メイドさんのお仕事②
「誰もいないな…。」
記憶を頼りに駅を目指す。確かこの道路を川沿いに歩いて、商店街があってその先が駅のはず。前は夜の道だったが今は昼間だ。あの時には見えなかったものが今は随分と細かく見えるはずなのに。
「人も車もいない…。」
重い身体で信号待ちをしたのは覚えている。赤信号の間、目の前をいくつかの車が通り過ぎていったはずなのに。今は何も走らない大通りを見つめ、横断歩道の前で立ち止まって顔を上げた時、ようやく私は信号も明かりが点いていないことに気がついた。
「これ…本当に死んだって事なのかな。」
もしかしたらあの夜の道を歩いていた時、私はまだ向こうの世界で生きていたのかもしれない。通りぬける車、声を掛けることのできない街の人、点滅するライトたち。それが今は何一つ見当たらないのだから。明かりの消えた信号機はなぜだか終わってしまった命を思わせる。生きていた頃はそんなふうに思ったことなんてなかったのに。あたりを見渡しながら歩みを進めてシャッターの街を抜ける。相変わらず私の可愛い制服は裾を揺らしている。大好きな私のメイド服だ。
「誰かが着せてくれたんだよね。」
お父さんお母さんのお別れの時の事をよく覚えているもの。冥土の世界でもお気に入りの服を着て旅に出られるように、お母さんにはお父さんが初めてプレゼントしたという洋服を。お父さんには仕事でよく着ていた自慢のスーツを。それぞれ着てあげたのを覚えている。
「私にはこの制服だったんだね。」
選んでくれたのは店長かな。それとも同僚たちかな。きっと皆で考えて選んでくれたんだ。私にはメイドさんのお仕事の制服が良いだろうって。
「会えるのが最後だって分かっていたら、ちゃんとお礼が言いたかったのにな。」
「ここで働けて幸せだったって、皆に伝えたかった。」
あれがしたかった、こうすれば良かったなんて思っても、死んでからじゃ遅いのに。次々と絶えず溢れてくる気持ちと共にぽたぽたと落ち始めた涙をそのまま流しながら、私は駅の中へと辿り着く。動かない改札を通り抜けて明かりの消えた構内を歩く。階段を上がりホームを進んでいくと見えたのは『終点』という名の看板だ。
少し待ってみるが電車が来る様子はない。ホームから見える景色は、あの日見えた街並みと何も変わっていなくて。やはりここがどこの街なのかは少しも分からなかった。ホームの上から線路を見下ろす。特に感じるものはない。私は思い切ってホームの上から線路に降りた。まあまあな高さがあったものの、運動神経には自信がある。足の裏が少しだけ痺れたが着地は難なくできた。
「うわ、初めて降りた。ホームってやっぱり高いんだな、……。」
何気なく発した独り言に自分で頭を傾げた。今、私『初めて降りた』って言ったよね。その言葉に偽りは無い。記憶を丁寧に思い出そうと一歩ずつ線路の上を歩いていく。隣の視界を埋めていたホームが終わり、開けた道の更に進んだ線路の先には踏切が見えて、黄色と黒の縞々模様に消えた赤いランプの姿を見つめた。私の服とよく似たデザインだ。でも、違う。私は自分からここに入ったりはしていない。それだけは絶対に誓える。
(ということは。やっぱり私にはメイドさんのお仕事をしていた時の記憶までしかないよ。だからつまりそれは、私は二十二歳で生涯を終えたって事で…。)
「ホームから落ちて死んだんだ……。」
ねえなんで死んだの、私。どうして線路に落ちたりしたの。今、少しだけ記憶を思い出したの。あの時の私はホームの端で靴紐を直して、それから逆の足でまた紐を踏んでしまって、そしてよろめいたんだ。あの時、通過列車が来るってアナウンスされていたから。きっと私はその迫りくる電車の前に落ちてしまったのだろう。馬鹿だ、私。他人に迷惑掛けて死んだんだ。あの通勤ラッシュの時間帯に、大勢の人がいる中で電車を止めてしまったんだ。こんな死に方したくなかったのに。
止まっていたはずの涙がボロボロと溢れた。誰も悪くないの、全部自分のせい。だけど自分のせいだけにはしたくない。あの時もしも靴紐が解けていなかったら。通過列車が来ていなかったら。あの場所が駅じゃなかったら。メイドさんのお仕事をしていなかったら。…こんな死に方はしなかったかもしれないのに。
「ハルちゃん。」
ハルちゃんはどうしてあんなに冷静だったの。私が知る限り、ハルちゃんはずっと笑っていたよ。自分が死んだ事を知った後もなんで普通に笑えていたの。死んだ理由が違うから?それとも死んだ歳が違うから?どれが正解なのかわからない。
彼女との会話を思い出す。彼女は自分が何歳で死んだのかよく覚えておらず、もしかしたら自分はおばあちゃんかもしれない、と言っていた。
「おばあちゃん…。」
私だっておばあちゃんになるまで生きていたかったのに。誰かと結婚して子供が生まれて、そのまた子ども、私の孫までこの目で見られる日が来ると信じて疑わなかったのに。それが当たり前だと思っていたのに。おばあちゃんが私を可愛がってくれていたように、私にも可愛がる存在ができる日が来ると思っていたのに。『実里』そうおばあちゃんが優しく私の名前を呼ぶように、私も誰かの名前を呼びたかった。
「名前…私の家族の名前…。」
頭の中に浮かんでくる、笑顔のお父さんとお母さん。私は一人ずつ名前を呼んでみる。
「お父さんは幹夫。村主幹夫。」
お父さんの名前を呼んで、またポロっと涙が零れた。私はポケットの中からハルちゃんにもらった飴を取り出すと口の中に放り込んだ。口の中に甘酸っぱいお馴染みの味が広がる。
「お母さんは村主由里子。お父さんと結婚する前は、旧姓は…えっと…片平だ。」
お母さんの名前を呼んで、私は歩くのをやめた。自分の口から飛び出した衝撃的な事実に驚きを隠せないからだ。
「おばあちゃん。おばあちゃんの名前は、片平ハル。」
どうして。どうしてこんな大切な人のことを思い出せなかったの、実里。おばあちゃんの名前だよ。
「ハルちゃんが、私のおばあちゃん…?」
もしも、ハルちゃんが私のおばあちゃんと同姓同名とかではなくて、本当に私のおばあちゃんだったとしたら色々な事が合致する。
『そうなのね、実里ちゃんも食べていたのね。』
そうだよ、だって小さい頃からおばあちゃんがよくくれた飴だもん。
『どこで買った物なのか思い出そうとしているんだけど』
それはね、おばあちゃんへのプレゼントだよ。ずっとボロボロの巾着を使っていたおばあちゃんに、私の初めてのお給料で買ってあげた巾着だよ。いつも持っていてくれて、病院に入院してからもいつも枕元に置いていて。おばあちゃんがもう食べられないと分かっていても、いつか元気になると信じて、私が袋の中に飴玉をいっぱい入れていたんだ。それをおばあちゃんはこの冥途の世界まで一緒に持ってきてくれたんだ。
―ねえ実里ちゃん、二人でどこかお散歩に出かけない?―
「そうだよね、いつも私が言っていた言葉だもんね。元気になったら一緒にお散歩に行こうって…。」
どうしてすぐに気がつけなかったんだろう。橘さんのお店で顔を見て名前を聞いた時に、私のおばあちゃんだって思い出せなかったんだろう。ずっと一緒にいた大事な家族なのに。おばあちゃんは気が付いていたのかな、私が孫だって。いつ、いつから?分からない。でもおばあちゃんは、ハルちゃんはすごく優しい人だから。きっと中々おばあちゃんに気が付けない私に合わせて、ずっと話を合わせてくれたんだ。
「ハルちゃん、自分もメイドの仕事をしているって言っていたけど。」
昔、おばあちゃんから聞いた話。おばあちゃんは若い頃お金持ちの家で住み込みのお手伝いさんをしていたと言っていた。確かに主人に仕える大事なお仕事だ。でも私のメイドとは違う、ハルちゃんは本物のメイドさんだった。
―実里ちゃん、帰りたくなったら帰るのよ―
別れ際のハルちゃんの言葉を思い出す。ハルちゃん、それってどういう意味で言ったの。帰るって一体どこに。橘さんのお店?まさか私の家?それともおばあちゃんの家…?
「おばあちゃんのところに帰りたい。」
そこからは思いっきり走った。来た道を戻って商店街を駆け抜けた。一直線の橋を渡って坂を一目散に下っていく。走るのは自信があるんだ。もしかしたらハルちゃんに追いつくかもしれない、そう足を動かす。不思議なことに息が切れなかった。もう死んでいるからなのか。でももうそんなことはどうでも良かった。今はハルちゃんに会うことが最優先だ。
彼女の座っていたベンチには、誰も座っていなかった。きっとあの後一人で橘さんのお店に帰ったのだろう。
(…本当にお店に帰ったのかな。)
不安がよぎる。だって思い出すのよ、実里。橘さんのお店に訪れた人たちは、忘れ物を見つけ出すと店を後にしていたじゃない。ハルちゃんが本当にもしあの病院で何かを思い出して、それから忘れ物を見つけていたとしたら。
「先にお店を出て行っちゃうかも…!」
それは嫌だ。だって私の忘れ物は『おばあちゃんの存在』だから。きっとハルちゃんは私のおばあちゃんで、せっかく思い出せたのに、おばあちゃんがここで先にいなくなっちゃったら、私は橘さんのお店を出られなくなるかもしれない。いや会えなかったとしても、思い出せさえすればお店を出の事は出来るのかもしれないけど。
「でも、もう一度おばあちゃんに会いたい…!」
住宅地に入り私は更に走るスピードを上げた。どうせこの街には私たちしかいないんだ。誰も気にせず走ったって迷惑なんて掛からないし構わないだろう。道の先に橘さんのお店が見えはじめた。外の看板の電気が消えている。ハルちゃんの姿はまだ見えない。ねえハルちゃん、まだ居るよね?一緒にお店を出ようって約束したよね?
店の扉の前に立って私は恐る恐るお店の扉に手を伸ばした。この店に初めて訪れた時よりも緊張する。どうしよう、もしもハルちゃんがいなくなっていたとしたら。ドアノブを回して扉のベルがカランと鳴った。




