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花と初恋  作者: 来海 空々瑠
19/46

朝顔のため息

◇◇◇


遠くの方で鳥のさえずりが聞こえてくる静かな部屋で、時雨は机に向かって部下から提出された書類の山に目を通していた。


副隊長に与えられた部屋はほかの者よりもともと広いが、多忙な時雨は部屋を片付ける暇もなく、仕事をする文机周り以外は散らかっている。


場所は中庭に面したところにあり、隣は隊長の部屋、反対側の隣は会議などで使う大部屋。襖を開ければ四季折々の花々を楽しむこともでき、満月の夜には縁側に出て、月見酒を嗜むこともある。


そんな部屋で、一心に仕事に打ち込む時雨は時折紙をめくる音をさせながら、確認が済むと判を押しいていく。側には処理済みの書類を入れる箱があり、一枚、また一枚と紙の束が積み重なっていった。


「誰ですか、こんなところに締め切り過ぎてる申請書を潜り込ませてるのは……」


余計な処理が増えたことに、ちっと小さく舌打ちをする時雨。近くにある引き出しから別の書類を取り出すと、再申請に必要な手続きを書き記す。それを再提出の箱に入れると、また次の書類へと手を伸ばした。


暁では、隊長に次ぐ副隊長の任に就いている時雨の一日は忙しい。


早朝は部下たちの稽古に付き合い、朝食後は会議に出席したり、街の見回りに行く。昼食後、自室にこもって書類仕事を済ませ、夕方にまた稽古。夕食を食べてから寝るまでの間は、再度街の巡回に出たり、付き合いの会食に引っ張り出されたりと働き詰めだ。


そのため、部下からは「実は副隊長は三人いる」なんて奇天烈な噂をされることもあるほど。そんな時雨だが、最近は、ふとしたときにぼんやりと考え事をしている時間がある。


「雪菜、か……」


考え事の原因は、あの新人女中、雪菜だった。時雨は仕事を一旦やめ、腕組みをして考えこむ。眉間にしわが寄り、気難しい顔がより一層気難しくなった。


(部下に探らせても、これといって不審な点はないとの報告でしたし、接触した感じを見ても、あれは白だと思いますが……)


どうも彼女のことが気になって仕方ない。


初対面にも関わらず突然抱きつかれ、おまけに涙まで流された。自分のことを覚えていないかと問われたが、あいにく時雨の記憶の中に彼女らしき人物はまったく思い浮かばない。


そんな彼女の話を真に受けるわけにはいかず、警戒対象者として監視を続けている。なぜなら敵はいつ、どういう形で潜り込んでくるか分からないからだ。先日、隊士に剣術の指導をしていたところを見かけたが、女だてらに竹刀を振る姿はなかなか様になっていた。


「副隊長」という立場上、さまざまな思惑を持って近づいてくる人間が時雨の周囲には山ほどいる。権力にすがり、昇進を狙う男。肩書きに惚れこみ、近寄ってくる女。もしくは情報を引き出そうとする間者など、数え出したらきりがない。


だから、時雨は雪菜に対してもまずは疑ってかかり、接触を試みたのである。


「……とりあえず間者かどうか、ふっかけてみましたが、まさかあんな顔をされるとは」


女の間者相手であれば、時雨があのような顔を見せると動揺するか、白を切るか、もしくは誘惑に負けて誘いに乗ってくるか、とある程度の行動の予測はできる。ところが、彼女が見せたのはどうしてか傷ついたような表情だった。


(よく分からない)


それに彼女の口から出てきた「あさぎ」という言葉。初めて会ったときも、先日酔っ払って寝てしまったときにも聞いたその言葉が、どうも引っかかる。時雨は小さくため息をつくと、手にしていた筆をそっと置いた。


「気に食わない男とはいえ、あの医者の紹介ですから危険はないとは思いますが」


医術の腕は街一番の和泉とは、古くから付き合いがある。ただ医者としては信頼しているが、時雨にとって馬が合わず、会えばいつも喧嘩腰になってしまう相手。へらへらと笑うあの医者を思い出しただけでも、いらっとする。


「……余計なものを寄越してきて。次会ったら、絶対しめる」


腹の底から搾り出してきたような低い声で、拳を握りしめる時雨。連日の仕事で寝不足であることも大いに影響しているのだろう。目の下にうっすらと浮かぶ隈が、その程度をありありと示している。


「副隊長、いらっしゃいますか」


と、そのとき、襖の向こうから時雨を呼ぶ声が聞こえてきた。声だけで来訪者が誰だか分かった時雨は、筆を机に置いて「どうぞ」と言葉を返した。


「失礼いたします」


そう言って襖を開けて入ってきたのは、時雨の直属の部下である琥太郎(こたろう)だった。人のよさが顔ににじみ出ているような、やさしげな顔をした男で、いつも多忙な時雨をよく気遣ってくれる出来た部下だ。


時雨の側にやってきて片膝を立てて座った琥太郎は、そのまま引き締めた表情を崩さずに話し始めた。


「最近、街で若い男女が襲われている事件についてですが、調べてみたところ襲われた男女にはいくつかの共通点があるようです。場所は人通りの少ない川沿いで、殴打されるという被害が出ています」

「共通点とは?」

「狙われているのは、決まって派手な着物を着て酔っ払い、人目も(はばか)らずいちゃいちゃしてる男女のようです」

「……なるほど。まあ、実際そんな男女が目の前にいたら、鬱陶しいでしょうけど」


時雨の言葉に頬をぽりぽりと掻きながら、苦笑いをする琥太郎。


「一応、周辺の見回りは強化していますが、出没する時間帯などはまだ割り込めていなくて、現場を押さえるのはなかなか難しい状況です」

「まあ、人通りのが少ない場所で、そう都合よく酔っ払った男女がいちゃついてるなんてことは、滅多にないでしょうからね」

「確かに。囮捜査、でもしますか……?」

「そうですねぇ」


二人が腕を組んで考え込んでいると、「それ、時雨君がやればいいんじゃない?」という声が聞こえてきた。


声の方に視線を向ければ、にやにやとした表情を浮かべながら襖に寄りかかっている男が一人。


「……佐助(さすけ)隊長、盗み聞きはやめてください」

「だって、時雨君の部屋、俺の部屋の隣だから壁に耳当てたら聞こえてくるんだもん。なんか面白そうな話してるから、これは仕事なんてしてられないと思って」

「さっさと仕事しろ」


飄々とした態度の佐助に、上司とは思えない態度で突っかかる時雨。「壁に耳当てたらって、それを盗み聞きって言うんですよ。というか、普通に部屋入ってきて聞けばいいでしょう」と、時雨が突っ込むものの、当の本人は「まあ、いいじゃないの」と軽い調子だ。


着物の袖に手を入れて腕組みをしたまま、部屋の中へと入ってきたのは、この屋敷内を取りまとめる暁の頂点に立つ男、隊長の佐助である。


背はすらりと高く、目鼻立ちはくっきりとしていて、頬がこけた顔は小さい。纏う空気は時雨と対照的。全体的にゆるりとした雰囲気で、これが暁の隊長なのかと思うほど、とげとげしさのない男だ。


「で、囮捜査の話だけど、俺は時雨君が適任だと思うけど?君、背が高いから、ちょっと背が低めの隊士を女装させれば恋仲の男女に見えないこともないよ」


ことなげに言う佐助をきっと睨みつける時雨。


「……完全に面白がってるでしょ。そう言うのなら隊長がなさったらどうですか」

「いやいや、俺は遠慮しとくよ。男相手よりも、やっぱり女の子とべたべたしたいし」

「何ですか、その呆れた理由」

「自分の心に正直に生きていると言ってくれよ」


軽い調子でそんなことを言う佐助に、時雨はため息をついた。佐助はいつもこんな調子なので、まともに相手をするのが馬鹿らしくなる。


「任務のためなら何でもやる仕事の鬼じゃないの。ね、時雨君」

「あなたは私を何だと思ってるですか」

「仕事が出来る優秀な部下」

「そんな戯言は聞いてません」


じと目で佐助を見る時雨に、側にいた琥太郎も苦笑いを漏らす。


「まあ一般人を巻き込むわけにはいきませんから、隊士の誰かがやらねばならぬことですが……。それにしても、うちに女性らしく見える隊士って、いましたっけ」


時雨が琥太郎に尋ねると、「それについては、俺の方で探してみます」と返事が返ってきた。


「ん。じゃあ、それは琥太郎に頼むよ。指揮は時雨君が取ってね」


ぽんと時雨の肩を叩いてにこやかに笑う佐助は、「頼んだよ」と、そのまま手を軽く振って部屋を出ていった。隊長の佐助はひょっこりと顔を出して、いつも風のように去って行く。そして、時雨に厄介ごとを押し付けるのもいつもと同じ。


「……次から次へと、あの人は」


また新たな仕事が降りかかり、寝不足の時雨の機嫌はますます悪くなる。その隣では、「俺も手伝いますから」と、仕事が出来すぎる多忙な上司を気を遣う琥太郎が、その背中を撫でながら苦笑していた。

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