第六幕-4
訓練開始から15日が経過したが、カイム達の予想とは違い商業組合の大規模攻撃が来る事は無かった。辛うじてベッシュら4人が角材を持って突撃してきたが、親衛隊の数の暴力の前に格闘訓練の相手となるのだった。
「1人3分で交代!倒れて10数えて起き上がらなけなければ簀巻きにして放り出せ!倒した4人には特別に分担清掃を免除する!」
「閣下!簀とは何ですか?」
「竹やアシを編んだものだが…流石に無いか…とにかく!そいつらを叩き潰して放り出しておけ!」
「了解しました、総統閣下!」
この様なやり取りの後、戦闘訓練が3周した所でチンピラ4人はぼろ布の様に敷地外へ放り出された。だが、訓練を1から見ていたカイムは訓練生の格闘能力がまだ低い事、その中で何故か突出して高いギラの能力に気付いた。
カイムは今までギラの発言や行動に対応する苦労から、彼女への対応を適当にあしらったり受け流したりしていた。だが、過去の格闘訓練で彼女は大抵の訓練生を投げ飛ばすという平均より高い能力を見せていたのだった。
「ひょっとして、どこかの騎士だったり…元凄腕の盗賊だったりしてな」
そして、今まで手合わせしたことの無いベッシュを手玉に取っていたギラに、カイムは今まで考えた事も無かった事を考えた。初めて会った時も、金も無く貴族でも無い自分に身を売り律儀に待ち続けるという、危機的状態の人間がするにはおかしい行動を見せていた。根拠の説明も無く人を信用出来る判断能力に話したがらない秘密の過去。これだけの理由を挙げると、今更ではあったがカイムもギラの事を怪しいと考えるのだった。
カイムがそんな取り留めのない事を考え始めた夜の事である。室内をマックスとオーク族のコージモという背は高いが痩せ気味の男、ギラとゴブリン族の少女ティアナがペアを組んで屋外の警戒をしていた。警戒とは言え、仮想敵とする商業組合の襲撃が無いため、屋外の2人は雑談と共に周辺を警戒していたのだった。
ゴブリン族の少女であるティアナは、浅緑の肌に癖のある灰色のボブカットの少女であった。ギラより華奢な体躯は女子の平均身長より低かった。そんな彼女の話す内容といえば"ギラにカイムとの関係の進展"についてであり、オレンジの瞳を興奮に輝かせてひたすら聞いてきていたが、訓練所兼研究所を1周する頃には話す話題も無くなり始めていた。
「これが本物…木製とは全然重さが違うね」
話題のなくなったティアナは、歩く途中でブーツに差していた戦闘用ナイフを引き抜き月明かりを反射させた。頑丈なナイフは片刃の鋭利なものであり、機能を最優先にした事で無骨なものとなっていた。
そんな鉄の塊を眺めるティアナの横で、ギラは抜き放ったナイフを易々と手の中で踊らせた。
「凄い!普段は変な所ばっかりだど、やっぱりギラちゃんは主席なだけあるよね!」
「言い方が含みどころか直接的な悪口とも思えますが…」
「悪口だったら"凄い"って言わないよ〜」
「まぁ…良いですよ、それなら。それと巡回中です。大きな声は…」
まるで生き物の様に動くナイフに感嘆の声を掛けるティアナだったが、ギラはその内容に眉をひそめると不満の声を漏らした。だが、彼女の言葉に返すティアナの表情は純粋に驚きを表しており、ギラはよく通るティアナの声に注意をしつつ研究所の南側へ視線を向けると突然に沈黙したのだった。
「ギラちゃんどうしたの?何か…」
「その場に伏せ!」
「えっ、あっ、りっ、了解!」
突然黙るギラにティアナは声をかけたが、彼女はそれを無視して小声かつ強い口調で号令を出した。ティアナも応答こそ遅れたが体は瞬時に反応してその場に伏せた。その事で思考を切り換えたティアナとギラは、月明かりの射す森の中で伏せたのだった。
ギラ達が夜闇に目を凝らすと、森の奥に幾つかの小さな光が見えた。彼女はハンドシグナルでティアナに前進を示すと、2人は匍匐前進で前へと進んだ。しばらくすると、2人は森の中に見慣れない10人程の集団をはっきり視認したのだった。
「何だろうあの人達?松明なんて持って」
「あんなに明かりをつけたら、自分達の、居場所を教えるようなものなのに…」
ティアナが集団に注視しつつ疑問を呟く中、ギラはそれに反応しながらも集団の顔付きを記憶の中から呼び起こそうとした。そして、彼女はつい数日前に来た商業組合の護衛に似た顔付きが居たことを思いだしたのだった。
商業組合がようやく攻撃を仕掛けてきたとギラが考えた時、彼女の肩をティアナが揺すった。
「ギラ!あの人達松明を!」
ティアナの強い声に急かされると、ギラは急いで敵集団を見た。そこには商業組合の集団は松明を数本、森に投げ込む姿があった。森の草に煌々と燃える火が移ると、敵集団はそそくさと移動を始めたのだった。
「ティアナ、貴方は戻って警報を出して」
「ギラ、貴方は?」
「私はあいつらを追跡する」
伏せていた2人は、敵集団との距離が離れると草木に隠れつつ身を起こした。全周を警戒していたギラは、周りの安全を確認するとティアナへと指示を出しつつ陰から外に出ようとした。
その足をティアナが掴みつつギラに突然の行動の理由を尋ねた。それにすぐに答えたギラは、彼女からの驚きの視線を受けるのだった。
「ギラ、私達の任務は警戒と事態の報告だよ!無茶な追跡なんて無茶だよ!死にたいの?」
「あいつらが更にまずい事したらどうするの?警戒に1人は残るべきだよ!」
「だからって!個人の能力だけで数の差は埋まらないんだよ!」
「偵察だよ、戦闘なんて絶対にしない!主席訓練生からの命令です。ティアナ訓練生、研究所に戻り警報を出しなさい」
ギラの言葉を受けたティアナほギラに対して猛烈な反論をした。その言葉は口調が変わっている程であり、ギラはその反論に気圧されながらもなんとか目的を言うのだった。
だが、ティアナはギラの考えを前に否定の言葉の危険性を説いた。それにより、ギラはやむを得ず強い口調で追い討ちをかけるように命令を出した。そのため、ティアナは苦い表情を浮かべつつ、渋々敬礼で返したのだった。
「無茶して死んじゃったりしないでよね」
ジト目でギラを見るたティアナは、ただ一言残すと低い姿勢で素早く研究所への道を走った。その姿を見送ったギラは、ブーツにしまっていたコンバットナイフを鞘から抜くと小走りで敵集団を追った。すると、彼女と男達の集団が近くなりギラの視界に敵の詳細が見えた。
敵集団は種族の異なるチンピラ男が10人に周囲を警戒する2匹の茶色と黒の毛並みを持つ大型犬で構成されていたが、放火作業に集中し全員の注意が散漫と成っていた。それを見たギラは燃える森の明かりによる影を伝い歩き、一番自分に近くにいる集団から離れた猿系獣人の男の背側の木に隠れた。
「は〜っ、たくよ…少し給料が良いからって、こんな深夜に遠出させて森焼くって…割に合わねぇ、ふぁあぁ…」
その男は夜中の作業に疲れたのか、気怠くゆっくりと木にもたれかかりながら悪態をつくと、敵地でありながら大きく伸びとアクビをするのだった。
気の抜けた男の姿に、ギラは1度深呼吸すると少しだけ跳びつつ男の口に手をかけた。驚く男に対してすかさず背後からから心臓と脊髄へナイフを1刺しすると、ギラは重心を後ろに向けて男の死体と自分を木に隠したのだった。
「1人目。いつも通り素早く…そう、素早く…」
男の延髄にトドメの一刺しを加えつつ、自分にしか聞こえない小声でギラは呟いた。戦闘での独り言は彼女の昔からの癖だった。
その後、ギラは闇に隠れて移動をしては、チンピラの男達を後ろからの闇討ちで静かに殺し続けた。背中から腰の腎臓を一突きし、突然の痛みと押さえられた口で動きを止める男達の心臓を刺し、トドメに延髄を刺して完全に息の根を止める。出来るだけ静かかつ確実さを求められる暗殺をギラは単調な作業のように5回もの回数を繰り返した。
未だに誰も気付かないその手際は芸術性さえ感じられ、まるで男達が森の闇の中に溶け空気の様に消えたと思える程だった。
だが、流石の5回目以降となると魔犬との距離も近づき、2匹は血の匂いと共に異変を感じ取ったのか急に吠え出したのだった。
「おぉっ、どうしたお前ら?メスでもいたか?」
「発情期かよ…こんな深夜に元気なもんだな」
「馬鹿だな、だったらもっと吠えてただろ?」
リードで2匹の犬を連れたリーダー格のオーガの男がとぼけた事を言いながらリードを引いた。その言葉に他の男達が反抗すると、注意が周囲から犬に逸れた事でギラは急いで足元の木の枝を取り、さながら猫の様に無音で隠れていた木に登った。
「残り…4人…じゃない…!」
木の上から集団を観察していたギラだったが、その視界の奥に月明かりを背に銀の首輪を煌めかせ、黒いコートにフードを被った何者かチンピラの元へと歩いて来る事に気付いた。何者かは小柄な体躯にダボついたコート、そこから溢れ出す虚無のオーラから商業組合の護衛の1人を思いだし、ギラはこの放火が彼らの攻撃と断定したのだった。
コートの少女はそのまま歩いて来ると、犬を連れたリーダー格の男の横で静かに止まった。
「この子達は異変を伝えてます。放してあげるべきかと」
「異変?そんなの起きるわけないだろ。お前ら!何かあったか?」
「ありゃしないでしょ?あんな餓鬼連中に…おろ?おーい、お前ら!」
「笑えないぞ、返事しろよ!」
少女の言葉を受けてリーダー格の男が文句をつけると大声で仲間に呼び掛けた。近くにいた部下達が返事をする中、部下達は仲間の返答が圧倒的に少ない事に驚きリーダー格は顔色を青くしてリードから犬を放った。
「全員、俺とコイツの回りに集まれ!」
リーダー格の男の叫び声と自分の居る木めがけて走ってくる2匹の犬を確認したギラは、意を決して左手に握った木の枝を左側の魔犬に投げながら右手のナイフを逆手持ちして飛び降りた。
枝は見事に犬の首に刺さり、神経や動脈を絶たれた事で事切れた死体はバランスを崩してつんのめる様に地面を回転しながら倒れて動かなくなった。そして残った1匹も、飛び降りた勢いと落下で速度のついたギラのナイフが額に深く刺さり、頭蓋を割られ脳や血を吹き出しながら絶命した。
それなりの高さのあった落下の衝撃を魔犬の死体で殺したギラは、その勢いを使い男達の元へと勢いよく走りだした。咄嗟の事で反応の遅れた手近の1人を蹴りつけながら頭にナイフを叩き付けるように刺すと、更にその惨状に慄く男2人へ飛びかかり心臓や首もとを滅多刺しにしたのだった。
「なっ、何だよお前は!何なんだよ!」
一瞬で大型犬2匹に仲間3人を無残に殺されたリーダー格の男は絶叫しながら持っていた棍棒を迫り来るギラへ振りかざした。だが、彼女はその棍棒を木の葉の様な最低限の動きで避け、突撃の勢いで男の厚い胸板に深々とナイフを突き立てたのだった。
数分足らずで男10人と魔犬2匹を倒したギラは返り血で真紅に染まり、血が月明かりに輝く姿はまるでおとぎ話の死神の様であった。
そんな鬼神の如きギラの活躍を前に、コートの少女は突然大きな拍手をし出したのだった。
「はぁ…はぁ…何のつもりだ?」
「凄いです。見事です。流石に私もこれ程…手際良く闇討ちなんて出来ません」
荒れた息で尋ねるギラの周りに転がる刺殺された死体の数々を見て、まだ幼さの残る声でフードの少女は彼女に対して称賛を投げ掛けた。それを受けたギラは、ただ静かにコートの少女に対して距離を測るかの様に左手を前に出すと、後ろの右手でナイフを握り直した。
戦闘の意思を身振りで示すギラは目の前の少女の隙を窺っていたのだが、全く隙が無く奇妙な雰囲気を出す少女に焦りを感じた。
「落ち着いて。私は貴方と戦わない。この…死体達の"監視"が命令だから」
「何を…監視だからと言って、ここで危険分子を放置するのか?」
「そこまでする義理も理由も私には無い…絶対にです。それと森の火、消した方がいいです。危ないから。何より、あなたじゃ私に勝てない」
監視という所を強調して言ったコートの少女は、ギラの言葉を無視するようにゆっくりと来た道を戻り始めた。ギラはその後ろ姿に敢えて近寄ろうとしたが、サイズの大き過ぎるコートの側面が不自然に波打った瞬間に動きを止めた。
背後のその動きがまるで見えていたのかの様に、ローブの少女はギラのナイフをゆっくりと指差した。
「そのナイフ、血と脂拭いた方が良いです。刃が悪くなる」
そう言い残して少女は去っていた。彼女の言葉の入れ違いでカイムの親衛隊を指揮する声がギラの耳に聞こえると、彼女は死体の服でナイフを拭きつつブーツの中の鞘にしまうと急いでカイム達と合流するため明るさの増してゆく森を走ったのだった。




