スライム狩り
気がつくと朝になっていた。久しぶりのベッドは、不安や疑問を柔らかく包みこみ、静かな休息を与えてくれた。ユーシャは起き上がり、まだ隣で寝息を立てているマオの髪を撫でる。そして、とにかく目の前にあることだけがすべてだ。いちいち悩んでいては、世界なんてとても救えない、自分は勇者なのだ、と心のなかで念じた。
「マオ、起きて」
とユーシャはマオの肩を揺すりながら言った。
「むにゃ?」
とマオは薄く目を開けて言った。マオの寝相は悪く、ワンピースがお腹のあたりまでめくれ上がっていた。可愛らしくぽっこりと膨らんだお腹は、昨日あれだけ食べたケーキを、ちゃんと消化できたようだ。
「おはよう、朝よ」
「嘘だ……」
「嘘じゃないわよ」
とユーシャはカーテンを開き、マオに朝陽を浴びせた。
「むう、……おしっこ」
と目をこすりながらマオは言った。どうやら寝ぼけているらしい。ここがどこかわかっていないようすだ。
「ええ!? ちょっと待って! トイレまで我慢して!」
「あっ」
と夢見心地で、か細い声を漏らすマオを、ユーシャはトイレまでひっぱり、用を足させたあと、念のため下着を替えさせて、夜のうちにきちんと洗濯され、どんな技術を使ったのか、しっかりと乾かされていたそれぞれの服に袖を通した。金髪をルルからもらった赤いリボンで太いおさげに結い、身支度は完了だ。
「よし!」
とユーシャはスライムとの戦いに向けて気を引き締めた。
「ユーシャ、お腹がすいたぞ」
そんな彼女に水をさすようにマオが言った。マオにそう言われて、ユーシャは昨日食べたケーキやご馳走のことを思い出した。
「……そうね、まずは朝ごはんをいただきましょう」
と、ユーシャは小さく音を立てたお腹をさすりながら言った。
食堂で朝食を済ませたユーシャとマオは、さっそくスライム退治に向かった。
二人が案内されたのは、屋敷の地下だった。
「ここから地下水路に降りることができます」
と使用人のアルフレッドが言った。屋敷の地下室にある倉庫のわきに、さらに地下に向かって狭い階段が伸びていた。耳をすますと、小さく水音が聞こえた。
「水路は奥に行くほど入り組んでおります、後から補修や増築を繰り返したせいで、地図も意味がありません。しかし浅い階層ならば迷う心配もございません。スライムの数を減らしていただければ充分ですので、決してご無理はなさらないでください」
「ええ、勇者としての初仕事、しっかりとやり遂げて見せるわ。行きましょ、マオ」
「うむ」
水路に降りると、水の流れに沿ってまっすぐに通路が伸びていた。二人は恐る恐る進んでいく。ユーシャはすぐに戦えるように、聖剣を構えながら慎重に歩いていた。水路には灯りがないので、マオがランプを持ち、周囲を照らしてくれていた。マオが両手で大きめのランプを抱える姿は、まさに妖精のようだった。
通路はやがて二つに別れた。
「どうしよう」
とユーシャは思案した。この一歩が肝心だ。なにも考えず無策で奥に進んでしまえば、絶対に迷ってしまうだろう。慎重にいかなくては。そんな風にユーシャが考えこんでいると、
「たぶんこっちだ」
と、マオがランプで片方の通路を照らした。
「わかるの?」
「うむ、こっちから強い魔力を感じる。水路に満ちた魔力をたどれば、迷うことは無い」
えへん、とマオは胸を張る。
「さすが魔族。頼りになる」
魔力を感知できる魔族は、人間よりも感覚が優れているのだろう。地図もなく、右も左もわからない地下ではとてもありがたい。狩りで獲物を探す猟犬の役割というわけだ。
「わはははは、そうであろう? もっと褒めても良いのだぞ?」
「地上に出たら思い切り褒めてあげる。さ、行きましょう」
マオが言ったとおり、通路の先にはスライムの姿があった。
「さっそく出たわね」
とユーシャは臨戦態勢に入る。どうやら敵は一体。ユーシャの敵ではなかった。
「えいっ」
と、ユーシャは難なくスライムを両断する。一体目のスライムを倒すと、水路の水が泡立ち、凝固して、二体目のスライムが現れた。
「さあ、どんどん行くわよ!」
ユーシャは、飛びかかってくるスライムを、撃ち落とすように聖剣で切り払う。さらにもう一体、押しつぶすように剣を突き立てる。
「水風船さんたち、束になってかかってきなさい!」
ユーシャは完全に調子に乗っていた。初めての本格的な戦闘に、気が高ぶっていたのだ。
「はあはあ、さ、さすがにもう一区切りついたかしら?」
ユーシャは目につくスライムを事務的に処理していった。そろそろ数えるのにも疲れてきた頃、
「ユ、ユーシャ……」
とマオが呟いた。
「なに?」
聖剣を振り回すのにつかれたユーシャは、目の前のスライムを片付けるのに手一杯だった。
「ユーシャ! 見ろ!」
とマオは切羽詰まったように、ユーシャのスカートの裾を引っ張る。
「え?」
ユーシャが振り向くと、いつの間にか歩いてきた通路は、スライムの群れに包囲されていた。
「うそ……」
水路から湧き出てきたスライムたちは、次々と重なりあい厚みを増し、通路を隙間なく塞いでいく。とても突っ切れそうにない。通路を埋め尽くすスライム。引き返すという選択肢はすでに消えていた。スライムの壁はさらに膨れ上がり二人を飲み込もうと迫ってくる。
「やだ、多すぎる……」
大量発生しているとは聞いていたが、道を塞ぐほどとは思っていなかった。簡単に倒せるスライムだと油断していた。それは聖剣を持つ勇者ならではの慢心だった。勇者にとってスライムは、触れれば割れるシャボン玉のような存在だが、普通の人間にとっては違う。さすがに脅威でこそないが、倒すのに手間のかかる厄介な魔物だった。それに勇者といえど、一対一では無敵でも、一対多、それも圧倒的な数の前では物量で押されてしまう。
「マオ、走って!」
とにかくまっすぐ進んで、この場はやり過ごすしか無い。
「ふぎゃっ!」
とユーシャの背後で、マオの悲鳴が聞こえた。
「マオ!? 大丈夫?」
まさか、とユーシャが振り向くと、途端に明かりが消え、周囲が闇に包まれた。
「あわわわわ、どうしよ、ランプ落としちゃった……」
とマオは水路を覗き込み、申し訳無さそうな顔をした。水路の流れは激しく、深く沈んだランプはとても引き上げられそうにない。灯りを失うと、途端に不安な気持ちが沸き上がってきた。ユーシャは薄暗い通路を、手探りでマオを抱き寄せた。
「マオ、危ない」
「どうしよう、灯りが……」
「たぶん、だいじょうぶ、ほら」
暗闇に目が慣れるにつれ、周囲の景色がぼんやりと見えるようになってきた。地下水路に満ちた魔力が、妖しく発光しているのだ。さすがにランプの灯りほど見通しは良くないが、まったく見えないというわけでもない。なんとか進めそうだ。
はぐれてしまわないように、ユーシャのスカートの裾をつまみながら、マオは暗い通路を歩いていた。マオは細かいことを考えるのが苦手だった。判断基準は前か悪かの二元論。子供らしい単純思考、経験だけが基準のシンプルなものさし。小さな頃から人間は悪だと教えこまれてきた。魔族に害をなす敵、母を殺した憎き仇。では目の前の人間はどうだろう? 好きか嫌いかで言えば、ユーシャは大好きだった。ユーシャは彼女に優しくしてくれた。一緒に眠ってくれた。ユーシャといると不思議と心が安らいだ。知ることのなかった母の温もりを、マオは彼女の中に見つけられそうだった。だから役にたちたかった。魔界にいた頃は、みんながマオのために働いてくれた。贅沢はさせてもらえなかったが、彼女が寂しい思いをしないように、昼も夜もつきっきりでかまってくれた。自分も誰かのために、大好きな人の力になりたい、ユーシャに喜んでほしい、とマオは思っていた。
マオは魔力を辿り、入り組んだ通路を把握しようとした。しかし、
「わからない……」
強い魔力の渦中に入り込み、彼女の感覚は、まるで霧に閉ざされたように麻痺していた。
「え?」
と急に立ち止まったマオに、スカートを引っ張られたユーシャが振り向く。
「道が、わからない……」
マオは目に見えて気を乱していた。
「ユーシャ、どうしよう」
「落ち着いて、ほら、深呼吸」
「ひっひっふー」
「たぶんそれは違う!」
マオが必死になって感覚を研ぎ澄ますと、水音が一際大きく聞こえてきた。
「こっちだ!」
とマオはその方向へ進みだす。
「待って! マオ!」
とユーシャは引き止めるが、マオは少しでも不安から逃れようと、藁をも掴む思いで通路を進む。
「きゃあああ!」
一瞬の浮遊感。自分が足を滑らせて、水路に落ちかけたことに気づいたのは、通路から身を乗り出し、自分を引っ張るユーシャの姿を見た後だった。
水路は滝のように下層へと流れ込んでいたのだった。どうやら地下に張り巡らされた水路は、立体的に交差しているらしい。自分を両手で引っ張るユーシャを見て、マオはあることに気がついた。
「ユーシャ、聖剣は?」
彼女はその手に聖剣を握っていたはずだ。しかし、その手は今、マオをしっかりと掴んでいる。
「そんなこと、今はどうだっていいでしょ、お願い、はやく登って!」
ユーシャの苦しそうな声を聞き、マオはありったけの力で通路へとよじ登った。
聖剣はどこにも見当たらなかった。ユーシャは水路に落ちたマオを助けるために、とっさに聖剣から手を離した。結果、聖剣は水の流れに落ち、下層へと流れていってしまったのだった。
こうして、灯りと、唯一の武器を失った二人は、暗い地下迷宮に囚われてしまった。




