みぞれ餅【竜】
「……雪か」
あてもなくふらふらと歩いていた竜族の女性─クラナ。比較的カジュアルな装いの背中から雲一つない快晴を思わせるディープブルーの翼、頭から同色の角を生やし、腰には赤いフィッシュテールスカートを巻いている。膝より少し下まである長めのブラウンブーツを履き、手にはその美しい容姿からは想像もできないくらい大きなハルバートをが握られていた。角の部分に冷たさを感じたクラナはふと空を仰ぐと、薄暗い空からちらりほらりと舞い降りてくる小さな妖精の存在に気が付いた。手を開き妖精を招くと、妖精はクラナの手のひらで優雅に挨拶をしたかと思うと一瞬で退場してしまった。
「儚いな……」
挨拶をしてくれた妖精に少し申し訳なさを感じながら、クラナはあたりが段々と白い世界に変わりつつあることに気が付いた。いくら意識していなかったとはいえ、このまま外で一夜を過ごすのは危険だ。どこかで体を休められそうな場所はないか目をこらしてみると、だいぶ先ではあるがほんのりと温かい明りが見えた。
「あそこまで向かってみるか」
本当ならこんな天気の中でも、ある目的を遂行しなくてはならない。それが成功するのであれば、この命など軽いものだと考えているクラナ。クラナには双子の妹がいた。一緒に仲良く暮らしていたのだが、突然その妹が攫われてしまった。妹をさらったのは長年勢力争いをしていた集団だとわかったとき、クラナの頭に一瞬で血が上った。元々気長ではない性格が暴発し、その一族の里を焼き払ってしまった。そしてその戦禍の中、妹は別の場所へと移ってしまった。すっかり変わり果ててしまった里の中をくまなく探し、生き残りに妹の居場所を尋ねるも、明確な手がかりが掴めないという状況が続いた。
「あいつは……無事なのだろうか……」
吹雪いている中、クラナは妹が大事にしていたペンダントを握りしめながら呟いた。いつか……いや、必ず妹を助けると誓い、クラナはペンダントをぎゅっと握った。今、妹が寂しい思いをしているのに比べたら、この吹雪なぞ……。クラナはただまっすぐに温かい明りを目印に向かって歩を進めた。
「ごめんください。どなたか……」
たどり着いたのは見たことのない大きな建物だった。どっしりとした外観に灯る暖かい明りはこれだったのかと納得しているクラナ。玄関を潜ると見慣れない大きな箱のようなものの上に赤い動物の置物が置かれていた。辺りを見回してみるも、どれもこれも見たことのないものばかりで溢れていた。額縁に飾られた絵画、白い布のような飾り、玄関出入口上部にはなんだか神々しい棚のようなものが設置されていた。
「ここは……なんだか不思議な空気を感じるな」
握られたハルバートを背中に収め、館内の空気を思い切り吸い込んだ。適度に水分を含んだ木材の香りは、クラナの警戒心を一瞬にほどいてしまった。甘くそしてどこか懐かしい香りにうっとりとしていると、館内の奥から「はーい」と女性の声が聞こえた。しばらくして白い調理用の装いの女性がにこにこと笑いながらやってきた。
「あらあら。待たせてしまってごめんなさいね。外はすごい雪だったでしょ。ささ、中へどうぞ」
「あ……あの……ここは……」
「ここは、旅館っていうの。疲れた体と心を癒すところよ」
にこにこと笑いながらクラナを迎えてくれた女性は、手早く内履き(スリッパ)を用意。おどおどしているクラナに女性はくすくす笑いながらまるで「ついてきてくださいな」と言わんばかりにクラナにくるりと背を向け、中へと入ってしまった。
「まぁまぁ。まずはお上がり。あったか~いお茶でも飲みながらでも遅くはないでしょ? うふふ」
「あ……はぁ……」
すっかりペースを握られてしまったクラナはすっかり濡れてしまったブーツを脱ぎ、女性が用意してくれた内履きを履き女性の後を追った。女性の後を追う中、クラナは廊下に飾られている様々な絵画に思わず声を漏らした。
「なんて素敵なんだ……」
それはクラナの住んでいた場所では見ることがない「平和」という名の名画。こっちでは空に向かって花を開こうとしている絵画、こっちでは夜空に何かが爆発している絵画、こっちではたくさんの野菜が描かれた絵画、最後は大きな白いだるまのようなものが描かれた絵画と、言われなくても目で見てすぐにわかるものばかりでクラナの目を心を癒した。
「なにか心を動かされたものでもありましたか?」
女性の声にはっとしたクラナは、廊下に飾ってあった様々な絵画のことを話した。すると女性は「それは、この旅館の近くにある四季を彩ったものです」と言った。四季……聞きなれない言葉にクラナが首を傾げると女性は「春は芽吹き、夏は色彩、秋は恵み、冬は巣籠り……そしてまた春がやってきて……という具合かしら? 私の勝手な解釈だけど」
「なるほど……その四季というのはこんなにも色鮮やかなものなのだな」
「そうね。とってもカラフルよ。夏は暑いけど、夏にしか楽しめないものもあるし、逆に冬はとっても寒いけど、冬にしか味わえないものとかたぁっくさんあるの。私たちはそれを楽しんで過ごしているの」
「むう……興味深いな」
「でしょ? さ、あったか~いお茶、入ったわ。召し上がれ」
女性がクラナに手渡しのは、緑色の液体が入った器だった。それを受け取ったクラナは器からのぼる香りを楽しんだ。まるで新緑のような甘い香りにクラナは器を傾け一口含んだ。とっても熱いけど、どこか安らぐ味わいにクラナはすっかりリラックスしていた。
「おいしい……」
「今年の新茶、喜んでもらえて嬉しいわ。それと、お部屋も用意してあるから今日はゆっくり休んでいってね」
「え? 休む……はっ! あたし……お金が……」
懐事情が今の外の状況と同じだということを女性に伝えると、女性はお腹を抱えて笑い出した。
「そんなことを気にしていたの? 大丈夫よ。お代は気にしないで。うんと休んで行って」
「それは……悪いではないか?」
「え? そうかしら? こんな天気にあなたがやってきてくれて、絵画に心を動かされて、お茶を気に入ってくれた。もうそれだけで私は十分だと思うわ」
お茶と呼ばれた緑色の液体をまじまじと見ながら、クラナは「本当にいいのか?」と尋ねると「もちろん!」と満面の笑顔で答えた。
「そうと決まれば、まずはお風呂で疲れを取ってきてくださいな。その間に美味しいご飯を用意して待ってるわ」
「あ……ああ。世話になる」
女性から部屋を案内された後、大きなタオルと小さなタオルを一式受け取るとそのまま大浴場へと案内された。
「今日はあなただけだから、うんと足をのばしていいわよ」
「かたじけない」
衣服を脱ぎ、大きなタオルを巻き浴場へと向かうと湯煙がクラナを迎えてくれた。だだっ広い浴場に自分だけというのは少し落ち着かないけど、今は贅沢に使わせてもらおうと思った。軽く体を流したあと、ぽこぽこと泡が浮く風呂に足をつけ、ゆっくりと体を沈めると天井を仰ぎながらほうと息を吐いた。
「こんなにゆっくりと風呂に入ったのはいつぶりだろうか」
湯加減も丁度よく、クラナはいつもより長めに湯舟に浸かっていると内部にもう一枚扉があることに気が付いた。
「なんだろうか。あれは」
湯舟から上がり、扉に手をかけとそこは一面銀世界の中湯舟があった。外の景色を楽しみながら風呂に浸かることができるとは……なんとも贅沢だなとクラナは小声でそういうとその贅沢に全身を浸らせた。
「はぁ……」
なんとも言えない安心感にクラナはつい頬を緩ませた。ほんの少しだけ熱いのだが、今はその熱さも贅沢の一つだと思ったクラナはうんと体を伸ばして贅沢をさらに味わった。
「……美しいな」
自分の住んでいる世界とは全く違うというのが、こんなにも刺激的だとは思わなかったクラナはしんしんと降り積もる雪景色に心を奪われていた。お湯を肩にかけながらクラナはふと、妹を思い出した。
「あいつを助けたら……この景色を見せてやりたいな」
きっとあいつのことだ。きゃあきゃあとはしゃぎながら足を滑らせるだろうなと思うと、クラナの胸に抑えていた感情の波が押し寄せてきた。
「ルチア……すまない……必ず……助けるから……」
最愛の妹の名前を呼びながら、クラナは湯舟の中でしばらく嗚咽を漏らした。
「おかえりなさぁい。ご飯の用意、できてるわよ~」
「なんと……」
部屋に戻ると既にご飯の用意が整っていた。少し長風呂だったのにも関わらず、料理からは美味しそうな湯気で溢れていた。どれもこれも見たことのない料理にクラナのお腹から可愛らしい声が響くと、女性はくすくす笑いながら「たっくさん用意してあるからね。たっぷり食べてね。遠慮は無用よ」とウインクをした。
「そうか。なら、遠慮なくいただこう」
まず目の前にある小さな鍋の中でくつくつと音をたてながら煮えている物が気になったクラナは白くて四角い物を掬い口に入れてみた。ぷるぷるとした白くて四角いものは口の中でほろほろと崩れ、自然の甘さが広がっていった。
「これは……優しい甘さで美味いな」
「それはお豆腐って言います。つるんっとしてて食べやすいでしょ」
「確かに……あっという間になくなってしまったな。続いてこの……薄い肉のようなものは……うん!」
肉のようなものはこの旅館の近くの農場から頂いた極上の牛肉だった。牛肉から溢れる上品な甘みと旨味にクラナの顔は幸せ満開になった。
「お肉もたっくさんあるからね。いっぱい食べて、いっぱい休んで、いっぱい寛いでいって!」
「ああ。そうさせてもらおう」
女性の話も陽気で話してて楽しくなったクラナは用意された食事をぺろりと平らげた。
食事も済み、心もお腹も満たされたクラナはふと窓の外を見た。来た時よりも雪は静かになっており、近くまでなら散歩ができそうな具合だった。
「腹ごなしに少し散歩してみるか」
この雰囲気をもっと楽しみたいと思ったクラナはすっくと立ちあがり、階段をとんとんと下り玄関へ向かい傘立てにあるものから無作為に一つ掴み、外へ出た。音もなく降り続いている雪に暖かな体はほんの少しきりりとした空気に混ざっていた。さくさくと音をたてながら歩き、傘を広げた。広げるとなんとも鮮やかな花が描かれていて、クラナは再び心を動かされ傘をくるくると回してみた。
「これは……ぜひともあいつに持ってもらいたいな」
双子の妹にもこの雰囲気を味わってもらいたいと思いながら、クラナは普段では味わえない銀世界を堪能した。
翌朝。あれだけ降っていた雪はすっかりなくなり、路面は非常に歩きやすい状態になっていた。これなら出発しても問題ないだろうと判断したクラナは部屋を出る準備を済ませ、玄関に向かった。するとそこには既に準備をして待っていた女性が立っていた。
「おはようございます。ご出発ですか?」
「ああ。何から何まで世話になった。おかげでゆっくりすることができた」
「それはよかったです。あ、これ。お弁当です。道中で召し上がってください」
「本当に……すまない」
「気にしないでください。またあなたとは会えそうな……そんな気がするんです。だから、今からまたあなたに会えるのがわくわくなんです♪」
「それは気が早い話かもしれないな……でもまた、機会があったらぜひ立ち寄りたい」
「お待ちしてます♪」
昨日、びしょびしょだったブーツはすっかり乾いており、これはきっとそうなのだろうとクラナは心の内で思った。つま先をとんとんし、旅館を出るか出ないかのとき、クラナは女性に背を向けたまま口を開いた。
「もし……もしもの話なのだが。あたしに双子の妹がいるのだが、その……妹と一緒に来てもいいか?
少しの沈黙の間、女性は笑声で「もちろんです。あなた様の妹さまとなれば尚更歓迎です」と答えた。その答えにクラナは涙が出そうになるのを堪えながら小さく「ありがとう」と呟いた。
「ぜひ、またお越しください。ここは、あなた様の家でもあるのです。あなた様がお越しになるのなら、この私、全力でおもてなし致しますわ」
最後まで朗らかな人柄にクラナは小さく頷いて答えると、それ以上何も言わずに玄関を出た。そして、いつしか必ず妹を助け出した際、ここに寄って妹との時間を取り戻すのだと心に強く誓い、クラナは妹探しの旅を再開した。
きっとまた。会えますように。




