桃香る一口ガナッシュ【竜】
─いつか、彼女と一緒になるため。
その思いを胸に里を出た一人の青年がいた。目はやや鋭いものの、どこか優しい雰囲気をたたえていた。頭部から見える赤い角、腰まである長い黒髪を恋人から貰った色とりどりの組紐で結わい、彼女から「わたしだと思って一緒に連れて行って」と言われ、手渡された着物を身に着けている。腰には使い慣れた愛刀を差し、そしてすぐ後ろに見えるはまるで水龍かを思わせる太い尾がゆらゆらと揺れていた。
青年の名前はシノノメ。里の中にいる思い人に告白をしようとしたのだが、その思い人の父親を越えねば交際は認められないといわれてしまった。剣術の心得があったシノノメは自身の実力を思い人の父親に全力でぶつかるも、軽く弾かれてしまい交際は叶わないということと自身の実力のなさを痛感してしまった。だが、望みが潰えたわけではない。実力をつけて再戦し、思い人の父親に「参った」と言わせればいいのだ。そう考えたシノノメは自宅へ戻り自分を磨く旅の準備をした。確実に力をつけるまで里には帰らないと自身に誓いをたて、里を出た。
里を出てどのくらいの月日が経っただろうか。里を出たときはたくさんの梅や桃、桜が咲き誇っていた季節だったというのに、また同じ季節を廻ってきていた。梅や桃などの華やかな香りがシノノメの鼻孔をくすぐり「あぁ、春がまたやってきたのだな」と思わせてくれた。休憩のため、立ち寄った公園のあちこちではたくさんの恋人たちが思い思いの時間を過ごしていた。そんな幸せそうな二人を見ていたシノノメはふと、思い人と過ごした過去を思い出した。
それはまだ里の中で静かに暮らしていたときまで遡る。平穏な暮らしはそのままに、シノノメと思い人はみんなに内緒で近くの町へ繰り出していた。そう遠くない町へ到着した二人は、里にはない珍しい代物に目を輝かせていた。シノノメは陶器や美術品、思い人はカフェや洋服などショッピングにわくわくしていた。普段では味わえない非日常感に時間はあっという間に過ぎてしまい、二人はみんなに気付かれる前に里へ戻り事なきを得た。
また違う日、この日は思い人がシノノメにある提案をした。それは、町にいる間洋服を借りることができるお店を利用して普段とは違う時間を過ごしてみるのはどうというものだった。面白そうだと思ったシノノメはすぐに返事をし、二人でそのお店を訪ねた。そのお店には里では見たことのない服で溢れており、シノノメはどれを身に着けたらいいかわからなくなっていた。そこへ、思い人が「あたしが見繕ってみる!」といい、店内奥深くへと潜り込んでいった。引き留めようと発した言葉すらも耳に入らなかった思い人は、あれだこれだと一人でぶつぶつ言いながら吟味していた。
思い人が店へ潜り込んで数十分。店の奥の奥の方から「シノノメ~」と声が聞こえた。その声を頼りに呼ばれたシノノメは奥へと進んでいくと、思い人の手がひらひらと動いているのが見えた。こっちこっちと言わんばかりに動く手に招かれるがまま進んでいくと、思い人の手には選ばれた服たちが握られていた。
「ね、これを選んでみたんだけど。ちょっと試着してみてくれる?」
「あ、うん。わかったよ」
思い人から服を受け取り試着室へ入ったシノノメ。いつもとは勝手の違う服に少し戸惑いながらも、ゆっくりとだけど確実に身に着けていく。やがて全身が見える鏡に自身の姿を映すとまるで生まれ変わったかのような新鮮な気持ちになった。黒いセーターに金色の模様が入った大きな白いショール、同色のすっきりとしたパンツにシンプルな革靴という組み合わせだった。少しちくちくするけど、何だか胸が躍る組み合わせにシノノメは何度も鏡を覗き込んだ。
「おお……すごい……これが……ぼく?」
「思っていた以上に映えててよかったわ」
何度も何度も振り返ったりしながら普段とは違う自分を楽しんでいるシノノメに、思い人も試着室へ入り手早く着替えを済ませると、シノノメの腕を組んで町へと繰り出した。借り物の服だから汚さないようにしないとと強く思いながら、しばらく二人の楽しい時間は過ぎていった。里では食べられない食べ物や飲み物、雑貨など色々と見て回ると空はすっかり夕焼け色に変わっていた。
「あ、さすがにそろそろ戻らないと危ないわね」
「そう……だね。そろそろ戻ろうか」
やや急ぎ足で服を借りた店へと戻り、二人は慣れた手つきでさっきまで着ていた服に着替えた。借りていた衣服をきれいに畳み、店員へ返却すると物凄い勢いで里へと戻っていった。荒い呼吸がばれないよう、息を押し殺しながら何事もなかったかのように振る舞いながら、二人は別れた。自宅に戻ったシノノメはまさかあのようなことができるだなんて思っていなかったので、今日はとても夢見心地な気分で楽しかったと思いながら寝床の準備を進めた。
「……はぁ。元気にしているかな」
どこからともなく飛んできた桜の花びらにそう問いかけるシノノメ。もっと自分に力があれば、思い人に寂しい思いをさせないで済んだかもしれないのにと後悔の念がぽつり。だけど、そんなことを言ってはいられない。思い人と一緒に時を過ごせるには、実力をつけなくてはいけない。そのためなら……。
「あの人に伝えてくれるかい。ぼくは元気でやっているよと」
自身の無事を桜の花びらに託し、静かに指を開き花びらは春風に乗って華麗に舞い上がった。
「……よし。そろそろ行こう。あの人が待っている」
気持ちを切り替え、再び歩みだした。思い人と一緒に過ごせると強く信じながら。




