グリムアップルのジャムクッキー【魔】
「……ということで、ここにきました」
「……はぁ」
冥界の居城にて深く深く溜息を吐く冥府の王─ハデスと、無邪気に手を振っている蛇竜テュポーン。青白い蝋燭が照らす城内には、頭を抱えて本気で悩んでいるハデスがなんとも痛ましく見えてしまう。
ことの発端は、蛇竜テュポーンの力を上手く制御するというもの。その力に気が付いたオリュンポスの神のトップであるゼウスが、「力を抑えるお勉強」と称しテュポーンの力をなんとか制御することができたのだが、神の力だけではどうもバランスが悪いということで急遽ゼウスの兄であるハデスに(何の断りもなく)寄越してきたのだ。テュポーンが持っている薄い書状一枚だけが、唯一の救いなのだがその書状も非常に簡素なものであったが故、ハデスは更に頭を抱え込んでしまった。
─テュポーンに力の抑え方を教えてやってくれんかの。頼んだぞ─
たったこれだけの文章で「はいわかりましたやりましょう」なんて言葉は、絶対に出てこないのだが……このままにしておくわけにもいかないため、やらざるを得ない状況だった。ハデスはもう何度目かの深い溜息を吐き、ぶつぶつと何か言いだした。
「……ったく。ゼウスめ。子守を押し付けてきおって……」
「おーい」
「……? だが、ここでこやつの力を上手く使えれば……悪くないか」
「ねぇ。ガン無視?」
ハデスを下から覗き込むように睨むテュポーンにはっとしたハデスは、小さく咳払いをしてからテュポーンに口を開いた。
「……んんっ。まぁ、致し方ない。では、我の……」
「よろしく。おじちゃん」
おじちゃんという言葉に耳と眉がピクリと動いたハデス。ぷるぷると肩を震わせ、怒りを露わにするかと思いきや、一旦思い止まり不器用に微笑みを浮かべながらテュポーンに注意した。
「お……おじっ……。我のことはおに……いや、ハデス様と呼びなさい」
「うん。わかった。ハデスのおじちゃん」
言っても聞かないことがわかったハデスは、肩をがくりと落としながら「まずは礼儀を教えるのが先だろうか」と黒く重い愚痴を吐き出した。
ハデスの居城の外に出て、早速実践を行おうとしたときだった。いつもなら勢いよく飛び出てくる亡者たちがなんだかよそよそしい。そんな亡者に疑問を持ったハデスはテュポーンに聞いてみた。
「お前。亡者たちの様子がおかしいのだが……何か知っているか」
「知らない」
ばっさりと切り捨てた回答にもやもやを感じながらも、ハデスは亡者たちにテュポーンを攻撃するよう命令した。
「おっと。忘れていた。これが冥府の力だ。これを制御してみせよ」
ハデスがテュポーンに手をかざすと、紫色のオーラがテュポーンへと流れ込んでいった。それを吸収したテュポーンは「おお」と声をあげながら小さく跳ねて回った。
「すごい。ゼウスのおじちゃんとはまた違った力。よーし、いっくぞー」
「え。ちょっ……」
ハデスが止めるのを無視し、亡者の群れへと突っ込んでいったテュポーン。がむしゃらに腕をぐるぐる回し亡者へ突っ込んでいったテュポーンはものの数秒で返り討ちとなり、ぽいと投げ出されてしまった。
「やーらーれーた」
「おい」
呆気なくやられてしまったテュポーンに嘆くハデスだが、すぐに気を取り直しテュポーンを鼓舞し力を分け与えた。
「今度はすぐにやられるなよ」
「やってみる」
力を増幅させたテュポーンは、またもや腕をぐるぐる回しながら亡者の群れへと突っ込んだ。これではまた放り出されるなと嫌な予感がしたハデスだが、今度は逆で亡者たちをこてんぱんにのして先へとじゃんじゃん進むテュポーンがいた。
「……これは」
思いもよらない力の使い方に驚いたハデスは、深淵より亡者をさらに呼び出しテュポーンに総攻撃するよう命令した。最初命令を受けたときの亡者たちは「えー。行かなきゃダメ?」と言いたげに体をくねらせてハデスに抗議したのだが、ハデスはそんなことはお構いなしだとばかりにテュポーンを指差し無言で「行け」と命令した。これには亡者たちも「仕方ない。行くか」と半ば諦めたように突っ込むと見事テュポーンに殴られきれいな放物線を描き壁へと突き刺さった。
やがて魔の力は馴染んできたのか、だいぶ力の扱いが上手くできているように見えたハデスは亡者の群れへとゆっくり近付き手を伸ばした。
「テュポーンよ。もうい……」
「んぁ?」
もういいぞと言いかけたとき、テュポーンの無邪気さが混じった拳がハデスの頬へと突き刺さり、これまたきれいな放物線を描き冥府の川へと落ちていった。真っすぐに高く打ちあがった水を見て「おーー」と歓声をあげるテュポーンに、残った亡者たちはそれぞれ身を寄せ合い縮こまっていた。
ざばりと音を立て冥府の川からあがったハデスは、びたびたと水を滴らせながらテュポーンに近付き今度こそ「もう十分だ」と告げた。終わりを告げられた本人はまだ暴れたりないのか、頬をぷくっと膨らませ抗議をしたが、それ以上はハデスが許さなかった。
「……もっと暴れたいのに」
「もう十分だ」
魔の力が十分に馴染んできたのを良しとし、ハデスは優しくテュポーンの頭を撫でてからゼウスに報告書を作成しテュポーンに手渡し、神の世界へと通じる移送方陣を展開した。
「えー。ゼウスのおじちゃんにまた会うの?」
「それを渡すまでの辛抱だ」
「……そうだ。まだおじちゃんからアメ貰ってなかった」
「そうか。ならば貰うことだけを考えろ」
「わかった。ありがと。ハデスのおじちゃん」
「……だから、おじちゃんではないと散々……」
ハデスのぼやきはテュポーンの耳に届くことはなく、残ったのは空しい静寂だった。




