07
わたしが乗ってしまった場所で食事をしていたのであろう、丸眼鏡をかけた男性は、驚きつつも眉をひそめていたが、わたしと一緒に転移してきた青年を見るなり、表情をぱっと明るくさせた。
『アル!』
なんだか生きていることを喜んでいる様子ではあるが……。
困りながらも、わたしは周りの声に耳を傾けた。ざわざわとしている声は、一人として聞き取れない。声が小さいからではなく、使用言語が違うのだ。
エンティパイア帝国では、東西南北それから帝中都で計五種の言葉を使用している。
将来王妃になるのであればすべての言語を理解せねばと五つすべて覚えているが、周りの言葉はそのどれにも当てはまらない。
周囲の衣装も違うし、ちらと壁に貼られたメニューを盗み見てもよくわからない文字で書かれている。
ここは本当にエンティパイアではない。
「――オ嬢さん」
妙にイントネーションのおかしい帝中都エンティ語に、私は振り返った。
先ほどの丸眼鏡の男性だ。わたしは思わず彼の手を取った。
「貴方! エンティ語が分かるの!? ここはどこ? エンティパイアじゃないのよね?」
思わずまくしたててしまったが、丸眼鏡の彼は聞き取れたようだ。理解に時間を要したようで、すぐには返事が返ってこなかったが。
「仕事デ、たまにグルルリアへ、行クから」
「グルルリア!」
グルルリアと言えば、エンティパイア帝国の東のほうにある、エンティパイア三大美食国の一つにあげられる、小さな国だ。グルルリアはエンティパイア国内でも数少ない、外の国とつながりがある。
なるほど、帝中都エンティ語のイントネーションがおかしいのは、東エンティ語のなまりが抜けきっていないからなのかもしれない。
言われてみれば、東方から帝中都に出稼ぎに来る使用人が、帝中都エンティ語に慣れないうちに出る発音に似ていた。
わたしが帝中都エンティ語で謝罪したから、合わせてくれているのだろうか。
「東エンティ語のが分かるのかしら?」
「! ああ。そちらのほうが助かるよ」
今度はおかしなところもなく、彼は流暢に話す。
「わたしはフィオディーナと申すものですわ。失礼ですけれど、お先に名前をうかがってもよくて?」
「フィオディーナって……まさか」
すでに全国民へ公表されていた婚約者だったからか、彼は驚いた表情を浮かべる。第二王子と婚約していたはずの公爵令嬢がこんなところにいるなんて、思いもしなかったのだろう。
「もう、オヴントーラの名は語れませんわ。口調も崩してよくってよ。わたし、ただの平民になったのだから」
そう言えば、婚約破棄や家名はく奪を察してくれたようだ。ぎこちなくも、もうそれ以上は触れてこない。
「え、ええと……。オレはマルシ。君が助けてくれたのはアルベルト。ここはランスベルヒ島。エンティパイアの傘下国ではないよ」
その言葉を聞いて、少しだけ安心する。とりあえず、エンティパイアの外に、生きたままたどり着くことができたようだ。
「ランスベルヒはどこの国にも属さない、冒険者たちの島だよ」
「冒険者たちの島……」
「そう。法律らしい法律も、王様も貴族もない。腕っぷしの強さと冒険者ランクだけが幅を利かせ、絶対的なルールの島」
……それって、相当治安が悪くなりそうなのだけど……。
ただ、周囲を見ても、荒廃の二文字からはかなり遠そうなので、それなりに独自のルールが出来上がっていて、秩序のようなものが存在しているのかもしれない。
混乱していると、わたしを助けてくれた男性――アルベルトが、マルシに耳打ちをする。それを聞いたマルシが何かを言いながらうなずいた。
「とりあえず、今日のところはひとまず休んだら? 宿代は貸すよ。なんだかとても大変だったみたいだし、それに――その恰好じゃ、風邪ひくと思うよ」
「え――……あっ!」
言われてから、わたしは自分を見て、ぐしょぐしょに濡れていることに気が付く。海に落ちたのだから、当たり前と言えば当たり前だが。足元には水たまりができるくらいには、ぽたぽたと水が滴っている。服の生地が厚いから、服が透けていないのだけが不幸中の幸いみたいなもの。
「はい、これ」
丸眼鏡の彼――マルシに渡された硬貨は見慣れないものだった。初対面の人にお金を借りるのは心苦しいが、これではわたしの持っているお金なんて、なんの役にも立たないだろう。
「……お言葉に、甘えさせてもらうわ」
わたしはぎゅっとお金を握りしめながら、言った。
――こうして、本当ならば死んで海に沈むだけだったはずのわたしは、何とか生き延び、新天地へと足を踏み入れたのだった。




