まんまるジューシィなスイカ寒天【竜】
透き通るような海色の空、そんな空へと高くのびる雲。聞こえてくるのは生ぬるい風とセミたちの合唱楽団。じょわじょわ、みんみんと担当パートを必死に歌い続けるセミたちの間を鋭い風が貫いた。木々の間を矢のように駆け、手には虫取り網、虫かごをななめかけし頭には広い鍔の麦わら帽子、タンクトップシャツにハーフパンツという夏ルックの少年がルンルン気分で駆けていた。
少年の名前はエルケス。英雄目指して日々様々な経験を積み重ねていたのだが、あるとき成長が足踏みをしてしまった。何度やってもうまくいく気配を感じないと思ったエルケスは、一旦自分を見つめなおすという名目で修練をお休みし、今まで経験したことがないことに挑戦することにした。
「慣れた生活から少し離れても面白そう」
そんな簡単な理由で決めたのは、田園風景が眩しい場所だった。自分で調べたメモを頼りに慣れない乗り物にも乗り、見知らぬ人に道を聞いたりと今までの生活とはほぼ無縁な経験を積み重ね、辿り着いたのはあちこちに住居が点在する集落。暑い季節だと聞いてはいたが、まさかこんなにぎらぎらと太陽が照り付けているとは思わなかったエルケスは、背中に背負ったバッグから水筒を取り出し水を一口含んだ。ここに来るまでの間、エルケスは宿泊をさせてくれるかどうか手紙でやりとりをし、時間はかかったが心優しい老夫婦の家でお世話になることになった。エルケスが送った手紙に丁寧に返してくれた老夫婦に何度もお礼をし、エルケスは早く会いたくて仕方がなかった。
「……ここまで優しくされたの……はじめてかもな」
ぽつりと言葉が零れた。今までは英雄になるために必死に戦ってきただけで、ほかの人から優しくされたという経験がなかったエルケスの表情はどこか寂し気だった。というのも、見知らぬ場所へ行こうと決断したのには、もう一つ理由があった。それは、英雄とは何かと自問したときにすぐに答えることができなかったからだ。エルケスの中にある英雄像は、骨格はあるのだが如何せんぼんやりとしていて具体性に欠けていた。必死に思い描いていることを口にするも、それはなんだか薄っぺらく、中身がないように感じていた。それはきっと、自身に経験が不足しているのではないかと結論づけたエルケスは、修練のほかにももっと学ぶべきことがあるだろうということから、見知らぬ場所へと赴こうという気持ちになった。
「どきどきするな……」
老夫婦からの手紙に同封されていた地図とにらめっこをしながら集落を歩いていると、家の脇を流れる水路がありそこには小さな籠が沈められていた。中を注意深く見てみると、流されないよう、ネットに入れられた野菜や飲み物が気持ちよさそうに漂っていた。エルケスはそっと水路に手を入れるとまるで氷水のように冷たく、思わず手を引っ込めた。
「へぇ、これで冷やしてるんだ」
自分が住んでいる世界では見たことがない知恵に思わず感心したエルケスは、すっくと立ち地図とのにらめっこを再開した。しばらく歩いていると、エルケスの歩いている姿を見つけた老夫婦が小さく手を振って出迎えてくれた。
「よくきてくれたね。あなたが……えるけすさん?」
「ああ。お、お世話になります」
「そんなに畏まらないでいいわ。さ、あがって」
老夫婦の笑顔に癒されたエルケスは早速家に上がると、ひんやりとした風に思わず頬を緩めた。
「涼しい……」
大きな広間の真ん中には円いテーブルがあり、その上には真っ赤に熟れたスイカがきれいに切り分けられていた。
「わぁ……」
「さ、食べて食べて。うちの畑で獲れたスイカだよ。甘くって美味しいよ」
席に着きエルケスは両手を合わせてからスイカをがぶり。甘くてジューシーな果汁が本気を出しすぎている太陽に晒されたエルケスの身体に優しく浸透していく。
「うぅまぁ……」
「そんなに美味しそうに食べてくれるなんて、本当に嬉しいわ」
くすくすと笑いながら、また新しいスイカを切り分ける。ものの数分で皿の上に盛られたスイカを平らげたエルケスは、満足感からかほうと息を漏らし天井を仰いだ。
「……こんなに美味いもの……はじめてだ……」
大の字に倒れても何も遮蔽するものがないくらい広間にごろんと転がる姿に、老夫婦はまたくすくすと笑った。
「なんだか……息子が帰ってきてくれたみたい」
「ああ……そうだな」
老夫婦の会話が気になったエルケスはむくりと起き上がり、おずおずと聞いてみた。老夫婦は一瞬顔を見合わせてから小さく頷き、口を開いた。
「あたしたちには一人息子がいたんだけど、喧嘩しちゃって出て行ってしまったの。……あたしたちがあの子に依存しすぎていたのかもしれない……でも、心配で何度も引き止めちゃったの。あの子の願いを叶えてあげたい。でも、ここを出て行ってほしくない……なんてわがままな親なんでしょうって思っちゃったの……」
笑っているけど泣いている。そんな感じがしたエルケスは口を挟まず、耳を傾けていた。
「……それからあの子は一回も帰ってこなかった。手紙も電話も……。きっと元気でやってくれていると思っている。そんなとき、あなたから手紙が届いたの。ほんの少し……気分が落ちていたとき、あなたからの心のこもった手紙が……とっても……とっても嬉しかったの」
老婦の目から一筋の光が伝った。それにつられたのか、老夫も目から光を流した。きっと老夫婦は一人息子をとってもとっても大事にしていたのだと思ったエルケスも、心がじゅんとしいつの間にか目から光を一粒零していた。
「あらあら。あなたまで泣かなくってもいいのに……ごめんなさいね」
エプロンの袖で涙を拭きながら老婦。少し鼻をすすりながら柔らかく笑み、ゆっくりと立ち上がると台所に立った。
「ここにいるときは、ここがあなたの家だからね。えるけすさん。遠慮しないでゆっくりしていってちょうだいね」
そう言いながら老婦はエプロンの紐を結びなおし、包丁を握った。とんとんとリズミカルな音と共に野菜たちが食べやすい大きさに加工されていく。それらを大きな鍋でじっくりと炒め、茶色い塊をいくつか落としゆっくりとかき混ぜていく。老夫は白米を洗い、炊く準備を始めた。
「いっぱい食べてね。お野菜は全部畑で獲れたものなのよ」
ゆっくりと鍋をかき混ぜる老婦は本当に嬉しそうに笑っていた。エルケスは何かできないかと考え、皿や食器の準備を進んで行った。やがて香辛料の香りがエルケスの鼻をくすぐった。なんとなく食欲をそそる香りにエルケスの心はぴょんと跳ねた。白米も炊き上がり、かき混ぜ蒸らしの工程に入った。ふんわりとした白米はそのままでも美味しそうな匂いがしており、エルケスは思わずごくりと喉を鳴らした。
「もう少しで完成だからね。その間、お風呂に入ってきなさい。はい、タオル」
老婦からふわっふわのタオルを受け取り、風呂場へ案内されたエルケス。広々とした風呂場に驚きながら疲れを癒す。外はすっかりオレンジ色に染まっており、セミはミンミンからカナカナへと変わっておりどこか涼し気だった。
「……なんだか……贅沢だな……」
セミの声を聞きながら入浴なんて、自分が住んでいる世界では決して経験ができない貴重なものだと口の中で噛みしめながらしばし心地よい湯に身を沈めていた。
湯からあがった頃、食事の準備が整っていた。
「落ち着いたらでいいからね」
髪を拭きながら広間へ向かうと、見たことがない食事が並んでいた。
「今日はカレーを作ったの。いっぱい食べてね」
カレーと言った食べ物を興味深そうにみているエルケス。その隣には新鮮な野菜で作ったサラダがこんもりと盛られていた。鮮やかなトマト、瑞々しいレタス、キュウリ、コーンが彩りを添えていた。
「おお……いただきます!」
炊きたての白米とごろごろ野菜たっぷりのカレーは、エルケスの胃袋を瞬時に掴んだ。甘さも辛さもちょうどいいルゥが白米に絡み、手が止まらない美味しさだった。
「よかった。お口にあって」
「食べっぷりがいいなぁ」
老夫婦は顔を見合わせ、ふふふと小さく笑ってからカレーに手を付けた。その時の老夫婦の顔は心から喜んでいるように見えた。
お腹いっぱい食べたエルケスはあっという間に睡魔に襲われ、老夫婦が用意してくれた布団という寝具に潜り込むと、何回かの呼吸をしたあと深い深い眠りへと落ちていった。
翌日。海色の青空が広がり、今日も元気にセミたちが合唱をしていた。それがアラームだったのか、エルケスはぱちっと目が覚めゆっくりと身体を起こした。目を擦りながら広間に向かうと既に老夫婦は起きていた。
「えるけすさん。おはよう。朝ごはんの用意はできているわ」
円いテーブルの上には、昨日ほどではないが食べやすいお皿に盛られたカレーが用意されていた。その匂いを嗅いだ瞬間、エルケスの眠気はぶっ飛び両手を合わせカレーを口に運んだ。
「美味い……美味いです……」
もごもごとさせながら感想を漏らすエルケス。ほどよい量のカレーはエルケスの活動エネルギーへと変換され、いつでも外へ出る準備が整った。
「えるけすさん。ここから少し離れたところに、カブトムシが生息している森があるのだけど、興味あるかしら?」
「か、カブトムシ! おお! 興味あります!」
まるで子供のようにはしゃぐエルケスを見た老夫婦は倉庫から虫取り一式を取り出し、エルケスに手渡した。
「これ、使って。あ、そうそう。今日も暑いみたいだから、これも」
そういって老夫婦は玄関にあった鍔が広い麦わら帽子をエルケスの頭にそっと被せた。
「うん。大きさもぴったりね。水分も忘れずにね」
「何から何まで……ありがとうございます」
「いいのよ。楽しんでもらえたら嬉しいわ」
「はい! 行ってきます!」
深く礼をし、エルケスは教えてもらった森へと駆けた。その後ろ姿を見送った老夫婦は、エルケスが見えなくなるまでその場にずっと立っていた。
「……ほんと、いい子ね。えるけすさん」
「ああ……来てくれたことに感謝だな」
老夫婦は手を握りあいながら家の中へと戻っていった。
森の中を矢の如く駆けるエルケスの顔はイキイキとしていた。網を一振りすれば大きなカブトムシが入り、すかさず虫かごへと入れまた網を振る。移動も今までの修練を生かし、枝から枝へと飛び移りまるで忍者のように俊敏に動いていた。
「ここで修練が役立つだなんてな」
思わず本音を零すエルケス。でも、今は非日常を目いっぱい楽しむことが最優先だと頭を切り替え、虫取りを心から楽しんでいた。適度に水分を取りつつ、また活動を再開していると辺りはいつの間にかオレンジ色に染まっていた。
「もうそんな時間なのか……楽しい時間ってのはあっという間なんだな」
虫かごにはたくさんのカブトムシが入っており、満足いく結果にエルケスは笑みをこぼした。
「楽しかったな。それじゃあ、そろそろ戻るか」
エルケスは虫かごからカブトムシをそっと取り出した。楽しませてくれたお礼をするように、丁寧に。
「お前たちがいてくれたおかげで最高の時間を過ごせた。ありがとな」
最後の一匹を森へと返すと、早歩きで老夫婦が待つ家へと戻っていった。
無事帰宅し、お風呂からの夕飯の流れとなり今日も肩までしっかり湯に浸かりながらセミの声に耳を傾けていた。
「……明日で帰るのか……」
ふとやってきた現実に思わず目を背けたくなったエルケス。ここでの暮らしはとっても良く、むしろのびのびできる。だけど、いつまでも甘えてばかりでは英雄になんてなれない。刻一刻と別れの時が迫っている焦燥感にエルケスは思わず溜息を吐いてしまった。
「……明日、お願いをしてみるか……」
エルケスはぽつりと呟くと、風呂場から出て身体を拭き寝巻に身を包んだ。それから美味しい夕飯をお腹いっぱい食べ、またあっという間に深い深い闇へと意識を吸い込まれていった。
翌朝。きてしまった別れの時。荷物を背負い、忘れ物がないか再度確認をし、玄関へ向かう。美味しかったご飯、楽しかった老夫婦との会話は全てエルケスの心に深く刻まれた。
「もう帰るのかい。もう少しゆっくりしていってもいいんだよ」
老婦が名残惜しそうにエルケスの手を取る。その手はどこまでも温かく、優しかった。
「……ありがとう。とっても嬉しいよ。でも……いつまでも甘えてばかりは……」
「……そうかい……」
目を伏せる老夫婦に、エルケスは思い切って昨日聞いてみようと思っていたことを口にした。
「あ……あの。また、来てもいいかな……ここへ」
まさかまたここに来たいだなんて……思わぬ発言に老夫婦は顔を見合わせ小さく頷いたあと、エルケスにまっすぐ向き合い大きく頷いた。
「ええ……ええ。いいわよ。いつでもおいでなさい。ご飯も、お布団も、お野菜も用意して待ってるからね」
「ここは、えるけす君の家でもあるから……またおいで。待ってるから」
老夫婦はエルケスの手を取る。二人の優しさを受け取ったエルケスは、必ずまたここに来ることを約束し、最後は振り向かず前だけをまっすぐ向いて歩き始めた。
「……きっと……またくるから……ありがとう。おれを……迎えてくれて」
ここで得た経験は、決してエルケスの住んでいる世界では経験できないものばかりだった。そのひとつひとつを胸に、心に刻みながら明日からの修練に精を出すことを誓ったエルケス。
修練を終えたエルケスの元に、一通の手紙が届いた。封を開け中を確認すると……。
「……よかったな……よかった……」
手紙の上に大粒の涙を落としたエルケス。そこに書かれていたものとは……。




