求める者が掴むのは
か細い緑色をした、魔力の光だけが照らす薄暗い通路。その壁にそっと身を隠すようにして、ユーシャはしゃがみ込んでいた。水路へと消えた聖剣。ユーシャにとって唯一の、魔物に対する武器を失ってしまった。異端であるユーシャは、勇者としての加護を受けられない。聖剣なしではただの少女だ。丸腰ではあんなに弱いスライムにも勝てるかどうかわからない。隣ではマオが膝を抱えて座っている。マオ、魔族の彼女なら、この状況を何とか出来るのではないか?
「マオ、元気だして」
とユーシャは慰めるように言った。
「あなたの力が必要なの」
「うう、すまぬユーシャよ。今のわれはただのかわいいだけの女の子だ。とても力になれそうにない……」
と言って、マオはため息をついた。
「そ、そんなことないわよ! 魔法は意思に左右されるんでしょ? きっと精神的な問題だって! マオがすこし本気を出せばなんだってできるわよ!」
「ユーシャ……。しかし」
「ほらほら、くよくよしてたってしょうがない。とりあえず聖剣を探しましょ? あれがないとスライムを浄化できないから」
「う、うむ……」
聖剣を探すとは言ったものの、見つかる保証はどこにもなかった。水路は複雑に枝分かれして、立体的に交差している。水の流れに従う以上、下層へは向かっているはずだが、どこかで引っかかっている可能性もある。
◆
「どう、なにか見えた?」
とユーシャは水路を覗き込みながら言った。
「いや、なにも見えぬ」
マオの超感覚をもってしても、聖剣は未だ見つからない。
「そう、困ったわね……」
地下水路は湿気がひどく、動きまわる内に、汗で体はベトベトになっていた。
「はあ、お風呂入りたい」
とユーシャは呟く。
「水ならいくらでもあるであろう? なんなら泳げばどうじゃ?」
とマオが言った。さすがに水場ならなんでもいいというわけではない。この水路で泳ぐなんて、確実にスライムの餌食だ。
「……嫌だ。地上に出るまでは我慢ね。さ、はやく聖剣を見つけてスライムを片付けましょ」
「ユーシャは勇者なのだろう? 聖剣の気配かなにか感じぬのか?」
とマオが訊ねた。
「うーん」
ユーシャは目をつむり、意識を集中させてみる。しかし、特に目立った変化は起こらなかった。
「とくに、なにも……」
無理やり聖剣を手にした違法勇者である自分は、聖剣から嫌われているのだろうか?
「そうか」
とにかくここに聖剣がないのなら、別の場所を探すしかない。手がかりが無い以上、運を信じて虱潰しに探すしかないのだ。なんといっても聖剣は唯一の生命線なのだから。
水の跳ねる音が聞こえた。そして地面を粘液が這う嫌な音。
スライムだ。
一箇所に留まってはいられない。気を抜くとすぐスライムに囲まれてしまう。
二人はスライムの追跡をかわし、さらに水路の奥を目指した。
幸いスライムは動きが緩慢だ。走れば、囲まれない限り安全に逃げられる。だからといっていつまでも逃げ続けられるわけでもない。戦う手段もない、出口なき鬼ごっこ、最後は必ず捕まってしまうだろう。
二人は水路にそって通路を巡り、最下層と思われる空間に行き当たった。壁に開いた無数の穴からは、上層の水が流れ落ちている。魔力はさらに密度を増し、怪しい光を放っていた。
ユーシャが聖剣を探そうと水路を覗きこんだ瞬間、腐った果実が勢い良く落下するような音がした。音は一つではなかった。まるでにわか雨のように落下音は増え続け、粘着くように二人に迫ってくる。
「ちょっと、これはマズイかしら……」
暗闇の奥から迫る、糸を引くような不快な音。今までにない圧迫感。闇のベールに、白い卵のような眼球が無数に浮かび上がった。揺れ動き、跳ね回り、笑うように迫る不定形の怪物たち。
「ユーシャ、われの本能が告げておる。――逃げろ!」
とマオが叫んだ。
「言われなくても!」
二人は一目散に駆けだした。
最下層の通路は上層ほど入り組んではいなかった。しかし、
「きゃっ」
行き先を塞ぐように、スライムが待ち構えていた。上層に比べ、スライムの数は増えていた。少し走ったくらいでは、逃げ切れないくらいに。
「こっちよ!」
二人はスライムを避け、進む。
「おかしい……」
ユーシャはスライムたちの動きに、違和感を覚えた。まるで、誘導されているような……。
「まさかこのスライム、自我を持っているのか?」
とマオがユーシャの心を代弁した。
「自我? 道理で組織的な行動をとってるわけだ」
スライムたちは、まるで二人をどこかに導こうとしているようだった。
「いや、それだけではない。自我があるということは、魔法を使えるかもしれん」
「魔法!?」
魔法? 下等な魔物であるスライムが? ただでさえ危機的な状況だというのに、魔法まで使われてしまっては完全に詰みだ。
通路はやがて広い空間に出た。
「ここは? 行き止まり?」
そこは地下の貯水槽のようだった。高いドーム型の天井、壁の大小様々な穴からは、上層の水路から流れてきた水が、幾つもの滝のように流れ、部屋の中央の巨大な水溜りに注ぎ込んでいた。
「ユーシャ、まずいぞ……」
とマオが憎々しげに呟く。
「ええ、どうやらわたしたち、追い込まれたみたいね」
ユーシャは部屋の入り口に目をやった。このままではスライムたちが集まってきてしまう。
「ユーシャ、そっちではない」
「え?」
どういうこと? とユーシャがマオに訊ねようとした時、それは現れた。
「われらは追い込まれたのではなく、連れ込まれたのだ。……奴らのボスのところに」
巨大な貯水池がマグマのように沸騰する。泡の一つが盛り上がり、触手となって空中を動き回る。部屋に集まってきたスライムを、触手が捕らえて、水溜りへと引き込んでいく。
「うそ? なにあれ……」
ユーシャはただその光景を、ただ見守るしかなかった。
水溜りが、小山のように隆起し、やがてその全貌を現した。
「これは水溜りなどではない。この貯水池を満たす水、そのすべてが、一体のスライムだ」
とマオが言った。
「こんな巨大なスライム、聞いたことない」
それはとても軽々しくスライムと呼べるようようなものではなかった。貯水槽いっぱいに満ちた巨体は澱み、濁り、禍々しい緑色の目玉がギョロギョロとせわしなく動き回っている。
「おそらく、この閉鎖的な環境、魔力の満ちた空間が、魔界の構造に近づき、スライムを進化させたのであろう」
この地下の密閉された空間は魔力を蓄えるのにぴったりだった。大量の魔力を含んだ、聖地から流れこむ水が集まり、魔力を濃縮し、小さな魔界を形作っていた。
「そんな……」
「このまま放っておけば、やがてさらに力をつけ、地上に進出するかもしれぬ」
「そんなこと――」
それだけはさせてはならない。地上は街だ。大勢の人々が暮らしている。こんな巨大な怪物が暴れたなら、どれほどの被害がでるか想像もつかない。
「それなら……」
ユーシャは水色のスカートの裾を握る。
「ユーシャ?」
「それなら、わたしが倒すしかないじゃない!」
とユーシャは拳を固く握りしめ叫んだ。
「ユーシャ、無理だ! 聖剣もなしに、あれは今までのスライムとは格が違う!」
とマオがユーシャを諭すように言った。
「それでも、わたししかいないの! 勇者は、わたし一人なんだから!」
そう言った彼女の表情には、かすかに恐怖が滲んでいた。無理もない。丸腰で、自身よりはるかに巨大な怪物を相手にしなければならないのだ。それでも彼女は退かなかった。自分で選んだ勇者の使命。自由の代償の約束。命に変えても、みんなを守ってみせる。彼女の青い瞳には、堅い決意が見えた。
「ユーシャ、うう、……しょうがない。……われも力を貸そう」
とマオは渋々ユーシャの手を握る。
「ありがとう」
ユーシャはマオの手を握り返す。先代勇者、父も、世界を、人々を守るために戦ったのだろうか。魔王を倒せずに、逃げ帰ってきた腰抜けの勇者。彼の身に、なにがあったのかは知らない。それでも、人々を守ろうとした気持ちだけは本物だったと、ユーシャは信じていた。
大量の魔力を飲み込み成長したヒュージスライムは、今まさにユーシャに襲いかかろうと、その巨大な体から一つの突起を伸ばし、触手を形成した。
「しかしどうするユーシャよ。こちらには攻撃手段がないぞ?」
どういう訳か、マオはこの状況を楽しんでいるようだった。もちろん勝算などない。それでも二人なら、負ける気はしない。
「……だいじょうぶ」
とユーシャは小さく呟く。
「え?」
とマオが予想外の返事に少しだけ驚く。ユーシャは、意外なほど落ち着いているように見えた。
「わたしは、――勇者だから」
その時、丸い天井付近の大穴から流れる水流に、銀色の煌きが見えた。
「来て」
勢い良く流れこむ水流に乗って、銀色の光は空中に投げ出された。水流から開放された銀色の光、聖剣はその勢いのまま弧を描いて、勇者の足元に突き刺さった。ユーシャは、再会した折れた聖剣を引き抜き、言った。
「さあ、かかってきなさい水巾着」
――スライム狩りよ。




