ことりのサブレ【神】XXⅠ
ピピピピ ピピピピ
電子音が頭の上で鳴り響く。もぞもぞと手を動かし、電子音を止めて数秒眠たそうに眼をこすりながらベッドから起き上がる少女がいた。向かって左側が爽やかなクリアブルーの髪なのに対し、向かって右側は可愛らしいパステルピンクの髪色。起き上がり体をうんと伸ばすと肩から少女の腰あたりまで豊かなドレープのついた紫色のケープがふわりとなびいた。
少女の名前はアタナシア。人々の想いから生まれた存在。喜びや幸福感、満足感に満ち溢れたポジティブガールだ。得意なことは例え小さなことでもラッキーを見つけること。それは信号が連続で青だったとか、小石につまづかなかったとか、一段飛ばしで階段を下りられたとか、大好きなお菓子が売っていたとかそんな程度だ。だが、アタナシアにとってはそれでも十分すぎるラッキーだといえるのだ。なぜなら、世界は自分自身の心を映す鏡だと考えているためだ。事あるごとに「なんてラッキーなの!」というアタナシアは、常に笑顔を絶やさず未来に希望を抱いている。
「今日もとってもいい天気ね! なんてラッキーなのかしら♪ おでかけでもしようかしら」
さっきまでの眠たそうな顔はどこへやら、部屋の窓から見える街の景色を見たアタナシアは胸を躍らせながらてきぱきと身支度を済ませ簡単に朝食を摂った。大好きなチョコクロワッサンとバタースティックを軽くオーブンで温めている間にお湯を沸かし、ダージリンを淹れる準備を整えた。
「なんだか気分がいいから、匙一杯分多めに入れてもいいわよね」
くすくすと笑いながら茶葉をティーポットへと入れ、しゅんしゅんと音を立てているケトルから熱いお湯をティーポットへと静かに流し入れた。ふわりと舞う紅茶の香りがまたアタナシアの気分を心地よく解していく。茶葉を蒸らしている間、丁度チョコクロワッサンとバタースティックが温まり、トレーからブレッドディッシュへ移しお気に入りのランチョンマットの上に置いた。
「もうそろそろいいかしら? それともちょっと早いかしら?」
ティーポットの様子を見ると、茶葉が程よく広がりを見せていた。香りも十分広がっていることに大きく頷いたアタナシアは「なんてラッキーなの。ベストなタイミングだわ♪」とさらに胸を躍らせ極上の一杯をお気に入りのティーカップに注いだ。
「うふふ。こうもラッキーが続くだなんて、本当に今日は良いことで溢れそうだわ♪」
目の前に並んだ素敵な朝食を前に、アタナシアは小さく挨拶をしてから一口。さっくり、ふわり、とろりとたくさんの食感をゆっくり味わいながら食事を済ませると、最後はダージリンで一息をついた。
「はぁ。大満足だわ。さて、まだまだ今日は始まったばっかりよ。これからもっともっとラッキーを見つける時間よ!」
こうしちゃいられないわとばかりにアタナシアはてきぱきと片付けを終え、身軽な恰好のまま街へと繰り出した。
─不良結末
心地よい風がアタナシアの髪を通り抜ける。草木の香りが混じる風に鼻孔をくすぐられたアタナシアは思わず笑みがこぼれた。
「こんな素敵な香りに出会えるなんて……なんてラッキーなのかしら♪」
小さなラッキーを見つけるたびに自分が、世界が輝いているように見えてくるアタナシアは誰もいない通りでくるくると回って踊って見せた。この喜びをほかの誰かと分かち合いたいという気持ちが溢れている最中、アタナシアは危うくバランスを崩し転びそうになった。間一髪でそれは免れた。
「っととと。危なかったわ。……はぁ……アンラッキーだわ」
アンラッキー。普段、そこまで気にしないで使う言葉なのかもしれないが、アタナシアの場合は違った。その何気ない一言が、アタナシアを負の連鎖へと陥れてしまう。
「わたしの心がそれを望んでいるの? そうだとしたら……こんな世界、なくなっちゃえばいい」
「何もかも壊しちゃおう」
「願望の先に絶望があるの?」
「何も考えちゃだめ。こうなったら……嫌だなって思うほど現実になっちゃうんだから」
さっきまでのにこにこ笑顔から一遍、顔面蒼白になりその場に蹲ってしまったアタナシア。頭を抱え、必死に何かを振り払うかのように頭を何度も横に振り、「やめて。やめて」と呟いていた。
「もっと幸せになりたい……なんて……欲張りだったのかな」
大粒の涙と共に零れた一言。その雫が大地に落ちるのと体を強張らせるのはほぼ同時だった。アタナシアは自分自身を抱きしめるようにぎゅっと力を込めると、ふとあることに気が付いた。
「あれ……? だめかもって不安になってたときより気分が楽かも」
あれだけ怖がっていた表情がいつの間にか軽くなったように見える。それは解決したからだろうか、それとも……。アタナシアは涙を拭い、真っ赤に腫らした目で空を仰いだ。澄み渡る青い空を見たアタナシアはまるで空に海があるような光景にくすりと笑った。それがきっかけになったのか、アタナシアは徐々に声を大きくして笑い始めた。そして笑い終えると、またアタナシアはいつものきらきらした笑顔へと戻っていた。
「やなことがあった分、次はいいことが起こるはずだよ! さぁ、ラッキーを探そう!」
アタナシアは再び街へと向かって駆け出した。小さな小さなラッキーを集めるために。




