まっすぐな思いを詰め込んだ蒸しケーキ【竜】XⅠ
正義。それはいついかなる時も優先させなければいけない事柄。なぜなら、それは何よりも尊いことだからと自負している少年がいた。その少年はオレンジ色のショートヘアーにアッシュブルーの瞳、薄いレンズの眼鏡をかけ、手には少年に扱えるのかどうかと不安を覚えるほどの大剣を持っていた。そよそよとそよぐ風に白いマントがなびき、少年は気持ちよさそうに目を細めた。
少年の名前はヴィンス。人々の想いによって生まれた存在で、正義感がとにかく強い。そして、人々を正しく導くことが自分の存在意義だと公言することも厭わないほどだった。
「今日も人々を正しく導きましょう」
眼鏡の汚れを落としながら、ヴィンスは自分に気合を入れた。今日も正しく、そして自分の正義を貫くために。
正義を伝えるために旅を始めてどれほどの月日が流れたであろうか。ヴィンス自身にもそれはもう覚えていないくらい、時は目まぐるしく駆けていた。そしてその駆けた中に、自分の正義を伝え、そしてわかってもらおうと努力し続けた。ときには中々納得してくれない人もいたけど、そこは長い時間をかけてゆっくりと説いていけば大体の人は納得してくれた。そして、それこそがヴィンスの正義だと疑わなかった。
「ふう。さきほどの人はえらく抵抗していましたけど……これでぼくが正義だということがわかったでしょう」
少し苦戦をしたのか、ヴィンスはやれやれといったように肩をすくませた。今までとは少し違うタイプで正義を理解してくれない人だったようで、ヴィンスはいつも以上、いやいつもの倍以上時間をかけて自身の正義を説いた。やがて相手は羽虫を追い払うように手でヴィンスを追い払うと、ぶつぶつと文句を言いながらどこかへ走り去って行った。
「もっと早くにぼくの正義を認めていれば……こんなことにはならなかったのに。なんて愚かなんだ」
既に姿が見えなくなったのを確認してから、ヴィンスは大きく溜息を吐いた。まるで時間を無駄にしたとばかりにその表情までもが困惑色に染まっていた。
「まったく……ぼくの正義が理解できないなんて……残念ですね」
その辺にあったベンチに腰を下ろし、空を仰ぎながらヴィンスはぼやいた。
「ぼくの正義があれば……それでいいのに」
ほんの少し冷たくなった風にそう投げかけ、ヴィンスはまた空を仰いだ。視線の先には大きさがまばらな雲が点々と泳いでいた。
─不公平
それから数日後。ヴィンスはいつになく憔悴していた。それはヴィンスの額から流れる大粒の汗の他、いびつに歪んだ表情や乱れた呼吸からもそれを伺うことができる。その理由は、ヴィンスと対峙している一人の青年だった。その青年はヴィンスとは真逆で非常に落ち着いた様子でたたずんでいた。
「もういいかな。俺も時間が惜しいんでね」
「ま……待ちなさい! あなたのその正義は……正義ではありません!」
「またか……その言葉何回も聞いたよ」
「だから……ぼくが……正義を……」
「しつこいな」
青年の足にヴィンスがしがみつくと、青年は感情を押し殺しつつ目を細めながらそれを振り払った。
「あっ!」
砂埃を舞い上がれながらヴィンスは転がった。それを冷ややかな目で見ている青年は、そのまま立ち去ろうとするとまたもやヴィンスが声を張った。
「ま……待ちなさい! ぼくを否定するのですかっ?」
また引き留められた青年は大きな溜息を吐いたあと、振り返りヴィンスにつかつかと歩み寄った。そしてヴィンスの目を見ながら言い放った。
「人にはな、その人なりの正義ってもんがあるんだ。それをお前だけが知ってる正義を押し付けられてみろ。不愉快でしょうがねぇんだよ」
「そ……そんなつもりは……」
「確かにお前にとっては正義かもしれねぇ。だがな、それは俺にとって悪なんだよ。つまり、それは逆も言えるってことだ。俺にとって正義はお前にとって悪になりかねないってことだ。だからしつこく詰め寄ってきたんだろうけどよ」
「……そうです。それは正義ではないのです。ぼくの正義こそが……正義なのです。もし、ここであなたの正義を認めてしまったら……ぼくの存在意義がなくなってしまいます……!」
「そんなもん、知ったことか」
氷のような言葉についにヴィンスは何も言い返すことができず、その場で固まることしかできなった。その間に青年はさっさとヴィンスから離れていく。
「なんで……なんでわかってくれないんですか……なにが……正しいのか……」
一人その場に取り残されたヴィンスは自問した。しかし、いくら思考を巡らせてもその答えは出せず、代わりにさっき青年が言った言葉が頭をよぎった。その瞬間、ヴィンスは激しく頭を振り、それを否定した。
「違う……違う違う違う違うっ!!!」
感情をむき出しにし、ヴィンスは頭を抱え声を荒げた。そんなことはない、そんなことはあってはならない、そんなこと許されるわけがない。あってはいけない。否定の濁流がヴィンスの思考を押し流し、半ば錯乱状態になっているヴィンスはふと気づいてしまった。
「そうだ……ぼくの信じている正義さえあればいい……」
なんだ難しいことはなかった。そうだ、考え方を変えればよかったんだとヴィンスは呟きながら、ゆらりと立ち上がった。そして目には大粒の涙を浮かべながらふらふらと歩くヴィンスの横で、湿気を含んだ生ぬるい風がひゅうと吹いた。それはまるで、ヴィンスの今の気持ちを表しているかのようだった。




