聖地を目指して
青い空が見えた。確か自分は地下にいたはず。そして瓦礫と一緒に、炎に飲み込まれてしまったはずだ。ならば――――
「ここは、天国?」
「なにを寝ぼけておるのじゃ?」
天使が見えた。やっぱりここは天国のようだ。
「おい、ユーシャ、しっかりしろ!」
「ってその声は、マオ?」
どうやらユーシャは空中に浮いているらしかった。真下には、地下水路が崩れてできた大穴が開いている。
「うむ」
マオはユーシャを抱えながら、腰の黒い翼を、懸命に羽ばたかせていた。どうやら崩落する地下から、マオが空を飛んでユーシャを助けだしてくれたらしい。
あの頼りない翼、本当に飛べたのね……、と彼女は思った。
「これ、マオがやったの?」
とユーシャは訊ねた。地下の地盤ごとスライムたちを焼きつくした炎、あれだけの力をこの子が?
「うむ。スライムを倒し地上にも出れた。一石二鳥じゃ!」
実際にマオが放った魔法は、手のひらに収まるほどの、小さな火を起こす程度のものだった。しかし、魔力に満ちた空間、可燃性のガスや密室など、いくつもの条件が重なり、偶然引き起こされた爆発だった。
「そう、それはいいんだけど……」
そうだ、なにはともわれ無事にスライムを退治できた。それはいい。しかし――――
「む?」
と、羽をパタパタと羽ばたかせながら、マオが首をかしげた。
「ちょっと、マズイかもね……」
貯水槽があったのは、広場の噴水の真下らしかった。崩落した水路、その真上に、人がいなかったのは幸いだった。そして今二人は、かつて噴水があった場所、崩れ落ちた広場の中心に浮かんでいた。あれだけのことがあったのだ。当然、街の住民が集まってきていた。彼らにはこの光景がどう見えただろうか? 突然の爆発、崩れ落ちる噴水、開いた大穴から現れた、角と羽を生やした少女。
「ま、魔物だ……」
騒ぎを聞きつけ広場に集まった、野次馬の一人がポツリと言った。
「…………」
ユーシャは言葉に詰まっていた。この状況を、どう擁護すればいいのか? スライムを倒すためだったとはいえ、水路と噴水を吹き飛ばしたのは間違いなく自分たちだ。そして、愛らしいマオの姿も、今この状況では、人外の化け物として認識されている。その証拠に、野次馬たちからは、マオに対する恐れの声が上がりだした。彼らの中で、この騒動に対するストーリーが構築されているのだ。ユーシャ一人が、マオは無害だと説明しても、聞いてはくれないだろう。
「マオ、このまま逃げて」
「え、どうして……」
一瞬マオは混乱した顔を見せたが、二人を取り囲む人々のただならぬ様子を察した。
「う、うむ」
マオは彼女を恐れる声や、非難の呟き、刺すような無数の視線から逃れるように、その場を飛び去った。
◆
領主の邸宅へと戻ったユーシャは、地下水路で何が起こったのかを報告した。
「ごめんなさい、まさかこんなことになるなんて」
噴水と地下水路はこの街のシンボルだったはずだ。それを木っ端微塵にしてしまい、角と翼を有する人外姿のマオを大勢の人に見られたことは、弁解のしようもない。
「いえいえ、勇者様は悪くございません。ちょうど経年劣化も進んでいたことですし、修復するいい機会です」
領主はおおらかに言った。
「しかし、事情を知らない者たちの間で良からぬ噂が広がっているのも事実、早急にお立ちになったほうがよいかもしれませんな」
人の噂は、何故か悪い方にひどくなる。いくら領主がユーシャを庇ったとしても、民衆は勝手に真相を作り上げ、人の口を通して、より過激でおもしろおかしく誇張されていく。特に勇者という特別な存在、重い責任を背負い、社会から離れた異人は、格好の的である。ただでさえ異端として微妙な扱いを受けているというのに、さらに厄介なことになってしまいそうだ。ユーシャはこれからの旅を思うと、どっと気分が重くなった。
「そうね。それに、湧いてくる魔物たちを元から断つ根本的な解決法は、水源の浄化しか無いみたい」
今回の一件は、地下水路という閉鎖的な空間に、長年蓄積された魔力が引き起こしたものだ。ユーシャが浄化しなければ、近い将来もっと大変な自体に陥っていたことだろう。
「そうですか。濃い魔力は万象を歪める。水路の修復はなるべく開放的な造りにしたほうがよさそうですな」
「とにかく、明日の早朝、聖地に向かうことにします」
また人目を避けての出発だ。もともと日陰を歩む旅と覚悟をしてはいたが、どんどん悪い方向へ向かっているような気がしないでもない。とにかく、人の誤解は行動で解くしかない。勇者として正しい行いをすることで、ユーシャは正しく勇者なのだと認識してしもらうのだ。
「ええ、世界を救う勇者様に、このように窮屈な思いをさせてしまい、非常に痛み入ります」
と領主は頭を下げて言った。
「だいじょうぶ、雑な扱いには慣れてるから。それにおおっぴらに歓迎されるよりも、静かな旅のほうがわたしには向いてる」
部屋に戻ると、マオがユーシャに飛びついてきた。
「ユーシャ! 怒られたのか!?」
とマオは上目遣いで言った。
「え?」
「噴水を壊してしまった」
「ああ。だいじょうぶよ、マオは悪く無いわ」
やはりマオも気にしていたようだ。
「そ、そうか」
もっとも、マオが気にしているのは、爆発そのものでなく、マオの姿を見た人々の怯えようだった。あの姿は、一目で人と違うことを示す。あの瞬間マオは、拒絶の意思を知り、自分がここにいてはいけない存在だと、思い知ったに違いなかった。
「マオ、ばんざい」
「む? こうか?」
マオは戸惑いながらも両手を上げる。
「それ、こちょこちょー」
ユーシャは露出の多いドレスの隙間に両手を滑りこませ、マオの体をくすぐった。
「うわ!? な、なにをする、こら、あはは、くすぐったい!」
マオは体をよじりながら笑う。
「ほら、マオは笑ってるほうが可愛い!」
マオの薄く白い皮膚は、陶器のように滑らかだった。いつまでも触れていたいくらいだ。ユーシャはついつい手を止められず、やがてマオは、声を上ずらせて、体を仰け反らせるように倒れこんだ。思わずユーシャが手を止めると、
「ユーシャ……」
と床に寝そべり、体を弛緩させているマオが呟いた。
「……? なに?」
やり過ぎたかしら? とユーシャはマオをのぞき込む。
「もっと、……して?」
と潤んだ艶っぽい瞳を向けるマオ。
「えっ」
やだ、変なこと覚えさせちゃったかしら? と思ったユーシャは、秘めやかな雰囲気を変えるために、
「そ、そういえば領主さんがケーキをご馳走してくれるみたい!」
と言った。
「なに!? ケーキ!? わーい。ユーシャ、はやくはやく! マオは白いクリームがたくさん乗ったのがいい! むしろクリームだけでもいいぞ!」
ガバっと起き上がったマオが、目の色を変えてユーシャを急かす。
「ああ、ちょっと引っ張らないで」
ケーキで頭がいっぱいのマオに向かって、ユーシャは言った。
「わたしはマオのこと、怖がったりしないから。だから、これからもよろしくね」
「ユーシャ……、もちろんじゃ!」
とマオはユーシャに抱きつき、頬をよせて言った。
ケーキをごちそうになった二人は、部屋に戻り体を休めていた。
ユーシャはベッドの上で膝を折って座り、マオはその膝の上に、頭を乗せて横になっていた。開け放した窓からは、夕暮れの涼やかな風が吹き込み、カーテンを揺らしている。その風は、ユーシャに故郷の最果ての村を思い出させた。何もない窮屈な村での暮らし。ただ風だけが、彼女に自由を感じさせた。いつかは風みたいに世界を旅してみたいね、とよくルルと話し合ったものだ。ルル、故郷に残してきた唯一の友人は、元気にしているだろうか?
明日はついに聖地へ向かう。恐らく、今日以上の苦難が待っているはずだ。しかし、世界の浄化は勇者の使命。魔力がもたらす被害から、人々を救うことができるのは勇者のみ。なにが待ち受けていたとしても、きっと乗り越えてみせる。
「ケーキ、美味しかったね」
とユーシャはマオに話しかけた。しかし返事はない。
見れば、いつの間にかマオは、小さな寝息をたてて眠っていた。マオはすかっりユーシャの膝枕を気に入ったようだ。彼女にとってユーシャは、大魔王という立場に関係なく、一人の少女として甘えられる初めての人間なのだった。
無邪気な寝顔だ。こうしていると、とても魔族を統べる大魔王には見えない。
今日はいろいろなことがあった。地下を彷徨い、スライムと戦い、大爆発から間一髪で脱出。今こうして生きていられるのは、マオのおかげと言ってもいい。
「マオ、助けてくれてありがとう」
とユーシャはマオをおこさないように、小さく呟いた。
ユーシャがヒュージスライムに受けた麻痺効果は、まだ完全には抜けきっていなかった。明日に疲れを残さないためにも、今夜は早めにマオの隣で眠ることにした。




