文芸部事件・問1
『文芸部事件』
午後十二時三十分。
授業が始まるまで一時間あるから昼食を食べる時間だ。
今日もいつの間にか鞄の中に入っていたお弁当箱を取り出す。青い袋の中に木で作られた高そうな入れ物。保冷剤をどかして封をほどけば、お米が入っている段とおかずが入っている段に分けられる。おかずは僕の好きなものばかり。箸を使って口に運べば僕好みの味が口いっぱいに広がった。
頭を使う異能のせいか、脳は食事を求めている。腹が減っては戦はできぬというが、腹が減っては推理もできぬのだ。三角食べを意識しながら頬張っていれば、箸が底を突く音が食事が終わる合図となった。
「ごちそうさまでした。ちょっとトイレに行こうかな」
午後十二時四十五分。
食事を終えた僕は、午後の授業に備えてトイレに行くことにした。教室内では今から昼食をとる生徒もいるけど、僕は早々に教室から出る。微妙な時間だから廊下ですれ違う人数は少なく、トイレのなかにも人の姿はなかった。
用を足して手を洗うと、水の冷たさに意識が引き締まる。鏡を見るといつも通り特徴のない顔。ちょっと伸びすぎた前髪を切ろうかな、と思いながら手を拭いて廊下へ出た。
「きゃあああああっ」
「うおっ。びっくりした……。それよりも叫び声?」
トイレの目の前にある階段を眺めながら手を拭いていた僕の耳に響いてきたのは女子生徒の叫び声。明らかに上の階層から聞こえてきた声を合図に、僕は階段へ向かって走り出す。
僕がいるのは二階で一年生と二年生の教室がある階層。叫び声が聞こえてきたのは三階か四階だろう。三階は三年生の教室と化学室や美術室などの移動教室があるだけ。
三階の踊り場にたどり着いた僕は、廊下から左右に目を向ける。人集りはなく、叫び声が聞こえていなかったのか誰も異常な動きは見せていない。
すぐに階段に戻って四階へ駆け上がった。
「いた」
踊り場から顔を出して廊下を確認すると、教室の前で女子がひとり尻もちをついている。その横には男子生徒がひとりと口を押さえて呆然としている女子がひとり。三人の学生が教室の扉から室内を見て固まっていたのだ。
「た、助けなきゃ。保健室に運べばいいのかな」
座り込んでいた女子が廊下を這うように進んでいくと、男子生徒が手を差し出していた。その手を取ると覚束ない足取りで女子は立ち上がる。
明らかに異常な状況に、僕は急いで走っていった。
「叫び声が聞こえたけど何かあったの?」
制服に着けられているピンバッジが見えたから、僕は敬語をやめて話しかける。
異能第一学園では学年ごとにピンバッジの色が分けられており、一目で学年を判断することができる。三年生から赤、青、黄と割り振られており、それぞれのクラスのアルファベットの形になっている。僕がつけているピンバッジと同じ色が、三人の胸元に着けられていた。
「誰だ、お前」
「一年F組の揣摩」
「は? F組が何の用だよ。今はお前に構ってる時じゃ――」
「編縫くんっ。今はそれどころじゃないよっ。すぐに本宮さんを運ばないと……」
「そうだったな、滑川。浮鉄も一人で立てるか?」
「ありがとう。もう一人で立てるから大丈夫よ」
僕の身長が低いからか、編縫の背が邪魔して中を見ることができない。ふらついていた浮鉄から手を離した編縫はそそくさと教室に入っていき、それに続いて滑川と浮鉄も教室へ足を踏み入れた。壁となっていた編縫が消えたことで、僕も教室の概要が目に入ってきた。
「本宮、本宮」
そこにいたのは床の上に横たわっている本宮と呼ばれた女子。呼びかけに応えることはなく、床に倒れたままだった。胸が上下に動いているから死んでいる訳ではなさそうだが、意識はなく寝ているようにも見えない。編縫はなるべく頭部を動かさないように女子の体を抱えた。
「保健室に運ぶぞ」
「読子ちゃん大丈夫かな? うんともすんとも言わないし……」
「分かんねえよ。浮鉄も付いてこい」
「Aクラスに癒しの異能を持ってる子がいるって聞いたけど、声をかけてきたほうがいいかな?」
「天使のことか……。あいつはやってくれないと思うぞ。噂だと金銭を要求してくるって言ってたからな」
「そんなことはいいから早く運びださないと」
編縫、浮鉄、滑川の三人は小競り合いをしながら教室をあとにする。意識を失った本宮を編縫が慎重に運びながら、他の二人は必死に声をかけていた。
叫び声を聞いて急いだのに僕ができることは何一つなく、喧騒が嵐のように去っていく。僕が階段を上がってきた時にすれ違った人影はおらず、廊下を走り去る生徒の姿も見なかった。
教室に倒れていた女子も何かしらの病気によって倒れていただけなのかもしれない。事件が発生したと思って飛び出してきたけど、肩透かしだった。
「そもそも、ここは何の教室なんだろう」
本棚にはたくさんの本が置かれており、腰の高さのロッカーにはアナログ時計やぬいぐるみが置かれている。統一感のない部屋はアンバランスで気持ち悪い。
長机があるにも関わらず、教室の中心にはパイプ椅子が一脚だけ置かれていた。丁度本宮さんが倒れていた場面を見下ろすような位置。彼女はあそこに座っていて倒れたのかもしれない。
床には一冊の本が落ちていた。ブックカバーを掛けられているから表紙もタイトルも分からない。本宮さんの持ち物なら不用意に触らないほうがいいだろう。
「事件なのか、事故なのか。首を突っ込んでいいのかな」
「突っ込むべきだと私は思うよ。ここは文芸部、事故なんて起こらないはずなんだから」
背後から声がした。
僕は声の主を知っている。女子にしては低いハスキーボイス。クールな印象を持たせながらも、ビオラのような繊細さも持ち合わせた声が鼓膜を震わせた。
「――景」
「理解くん。後ろ姿でもかっこいいね」
「後ろ姿しか見てないでしょ。それに僕のことをかっこいいなんて言うのは景だけだよ」
「皆には見る目がないからね。あったらあったで私が困るからいいんだけど」
背中を向けて話していたら何をされるか分からない。
僕はゆっくりと顔から後ろへと振り返る。
教室の入り口に寄りかかっていたのは黒髪の襟足を肩口まで伸ばしたウルフカットの女子。インナーカラーに赤を入れており、ツリ目なこともあって怖い印象を抱かせる。身長は僕よりも低いから、威圧感はあまり感じない。
彼女の名前は冥覧景。
僕の幼馴染だ。
「前向いたらもっとかっこいいじゃん」
「どこが? 髪の毛で目を隠してるし身長も平均くらい。かっこいい要素なんてないと思うけどなあ」
「ミステリアスで私は好き。理解くんなら何でも好きだけど」
「うーん。相変わらず甘い」
「だって甘いのが好きでしょ? 卵焼きと一緒で」
「あ、今日のお弁当も美味しかったよ」
「それはよかった。早起きして作ってる苦労が一瞬で報われたかな」
僕のお弁当は景が作ってくれており、移動教室の合間に僕の鞄の中にこっそりと忍ばせているのだ。教室に来て直接渡されたら騒ぎになるかもしれないから。
景の容姿は幼馴染である僕から見ても整っている。学年で一番だと言っても過言ではないだろう。噂だと入学一ヶ月にしてファンクラブも存在しているとか何とか。
早速最初の事件です




