(12)自分の心もあの出来事も。あれって、そういうことでしたの?
「セシリア……、目が覚めた?」
目を開けたすぐ目の前にシーナ様の麗しいお顔があった。私の顔を覗き込むというよりも更に近く、鼻先がつく距離で。でも恥ずかしいと思うよりも先に……。
「シーナ様?……シーナ様っ!!」
私は淑女教育など全て忘れて心のままにシーナ様の首に腕を回し、しがみつくように強く抱きついた。
「うわっ!」
シーナ様は体勢を崩しながら、私をしっかりと受け止めてバランスをとり支えてくれた。
「シーナ様……。私の、シーナ様」
思わず胸の内が零れた。
「セシリア……今」
信じられないという表情になりつつも、シーナ様の口端が嬉しそうに上がる。
しばらく抱き着いたままシーナ様の温もりに安心すると、少しずつ頭が冷静さを取り戻してきた。
そう言えば、ここはどこかしら?私はどれほど眠っていたのかしら?
シーナ様の肩越しに目をきょろきょろさせて周囲を伺う。
壁紙は最近になって見慣れたもの。でも私室ではなく、座っている場所の感触もベッドではなく……ん?全身にひと肌の温もり、これは、これは……!?
やっと自分の置かれた状況に気が付きシーナ様から距離をとろうとしたけれど、既にしっかりとシーナ様に抱き込まれてしまっていて完全に身動きが取れなくなっていた。
そう、ここはシーナ様の執務室。私はずっとソファに座るシーナ様のお膝の上にいてその腕の中にしっかりと納まっていたのだ。きっと意識を手放している間もずっと。
なのに、そんな状況から更に自ら抱き着いて行った私はもはや痴女なのではっ!?激しい動揺が今更ながら私を襲う。
「ん?どうしたの?どこか気分が悪い?」
ぎゅうぎゅう私を抱きしめながらシーナ様が心配気に声を掛けてくれるけど、私が固まっている原因は、まさにあなた様です……。
「気分は大丈夫ですが……その、少し離して頂けませんか?」
「やだ」
即答……。しかも、まるで駄々っ子のよう。この人、王子よね?
「あの、お聞きしたいこともありますし、お顔を見ながらお話したいです」
少しの間があって、やっとシーナ様が腕の力を緩めてくれてくっついていた上体を離した……のだけれども。
「お膝の上からも降りて…「だめ」」
被せてきたわっ!?
「膝上にいても、顔は見えるでしょ。もう何も隠すことは無いんだから、離れる必要もないし、離れるつもりもないよ」
1200年の想い…いや我慢の反動なのかしら。
「それに……、俺の正体を知って俺の過去を知って、どう思った?」
シーナ様の瞳が不安に揺れた。
「やはり先ほどの夢は……」
「夢じゃない。俺が、俺の過去を意図的に君に見せたんだ。言葉で言っても想像しにくいだろうし、見てもらった方が早いからね。こうして俺と君の額をくっつけて、君に過去の俺の経験を、思い出を見せたんだ」
言いながらシーナ様は互いの額を合わせるように私を抱き寄せた。
本当、ヴァンパイアって何でもありなのかしら。そして、何でも出来てしまうのね。
改めて自分とはまったく違う生き物なのだと、格差を感じてしまう。
思わず遠い眼差しで口を噤んでしまった私に、シーナ様は何かに耐えるように顔を歪め私の背中に未だ添えられている腕に力をこめた。
「っ……シーナ様、くっ、苦しいですわ」
「ああっ、ごめん」
少し緩んで呼吸がしやすくなり、私はホッと胸を撫でおろした。いやいや、まだまだ安心出来る状況では無いのだけれど。
「で、どう……かな?俺のこと、嫌いになっちゃった?」
まるで怯えた子犬のような、縋るような眼差しで見つめられると妙な罪悪感が湧いてくる。でも私、何も悪くないよねっ!?
「きっ、嫌いになったりなんてしませんわ」
「ほんと?」
途端にシーナ様の眼がキラキラと希望に満ちたものに変わった。
「ですが、私も自分の中で気持ちの整理と言うか、その……混乱していて。もっとゆっくり、時間を掛けたいのですが」
本当に今見て来たものの情報量が多過ぎて、全く消化しきれていない。自分の感情もかつてない程乱されて、未だに落ち着かない。
「いいよ。待つのは、慣れてるから」
眉を下げて、どこか寂しそうにシーナ様は話す。
そんな顔はずるい。時間を掛けて心の準備をしようとしているのに、何も考えず今すぐ寄り添ってしまいたくなる。きっとこれが私の本心。心はおそらく決まっている。
でも最後の一線、貴族として人間としての矜持に拘りたいのだと思う。未知の世界に飛び込む本能的な恐怖が、様々な言い訳を用意して時間稼ぎをしている。
そうよ、だって仕方ないじゃない。ヴァンパイアなんて初めて出会ったのだもの。
しかも、自分もヴァンパイアになることを望まれているなんて、これまで普通に生きてきて誰が想像できるかしら?私にだって家族がいるし、まだたった16年しか生きていないもの。簡単に選択なんて出来ないわ。
「でも、これだけは忘れないで。俺はこの1200年、君だけを想ってたよ。それはきっとこれからも変わらない。君が好き。君だけを愛してる」
シーナ様はまるで私の脳に直接刷り込むように、耳元で優しく甘く囁いた。その蠱惑的な声と甘美な言葉に、私は全身が痺れるほどの幸福感に包まれていく。
「シーナ様……」
「ね、これからはずっと、朝も昼も夜もずっと一緒に居よう?執務中も傍に居て。本当はずっと膝に抱いていたいけど、もし血液を見るのが嫌ならいつものソファに居て。常に君を視界にいれていたいんだ」
思わずシーナ様に全てを委ねて頷いてしまいたくなる。でも、でも……。
「あのっ、そんな……。私達、まだ婚約者ですのに。それにずっとと言いましても、湯あみだったり身支度だったり、お目汚しになる部分もあるので」
何とか淑女として譲れない部分を話すけれど、もうここまで密着して醜態を晒していたら淑女なんて言えないわよね。
「ふふっ、本当に真面目だなぁ。湯あみや身支度なんて一緒にしたらいいし、俺はどんなセシリアも見ていたい。……でも、そうだなぁ、セシリアがいいって言うまでそこは別でもいいよ。嫌われたくないし」
二言目にはこれ。私は甘やかされているのか、責められているのか、よく分からなくなる。
「嫌うなんて」
「大丈夫、分かってるよ」
そう言ってシーナ様は私の左手を取ってその甲に口付けた。
「それに、湯あみなんてしなくてもね」
シーナ様は私の手を離した後、私の全身に触れるか触れないかの距離で片手を優雅に動かした。その動きに応じて、全身が爽やか空気に包まれるような感覚がした。まるで湯あみをして全身の隅々まで洗われ磨かれた後のよう。更に、来ているドレスまで洗いたてのようなふんわりとした柔らかい布の感触になった。
「これは……?」
「全身にクリーンの魔法をかけたんだよ。セシリアがこの離宮に来た最初の夜にかけたものと同じ。ね、こうしたら湯あみも必要なくずっとくっついてられるでしょ」
そういうことでは……。でも、初日の起き抜けの爽快感はこれだったのね。一つ謎が解けた。
「では、ついでに初日の夜のことをもう少し教えて下さいませ」
「ん?何かあったっけ?」
「あの日、何故いきなり私を眠らせたのですか?先ほど過去を見せて頂いた時、初日に急に意識が遠のいた時と同じ感覚でしたので」
私は疑問を少しずつ消化していくことにした。
「ああ、あれはね……」
シーナ様は悪戯が見つかった子供の様に、ふっと視線を逸らした。
「あれは?」
私は逃すまいと、シーナ様に詰め寄る。
「やっと君に会えた嬉しさで、あれ以上一緒にいると君を襲って咬んでしまいそうだったから。とりあえずクリーンだけかけて後はリヴィアにお願いしたんだ」
「そうだったのですね」
とりあえず、着替えはリヴィアさんがしてくれていたことにひとまず安堵する。
良かった、本当に良かった……色々と。
「ごめん、怒ってる?」
「いえ。むしろ、咬まずにいて下さりありがとうございました」
「うん。何も知らない君をいきなりヴァンパイアにするのは、さすがに俺でもダメかなと思って」
1200年分の葛藤もあったのに、我慢して下さったのねなんて少し感動してしまう……けれど、そこに感激してしまう私は、大分シーナ様に感化されてるわね。
「そう言えば、私は一体どのくらい眠っていたのでしょうか?」
1200年の記憶を見せて頂いて、随分と時が経っているような気がした。
「ああ、半日くらいかな。肝心なところだけ見てもらったから、ちょっと中途半端になっちゃたところもあるよね。そうだ、お腹空かない?続きは食べながら話そうか。よいしょっと」
「きゃっ」
シーナ様は私を横抱きにしたまま急に立ち上がったから、思わずシーナ様にしがみついた。
「大丈夫。落としたりしないよ」
シーナ様はにっこり笑って、執務机に置いてあった人を呼ぶためのベルを鳴らした。
ほんの一時して、すぐにアイク様がやって来た。
「お呼びでございますか」
「うん。セシリアに食事を用意して欲しいんだ。話しながらつまみやすいものをここに持って来て」
「畏まりました」
アイク様は相変わらず淡々とした様子で、すぐに準備に取り掛かろうとする。
「あっ、そうそう。セシリアにほぼ全て話したから、全員もうベールを取っていいよ。他の皆にも伝えといて」
「畏まりました。では、早速」
そう言って、アイク様はその場でベールを外した。
その素顔は、やはり肖像画で見た通りアイザック国王その人だった。
私は改めてきちんと臣下の礼を執らねばならないと思い、まだ抱えられたままのシーナ様のお膝から降りようと身じろぎした。
「ん?セシリア、どうしたの?ずっとここにいてよ」
「えっ、でも、アイザック前国王陛下と知ったからには、今からでもきちんとしたご挨拶をと……」
「とんでもないことでございます」
私は精一杯シーナ様に訴えたが、それを遮ったのは意外にもアイク様だった。
「全てを知りここにおられるセシリア様は、我らが始祖様の番。その御立場は我らよりも上になります。我らの方がご挨拶をさせて頂かねばならぬ立場故、どうかそのままでお過ごし下さいませ」
そう言って、アイク様は臣下の礼を執った。
「そうだよ。これまではまだ何も知らないセシリアには、まず離宮の環境に慣れてもらおうと皆に普通に接してもらってたんだ。いきなり皆が君に傅いたら、気を遣ってゆっくり出来ないでしょ」
「はい、確かに……」
でも、国王経験者ばかりを前にして今もゆっくりなんて出来ないのですが……。
「まっ、これからおいおい慣れていってくれたらいいよ。基本的にはずっと俺が傍にいるし」
そう言って、シーナ様は再び深く私を抱き込んだ。
もう元国王陛下の御前だとか、羞恥心だとか、そんなことをいちいち気にしていたらシーナ様のお傍になんていられない気がしてきた。
「ふふっ、それにしても嬉しいなぁ。さっき『私のシーナ様』って呼んでくれたよね。ヴァンパイアになるかどうかは別にしても、俺と同じ想いでいてくれるってことでいいんだよね?」
シーナ様は唇がくっつきそうなほど顔を寄せて、私の瞳を覗き込むようにして上目遣いに見てきた。
恥ずかしくても目を逸らせるような距離じゃなくて、私は顔を真っ赤にしてそれだけで肯定の意を返してしまう。
「でも急にどうしたの?嬉しかったけど、その理由も教えて欲しいな」
シーナ様はとても幸せそうな満面の笑みで聞いてくる。万一断ってこの笑顔を曇らせことなどすれば、大罪を犯した気分になりそうなほどに。
「うっ、うまく言えないのですが……」
いつの間にかシーナ様は移動して、先ほどのソファに座っていた。
私は相変わらずシーナ様のお膝の上、腕の中。これはもう、私の定位置になってしまったようだ。
「いいよ。時間はいっぱいあるから」
優しい言葉に、私はすうっと息を吸って胸の内をたどたどしく吐き出していった。
「色んな時代のシーナ様を見せて頂いて…。シーナ様にはお子様が何人もいらっしゃって。それは国の存続のために必要なことで……でも、シーナ様をお慕いになっていた奥様もいらっしゃったりして。16年しか人生経験の無い私に、国を支える大変さなど分かりませんが……」
「ん?それって、もしかして…嫉妬してくれたってこと?」
えっと、嫉妬ってそんな嬉しそうに言うことなのかしら。でも……
「たぶん、そうなんだと思います」
自分が何だか情けなくて、思わず口を尖らせて横を向いてしまった。
シーナ様と出会ってからわりと最初の方に、淑女教育だとか、貴族令嬢の嗜みだとか、そんなものは既に捨て去ってしまっていた。
「ああっ、もうっ!!セシリアは俺を喜ばせる天才だねっ!!!」
「えっ、そんなつもりじゃっ」
「はあぁぁぁぁぁっ!可愛すぎるっ!!」
そう言って、シーナ様は再びぎゅうぎゅう私を抱きしめた。
先ほどのように息苦しくなると困るので、失礼の無い程度に若干抵抗しようとしたけれど、ふいに抱きしめる力が緩んだ。
「でもね、勘違いしてるよ。俺に妻なんていない。彼女たちには、必要に応じて子を生んでもらっただけ。国の存続も、セシリアに会うために必要だっただけ。別にヘルシーナ王国じゃなくても良かったんだ。途中で別の国を造っても良かった。ただ、ヘラのシャーマンの知識が残る方が都合が良かったんだよ」
「シャーマンの知識、ですか?」
「そう、君に会えるのは1200年後っていうことは分かっていたけど、定期的に星見の儀を行って誤差が生じていないか、他にも番について詳細を調べていたんだ」
「星見の儀……」
「うん、ヘラからゲオルクへ、ゲオルクからクラウド……今はアイザックが」
確かに記憶の中でもゲオルク様がクラウド様へ継承する話をしていた。
「だから、特に1100年を過ぎたあたりからアイザックには頻繁に行わせて、君が貴族として生まれてくること、王都からは少し離れた地で生まれることが判明した。だから何があっても出生届を出すこと、子供の健康診断を絶対に受けさせること、法律で厳しく取り締まったんだ。絶対に探し漏れが無いように」
執念……でも1200年も待つとそうなるしかないのだろう。他人事のようだけど、人生経験ひよっこの私にはそう捉えるのがやっとだ。
でも貴族の中には、不都合な子供が生まれると出生届を出さずに隠蔽する家もあると言う。シーナ様の目的の副産物として、救われた命があったのなら良かったのかもしれない。
ここで、軽食を準備し終えたアイク様が入室してきた。
「失礼致します。お食事をお持ち致しました」
手際よく目の前のローテーブルにサンドウィッチやピンチョス、カナッペなどの彩豊かでつまみやすい物が並べられ、最後に香り高い紅茶を入れてアイク様は当然の様に退室された。
流れるように鮮やかな動作に、お礼を言う暇も隙も無かった。
やはり、何があってもシーナ様と二人きりなのはデフォルトのよう。これから更に二人で過ごすことが多くなるということは、リヴィアさんに会うこともほぼ無くなるのかしら。
「さっ、お腹すいたでしょ?どうぞ」
シーナ様は私の口元に、一口大のチーズと生ハムにオリーブを飾って刺したピンチョスを差し出した。
私はそれを受取ろうと指を持って行っても、一向に渡してもらえない。
「あの……?」
「ん?ほら、食べて」
にっこりと素敵な笑顔で、より口元に近づけられてしまった。これは……。
私は観念して口元のピンチョスを頬張った。
シーナ様はとても満足そうで、これで正解なのだと分かった。
「シーナ様は召し上がらないのですか?」
「うん?俺はどっちでも。こういうものを食べても、あんまりお腹にたまらないし。今は食事よりも、セシリアを愛でで甘やかしたいから」
やっぱり、人間とは身体の仕組みが全然違うのね。それに、甘やかしたいって。
私は照れ隠しに話を逸らそうと試みる。
「ちなみに、それでもお好きな食べ物とかあるのですか?」
「ええっ、それ聞いちゃう?」
「えっ」
聞いてはいけないことだったのかしら。もしかして不敬だったかもと一瞬焦る。
「ふふっ、そんな怯えなくていいよ。あ~でも、ある意味怯えちゃうかもね」
謎かけのような、曖昧な答え。私は首を傾げて見せた。
「君の、セシリアの血……だよ」
私の耳元に唇を寄せて、シーナ様は甘く囁くと私の耳にそっと口付けた。
ひぃっ!!一瞬捕食されそうな本能的な恐怖と共に、それと相反する甘い痺れが身体を走り、私はまろび出そうになった声を押しとどめた。
「ごめんごめん、大丈夫。今ここで咬みついたりしないから。でも、ちょっとだけ」
最後だけ婀娜な声色で呟いて、首元に口を寄せペロリと軽く舐められた。
「んっ……」
これって……、味見よねっ!?でも首に舌が這った瞬間、嫌悪感よりもぞくりとこみ上げてきた感覚に戸惑う。このままシーナ様に何をされても許してしまいそうな自分が怖い。
「はぁ、いい香りがする。君は本当に最高だよ。番が特別って本当だね。いつもセシリアの血を飲むと体中に力が漲って、本当にこの世の全てを支配できそうな気になるよ。色々昂っちゃって飲んだ直後はセシリア本人に会えないのが難点だから、早く慣れないとだね」
「私の血……いつの間に?」
「ん?いつもお願いしている血液検査のやつだよ」
シーナ様はさらりと仰るけれど、それって月に一度採血しているあれ?私の健康のためじゃなくて、まさかの飲用だなんて。
「あれ?何か怒ってる?不貞腐れた顔も可愛いね。大好きだよ。俺の、俺だけのセシリア」
どんなに不機嫌を露わにしても、全くものともせず優しく微笑んで甘く囁いてくるシーナ様。そんなお姿に、私はいつまでも不機嫌を保てない。簡単に絆されてしまう。これは番だからなのだろうか。それとも、私もシーナ様と同じ気持ちだから?
完全にシーナ様のペースで、結局私はこのまま全てのお世話をされてしまうのであった。
お読み頂きありがとうございます。




