第一巡礼地グーラ
聖地があるという森へは、モナの街から西に歩いて半日ほどでついた。早朝に出発したので、まだお昼を少し過ぎたくらいだろう。夕暮れまでには役目を終えられそうだ。
聖地までの目印代わりに辿ってきた小川の流れは森の中まで続き、そのかたわらには木々の間を縫うようにして、細い道がのびていた。
聖地というだけあって、ほとんど人の手が入っていないのだろう。森には背の高い木々が生い茂り、見たこともない鳥の姿や、奇妙な鳴き声が時折聞こえてくる。実際この森は禁足地として指定されていた。立ち入ることを許されているのは勇者のみである。
「マオ、魔力は感じる?」
とユーシャは訊ねた。
「うむ、地下水路ほどではないが、かなり濃い」
聖地はその土地の魔力を集め、留めることで、魔力による汚染を食い止めている。つまりこの森には、南地方一帯の魔力が集まってきているということになる。魔力が濃いということは、当然魔物も強力だ。
「……。気を引き締めていくわよ」
ユーシャはゴクリと生唾を飲み込み、言った。
「うわーー、すっごーーい!」
と明るいマオの声が森に響いた。
マオは深い森の奇妙な動植物たちに、興味を引かれたようだった。
「ねえねえ、ユーシャ、見てみて! 綺麗な虫!」
「あー、うん、そうね」
対してユーシャは冷静だった。虫は嫌いだし、植物に対する興味もない。
「あ、あの葉っぱ、ユーシャのおさげみたい!」
「あー、そうね」
二人のテンションの落差は、マニアックな観光地にやってきたカップル、あるいは親子のようだった。
「あの樹の実はユーシャの瞳みたい! 美味しそう!」
「わたしの瞳は食べないでね」
「楽しいなー!」
マオは呑気に言った。
「あ、ゴブリン」
「はいはいそうねっ、……って、ゴブリン!?」
魔物じゃない!? とユーシャはすかさず聖剣を構える。
ゴブリン。ギョロリとした大きな目に緑色の矮躯、華奢な手足には爪を備えている。一見すれば突然変異した獣のように見えた。ゴブリンは、急に出くわした人間をじっと見ている。
「……」
ユーシャは剣を構えたまま固まっていた。
「どうした、ユーシャよ?」
とマオが訊ねる。
「……」
「なぜ攻撃せぬ?」
「見た目が……」
「は?」
「だって見た目が普通の生き物っぽいじゃない! 魔物だって生きてるんだから問答無用で攻撃するのはあんまりよ!」
「ええ!? 今さら!?」
散々スライムを狩っておいて、ここにきて謎の愛護精神を発揮するユーシャだった。
「血とか吹き出そうだし……」
スライムはまだ無機物に近い生態だった。しかし、ゴブリンは見た目こそ醜いが、頭と四肢を備えており、無害な動物と外見上の差はあまり無い。斬り殺せばグロテスクな光景は避けられないだろう。
「魔物という存在の多くは、理を歪めて無理やり存在を維持している。浄化してやるのが優しさと言えるのではないか?」
「そ、そうよね……。ムダ毛を抜くようなものよね」
とユーシャは無理やり自分を納得させた。
「……? それは違うと思う……」
マオにはムダ毛の例えがピンとこなかった。
「さあ、何もしないなら見逃してあげる。逃げるなら今のうちよ?」
念のために警告してみるが、ゴブリンは痺れを切らしたように、ユーシャに向かって飛びかかってきた。敵の先制攻撃だ。
「きゃっ」
ユーシャはかろうじて後ろに飛び、攻撃を避ける。
「小さいがそやつはれっきとした魔物じゃ! 油断するな!」
とマオが激を飛ばす。
ユーシャは尻もちをつきそうになりながら聖剣を構え直し、再び襲い来る敵の攻撃に備えた。
「うう、それっ」
ユーシャはまっすぐ突進してきたゴブリンに合わせ、カウンターの突きを放った。聖剣の切っ先は、ゴブリンの左胸をみごとに貫き、絶命させた。
「はあはあ、やった……」
ゴブリンはユーシャの予想したように、暗褐色の血を吹き出しながら倒れ、崩れた死体から離れた魔力は、ユーシャの体に吸収された。
「今のわたし、すごく勇者っぽい!」
ユーシャは手応えを感じた。魔物らしい魔物を、見事退治してみせたのだ。繊細そうな外見に反して、彼女は単純な楽天家、良く言えば前向きでさっぱりとした性格なのだった。
一体倒してしまえば、あとはもう勢いだった。ゴブリンはスライムと違い、鋭い爪と機敏な体を持つ厄介な敵だ。しかし知能はそこまで高くはなく、勢いに任せた攻撃を避けつつ、隙を見つけて聖剣で斬りつければ、充分対処が可能だった。
勇者としての加護を受けられないユーシャは、まず敵を観察する癖を身につけていた。力がないなら知恵を絞るしかない。魔物にはない人間の武器だ。
こちらから攻撃して下手に隙をつくるのは避けたい。敵のリーチは短く、近づかなければ危険はない。慌てずに、落ち着いてチャンスを待つ。チャンスは一瞬だ。攻撃をためらってはいられない。かわいそうなどとは思ってはだめだ。魔物に慈悲などない。世界を蝕む邪悪な敵。生きるか死ぬか。殺さずに死ぬなくらいなら、殺してでも生きてやる。
「えい、ごめんなさい!」
とユーシャは聖剣を振るう。せめて痛みを感じぬように、なるべく一撃で命を断つ。それでも悲鳴を上げながら散っていくゴブリンたちに、ユーシャは同情せずにはいられなかった。せめて安らかに成仏して、次は普通の生き物に生まれ変わってほしいと祈るばかりだ。
そんなユーシャの姿に、
「謝りながら嬉々として斬りつけるのは逆にサイコっぽいぞ……」
という感想をマオはもらした。
とにかく、ゴブリンの数に気を配りながら各個撃破していけばいい。スライム戦で学んだ戦い方だ。
ユーシャたちはゴブリンを倒しながら、小道を進んでいく。小道は大木を避けるように曲がりくねってはいたが、一本道なので迷う心配はなかった。整備されていない道は、突き出た木の根や、石ころが邪魔で歩きにくかった。
二人の口数がすくなってきた頃、視界が急に開けた。
清らかな水の音。静謐な空気が辺りを包み込む。さっきまではうるさいくらいだった鳥達の鳴き声もピタリと止み、ただ水の流れる音だけが静寂を乱していた。
それは聖地の名に相応しい、神秘的な光景だった。
最初は泉のように見えた。大きさの違う円形の大きな石壇が三段重ねになっており、その中央から湧き出た水が、薄く全体を覆っている。石壇から流れ落ちてきた水が、小川となっていた。祭壇には魔力が満ちており、水面は淡く発光している。
水のあふれる石舞台。これが祭壇。
石舞台の中央には、大きな影がそびえていた。人のようにも見えたが、違う。死人のように青みがかった灰色の肌、筋肉質な長い腕。
魔物、オークだ。
オークは目をつぶり、水の音を聞き入るようにして座り込んでいた。
「それじゃあ、行ってくる」
とユーシャは言った。聖地の浄化。勇者の使命を果たすのだ。
「一人で行くのか?」
「うん、これは勇者の仕事だから」
「危なくなったら絶対に助けるから!」
頑張れ! とマオは拳を握り言った。
「うん、頼りにしてる」
マオの言葉に元気をもらい、ユーシャは浄化を待つ祭壇へと向かう。




