メイドさんのお仕事①
アスファルトの道が続く住宅地。
二階建ての家やアパートの並びを抜けて私たちは何度か交差点を曲がった。道の先に白い大きな建物が見えはじめて、それからその向こうに広がる青い空には少しだけ小さな雲が浮かんでいる。
「あーあ。私さ、ほんの少し前までは汗水流して仕事に生きる女の子だったっていうのにね。」
黄色いスカートが歩くたびに揺れる。私の自慢の仕事着だ。大好きなメイド喫茶の制服、もう二度と活躍することはない私の大事な戦闘服だ。
「私さ、仕事に夢中でまだ本物の恋も知らずに生きるぴちぴちガールだったのに…。」
「ぴちぴち?なるほど、粋がいいってことね。」
「そこはせめて純粋って言ってよハルちゃん!」
ハルちゃんに盛大なツッコミを入れてから私は大きく伸びをした。伸ばした身体に太陽の光が降り注いで、気持ちがいい。
こんなに気持ちがいいのに私はもう死んでいるなんて、…うん。まだショックだ。仕方がないよね、だって数時間前までは私は生きている人間だって思っていたんだもん。
「もっと青春したかったなぁ‼」
なんとか気持ちを切り替えたいと思い切り大きな声を出したら、予想以上に辺りに声が響いてちょっと恥ずかしい。隣でハルちゃんがふふっと笑っていて、それがまた余計に恥ずかしい。
「青春ね…好きな人がいない人生だって、それはそれでいいと思うわ。」
うんうんハルちゃんの言うとおり。そうだよ、私だってそう思う。そう思って仕事に夢中になれたんだもん。
でも流石にこうして人生の終わりを知らされたら、やっぱり二十二年の生涯で恋愛の一つくらいはしておけば良かったのかなとは思う。うちのお店、お客さんとの連絡は直接取らないようにとは言われていたけれど、プライペードは特に恋愛禁止じゃなかったし。
ハルちゃんはどうなんだろう。私とは違って振る舞いが凄く落ち着いているし、何といっても着物も似合う素敵な女の子だ。雰囲気的にもいい人が居たんじゃないかなって思う。
「え、そういうハルちゃんは、その、好きな人いたの?」
「うん。」
いやっ…やっぱりいたんだ。…ハルちゃん私よりもずっとずっと大人のお姉さんだった。いいなー憧れる、好きな人がいるって。
「えっと…付き合っていたりしたの?」
「お付き合いというか、主人がいたわ。」
「へ?」
聞き間違いじゃないよね?お店のお客さんだけではなく本物のご主人様がいたっていうのか。ハルちゃんったら意識高すぎるパーフェクトメイドさんだったんだ。
「子どもも一人いたのよ。」
「へえ⁉︎ハルちゃんお母さんだったの⁉︎」
待って。頭の整理をしようか、実里。いやいや、年齢的には至っておかしくはない。けれど大人なハルちゃんから本物の恋の話を少―しだけ聞こうと構えていた私にはもの凄い衝撃的な事実だった。彼女に子どもがいただなんてそれはかなり吃驚だ。どのくらいかと言うのなら私が死んだことの次にランクインするくらいのビックニュースだ。
「旦那さんとお子さんがいたの?」
「そう…主人も子どももいたのよ。でもずっと忘れていて。どうしてか記憶が曖昧で今も上手に思い出せないのよ。誰かを好きだった気持ちとか、大切な人がいたことは覚えているんだけど、肝心なその誰かが思い出せないのよね。」
「名前とか顔が分からないってこと?」
「そう……。」
名前や顔が思い出せないのか。存在は思い出せるのに、思い出せない。それは悲しいしもどかしいだろうな。大切な人の顔だったら沢山見てきただろうし、名前もいっぱい呼んできただろうから。
「あとね、自分が何歳で死んだのか、未だに分からないわ。」
「どういう事?」
「断片的に覚えている記憶が、一体いつの記憶なのかが分からないの。こんな事があったな、って記憶はあるんだけど、その時の自分が何歳なのか分からなくて。病院のベッドに横たわる自分も、何歳なのかよく分からない。年齢の分かる記憶がごっそりと抜けてしまっていて、だからぼんやりしているのよ。」
年齢の分かる記憶?うーん、私は思い出せる限りの記憶は、いつのものなのかちゃんと分かるけど、ハルちゃんは違うのか。
私は小学生の時の記憶、中学高校の記憶。お父さんお母さんの記憶、それからメイドさんのお仕事をしている時の記憶…全部分かる。でももしもそれ以外の事を忘れてしまっていたとしたら。私は私の事を《村主実里二十二歳》だと思っているけれど、もしかしたら実際は二十二歳よりも歳上で、そこから死ぬまでの事を全部忘れているかもしれないって事もある。
「私、自分は二十二歳の女の子だと思っているんだけど、もしかしたらそうじゃない可能性もあるって事かな。」
一応見た目も記憶にある二十二歳の姿のままだけど。死後の世界での見た目は、人によって変わるとでもいうのだろうか。
「そうね。例えば今の私は見た目は《片平ハル二十二歳》だけど、もしかすると実際にはもっと歳上の、そうね…おばあさんなのかもしれないわ。」
おばあちゃん。二十二歳の見た目をしたおばあちゃん…。薄紫の着物を着たハルちゃんがこちらをじっと見ている。太陽の光で彼女の髪が銀色に見える。
「ハルちゃんが?あー…でもハルちゃんがおばあちゃんになったら、きっとこんな感じなんだろうなーってイメージは沸くかも。だってハルちゃんの滲み出る優しい感じ、なんか私のおばあちゃんに似ているもん。」
「そうなのね、なんかそう言われると嬉しいわ。」
「へへっ…。」
(こういう時の返し方が、やっぱり落ち着いていて大人だよな……。)
私だって十分大人なのに。もう二十二歳だよ?いやもしも生きていた頃の私がもっとおばあさんまで生きていたとしたら、二十二歳の私はまだひよっこの小娘かもしれないけれどさ。隣ではハルちゃんが変わらずニコニコと笑っている。
「出会った時から思っていたけれど、実里ちゃんって元気で表情が豊かで本当に見ていて和むわ。実里ちゃんがおばあさんだったら一体どんな感じなのかしらね。」
ハルちゃんって時々面白い発想するよね。言葉の選び方も何だか私にはないものを持っているし、なんだか憧れる。私がおばあちゃんになったら?そうだな、永遠と一人で喋り続けているおばあちゃんだろうな。それからどうだろう、ばあや喫茶で働いているかもしれない。そのくらい私はメイドさんのお仕事が大好きだから。
「多分今の私とそう変わらないおばあちゃんかな。」
そう。きっと変わらない。歳をとっても記憶を失くしてしまっても、人の本質的な部分は同じままだと思うから。
「そうだといいわね…さてと、病院に到着ね。」
「うん、入ってみよう。」
話しながら白い建物の前へと着いた私たちは、ハルちゃんを先頭にして建物の中へと入る。建物の中には誰もいなくて、あたりはシンと静まり返っている。私たちの足音だけが響いて、ハルちゃんはとある部屋の前で止まった。
「そう、ここよ。私が最初にいた場所は。」
「本当だ。病室だー。」
案内されたのは、白い小さな個室だ。
「ここにいたの?」
「そう、このベッドに横になっていて……。」
白い壁に薄いクリーム色のカーテン。がっちりとした重そうなベッド。白いリネンで包まれた布団が置かれていて、隣にはパイプ椅子が一つ置いてあった。窓の側へと近づくと、外には先程歩いてきた道が見える。相変わらず見慣れない街が広がる世界だ。
ハルちゃんはベッドに腰を掛けた。そして枕を見つめている。
「……。」
「何か、思い出した?」
すると彼女は持っていた巾着を枕元に置いて、それからゴロンとベッドの上に横たわった。布団もかけてしまう。そしてゆっくりと目を閉じて深呼吸をし始めた。予想外すぎる。
(え、まさかこれから寝るとかじゃないよね?)
人を散歩に誘っておいて流石にそれは無いか、と思い彼女の行動をそっと目で追う。その途端何かが頭の中を過った。あれ、何だろう。この景色、どこかで見覚えがある気がする。
「どこで…?」
「実里……あなただったのね。」
「え?何?」
ハルちゃんに呼ばれた。私が聞き間違えただけかもしれないけれど、彼女から名前を呼び捨てにされたかもしれない。
「……。」
「ハルちゃん?」
ハルちゃんが手を伸ばしてきて私の腕を引いた。そしてベッドの側の椅子に座るよう促される。ハルちゃんは私の手を握っていて、その手にぎゅっと力が加わる。どうしたんだろう、大丈夫?そんな気持ちを込めて私は彼女の手を握り返した。彼女は横になったまま廊下の方をじっと見て、それから寝返りをうって窓の外を見て。そしてふぅ、と大きく息を吐いた。
「そういう事ね。」
「…ねえ、何か思い出したの?」
「……。」
黙って天井を見上げたまま動かないハルちゃん。手は繋いだままだし、こういう時、私はどうしたらいいの、と定まらない視線を泳がせていると、やっぱりいつのまにか彼女に見られていて、そしてクスッと笑われた。
「よし。じゃあ次は実里ちゃんの目が覚めた所に行こうか。」
パッと手を離したハルちゃんは、枕元の巾着に手を伸ばして顔を上げる。
「え、もういいの?」
「うん。」
ゆっくりと身体を起こそうとするハルちゃん。だが着物姿で起き上がるのが大変そうで私は彼女に手を差し伸べる。ありがとうと言いながら再び私の手を握ったハルちゃんは「本当にあなたの手はいつも暖かいわね。」と呟いた。
*
太陽が空高く上った為か、辺りは先ほどよりも暖かくなっている。頬を柔らかな風が撫でていき、耳の側で纏めている髪がゆらゆらと揺れている。私は緩やかな上り坂を歩きながら辺りを見渡した。道の両側には芝生が敷かれており太陽の光を浴びた色とりどりの小さな花が咲いている。道の途中にはベンチも置かれていて、そこに寝転んだら随分と気持ちが良さそうだ。
「それでね、もともとは店長のご両親がやっていたお店を新しくしていこうってなって。それでお店の周辺が飲食店の激戦区だったから、少し変わったコンセプト喫茶に変えよう…ってなって……。」
私の働くメイド喫茶がどんな店か伝えるために、説明をしているところなのだが。
(ハルちゃん、喋らなくなっちゃった……。)
さっきから私ばかり喋っている。隣を歩く彼女はしばらく相槌のみの返事が続いている。いや、喋ってばかりの私においては、それはいつもの事だけどさ。
物心がついてから周りからは、よく喋る子だと言われたものだ。もちろん大人になるにつれ、一人静かに過ごす時間も悪くないと思うことはあったものの、基本的には誰かと話をしながら楽しく過ごすことが好きだった。だからこそ、お客さんと話のできるメイド喫茶で働き始めたと言ってもいいくらい、私はよく人と話す。
―実里はお話しするのが大好きだね、おばあちゃんは聴いているだけで楽しいわ―
おばあちゃんがよく私に言っていたな。そう、両親が亡くなってから数年間、家族として一緒に過ごしたおばあちゃん。高校生になってからも時々私の頭を優しく撫でてくれたおばちゃんは、私が一人暮らしを始めてしばらくしてから、病に倒れて、それからずっと入院生活を送っていた。
(入院生活……病院……。)
そういえばおばあちゃんはどうなったんだろう。記憶にある限りは、この数か月の間におばあちゃんは難しい頭の病気のせいで一人では動けない状態になってしまっていて、私は仕事の休みの日にお見舞いに行っていた。行けない時は私の代わりに親戚の叔母さんたちが身の回りの世話をしてくれていた。そのことはよく覚えている。
でも最近は仕事が忙しくなってしまって、全然お見舞いに行けていなかった。だからずっと気になっていたのに。死んでからはそのことをすっかり忘れてしまっていた。どうして忘れていたの。大事な事を忘れていたことが、中々ショッキングだ。これがいわゆる記憶を失くすという事なのか。
(最後に会ったのはいつだっけ……。)
私が死んでしまって、おばあちゃんはその事を知っているのだろうか。確か最後に会ったおばあちゃんは、だんだんと目を閉じていることが増えてきて、声を出して話すことも難しくなってきていたけれど。お得意技の私がずっと話をし続ける形に、おばあちゃんが時々小さく頷いたり笑ってくれたりする感じだった。だから話は分かってくれていると信じてずっと話しかけていた。会いに行く度におばあちゃんの手がいつも冷たくて、私の手はいつも暖かいから「おばあちゃんは手が冷たいね」なんて言いながら手を繋いで過ごしていた。面会の時間が終わるギリギリまで病院で過ごして、元気になったら一緒にお散歩に出かけようね、と話していた。
(あれがおばあちゃんと会った最後になっちゃったんだな…。)
待てよ、違うかもしれない。もしも私が生きていた時の記憶を大幅に忘れているとしたら、もしかしたら私はちゃんとおばあちゃんの死に目にも直面していて、おばあちゃんが天国に行けるようお見送りをして、その後の私の人生をちゃんと完うしたのかもしれない。全部忘れてしまっているだけで。おばあちゃん……。
「いやいや、っていうかいつの間にかおばあちゃんが死んでいる事になってた。全くもってよろしくないわ、実里。」
勝手に生きている人を殺しちゃ駄目だ。おばあちゃんはまだ生きていて、私がただ若いまま死んだだけなのかもしれないのに。ブンブンと首を振って我に返る。おばあちゃんの事は気になるけれど、今は同じくらい気になる人がいるんだ。それも私のすぐ傍にいる人の事だ。
隣からふう、と大きな息を吐く声がして、私は足を止めた。隣のハルちゃんが手を膝の上に置いて大きく肩で息をしている。
「ハルちゃん、大丈夫?」
返事はない。心配になって覗き込むと俯き気味の顔も何だか色が悪く疲れているようにみえる。私たちの先には上り坂に大きな川と、それからそこに掛かる大きな橋が見える。
「行くのはやめる?駅までまだ距離あるよ。この川の渡った更に先だもん。」
前にこの道を歩いた時の、身体が重くて随分と長く感じた駅から橘さんの店までの道のり。今日の私にはなんとも無い道のりに感じるけれど、ハルちゃんには辛いみたいだ。ハルちゃんの着物の裾からは草履姿の足が見える。そっか、それじゃあ流石に疲れるよね。
「着物だし長い距離を歩くのは大変だよね。無理しなくて大丈夫だよ?」
「そうだね……そうしたら先に店に帰らせてもらうわね。」
ようやくハルちゃんが顔を上げる。彼女の前髪から覗く目がパチリと合う。
「本当はあなたと散歩を続けたかったけど、何だか急に疲れちゃって……。」
「うん、私は大丈夫。遅くならないうちに戻るから。」
少し休んでから戻りたいというハルちゃんの手を引いて、私は道を引き返す。先程ベンチがあったのを覚えていたからだ。よいしょとベンチに腰掛けたハルちゃんを傍で見守っていると彼女はぼんやりと辺りを見渡して「綺麗な所だね」と呟いて。それから巾着を取り出した。和柄の可愛い巾着、今のハルちゃんによく似合う柄だと思う。
「じゃあ、散歩のお供にこれあげる。」
手の中に置かれたのはオレンジ色の飴玉だ。
「ん、ありがと。ハルちゃんの好きな飴ね。」
「実里ちゃんも好きでしょ?」
うん、好き。よくおばあちゃんがくれた飴。一人で生活するようになってからも、時々買っていた飴。あ、そうか。忘れ物をちゃんと思い出したら、私の人生も本当に終わっちゃって、この飴ももう食べられなくなっちゃうのか。
(でも、それでも自分の最期をちゃんと思い出したい。)
初めはハルちゃんと一緒に行く予定だったあの駅。一人で行くのは少し不安だ。だけど一人になっても行かなきゃいけない、行きたいと思う。私がどのように死んで、そして何を忘れていてどんな事を思い出すのか、怖いけれど全部知りたいと思うから。
「ねぇ…ハルちゃん。ハルちゃんは何か思い出したの?」
「……。」
返事はないけれど表情がそうだと言っている気がする。そうか、やっぱりさっきの病院でハルちゃんは思い出したんだ。だったら私も思い出したい。自分の忘れ物が何なのかを確かめたい。
「私ももうすぐ思い出せるのかな。」
「そうだと良いね。」
「うん、そしたら忘れ物が何だったのか、お互い話さない?」
「もちろんよ。」
あの駅に戻れば必ず思い出せるなんて確証はどこにもない。思い出せなかったら、その時はその時だ。またハルちゃんに話を聞いてもらおうと思う。
「実里ちゃん、帰りたくなったら帰るんだよ。」
「……ん?うん、そうだね。」
ハルちゃんの言葉に頷いた。彼女の言うとおり、帰りたくなったらその場で引き返して帰ってきたっていいんだし。
「いってらっしゃい。実里ちゃん。」
「うん。いってきます。また後でね!」
ベンチに座るハルちゃんに手を振って私は再び坂を登り始めた。平らな道となりそこから橋を渡る。橋の上からは未だ座り続けている彼女の姿が見えて、もう一度手を振ってみる。が、こちらを見ていなかったのだろうか。振り返してはくれなかった。




