ピンクグレープフルーツとレモンのブッセ【竜】
「聞け! 我が命が奏でる輪舞を!」
目にも止まらぬ斬撃を巨大な敵へ浴びせかかる、一人の戦神がいた。白銀色に輝く双剣を腰に鞘に収め、艶やかなクリーム色の髪を左右で束ね、下ろしている。彼女の名はヴァイセ。どんな相手にも果敢に一人で立ち向かうヴァイセの姿を見た人は、戦乙女と言う人も少なくない。それを聞いたヴァイセは耳を真っ赤にしながらそれを拒否するも、周りから戦乙女と呼ばれるなんだか背中あたりがむずむずとしていた。でも、みんなを守れたことには変わりはないから、今は戦乙女と呼ばれてもいいかと胸の内で呟いた。
ある日のこと。いつも顔を出している酒場にて、巨大な竜の討伐を依頼する書類が張られた掲示板に、人々は群がっていた。
「こんなおっきい魔物、誰も退治できねぇよ」
「おっかないなわね。引っ越そうかしら」
「ああ……もう終わりだ」
口々に呟く人たちの中、事情を知らないヴァイセは人だかりが気になり人と人との間を縫うように移動し、ようやくたどり着いた掲示板を凝視した。そこには「至急! 討伐してくれ!」とでかでかと書かれた依頼書があった。巨大な赤い山のような竜が描かれた書類には、「危険」だの「見たらすぐに逃げろ」だのと色々と書かれていた。
「ヴぁ……ヴァイセ様……」
一人がヴァイセの名を呼ぶと、ヴァイセは依頼書を無言で引きちぎりマスターへと提出した。それは即ち、依頼を受けるということだ。
「……お前さん、本気かい?」
「ああ。みなが困っているのを見過ごすわけにはいかないんでな」
「……そうかよ。なら、何も言わねぇ。……気を付けろよ」
「ああ。必ず帰ってくる」
「……帰ってきたら、ご馳走作ってやっから」
「ああ。楽しみにしている。マスター、贅沢を言ってもいいなら、あの大きなハンバーグが食べたい」
「あいよ。たんと用意して待ってっから」
「……行ってくる」
マスターから手配書を受け取り、出現場所が書かれた地図を広げながらヴァイセは酒場を後にした。人々ははらはらした面持ちで見送ることしかできなかった。マスターを除いて。
手配書によると、その竜はその巨体に似合わず俊敏に動くとあった。さらには口から火ではなく、雷を吐くというなんとも変わった種族とのこと。手配書と一緒にマスターからの携帯食をもぐもぐしながら歩いていたヴァイセは、目撃情報がある地点へと到着すると辺りを見回した。乾いた砂が風が吹く度に静かに舞い、目の前に黄色いヴェールが表れる。建物があってもほとんどが朽ち果てていて、当時の面影を知るには相当な時間を要することは容易だった。
「こんな所に本当にいるのだろうか……」
今のところそういった気配を感じることができなかったヴァイセは思わず呟いてしまった。マスターの情報は確かではある。これまでも何度も救われたのも事実なのだが、今回は本当なのかとほんの少しだけ疑ってしまった。
「しかし……暑いな」
日陰がない場所を歩いてしばらく。目の前には黄色いヴェールの代わりに陽炎が踊っていた。ゆらゆらと揺れる景色に思わず引き込まれそうになるのをぐっと堪え、ヴァイセは探索を続けた。額から落ちる大粒の汗を腕で拭い、ふうと空を仰ぐと目の前が急に暗くなった。
「もう夜か?」
のんきなことを言っていると、暗がりはヴァイセから遠ざかっていった。目で追うとそれは巨大な竜だった。それはまるで手配書に描かれている竜とそっくりだった。
「ほう……そっくりだな……」
その竜はしばらく空を旋回を繰り返していると、ヴァイセの存在に気が付いたのかゆっくりとそして確実にヴァイセに近付いてきた。
「……っ!」
ヴァイセは腰から白銀色の双剣を抜き、戦闘態勢に入ると竜の突進攻撃を最低限の動きで交わした。真正面からぶつかっていたらきっと意識を失うだけでは済まなかっただろう。
「こいっ! 我が相手だ!」
ヴァイセの覇気のある声が聞こえた竜は、ゆっくりと地上に降りゆっくりとヴァイセに近付いた。そして、口を開いた。
「……ほう。この儂に何か用か?」
「……こいつ……話せるのか?」
「ほっほっほ……これはこれは綺麗なお嬢さんではないか」
「……少し話をさせてくれないか?」
「ああ。もちろんだ。だが……ここではなんだ。儂の背中に乗りなさいな。涼しい所で話とやらを聞こうではないか」
「……信用していいのだな」
「まぁ、疑われても仕方ないのう。そこはお嬢さんに任せるとするよ」
「……ヴァイセだ。お嬢さんじゃない」
「ほう。ヴァイセか。では、参ろうか」
戦闘かと思いきや、竜はそれを望んでいる様子ではないことにヴァイセは肩透かしを食らった。それどころか、話を聞いてくれるという異例の事態にヴァイセは事態を飲み込むのに僅かな時間を有した。しばらく乾いた風を顔に受けながら考えていると、竜が低く唸った。
「ほい。到着じゃ」
しっかり翼で風を捉え、ゆっくりと下降し辿り着いた先はかつては栄えていたであろう都市の入口だった。触れてしまえば砂となって消えてしまいそうな扉の隙間を移動し、奥へと進むと巨大な噴水があったと思われる広場へ通じていた。そして左右に伸びる道の奥はかろじで倒壊を免れている建物があった。
「あそこで話そうか」
のっしのっしと移動する竜に続くヴァイセ。一体こいつは何者なのかと考えながら建物の中へと入ると、外とは違い急にひんやりとした空気がヴァイセの足元を駆け抜けた。
「ここなら落ち着いて話ができそうじゃ。して、ヴァイセとやら。話というのは?」
「……ああ。まずは戦意のない貴公に刃を向けたことを謝罪させてほしい」
「……? ほっほっほっほ。お主、面白いのう。気に入った」
「?」
「まぁ、よいよい。では、本題に入ろうか」
「あ、ああ。(調子が狂うな)。我が暮らしている町で、貴公を討伐して欲しいという依頼があったのだ。とてつもなく狂暴で、口から炎ではなく雷を吐くという。周りの住民たちも不安が広がっていて、それを討伐するために来たのだが……」
ヴァイセは事情の一部を話すと、竜はまるで孫の話を楽しそうに聞いているように大きく頷いきながら聞いていた。そしてしばらく考えた後、竜はふうと小さく息を吐くとくるりと背を向け視線を送った。その先には、これまたすぐに朽ちてしまいそうな像が立っていた。女性を模したその像は天を掴もうと必死に手を伸ばしているように見えた。
「これは、儂が初めて仕えた者の像じゃ。この者は儂を見ても怯むどころか、果敢に挑んできおった。その気迫たるや、腰にささった剣よりも鋭かった。不覚にも儂はその勇ましさに怯んでしまってな。そうしたら、その者はさっきまでの鋭い目つきから柔らかい笑みを浮かべ、儂に手を差し伸べた。『この国を守るために、力を貸してくれないか』と。こんな老いぼれに一体何ができようかと聞いても、その者は何度も首を横に振り聞かんかった。やがて根負けした儂はその者についていくと、王は余程嬉しかったのか儂を見て目に涙を浮かべて喜んでおった。その涙たるや、美しかったのを今でも覚えておる。この涙を、そしてこんな儂を受け入れてくれたこの国を守ると誓った儂は、できる限りのことをした。そして時は流れ、逃げられない宿命がある。そう、『老い』じゃ。王も、そしてその者も老いていった。あのとき、儂は初めて涙を流した。こんな儂を受け入れてくれた者が旅立つ姿を……。その姿は最後まで美しくってな。それはまるで……そうお前さんそっくりじゃったなぁ……」
「……」
懐かしみながら話す竜の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。余程その女性のことを思っていたのだろう。
「それからというもの、儂はここを……かつて儂が守っていた場所を守るために立ち入る者に警告として襲ったというわけじゃ。すまないのう。年寄の長話に付き合ってもらって」
「いや……なんとも感慨深い話だった」
「ほっほっほ。そう言って貰えると嬉しいのう。さて、ヴァイセや。お前さんにひとつ、力を分けてやろう。ここまで儂の話を聞いてくれたお礼じゃ」
「……力?」
「儂が初めて仕えたあの者とそっくりなお前さんなら、きっとこの力を使いこなせると信じておるぞ。ただし、力に飲まれぬよう、十分に気を付けるんじゃぞ……ヴァイ……セ」
竜が口をかっと開くと、光の玉のようなものが表れヴァイセの中へと吸い込まれていった。やがてヴァイセの中に強大な力が流れ込むと、ヴァイセは苦痛にも似た表情を浮かべた。
「こ……これは……竜の力なのか……油断していると、あっという間に飲まれてしまいそうだ」
討伐依頼のあった竜は、かつて自分が仕えていた国を守るために、近くを通る冒険者たちを立ち入らせないため、脅かしていただけだったという事実に胸を打たれながら、次々と送り込まれてくる竜の力を受け入れた。
「ほっほっほ……益々べっぴんさんになったのう……なぁ……また、お前さんに会えて……儂は……儂は……もう思い残すことはない……あぁ……なんだか眠たくなってきたのう……ちょっと、休ませてもらおうかのう……」
「……おい! しっかりしろ!!!」
ヴァイセの呼びかけに竜はぴくりとも反応しなかった。代わりに竜の前歯がぽろりと落ち、ヴァイセの足元に転がった。それを拾い上げ、ぐっと握るとヴァイセはすでに永い眠りについた竜に向かって吠えた。
「お前の力……このヴァイセ。正しい力に使うと誓おう。お前と、仕えていた者、王。そして、お前が愛した国……お前の思い……このヴァイセが抱えて生きていくことを誓おう。だから、もう安心してくれ……そして……おやすみなさい」
最後に竜の頭を撫で、くるりと踵を返し出口へと向かった。振り返らず、まっすぐ前を見据えるヴァイセの目には、竜の如き赤き闘志が宿っていた。




