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メイドさんのお仕事  作者: 好観
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メイドさんのお仕事③

片平ハル、年齢不詳。但し自分がおばあさんの年齢層であることは分かっている。松原家に仕えてその縁で主人と出会い、片平家に嫁いだが娘の誕生の前に主人が亡くなり、女手一つで育児と仕事をこなす人生だった。とてもひもじくその日暮らしをするのが精一杯だった記憶はあるのだが、娘の顔は未だ思い出すことができない。記憶の中で『お母さん』と話しかけてくる愛娘に私も応えるのだが、その顔はぼやけたままだ。彼女が成人となって嬉し涙を流した記憶も彼女がお嫁に行った時の記憶も、全てあるというのにその顔は見えないままでいる。


(悲しいわね。)


 彼女が事故で若くして亡くなり絶望した記憶も、それから彼女の夫までもが病気で亡くなってしまった記憶もあるのに。


(それから…私の人生の終末の記憶…。)


 目を閉じると思い出すのは病室で横たわる私の姿だ。少しずつ消えていく記憶達と、それから動けなくなってしまう身体。声を出そうにもうまく出せずもどかしい想いで愛しい人を見つめることしか私にはできない。


おばあちゃん、来たよ。目に前に座ったのは明るい髪色をした私の大事な孫だ。貴女の事ならちゃんと分かるわよ。彼女は私を見て笑うと鞄から飴を取り出すと私の枕元に置かれた巾着の中へと入れる。そして中から古い飴玉を取り出して自分の口に放り込む。おばあちゃんも早く食べられるようになればいいのに。


私も食べたい、あなたと一緒に笑いながら食べたい。ねえ、もう終わりなの?もっと色々と話をしてちょうだい。なんでもいいのよ、あなたのコロコロと変わる表情を見ていたい、ずっと声を聞いていたい。ねえ、帰らないで、もっといて。私も追いかけて一緒に帰りたい。並んで手をつないで前みたいに一緒に…。


「今朝、目が覚めた時に。誰かがいつも言っていたのを思い出したの。『一緒にお散歩に出かけようね』って。あの時の私はね、どうしてもそれを叶えたくて、でも叶えられなくて。叶えられない自分が虚しかったわ。叶えたいこと、やりたい事があるのに、私の身体は言うことを聞かないんですもの。だからいつしかそれを願う事を忘れてしまって。


でも叶ったのよ、今日。短い時間だったけどあの子と久しぶりに並んで歩けたわ。手も繋いで歩けたの。久しぶりだったわ。」


 住宅地の中を歩いていく。歩くたびに耳元の簪が揺れる。傾き始めた太陽の光を浴びて、オレンジ色のトンボ玉がきらりと反射した。


「ねえ、橘さん。」


「なんだい、ハル。」


 話しかけるとオレンジ色のトンボ玉が点滅しはじめた。私は耳元で光の温かさを感じながら、ゆっくりと歩みを進めていく。


「やっぱり。ずっと私の簪の中に隠れて話を聞いていたのね。」


「あ、ああ。すまない。」


 耳元で彼の声がして私は少し笑みを浮かべた。ふわりと風が吹いて簪が揺れて、彼の点滅が視界に映る。きれいなオレンジ色の光だ。この簪は生前の主人がくれたもの。飴玉と一緒にいつも巾着の中に入れていた私の大事なものだ。死後の世界でも身に着けていたことに気が付いた時は、静かに一人で喜んだものだ。これは孫の彼女にも話していない、私だけの秘密だ。


 橘さんの店の中で彼がオレンジ色の灯りに身を隠している事に気が付いた時から、もしかしたら彼は私の簪に中にも身を隠すことができて、私と彼女との散歩にもついてくるのではと思っていたが…予想的中だったことに自分でも少し驚いた。


 まあ、こうして二人でのんびりと話す時間もいいだろう。ベンチで少し休んだからか、話しながら歩くくらいの余裕はある。


「ねえ、実里と私。ほとんど同じ時に死んだのね。」


「ああ。」


「私が少しだけ後に死んだのよね。」


「そうだね。」


 彼に確認するように質問をしていく。私と彼女のそれぞれの最期を。


「実里は駅で亡くなったと誰かから聞いたわ。…あの子、本当に死んでしまったのね。」



 私は思い出したのだ。先ほどあの病院のベッドに横たわった時に、彼女が孫の実里である事を。今すぐに教えてしまいたかった。私はあなたのおばあちゃんよ、と。でもずっと私が本当の彼女の事を思い出せなかったのと同じように、彼女も私の事を思い出せていない。私と同じように彼女もこの世界での最初の場所へと訪れたら、全てを思い出して私のことも思い出すかもしれないと思ったから。だから言わずにいようと決めた。


「正直な気持ちを言うわ。あの子だけは私よりも先に死んでしまうなんて事にはならないでほしかったわ。そんな日本一のおばあちゃんになれだなんて言わないの。普通でいいから、皆と同じくらいに歳を取ってほしかったわね。」


 足元のアスファルトの道を進んでいく。小さな石ころが転がって縁石にぶつかるのを目で追いかける。


「悲しいと同時に嬉しさもあるのよ。もう二度と会えないと思っていたあの子にこうして再会することができたのよ。孫が死んだ事を喜ぶお祖母ちゃんなんてきっと私だけだわ。本当に複雑な気持ちね…。」


 この世界で再会してから彼女の事を思い出すまでに時間が掛かってしまったけれど。それでも思い出せてよかったと思う。


「忘れ物はなんですか。」


 この世界で目が覚めてからずっと考えていたことだ。店に来るお客様の話を聞いて、それから自分の事を考えた。


「《喫茶店たちばな》は忘れ物を思い出して、それから見つけるお店なのよね。私はね、忘れてしまっていた気持ちを思い出したの。あの子とまた一緒に手を繋いで散歩をしたり、話をしたり、一緒に暮らしたいという気持ちをね。そしてそれを叶えられたわ。」


 それが私をこの世界に留めている理由だったのか。こうして忘れ物を思い出した後ならその理由がよく分かる。ずっとあの子とまた過ごせる日を私は待ち望んでいたのだ。それが叶った今、私はもう本当の終わりを迎える準備をしようと思えるはず、なのだが。


「でもね、いま新たに忘れ物が出来てしまったの。ねえ橘さん。一緒に喫茶店で実里の帰りを待ちましょうよ。」


「うむ…。」


 橘さんは相変わらず言葉が少ない。でもきっとこの応え方は私の意見に賛同してくれているはず。


「だって、あの子をこの世界に忘れていったらダメでしょう。」


 手を伸ばして彼の店の扉を開ける。耳元からオレンジ色の光がスッと真っ暗な店内へと浮かんで、カウンターの上で点滅し始める。私はカウンターの裏からグラスを二つ取り出し並べる。そして椅子へと座り静かに扉の方へと顔を向けた。静かな時が流れる。私は思い出せる限りの生前の話を彼にしていく。孫の話はかなり多めだ。彼は少ない言葉を返してくれる。そして西の空に夕日が沈む頃、道の向こうから足音が聞こえて、その音は店の前で止まった。


 カランと扉が音を立てて開く。私は椅子から立ち上がると隣で点滅する彼と一緒に口を開いた。


「おかえり。実里。」



村主実里と片平ハル。二人の手にはオレンジジュースのグラスが握られている。止まることのない村主実里の話を片平ハルがニコニコと笑いながら相槌を打っている。片平ハルが巾着から飴を取り出して、みかん味を向かいの村主実里の口に入れる。そして片平ハルはみかん味とハチミツ味を両方一緒に舐め始めた。


「聞いてよ、おばあちゃん。私、本当に駅で死んだみたい。」


「そうみたいね…。死ぬ前に誰かが教えてくれた覚えがあるわ。」


「私それでね、靴紐を直そうと思って屈んだの。そこまではよかったんだけど、立ち上がる時に直したはずの紐を逆の足で踏んでさ、よろめいて。多分それで駅のホームから落ちたの。通過の電車が来ていたからそこでバーンだよ、うわぁぁ痛いっ‼」


「い、痛いわね…。」


 カウンターの上からぼんやりと二人の様子を眺めていた私だったが、彼女の言葉に思わず口を出してしまう。


「待ちなさい、実里。そこは違うな。」


 きょとんとした顔でこちらを見上げた、ミツバチを模したというハイカラな服装をしている彼女。


「ちょっと、橘さんまで急に実里呼び?ま、いいけどさーって、違うって何が。」


「君の死んだ理由さ。」


「え、私って電車に轢かれて死んだんじゃないの?」


「……。」


 この店に来る者たちは死んですぐの者たちばかりで、基本的には自分の死んだ瞬間を覚えているものだ。そしてすぐにこの店への前へと辿り着く。但し例外を除いて。生前に頭の病を患っていると、曖昧な記憶をもとに目覚める場所が変わってしまったり、自分が死んだ事も分かっていなかったりすることがある。二人の場合は正にこれだった。


「橘さん、ちゃんと真実を話す事も時に大事ですよ。」


 どうにも他人に自分が死んだ瞬間の事実を話すのは苦手だ。何十年経っても慣れやしない。いい話であることは稀なことが多いし、話した途端に相手が衝撃を受けて取り乱すのが目に見えているからだ。そもそも死んだ者がその後大きく成長できるとは限らない。時が流れているようでこの世界は止まったままの世界なのかもしれないから。


だが彼女の言葉は正しいと思う。そう、ちゃんと真実を話す事も大事である。今回はそれを特に学んだところだから。己の気持ちを奮い立たせて口を開こう。


「ああ、えっと……。君は電車に轢かれたのでは無く、自分で靴紐を踏んで後ろに転んで、地面に頭をぶつけて死んだんだ。」


 シン…と静まる店内。そうだな、ここ最近では一番の静まり具合だ。目の前に立ち尽くすハイカラなミツバチは何度か瞬きを繰り返すと思い切り明後日の方向を向いた。


「え?私、まさか一人で頭を打って死んだの?自爆したの?」


「そうだ。打ちどころが悪くて死んだんだ。」


 そう答えると彼女がこちらを見上げる。目にはいっぱいの涙が溢れていて、今にも零れ落ちそうだ。


「実里、泣きたい時は泣けばいいのよ。」


 着物姿の彼女が静かに呟く。そしてミツバチのメイド服の彼女ががっくりと頭を項垂れた。


「あーあ、なんというか、最期までバカだったんだな、私。」


 そんな二人の様子を見ていて私は思う。最後まで思い出してはくれなかったな…と。今からもう何十年も前の話だ。私は私の人生の中で最も罪深い事をした。娘の顔を見る前にこの世を去ってしまったのだ。そしてこの世界に来てある人に言われたんだ。君の忘れ物を探すようにと。いつかここに妻や娘たちも来るのでしょうか、そんな私の問いにもしかしたら来るかもしれないねとその人は答えて、それから消えていった。


「そうか、いつか君が来るのかもしれないのか。」


一人ぼっちの世界、次々と訪れる客人たちは自らの忘れ物を見つけるとこの店を出て旅立っていく。それでも私はこの店で君が来るのを待っていた。何十年もの間だ。だから君が遂にこの世界に、そしてこの店に来ることを知った時は喜んだ。だが同時に複雑な気持ちにもなった。君だけではなく、孫も来ると分かったからだ。


(悲しむべきなのか。それとも喜んでいいものなのか。)


君も言っていたが、本当にそう思う。


 あんなに長く感じていたこの店での時間も、君たちが来てからは一瞬に感じた。なのに、一時でも店にいてくれるだけでもよかったのに。この店でメイドをしたいと言い出した君たちに、実は凄く喜んだ。敬語をやめましょうと言い出した君とそれを真似したあの子。ああ、まるで本当に家族みたいだなって思ってしまった。


 悪戯っ子な孫は可愛い。怒る孫は、どう扱ったらいいのか分からない。答え難い質問をされた時はどうしたらいいか分からなくなって、咄嗟に逃げてしまった私。そんな私を責めることなく「大丈夫、一緒にいますから」と構えていてくれた君。家族ってこういう温かい存在の事を言うのか。ああやっとこの気持ちを感じられた。


この店で沢山の亡き人々を冥土に見送って。その都度沢山の人から話を聞いた。そして思い出したんだ。私にとっての忘れ物は《家族》だった。大事な人、大事な想い。それはあの頃の私にもあったはずなのに、見失い忘れて自らこの世界に来た私は。いつか君がここに来る日まで、ここで待つと決めた。君がこの店に訪れて私の名前を聞いた時、もしかしたら気付いてくれるかもしれないと期待はしたが、流石にそれは欲張りな願いだった。そうだね、この店は忘れ物を見つける店であって、願いを叶える店ではなかったね。


君は生まれた時は『橘ハル』だった。だからこの店で君の名前を名乗ろうと決めた。庭に橘の木を植えて、その木も随分と大きく育って。いつかもしも君がこの店に来る日が来たら自分の家のように過ごしてほしいと願って…。


チリンと扉が開いて薄紫色の着物姿の女性が現れる。その着物は橘の花があしらわれた君の着物だ。髪には私が渡した橘の実を模した簪が付けられている。たった数年間の夫婦生活だったはずなのに、君は私の姓を変わらず名乗っていてくれていて、そしてそのままここに来てくれた。本当に嬉しかったんだ。最初の出会いから最後まで本当に優しくて逞しかった君に、私はどうしてもっとずっと傍に居ようと思わなかったのだろう。その事を彼女に謝れないことが私への罰なんだろうと思う。


 二人がソファーに座り話している。村主実里はオレンジジュースを何杯もおかわりしていて、片平ハルはまた飴を舐めている。二人ともいい笑顔だ。そこには本物のおばあちゃんと孫がいた。きっと私の知らない生前の二人の関係性もこんな感じだったのだろう。聞こえてくる二人の話題は今までの事からこれからの事へと変わっていく。この店を出た後はどうなるのかという話だ。


「ねえ、もしも今度また人間に生まれるなら、どうしたい?」


「そうね、おばあちゃんは、また実里と暮らしたいな。」


「私もおばあちゃんと暮らしたい。歳の近い友だちでもいいけど…やっぱりおばあちゃんの孫に生まれたいな!」


「そうね、私も実里のおばあちゃんに生まれたいわね。」


 私はどうだろう。私もまた君と同じ世界に生まれて、君とまた出会うことができたのなら。今度こそ長い時間を一緒に過ごしたいなと思う。もしもの話だ。私だってこの店を出た後に自分がどうなるかは全く分からない。新しいどこかで永遠の時を過ごすのかもしれないし、この記憶も思い出も全て消えてまっさらなものになってしまうのかもしれない。それでもこうして忘れ物を見つけて大事な人たちと一緒に同じ時を過ごせたのだから、私はもうそれで充分だ。


「じゃあさ、その時はまた一緒にメイドさんのお仕事をしようね。」


 村主実里の言葉に片平ハルが笑う。二人の会話を聞いていて心が和んでいく。


 そうしたら私はまた喫茶店を開こうか。顔も知らない私の娘と彼女の主人がお客さんとして来るんだ。孫にはジュースをおかわり自由にしよう。おまけで飴も付けてあげよう。もしも次に生まれる時にこのことを忘れてしまっていても、きっと思い出そう。


「そろそろ一緒にお店を出よう。」


村主実里が立ち上がった。それに合わせて片平ハルもゆっくりと立ち上がる。彼女のオレンジ色の簪が揺れる。大切に持っていてくれてありがとう、私は彼女に頭を下げる。じゃあ私は二人をお見送りした後に、君たちを追いかけてこの店を出ようと思う。


 いってらっしゃい、と私は口を開こうとした。その時、カウンターの前に立った君がこちらを向いた。


「橘さんも一緒にどうですか。」


店内の明かりが全て消えて、カランと音を立てて扉が閉まる。店の前から見上げた空は、雲一つない闇色の中に満天の星空が広がっている。点滅するかのように光る星たちの間を大きな流れ星が一つ通り抜けて、静かに遠くへと消えていく。それから店の前で並んだ私たちも遠くへと消えていった。

おわり

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