スウィートブラックトルテ【魔】XⅤ
ある雨の日でした。わたくしは傘もささずにただ歩いていました。ぽたぽたと垂れる雨粒をそのままにしながら歩いていると、道端で膝を抱えているあなた様を見つけました。わたくしはかがんであなた様に問いかけました。何かお困りですかと。すると、あなた様はゆっくりと顔を上げ、わたくしの顔を見て少し安心したかのように、頬を緩ませ笑みを浮かべました。
「大丈夫です」
決してそうは見えないご様子に、わたくしは手を差し伸べるとあなた様は少し迷った顔を浮かべながらわたくしの手をとりました。ゆっくりと立ち上がり、再びわたくしの顔を見てほほ笑むあなた様は、今でも印象的でした。
「……あなた、少し変わっているわね」
雨脚が強くなる中、わたくしの耳にはそう聞こえました。別にわたくしは特別なことをしているわけではございません。ただ、あなた様が困っている様だった。それだけの理由です。
「あたしの家、ここからすぐだからよかったら。って、今更だけどあなたもびしょびしょじゃない」
今の状況を理解したあなた様は、わたくしの腕をぐいと引っ張りどこかへと引っ張っていかれました。なんとお強い。わたくしでは到底敵わないそのお力、感服致します。
どうやら連れてこられたのは、あなた様の家のようです。可愛らしいクマのぬいぐるみがあちこちに飾られているお部屋は、白を基調とされていてなんとも清潔感に溢れていました。あなた様は白いふわふわとした布をわたくしに投げてよこすと「それでまずは体を拭いてください」とだけいうと、一人部屋の中へと入っていきました。言われた通り濡れた個所を拭いていると、奥からあなた様が現れ「入っていいわよ」とわたくしを部屋に招き入れて下さいました。……では、お言葉に甘えることにしましょうか。わたくしは素足を入念に拭きながら一歩また一歩と部屋へ向かうとあなた様はある場所を指さしていました。
「びしょびしょのままじゃ風邪ひいちゃうわ。お風呂に入ってさっぱりしてきてください」
……わたくしにそういったことは不要なのですが……でもまぁ、あなた様がそういうのならそうしましょう。わたくしは新しい大き目の布をわたくしに投げつけると、「あっちだ」とばかりに指をさした。では、せっかくなので失礼いたします。わたくしはあなた様のいう通りに体を温めてから部屋に戻ると、小さな机の上には温かい飲み物が用意されていました。シンプルな容器に入っていたのは茶色い湯気の出ている飲み物で、わたくしがそれに手を伸ばし顔を近付けると、仄かに柑橘系の香りがふわりと舞いわたくしの鼻をくすぐりました。丁寧に淹れられたその液体を一口含むと、口の中でなんとも華々しい香味に思わずうっとりしてしまいました。
「うふふ。やっと笑ってくれましたね」
あなた様はわたくしの顔を見ながらくすくすと笑っていました。わたくしが笑っていたことが余程嬉しかったのか、あなた様は終始にこにこ笑っておられました。そんなにおかしいものでしょうか。わたくしにはよくわかりませんでしたが、あなた様が嬉しいのなら、それはわたくしも嬉しいことです。しばらくお茶を楽しんでいると、あなた様から笑顔が消え次第に顔が段々と曇っていくのが見えました。何かあったのかと思い、わたくしはあなた様に尋ねると、はっとした表情になり曇り顔を無理やり払うように首をぶんぶんと振り、否定していました。
「ううん。なんでもないですよ」
おや、わたくしの前で嘘をつくのですね。……これは面白い。では、挨拶がてらにわたくしはあなた様の隣に座り優しく話しかけてみました。何か困っている様子でした。わたくしでお力になれるのなら……。そういうと、あなた様は目にたっぷり涙を浮かべ、肩を震わせていました。
「……大事な人と喧嘩をしてしまったのです。あたしが悪いの分かっているんです。何度謝っても……相手は許してくれなくって……ほんと……どうしたらいいのかわからなくなってしまって……」
それで、あの雨の中にいらっしゃったのですね。なるほどなるほど。あなた様の気持ちは痛い程にわかります。しかし、あのままずっと外におられては、あなた様が体調を崩されてしまいます。そうなると、お相手様もさぞ心配されるでしょう。
「え、あたしが風邪ひいたら……?」
ええ。人は誰しも心配するものです。いくら喧嘩をしたとはいえ、体調を崩したとなればきっとお相手様は心配されるでしょう。もし、可能ならお相手様に連絡をしてみるのは如何でしょう。
「……あたしなんかが体調不良で心配してくれるものなのかな」
それはわかりません。ですが、あなた様がよりを戻したいと心から願うなら、一つの手段とも思えますが……いかがでしょう。
「……やってみます」
そういうと、あなた様は薄い板のようなものを慣れたご様子で操作されました。しばらくしてその薄い板のような物から音が発せられると、あなた様は板を操作し何やら考え込んでおられました。その反応がはてさてわたくしを楽しませていただけるものか。
「……来てくれるって……嘘……こんなことって」
それはそれは嬉しいことではありませんか。わたくしは満面の笑顔で祝福をすると、あなた様はにわかに信じられないといったご様子で髪の毛をくしゃくしゃとすると、少しぎこちない笑顔でわたくしにお礼の言葉を零しました。
「あ……ありがとうございます」
いえいえ。とんでもございません。これも、純粋なあなた様がなされた結果でございます。そういい、わたくしはあなた様の家から出ようとすると、あなた様は「待って!」と急に声を張られました。わたくしは振り返ると、そこには何かにすがるような眼をしたあなた様がおられました。
「また……会えますか?」
ええ。きっと、すぐ……ね。わたくしはにこりと笑いながら、扉を開けました。
─解放
あれから数日の時間が流れました。まぁ、わたくしには時間の流れなどあってないようなものなのですけどね。いつもなら特に気にしないのですが、たまたま先日お会いしたあなた様のご様子が気になり、再びこの地に戻ってまいりました。復縁されたかどうか……非常に楽しみです。あの雨の強い日と同じ場所に向かうと、まるでその時と同じような光景が広がっていました。ただ、先日と違うのは雨が降っていないという点でしょうか。そこにはまたしてもあなた様が道端で膝を抱えて座っておられました。あの時と全く同じ声で尋ねると、あなた様はわたくしの顔を見て息を飲むような声をあげながら驚いていました。
「あ……あんた……なんで……」
言いましたでしょう。きっと、すぐに会えると。そういうと、あなた様はぐしゃぐしゃと髪を乱しながら「あ、そういえばそんなこと言ってましたね」と心ここにあらずの状態で呟いていました。あの時と同じようにわたくしがあなた様に手を差し伸べると、今度は何の迷いもなくあなた様はわたくしの手をとり、ゆっくりと立ち上がりました。その顔には不安一色に塗りつぶされており、わたくしをぞくぞくさせました。おっと危ない。もう少し油断していたら笑みが零れてしまっていたところでした。わたくしはあなた様を気遣う言葉をいくらも並べると、あなた様はまたすぐ目に大粒の涙を浮かべ、今度は声に出してわんわんと泣き出しました。
「……あのあと、来てくれたのですが……すぐに帰ってしまって……」
おやおや。それは何とも悲しいですね。一体何があったというのですか。
「仮病がすぐにバレちゃって……そしたら、顔を真っ赤にして怒ってすぐに帰ってしまったのです」
おやおや。その程度で怒られたのですか。いやはや。なんとも人の心とは難しいものです。
「どうしたら……いいのでしょう」
ああ……いい。いいですね。その迷われている顔。仲直りしたいという気持ちとこのまま諦めてしまいたいという二つの気持ちが揺れ動いている様。悩んで悩んで悩んで、あなた様は一体どちらを表に出すのでしょう。それを、ぜひわたくしに見せてくださいませ。ああ……なんと……甘美なことでしょう。あなた様からはまだまだこの甘美な夢を搾り取れそうです。
あなた様が大事なことに気が付くまで、微力ながらこのわたくしが助力致しましょう。何かお困り事があれば、遠慮なくお話になってくださいね。あなた様の悩みが解決するまで、このわたくしはずっとあなた様の傍におります故。ご安心なさってください。
さて、あなた様は大事なことに気が付くことができるのでしょうか。うふふふふ……非常に楽しみでございます。




