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祖父の死  作者: 松明ノ音
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 最初は、小学校三年生の盆だった。

 僕も初めて、実家から帰る前日の夜に、祖父の書斎に呼ばれた。祖父の書斎に入ったのも、その時が初めてだった。

 おばあちゃんや父から、祖父の部屋に入ってはダメと言われていた。書斎に呼ばれたことがない僕と年が近い従兄弟たちと、忍び込もうとはしてみたけれど、鍵がかかって入れなかったのだ。

 書斎に呼ばれた従兄弟たちには、ないしょ、と言われた。僕も祖父にされたように、お年玉で脅されて口止めされたのだろう。

 祖父の書斎には本が大量にあったが、大きな木製の本棚に、整然と整理されていた。灯りは橙色であり、部屋全体を暖かな印象にしていた。

 大ざっぱというか、ガサツな印象が強かった祖父の自室がきれいだったことに、驚いた記憶がある。

 祖父は高級そうな机に備え付けられた、これも高そうな椅子に座り、僕は机を挟んで向かいに座った。

 会話の内容自体は、特別なことではなかった。

「どうだ、学校は楽しいか」

「うん」

「どんなことが楽しい」

「友だちと、遊んだりとか」

「どんなことをして、遊ぶ」

「昼休みは、サッカーしたりドッジボールしたり」

「友だちには、どんな子がいる」

 そういった、普通の内容だった。勉強は楽しいか、成績はどうか、今一番面白いことは何だ、とか。

 祖父の書斎のような空間を、他に知らないからだろうか。従兄弟たちと大騒ぎして遊ぶほど楽しくないし、友だちと遊ぶ時ほど、面白くはなかった。ただ、そこで祖父と話すこと自体に、なぜかワクワクし、特別なことをしている気分になった。

 祖父は優秀な営業マンだったから、聞き上手でもあったのだろう。いつも最後に、祖父はこう言って締めくくった。

「今を楽しめ。今しか楽しめないことが、お前には沢山あるのだから」

 僕は、わかったのかわからなかったのか、自分でもわからなかったが、

「うん」

と応えて、祖父にドアまで送り出された。一年後に、僕の一つ下の従兄弟が祖父の部屋に呼ばれるようになってからは、その子に来るように伝えることが、役目になった。


 基本的には、毎回内容は変わらなかった。

 僕が何を楽しんでいるのか、どんなことをしているのか、それを祖父は聞いてきた。

 成績のことも聞かれたけれど、悪かったからといって、怒られることもなかった。

 たまに僕が悩んでたり、その悩みを打ち明けたりすると、祖父は本棚に向かって歩き出した。本を一冊か数冊取りだして、僕に向かって差しだし、

「これを読んでみなさい」

と言うのだった。

 僕はそれを、面白いと思える本を貸してくれた程度に思っていた。小説が多かったが、時には実用書や新書もあった。そういえば、従兄弟や父、叔父叔母は本を持っていることが多かったと、思い出した気がする。

 別に、本の中に解決策があるわけではなかった。けれど、他の考え方をしてみたり、新しい視点が見えたからだろう。本を読み終えて少し経つ頃には、悩みは解決したり、どうでもよくなったりした。

 祖父の貸してくれる本は、面白いことがほとんどで、僕ら孫たちは、みんな本を読むようになった。時々は、書斎じゃなくとも、面白い本を貸してと言うようになった。

 中学生や高校生になるにつれ、荒れる従兄弟や夜遊びをするようになった従兄弟もいた。それでも誰も、祖父の書斎に行って話をし、本を借りてくることはやめなかった。

 祖父が面白い本を貸してくれることは、当たり前のように思っていたし、怒られることはないことも、信じていたからだと思う。

 俺が荒れても、悩んでいても、祖父の口癖は変わらなかった。

「今を楽しめ。悩みがあって楽しめないと思うなら、その状況をどうすれば楽しめるのか。それを解決するために考えて、そのための行動を楽しみなさい」

 やがて、俺も従兄弟たちも、大人になって落ち着いた。大人になって、若干の照れくささを感じながらも、誰もが祖父の書斎に行った。父や叔父、叔母たちもそうしていたのだ。

 俺以外も、今をどう楽しんでいるか、今どういう問題に直面しているか、それをどう楽しんでいこうかを、祖父に話していたのだと思う。

 祖父が、俺の楽しみと、楽しむための考えを聞いて肯いてくれることが嬉しく、誇らしかったからだ。

 祖父の家に行くということは、楽しむことを言うこと。それは、祖父に会う予定が決まれば、必ず意識させられることだった。

 だから俺たちは、今自分は、今を楽しめているか? この状況を楽しい状況にするには、どうすればいいか? そう考えさせられるのだった。

 それは去年、祖父が入院するまで続いた。


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