これ、どこに行くんですか?」
「先ほどご説明した施設でございます」
「……え?ここにあるんですか?」
「はい。地下にございます」
地下?!
いやいやいや、待て待て。
普通の本屋の地下に、そんな施設があるのかよ。
男が再びカードをかざすと、扉が静かに閉まった。
僅かな振動とともに、体が沈んでいく。
しばらくして、エレベーターが停止した。
扉の向こうには、長い廊下が続いていた。
白い壁に、無機質な照明。
天井には監視カメラが設置され、ところどころに重そうな鉄の扉がある。
……なんだ、ここ。
「あの、ここって何の施設なんですか?」
「神を保護・管理するための施設でございます」
……神、ねぇ。
どうにも信じられないが、少なくとも普通のアルバイト先じゃないことだけはわかった。
男は何事もなかったように歩き続ける。
いくつもの扉を抜け、ようやくたどり着いたのは、巨大な空間だった。
その中央に、古びた神社が建っている。
「……神社?」
思わず声が漏れた。
周囲は無機質な壁に囲まれているというのに、そこだけが別の時代から取り残されたようだった。
「こちらに、神がおられます」
男は淡々と告げた。
……冗談じゃなかったのかよ。
「ここから先は、お一人でお願いいたします」
「え、一人で?」
「はい。面会中は、こちらで状況を確認しておりますので」
いや、ついてきてくれよ。
そう言いたかったが、男はすでに一歩下がっていた。
仕方なく、俺は神社へと足を踏み入れた。背後で、扉が閉まる音がした。
薄暗い社殿の奥。
そこに、一人の女がいた。
腰よりも長い艶やかな黒髪に、金色の瞳。
白と朱色の和装をまとい、頭の後ろには金色の光輪のようなものが浮かんでいる。
しかし、その光輪には黒い亀裂が走り、首筋にも墨を流したような模様が浮かんでいた。
……綺麗だ。
思わず、そう感じた。
けれど、同時に妙な寒気がした。
……なんだ、この感じ。
目の前にいるのは、本当に神様なのか?
女は何も言わず、こちらを見つめている。
……と、とりあえず、挨拶だよな。
「こんにちは」
何気なく、そう声をかけた。
女はしばらく俺を見つめていた。そして、わずかに目を細める。
「……挨拶が気に食わぬ」
その瞬間。
女の白目が、黒く染まった。
----------------------------------------------
そして、今に至る。
黒いそれが、目前まで迫っていた。
……そっか。
今日が、俺の死ぬ日だったんだ。
死ぬ間際には走馬灯が見える、なんて話を聞いたことがある。
嘘つけ。
何も見えないじゃないか。
頭の中は真っ白で、恐怖以外の感情がどこかへ消えてしまったようだった。
―――そのとき。
ふと、今朝見た景色が頭をよぎった。
青い、青い空。
どこまでも続く、あの秋晴れ。
「……今日は、きれいな秋空だったな」
自分でも、なぜそんな言葉が出たのか分からなかった。
「……アキゾラ?」
ぴたり、と。
目前まで迫っていた触手が、止まった。
「……え?」
女が、こちらを見ている。
「今、なんと申した?」
……止まった?
助かったのか?
いや、まだ目の前にある。
少しでも動けば、今度こそ殺されるかもしれない。
「え、えっと……秋空、です。今日はすごくきれいな秋晴れで……」
声が震える。
それでも、口だけは勝手に動いていた。
「空気も澄んでいて、すごく気持ちが良かったんですよ。」
「……秋空、とな」
女は小さく呟いた。
その金色の瞳が、わずかに揺れたように見えた。
「……神様は、見ましたか?」
「何?」
女の表情が険しくなる。
「我を誰と心得る。神ぞ。そのような下民の戯言など、知ったことか」
まずい。また怒らせたか?
しかし、触手は動かなかった。
「そ、そうですか。でも、今は紅葉もきれいなんですよ」
「……紅葉?」
「はい。木の葉が赤や黄色に染まって、外を歩くだけでも気持ちが晴れやかになるんです」
「ふん。葉が色づくだけであろう。何が面白い」
……なんだ、知ってるじゃないか。
でも、どうにも興味がなさそうだ。
「えー、きれいなのになぁ……」
女は黙ったまま、こちらを見つめている。
……どうする。
このまま話をやめたら、マジで殺されるんじゃないか?
何か、何か話題を……。
「……あっ、そうだ。食べ物はどうです?」
「……食べ物?」
「秋は美味しいものが多いんですよ。特に、秋刀魚とか!」
「……サン、マ?」
女が首を傾げた。
「サンマとは、なんじゃ」
「えっ、知らないんですか?」
思わず聞き返してしまった。
……いや、待て。相手は神様だぞ。
でも、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「秋に獲れる魚なんです。漢字では、秋の刀の魚って書いて、秋刀魚っていうんですよ」
「……ほう」
「細長くて、銀色に輝いていて……。塩を振って焼くと、皮がパリッとして、身はふっくらしてて……」
話しているうちに、自然と言葉が出てきた。
「脂がのった秋刀魚は、本当にうまいんですよ。大根おろしと醤油を添えて、炊きたての白いご飯と一緒に食べると、もう最高で……!」
……あ。
しまった。
つい、熱く語ってしまった。
恐る恐る、女の顔を見る。
「…………」
女は黙っていた。
まずい。今度こそ怒らせたか?
「……面白い」
「へ?」
「そのサンマとやら、我も食うてみたい」
女の口元が、わずかに緩んだ。
「貴様。それを持ってまいれ」
「え?」
「聞こえなんだか? そのサンマとやらを、我に食わせよ」
……えぇ?
いや、待ってくれ。
ついさっきまで、俺を殺そうとしてたよな?
「い、いいですけど。買い物とか、準備とかあるんで。明日になっちゃいますよ?」
「ふん。一日程度、待ってやろう。我にとっては瞬きにも等しい時間じゃ」
女は満足げに頷いた。
「そのサンマとやらを食うまでは、貴様を生かしておいてやる」
「……あ、ありがとうございます?」
「食い終えたら、殺すがな」
結局殺すのかよ。
そのときだった。
ブーーーーーーッ!!!!
突然、けたたましいブザーが鳴り響いた。
「うわっ?!」
驚いて振り返ると、背後の扉が勢いよく開いた。
「面会時間終了! あんた、早く出なさい!」
飛び込んできたのは、茶髪に眼鏡をかけた女性だった。
「えっ、あの……」
「いいから、こっち!」
腕を掴まれ、強引に引っ張られる。
「あっ、ちょ、待っ……!」
俺は振り返った。
女は相変わらず、社殿の奥に座っている。
「あ、明日!また来ます!」
「ふん。忘れるでないぞ」
それだけ言うと、女は興味を失ったように顔を背けた。
そのまま俺は、引きずられるように神社の外へ連れ出された。
重い扉が閉まる。次の瞬間。
「……あんたねぇ!!!」
「えっ?!?!」
女性に両肩を掴まれ、壁際まで追い詰められた。
「自分が何したか分かってんの!?」
「え、えっと......?」
「神様を前にして、天気の話なんか始めて! そのうえ秋刀魚!? 明日も持ってくるって!?」
「……な、なんかまずかったですか?」
「まずいに決まってるでしょ!!」
女性の声が廊下に響き渡る。
「あんた、死ぬところだったのよ!?」
……いや。
それは、さすがに分かっている。
「……それにしても」
女性は俺から手を離し、深いため息をついた。
「何で生きてるのよ、あんた……」
「……え?」
「最近の捧げものなんて、まともに話す間もなく殺されてたのに……」
……は?
今、なんて言った?
「ちょ、ちょっと待ってください。殺されてたって……」
「あっ」
女性が口をつぐんだ。
……おい。
今の、聞き間違いじゃないよな?
「あの黒服は、そんなこと一言も……」
「……はぁ。まったく、あの人は……」
女性は額を押さえた。
「……待ってください。じゃあ、俺も殺されるって分かってて、ここに連れてこられたんですか?」
「…………」
女性は答えなかった。
……マジかよ。
米をもらいに来ただけなのに。なんで、こんなことになってるんだ。
「……で。明日、本当に来るつもり?」
先ほどまでとは打って変わって、静かな声だった。
「……死ぬかもしれないわよ、あんた」
俺は、閉ざされた扉を振り返った。
あの金色の瞳。
黒く染まった白目。
目前まで迫っていた、あの触手。
思い出しただけで、背筋が冷たくなる。
……怖い。
そりゃ、怖いに決まっている。
でも。
「……約束、しちゃったからなぁ」
口をついて出たのは、そんな言葉だった。
「……は?」
「いや、秋刀魚。持ってくるって言っちゃったんで……」
女性はしばらく、呆れたように俺を見つめていた。
「あんた、馬鹿なの?」
……否定できない。
「はぁ……。まあ、好きにしなさい」
女性はポケットから一枚の書類を取り出した。
「本来、面会は週に一回なの。明日も来るなら、追加の申請が必要だから」
「……あ、はい」
渡された紙に、必要事項を書き込む。
「……これで、いいですか?」
「はい。確かに受け取ったわ」
女性は書類を確認すると、出口の方を指さした。
「じゃあ、今日はおしまい。報酬とお米を受け取って、さっさと帰りなさい」
「……分かりました」
歩き出そうとした、そのとき。
「……ねえ」
振り返る。
女性は、どこか疲れた顔をしていた。
「……本当に、無理して来なくていいからね」
「…………」
俺は何も答えられなかった。
----------------------------------------------
本屋の外に出た。
大きく息を吸い込む。
ひんやりとした秋の空気が、肺いっぱいに広がった。
「……生きてる」
思わず、呟いた。
その瞬間。
がくり、と膝が震えた。
「……っ」
足に力が入らない。
心臓が、今さら思い出したように激しく脈打ち始める。
……怖かった。
本当に、死ぬかと思った。
いや、間違いなく死ぬところだった。
「……明日も、行くのか。俺……」
手元には、約束どおりの米と報酬。
こんな大金をもらったというのに、ちっともうれしくない。
ふと、空を見上げた。
朝と変わらない、青い空。
どこまでも続く、秋晴れ。
「……秋刀魚、買わなきゃな」
自分でも、何を考えているのか分からなかった。
米と報酬を抱えた帰り道。
足取りは、ひどく重かった。




