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花と初恋  作者: 来海 空々瑠
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朝顔のため息

ほどなくして人通りの少ない道に出た。


川沿いには柳の木が等間隔に並んでおり、時折風が吹くと、そよそよと葉が揺れている。繁華街の喧騒から遠かったこの場所は、とても静かなところだった。


周囲をちらりと見てみると、少し離れた建物の影に人影が見える。距離はあるが、こちらの様子を伺っているのをみるに、やはり奴が通り魔だろうかと、目星をつける時雨。


その間、隣で好きな菓子屋について、ずっと喋り続けている雪菜に適当に相づちを打ちながら、川沿いの道をひたすら歩き続けた。


だが、背後に感じる気配は、なかなか行動を起こしてこない。慎重な性格の犯人なのだろうか。このままでは、いつまで経っても進展がないと思った時雨は、あえてこちらから仕掛けてみることにした。


「雪菜さん」


柳の木の下で足を止め、ふと雪菜の名を呼んだ。突然、会話が途切れたのを不思議に思っているのか、雪菜は「何ですか?」と、首を傾げて時雨を見ていた。


時雨はそのまま雪菜の耳元に唇を近づけると、「今からは私に身を委ねてください」と、耳打ちした。


「へ?」


状況が分かっておらず、間抜けな声をあげる雪菜。時雨が少し体を離すと、再び至近距離で雪菜と目が合った。丸い黒曜石のような瞳に、時雨の顔が映る。時雨は表情を変えぬまま雪菜に顔を近づけると、口元が見えないように自分の手で雪菜の両頬を包み込んだ。遠目から見れば、きっと二人が口付けているように見えるだろう。


「……っ!」


互いの息がかかりそうなほど、近くなった距離に、雪菜の体が思わずびくりと震える。


「……後ろから、こちらをじっと見ている男が一人います。少し、我慢してください」


時雨はそう言うと、今度は雪菜の腕を引いて、そのままぎゅっと抱きしめた。突然のことに抵抗されるかと思ったが、雪菜は硬直しているようだった。黙ったまま、すっぽりと時雨の腕の中に収まっている。


雪菜は動く気配も見せなかったため、時雨はひとまずこのままでいることにして、意識を背後に集中させた。


(来るか……?)


だが、しばしそのままの体勢でいたものの、まだ相手は向かってこない。もう少し動いてみるか、と時雨は抱きしめていた雪菜を離して、その顔を覗きこんだ。すると──。


「……どうか、しましたか」


覗きこんだ雪菜は、いまにも泣きそうな顔をしていた。いつかも見たその表情に、気づけば時雨の手は雪菜の頬に伸びていた。


「しぐれ、さま……」


その瞳に見つめられると、その声で名を呼ばれると、胸が詰まる。どうして彼女に対して、そんな感情を抱くのだろうかという疑問がよぎる。


と、そのとき不意に感じた殺気。


時雨は雪菜の頬から手を離して、動きがあったと伝わるように雪菜に目で訴えた。状況を理解したのか、雪菜が一瞬目を見開いたあと、こくりと頷いた。


(かかったか)


その気配は、そろりそろりと音を立てぬよう近づいて来ているようだった。長年、そういった者たちと相対してきた時雨にとって、相手の動きは手に取るように分かる。


周囲に隠れている仲間をちらりと見遣ると、目だけでこちらの意図が伝わったようだ。それぞれ小さく頷いているのが見えた。


その間も、少しずつ距離が縮まってくる殺気。そして、その気配がぴたりと止まったかと思えば、勢いよく迫ってくる。


「抜剣!」

「きゃあ!」


時雨がそう叫んだと同時に、雪菜を抱きしめたまま、ひらりと背後からの攻撃をかわす。突然の展開に雪菜は声をあげ、時雨にぎゅっとしがみつく。その瞬間、時雨の被っていた笠が落ち、まとめていた長い髪がさらりと解けた。


「ちっ……!」


時雨は小さく舌打ちをすると、雪菜を背中に庇いながら鈍器のようなものを振り回す男からの攻撃を避ける。


すかさず琥太郎を筆頭に周囲に潜んでいた隊士たちが姿を現し、時雨に殴りかかろうとした男を押さえつけようとした。だが、それに気づいた男が懐から何かを取り出したかと思うと、それをこちらに向かって投げてきた。


「発煙筒だ!」

「全員、目を抑えろ!」


男が投げたのは、筒のようなものだった。途端、辺りの視界が悪くなり、時雨は顔を抑えながら雪菜の手をぎゅっと強く握りしめる。


と、その瞬間、煙の中からすっと手が伸びてきた。


「雪菜さん、ここから離れてください!」


咄嗟に相手の手を片手で受け止めた時雨は、ぐるりと体をひねって男の体を地面に押さえつけようとした。だが、相手もそれなりに訓練しているのか、もう片方の手で時雨の腕を殴りつけると拘束から、するりと逃れる。


「ちっ……!」


まだ視界が悪い中、時雨は相手の気配だけを頼りに煙の中から伸びてくる拳から受け身を取っていた。しかし、それもわずかな間のこと。防御に徹していた時雨が身をかがめ、相手の懐に飛び込むと、そのまま男を地面に押さえつけた。


「離せ!」

「大人しくしろ」


犯人の捕縛に成功した時雨は、男の体をさらに強く地面に押し付けた。そのあと、すぐさま近くにいた隊士に男を引き継ぎ、周囲の安全を確認しようと立ち上がる。だが、次の瞬間、別の方向から感じた殺気。


(仲間がいたか……!)


時雨は舌打ちをすると、周囲の隊士に向かって「複数犯だ!」と叫ぶ。まだ煙が残っており、視界が悪い中、時雨は雪菜のもとへ駆け寄ろうとした。そのとき──。


「きゃあっ!!!」


声を上げた雪菜の方を見れば、別の男に手を掴まれているのがうっすらと見えた。


「くそっ!」


時雨はすぐさま駆け寄って、男の腕をぐいと掴んだ。すると、男は今度は標的を時雨に定めて拳や蹴りを連続でかましてくる。


「っの野郎!」


いらだった様子の男。


(なかなかの手練れだな)


そんな中、時雨は相手の動きを冷静に見極め、かわしていく。それから一瞬、わざと肩の力をを抜いて飛びかかってくる男を見つめた。


「時雨様っ!」


雪菜の声が少し離れたところから聞こえてきた。だが、時雨はふと息を吐くと、そのまま男の腕を掴んでぐるりと体を翻す。目にも止まらぬ速さで華麗に背負い投げを決めた時雨によって、男の身体は今度こそ地面へと沈んだ。


「副隊長!」


数名の隊員がすかさず時雨のもとに駆け寄り、男を縄で捕縛していく。


「くそ!離せ!」


男は拘束から逃れようと暴れていたが、隊士三人がかりで押さえつけられては、逃げられるはずもない。共犯者がいたという予期せぬ展開はあったものの、無事通り魔を捕まえた隊士たちは、手際よく男を縄で縛りながら連行の手筈を整えていった。


「怪我はありませんか」


隊士たちに指示を出したあと、時雨は琥太郎の側にいた雪菜に声をかけた。


「わ、わたしは守っていただいたので大丈夫です……!それより、時雨様のほうが……」


いまにも泣きそうな顔をしている雪菜。きっと怖かっただろうと思うと、時雨の良心が少し痛んだ。


「私はこの通り元気ですから、ご心配なく。こちらこそ、捜査にご協力いただいてありがとうございました。今回は、無事犯人を捕まえられたとはいえ、あなたを危険なことに巻き込んでしまって……」


と、時雨がそう言いかけたところで、雪菜ははっとしたような表情をして、貼り付けたような笑みを浮かべた。


「そ、そんなわたしのことは気になさらないでください!ちょっとびっくりしましたけど、今度はあんな暴漢ぎゃふんと言わせてやりますよ!」


雪菜は腕を振り回しながら、そう言った。すると、近くにいた隊士からはどっと笑いが巻き起こる。


「おお、頼もしいな!お嬢ちゃん」

「雪菜ちゃん、期待してるぜ」

「お任せください!」


和やかな雰囲気の中、時雨の鋭い視線が雪菜に向けられていた。


「雪菜さん、あなた──」


そんな雪菜に時雨が話しかけようとした瞬間、「時雨さん」と後ろから名を呼ばれた。振り返ると、後始末を終えた隊士が側に控えていた。


「お話中のところ、すみません。少しお話が……」


隊士がちらりと雪菜を一瞥すると、時雨は「分かりました」と返事を返したあと、雪菜の方へ向き直った。


「すみませんが、私は今から現場に残ってやることがありますので。屋敷へは琥太郎さんに送らせますから、気をつけてお帰りください」

「あ、ありがとうございます……!」


そう言って、時雨は近くにいた琥太郎を呼び、雪菜のことを頼んで「では」と隊士たちの輪の中へ入っていった。ちらりと後ろを見れば、雪菜の表情は明るくなっており、琥太郎と屋敷がある方へ歩いていくところだった。


(結局、あの娘は白でしたね。実践経験はなさそうでしたし……)


それを確認した時雨は雪菜のことは琥太郎に任せることにして、自分は仕事へと戻っていった。

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