第六幕-4
ヴァレンティーネの報告を受けて親衛隊本部入口へ急いだカイムは中央ホールの受付に見た事のある顔を見た。
だが、その姿は20日前に見た格好とはかけ離れていた。
「確かに、ワシは枢機卿だ。だがな…それ以前に人なのだ。私服を来て外出ぐらいする」
親衛隊本部一階の受付に立っていたのは、テオバルト教のドレヴァンツ枢機卿だった。彼は薄緑色のシャツに裾の広い赤色のズボン、サングラスという最初に会ったときの厳格な印象とかけ離れた姿だった。
そんなドレヴァンツを一度は見たことのある受付担当の隊員や警備の候補生は、その砕けた姿に驚きや唖然といった表情を浮かべて立ち尽くしていた。
その隊員達同様にカイムも驚きの表情を浮かべていたことでドレヴァンツは呆れるようには呟くと、カイムも誤魔化すように軽く咳き込んだ。
「いやっ、これは…失礼しました…」
「素直なことはいいことだ。ならば、その謝罪を受け入れよう」
ドレヴァンツへと無理矢理紡いだカイムの言葉はたどたどしかった。それでも、カイムは様々な魔族を見た事である程度年齢を推察出来るようなり、年上の者に対する敬意を込めてきちんと謝った。その謝罪をドレヴァンツも少しだけ不服そうにしたが、年の功からきちんと受け入れたのだった。
それでも、アンコウの年寄り魚人であるドレヴァンツを理解しているカイムは、ギャップのある派手な格好に軽く笑いそうになっていた。
「まぁ、今のワシは枢機卿では無く"ただの老人"だよ」
「なっ…なるほど」
カイムの反応に少しムッとするドレヴァンツだったが、彼の含みのある言葉にカイムは、二人だけでなおかつ秘密裏に話したい重要な要件が有ると理解した。そんなドレヴァンツの意図はカイムの隣にいるヴァレンティーネも理解したらしく、彼の視線を受けると彼女は黙って頷いた。
「ならば、その老人が一体何用で?」
「この街の…いや…この国の総統という男は、老人1人の茶の誘いも断るのか?なぁに、この街に来てから18日間も城の中だ。少しの暇に、噂の喫茶店とやらに2人で行きたくてな」
あえてドレヴァンツの意図に対して質問したカイムに、彼は察しが悪いと言いたげな表情を浮かべて説明をした。その目は一瞬"くどい"とでも言いたげだったが、何かを理解したのかドレヴァンツは数回頷いてたどたどしく言い訳をした。その言い訳に何か理由はがあることを理解したカイムは、詳細のわからない危険を覚悟の上でも同行しようかと考えた。
だが、そんなカイムの阻止するように慌ててヴァレンティーネが彼とドレヴァンツの間に割って入ると、腰に6本の両手を当て胸を張るようにドレヴァンツを睨み付けて立ち塞がったのだった。
「認められると思っているのですか枢機卿?一体その腹の中に何を抱え込んでいるかは知りませんが、そう言って閣下の御命を狙うつもりでして?させませんわよ、そんなこと!」
「こっ、小娘…事情も知らずによくも…」
「おい、ヴァレンティーネ」
ヴァレンティーネの過剰な警戒心と敵意を前にしたドレヴァンツは、眉間にシワを寄せ大いに反論をしようとし、カイムは彼女の暴走を止めようとした。
「私は良いと思いますよ。腹を割って話すと言うのも重要だと思いますよ」
そんな暴走するヴァレンティーネに冷静な一言を掛けたのは、カイムの横にいつの間にか現れたギラだった。彼女の唐突な登場に、慣れているカイム以外は驚きの表情を浮かべ、ヴァレンティーネに至っては体を仰け反らせる程であった。
「あっ、あら、ギラ准尉。音もなく現れるなんて…幽霊みたいでしてよ?少し気味が…」
その驚きの仕草を打ち消すように、ヴァレンティーネは右手の甲で口元を隠し、残りの手を腰に当て胸と去勢を張った。そんな彼女の発言が終わる前に、ギラはヴァレンティーネへ一瞬で歩み寄ると彼女の耳元に口を近づけた。
「無駄に敵を増やすなと言ったでしょう…貴方といえど、今度こそ粛清しますよ?私の手で…」
「閣下の為に、早くに敵の芽を摘むのが私達の仕事でしてよ?貴女は少し甘過ぎではなくて?」
ギラの小声の威嚇には味方に向けるようなものではない殺意が見え隠れした。そんなギラの一言へ言い返したヴァレンティーネは、彼女の殺意混じりの舌打ちを前に静かにギラを睨みつけた。
そんなギラとヴァレンティーネのただならぬ雰囲気を前に冷や汗を垂らしながら声を掛けようとしたカイムだったが、それより先に二人は満面の笑みを浮かべて振り返った。
「それもそうですわね!ねぇ、ギラさん?」
「えぇ、そうでしょう?閣下、私服を用意してきます!」
二人の間に流れる暗い空気にドン引きしかけたカイムに気づくと、ギラとヴァレンティーネは仲が良さそうに笑顔を向け、ギラは私服を取りに去っていった。そして、ギラの意見に賛成したヴァレンティーネは右側の手を全てを使ってギラを追い払うように手を振ると、苦笑いを浮かべるカイムへ全力で笑いかけるのだった。
数分後には青いシャツと内に着る白いTシャツとズボン、ベルトや上着に革靴を持ったギラがやって来た。
「こちらで良かったでしょうか?」
この世界の服装としては特に目立たない服装を用意したギラに、カイムは頷くと着替えをするためにトイレへと向かった。その服を受け取る最中、ドレヴァンツはカイムの服の仕立ての良さを眺め、満足そうに頷くのだった。
私服へと着替えたカイムは、ドレヴァンツと二人並んで出掛ける事となった。
「しかし…落陽の帝都が、再び華の帝都に戻る時が来るとはな…」
「ドレヴァンツ殿は、帝都に来た事があるんですか?」
親衛隊本部を出て数分歩くと、木組みの建物やレンガ造りの住宅が並ぶデルンの街並を感慨深いと言った具合に見詰めるドレヴァンツが呟いた。そんな彼の懐かしむ様な言葉に、カイムは軽く問いかけた。
そのカイムの言葉に軽くドレヴァンツは、肩を落としながら頷いてみせると昔を思い出すように空を見上げたのだった。
「まだワシが子供の頃だったがな。あの頃のデルンは本当にキレイで豊かだった。誰もが笑って明日に希望を持って生きていた。だが、戦中戦後は甚大な戦災や膨大な難民で国は"瀕死の病人"のようになってしまったが…まぁ、あの頃と比べると、この街は何だか色々違うと思うがな?あの柱みたいなのとかな」
夕焼けの見えるデルンの街を見るドレヴァンツの言葉は、過去の懐かしさだけでなく現在に至るまでの様々な出来事の辛さや苦しみも感じられる暗いものだった。
だが、街の復興は純粋に嬉しいようで、ドレヴァンツは街灯を指を差しながら話す言葉は穏やかであり、数日前にさんざ悪態を付いていた枢機卿と同一人物とは思えない姿だった。
歩くドレヴァンツはさらにカイムへ帝都の様々な昔話をし始めた。昔は荘厳さと誇りと共に民が希望を持って生活していたことから、流行りの料理までと様々であった。
そんなドレヴァンツの話す事が無くなり沈黙が生まれる頃には、二人は目的地であった喫茶店の前に着いていた。街の大規模復興でカイムは喫茶店の各地区への建設を密かに依頼していた。元々喫茶店の様な物は存在していたが、あくまで酒を主体としてたまにコーヒーの様なものを出すだけの店であった。そのため、席がありゆったりする空間などはなかった。そこに、不満を持ったカイムが密かに店の店長や従業員に教育をおこなったことで誕生した喫茶店は、帝都デルンの各地区で有名店となっていた。それ故に、カイムの姿を見た店長は道での混乱を防ぐためテラス席ではなく店内に彼等を通した。テラス席が見える二人掛けの席に座ると、カイムは直ぐに店員を呼んで注文をしようとした。
「アインシュペナーを二つ」
「馬車が売っているのか?」
「来れば解りますよ」
「そっ…そうか」
カイムの注文の内容に驚くドレヴァンツの質問に彼が自信ありげに答えると、ドレヴァンツも安心したように頷くと静かになった。そのまま店の環境音が響く中、数分後にはカイム達の元へ注文の品がやって来た。
「これは…コーヒーなのか?」
ドレヴァンツの疑問の通り、二人の前に現れたのはコーヒーというよりクリームの塊だった。グラスに注がれたコーヒーにクリームが入っているそれは、コーヒーとクリームが混ざった層、クリームと3層に分かれていた。透明なグラスからよく見えるその層は、ある意味で芸術的なのであった。
「これが美味しいんですよ。コーヒーにも色々と種類があるんですよ。ケーキも有りますけど食べます?」
「いやっ、胸やけがしそうだからこれだけでいい」
そんなカイムの饒舌な言葉に、クリームの塊を見つめながら慄くドレヴァンツは遠慮して頭を振った。だが、グラスを手に取ったドレヴァンツがアインシュペナーへ口を付けると、彼はそのクドくない味やクリームで中和された程よい温かみに笑みをこぼすのだった。
アインシュペナーを楽しむカイム達は再び沈黙に沈んだが、口に付いたクリームを拭くとドレヴァンツは意を決してカイムを直視した。
「カイム君…今日はドレヴァンツという1人の老人として頼み事をしに来た」
ドレヴァンツの言葉に、カイムは飲んでいたグラスを置いた。雰囲気が真面目な会談的なものに変わると、カイムも真剣な顔をしてドレヴァンツと向き合った。
そんなカイムにもドレヴァンツは溜息をすると、彼の鼻先を細い指で指差した。自分の鼻を触ったカイムは、鼻にクリームが付いていた事に気付き急いでナプキンで拭き取った。
「まぁ、そういう所が部下達に親近感を与えるのか…」
そんなカイムのコミカルな姿にドレヴァンツが呟くと、彼は肩に張っていた力を抜いて少しだけ微笑んだ。
「何て事のない老人の頼みだ」
ドレヴァンツのその一言はありふれた老人のような声であり、カイムは出来るだけ気楽な雰囲気を出して彼が話しやすくするように振る舞ってみせた。そんなカイムの姿にドレヴァンツは、テーブルに両手を付いていて頭を下げた。
「君達の出来る範囲で構わない。ゲーテを…孫を救って欲しいんだ」




