大魔王、目覚める?
ユーシャは聖剣の柄を強く握った。心強い、無骨な質感。この剣があればやれる。
「それにしても、捨てても自分から戻ってくるなんて、聖剣というよりも呪われた装備品みたいね」
無理やり手に入れた聖剣を、呪いの武器扱いである。運命を司るという聖剣。謎が多い武器だ。とにかく聖剣は、ユーシャを勇者として認めてはいるらしい。加護は授けないくせに、その役目だけはしっかり遂げさせようとするなんて、案外セコいのね、とユーシャは思った。
ヒュージスライムがその不定形の体を震わせて、鳴き声を発すると、続々とスライムたちが部屋に集まってきた。この地下水路のスライムをすべてを呼び集めているようだ。集まってきたスライムたちは、ユーシャたちを取り囲むように重なり合う。決して逃してはくれないらしい。
「ユーシャよ、マオの後ろに隠れていろ」
久しぶりの密度の濃い魔力に、元気を取り戻したのか、マオは強気になっていた。
「あら、ずいぶん頼もしいじゃない。でもだいじょうぶ。それに、そんな猫の肉球よりも柔らかい拳じゃ、スライムは倒せないわよ?」
とユーシャは、餌を前にした猫のように構えるマオに向かって言った。
「ふぇ?」
と、やる気まんまんのマオは、気の抜けた声を発した。
ヒュージスライムが発する低い鳴き声に呼応するかのように、ユーシャの近くにいたスライムが飛びかかってきた。ユーシャは難なく空中で切り落とす。飛び出した一匹に続き、周囲のスライムたちが弾丸のように襲い掛かってきた。ユーシャは飛び跳ねる水風船を一つづつ処理していく。スライムの攻撃はそれほど恐ろしくはない。爪があるわけでもなく、打撃力もない、その最大にして唯一の武器は、数による圧迫である。とにかく、包囲さえされなければいい。常に逃げ道を確保しつつ、一体ずつ確実に倒していくのだ。
闇に舞う銀の刃は、乱舞するスライムを薙ぎ払い、叩き潰す。剣術などまったく関係ない乱暴な太刀筋だが、スライムの柔らかい体は、おもしろいように溶けていった。
「われも手伝うぞ!」
と言って、マオはスライムをペチペチと叩く。
「無理はしないでね」
とユーシャはスライムと戯れるマオに気を配る。
「ふふん、それはこっちの台詞だ。油断するでないぞ?」
そう言ったマオの姿は、ユーシャにはスライムに遊ばれているようにしか見えなかった。
スライムは、次から次へと集まってくる。これではらちがあかない。親玉を倒してしまうほうが良さそうだ。ユーシャは目標をヒュージスライムに切り替えた。小物を倒しても意味が無い。恐らく、あの巨大なスライムが、地下水路に満ちた魔力の核になっているのだろう、とユーシャは推測する。
ユーシャはスライムを踏み台にして、ヒュージスライムに近づくことにした。スライムに飛び乗ると、ぶよぶよとして不安定だったが、適度な反発力があるので、勢いをつけて蹴ればなんとかなりそうだった。ユーシャは器用にスライムからスライムへ飛び移り、ヒュージスライムへと近づいていく。もう少しでヒュージスライムに、聖剣の刃がとどくかというところで、ヒュージスライムの目玉が緑色に発光した。
「ニンゲン……タ、ベル……」
「え、今、喋った?」
とヒュージスライムの声に気を取られたユーシャは、一瞬隙をつくってしまった。
「避けろ! ユーシャ!」
というマオの声に続いて、ヒュージスライムの目玉から、怪しい光が放たれた。
「きゃあっ」
光をまともに浴びたユーシャは、スライムから足を滑らせて、床に落ちた。
「ユーシャ!? だいじょうぶか?」
とスライムに囲まれながらマオが叫ぶ。
「え、ええ、……今のは、なんなの?」
と堅い床に打ち付けたお尻をさすりながら、ユーシャは訊ねた。
「恐らく、魔法だ」
「魔法、あれが?」
魔法は意思の力で魔力を制御する。自我を持つ巨大スライムは、魔法をも身につけていたのだ。
「な、に、これ?」
魔法の効果だろうか? 急に膝が震え、体が痺れ、聖剣を握る手に力が入らない。
「体が、動か……」
ヒュージスライムの発した緑色の光は、麻痺の状態異常をもたらすらしかった。本来勇者は毒や麻痺などの状態異常に対して、ある程度の耐性を持っているはずだった。しかし、例によってユーシャは、しっかりと麻痺効果を受けてしまった。ユーシャは聖剣を落とさないように、しっかりと握り直す。体のしびれは、一向に引く気配がない。
ヒュージスライムとはいえ、しょせんは巨大化したスライムだ。とにかく一撃、聖剣の一撃さえ与えることができれば、柔らかいスライムの体に、致命傷を与えられるはず。
麻痺は思考を鈍らせる。ユーシャは焦りを覚え、ヒュージスライムめがけて再び飛び掛かった。ヒュージスライムを取り巻くスライムをかき分け、鈍い体を動かし、一歩ずつ近づいていく。
ヒュージスライムが、その巨大な眼だけで嗤ったように見えた。
何かが生まれるような、水っぽい破裂音。ヒュージスライムの巨体から、無数の触手が伸びた。空中を漂っていた触手は、ユーシャに目標を定め、一斉に襲いかかる。
ユーシャは胴に向かってきた触手を切り払う。触手はスライムよりも俊敏に動き、ユーシャを翻弄した。触手は四方八方から立体的に襲い掛かってくる。知らず知らずのうちに、足元に忍び寄ってきていた一本の触手が、彼女の足首に巻きついた。
「いやっ」
触手は、強引にユーシャを空中へ引っ張り上げる。ユーシャはまくれ上がるスカートを抑えながら、聖剣で触手を斬ろうとするが、宙に浮いた不安定な姿勢では、思うようにいかなかった。
触手は次から次へと、逆さまのユーシャの胴や手に絡みついていく。人間は地面に足がついていなければ、途端に不利になるということを、ヒュージスライムは本能的に知っているようだった。
――――うそ、このままじゃ。
ヒュージスライムはたしかに大きいだけのスライムだ。しかし、人間の倒し方を知っている。麻痺で動きを鈍らせ、触手で自由を奪い、そして――――
「わたしを、……食べる気?」
ヒュージスライムの体の中央部が、ぱっくりと開いていく。縦に裂けた穴は糸を引きながら横に広がっていく。あれが、ヒュージスライムの口?
「う、ああ」
触手の締め付けが強くなった。麻痺の効果で痛みは感じない。しかし、次々と巻きついてくる触手が、彼女の服の隙間から潜り込み、粘膜にピリピリと刺激を与える。触手は容赦なくユーシャの凹凸にくまなく巻きつき、さらに拘束を強めていく。もしこのまま食べられてしまえば、前身を触手に嬲られ、痛みもなく、無抵抗のまま、ゆっくりと消化されていくに違いない。やはり、無理だったのだろうか? 勇者。その使命は、自分には大きすぎたのだろうか? ――お父さん。
ユーシャは父のことを考えた。臆病者の元勇者。魔王を倒せず逃げ帰り、毎日飲んだくれていた碌でなし。自分を育ててくれた人。そんな彼が言っていた言葉。
――――ユーシャ、おまえは、大切な人を守れ。
わかっている、自分は父とは違う。
「マオ、あなただけでも逃げて」
ユーシャは覚悟を決め、せめてマオだけでも逃がそうと考えた。
「いやじゃ」
しかしマオは逃げようとしない。
「お願い、言うことを聞いて」
と優しい口調でユーシャは言う。短い間だったけど、あなたと旅ができて楽しかった。
「うう」
マオの眼に、紅い光が灯った。
――大魔王。その称号は、彼女の母から受け継いだものだ。母について知っていることは、ルーシィという名前。あとはベルから伝え聞かされたことだけ。
――――マオ様のお母様はとても立派な方でした。
とベルはいつも言っていた。ベルにとっても、マオの母は特別な存在だったらしい。
マオは母と、大魔王という称号を誇りに思っていた。いつか自分も、母のように立派な大魔王になりたい。そう思ったマオは、ベルに一人前の大魔王には、どうすればなれるのか聞いてみたことがあった。
――――優しく、常に誰かを守れる者こそが、大魔王なのです。
とベルは答えた。その言葉は、先代大魔王からの受け売りだった。
母の言葉。それはマオの心に、しっかりと刻み込まれていた。死に別れた母に近づく唯一の手段は、母の教えを守ることだから。
――――お母様のように、誰かを、大切な人を守る!
そして、マオは思い出す。自分が大魔王であることを。
「そこを退け、穢らわしい矮小なるものよ」
とマオは低い声音で告げた。彼女を取り囲んでいたスライムたちは、何かを感じ取り、萎縮しているようだった。
「マオ?」
と聞いたことのないマオの声に、ユーシャは戸惑いの声を漏らす。
マオの怜悧な瞳が険しくなる。威圧するような眼光を受け、スライムたちはマオから離れていく。マオとヒュージスライムの間に、道ができた。マオはゆっくりとその道を歩く。その物腰は普段の彼女とは思えないほど優雅で、妖艶な雰囲気を纏っている。道を開けたスライムたち、ユーシャまでもがその姿に畏怖を抱き、見惚れた。
「頭が高い、大魔王の御前であるぞ。額ずいて服従を誓え、さすれば死を持って永遠の安息を与えてやろう」
とマオはヒュージスライムを見上げて言った。艶のあるマオの声が、貯水槽に響き渡る。
ヒュージスライムは、それでもユーシャを離さない。マオに怯えているのか、そのちっぽけな自我が本能を曇らせ、事態を把握できていないのか。
「ふん、下等生物め、言ってもわからぬか。ならば実力行使だ。われに逆らった代償、痛みとして受け取るがいい」
邪悪な笑みを浮かべたマオは、両手を並行に構える。細かいことは考えない。力ずくで、思い通りにしてみせる。それが傲慢の名を冠する、大魔王の魔法。
――――魔法。意思により、世界を歪める力。
マオの意思は、地下水路に満ちた濃い魔力を媒介とし、神秘の力を発現させた。
「ユーシャを離せ! 緋華」
それはマオの意思から発せられた、小さな火花だった。魔法というにはいささか規模の小さい、手のひらに収まる花弁のような火は、密閉された地下水路に充満した魔力に触れ、連鎖し、火炎となり、可燃性のガスを巻き込みながら、誘爆し、すべてを吹き飛ばす大爆発を引き起こした。
ユーシャは触手に絡みつかれながら、なにが起こったのか理解できずにいた。
豹変したマオ。突然現れた火炎の渦。
紅い閃光が地下を染め上げ、熱と光がスライムを溶かしていく。
空中に捕らえられていたユーシャも、足元の熱に焼かれそうになっていた。
爆炎はヒュージスライムをも飲み込んでいく。
触手の拘束が緩み、ユーシャは落下しながら、その勢いを利用して、痺れた体をひねり、ヒュージスライムに聖剣を突き刺す。
ヒュージスライムは炎に焼かれながら、聖剣に浄化されていく。
浄化のために、魔力をその身に取り込みながら、ユーシャは地面の炎へと落ちていく。
爆発が天井を砕き、瓦礫が降り注ぐ。地下水路の崩落が始まっているようだ。床も壁も天井も、バラバラになり炎と混ざり合う。
炎と砕けた石の雨を飲み込む地下の奈落。その地獄のような光景に、ユーシャの麻痺した頭は、思考を止めた。




